地球に夢中研究所

肺ガンIV期。自身のガンを治しつつ、世界の人々の健康への貢献を目指す、「地球に夢中研究所」代表 太田和廣の日記。

死生観/恐怖/弘法大使のお言葉

2011-12-07 10:43:25 | 健康
「漢方なからだ」、とても面白い。
肺と腎が深いつながりがあることを理解し、私は肺だけでなく腎にも問題がありそうなことに気付いた。

漢方的には、肺は、「憂」をつかさどる。
これは思い当たる。
一方、腎は、「恐」をつかさどる。
これはピンと来ない。
腎については、ピンと来るものと来ないものがあるので、まあいいか、と最初は思った。
これまで、「死生観」や「死の恐怖」について考察する機会もあり(サイモントンセミナーなど)、死すら恐れていない、と、自身を持っていた。
ところが、ふと、考えてみると、あれれ?怖い。
死ぬのが怖くなっている。
わけがまからなくなった。
ひょっとして、以前から怖かったのに、その感情に目を瞑っていただけなのか?とすら考えた。
考えれば考えるほど、わけがわからなくなる。
つい、数日前のことだ。

今ならわかるが、確かに、以前は怖くなかった。
なぜかと言うと、たいして幸せではなかったから、だと思う。
美しい妻がいて、立派な息子がいて、そんなこと言ったら罰が当たるけど、多分そういうことだと思う。
ところが、「真の最終心の旅」が完了して、事情が変わった。
すっかり幸せになってしまった。
すると、死ぬのが怖くなった。
死ぬのなんて、簡単なこと。
無から生まれ、無へと還る。
ただそれだけだ。
恐れることなど何もない。
その考えに、変わりはない。
だが、怖くなった。
死ねば、この幸せを、失うことになる。
それはいやだ。
怖い。
そういうことだと思う。

もう一つ、ショッキングな出来事が重なり、混乱に拍車がかかった。
血液検査結果。
白血球値があまりよくなかった。
気にするほど悪くもなかったのだかけど、測定日の前後を確認してみた。
前日にPETで光り輝く原発ガンを見ていた。
当日、変なものを食べておなかの調子を壊していた。
当日と翌日、久々にまさひろが荒れていて、そうなるとそれは多分私の振る舞いが悪かったと思われる。
だって、あれだけしょっちゅう荒れていたまさひろが、「真の最終心の旅」の後、2週間全く荒れなかったのだ。
また、この2回荒れた後、今日に至るまで、一度も荒れていない。
覚えていないけど、何か私に変な振る舞いがあったのではないかと思った。
俺ってなんて精神的にもろいんだと痛感した。
こんなことで「恐怖」と戦えるのか。

翌日、いきなり解決した。
まあちゃんの親戚のパイプオルガン演奏を鑑賞して、その後家族と別れて一人中山寺の宝乃湯に向かった。
ふと、久しぶりに、中山寺(お寺。通称、「中山の観音様」)へ立ち寄った。
前回は、蓮の花が咲いていたから、夏だ。
確か、一人で出歩けるようになった、と喜んでいた頃、まさにその最初だったような気がする。
私にとって、めでたいお寺だ。
そういえば、幼い頃から、何度もお世話になってる。
今回も、何かにめぐり合える確信のようなものがあったようにも思う。

そして、私は、弘法大師の素晴らしいお言葉に出会った。
本堂の近くの掲示板のようなところに書かれていた。
こんな内容だ。

人は、欲を捨てることは出来ないから、捨てなくて良いです。
でも、お金が欲しいとか、「小欲」を持つのはやめましょう。
人の役に立ちたいとか、「大欲」を持ちましょう。

おお、これだあ、と思った。
「生きたい」というのは「小欲」だ。
私には、使命があった。
畑だ、家族だ、と言ってるうちに、使命のことを、すっかり忘れていた。
やっと思い出せた。
「使命を果たす」、それが私の「大欲」。

言うのは簡単だが、これを消化するのに、1日かかった。
もう大丈夫。
弘法大師様のお言葉は、私の中に、しっかり生きている。

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追記

感謝しなければいけないのは、弘法大師様だけでななかった。

ついさっき、「まあちゃん方の親戚のパイプオルガン奏者」千恵さんからメールを頂いて、気付いた。
彼女はクリスチャンで、やってた音楽は教会音楽(バロック)。
ふとお寺に行きたくなったように書いたが、それは偶然ではなくて、彼女の神々しい音楽に包まれて、そういう気持ちになったのだと思う。
私は、本当に運がいい。
ありとあらゆるものに感謝しないといけない。

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