地球に夢中研究所

肺ガンIV期。自身のガンを治しつつ、世界の人々の健康への貢献を目指す、「地球に夢中研究所」代表 太田和廣の日記。

タンザニア旅行記16&17-アサンテ・アフリカ (最終回)

2011-09-12 14:15:40 | アフリカ旅行記
■9 月19 日(日)第16 日目〔朝食〕
10:30 専用車にてバガモヨ出発
12:30 ダルエスサラーム到着
16:50 EK726 便にてダルエスサラーム空港出発ドバイへ(所要時間5 時間30 分)
23:20 ドバイ着【機内泊】
■9 月20 日(月)第17 日目
03:10 EK316 便にてドバイ出発関西空港へ(所要時間9 時間10 分)
17:20 関西空港着










もう最終会にしてしまいます!
長らくご愛読ありがとうございました!
約1年たってしまったなあ!

工程表では飛行機に乗るだけのこの日、ザボセさん自宅の庭にてタイコ・レッスンを受ける。
楽しい、というより、なんだか必死な感じ。

「時間がないんだ。かなり厳しいよ。」

と先生の方が必死。
こちらは気楽なもんなんだけど、やっぱプロだから、責任感がある。
子供相手だからって手加減はしない。
マークンも必死にくらいつく。
飛行機の関係で時間がシビアやったんやね。

厳しい授業が終わり、若干腫れた感じの手のひらを労わりつつ、みやげ物など見て回る。
親指ピアノがある。
ファミリーが弾いてくれる。
カッコイイ!
親指ピアノ教室もあったのだ。
そっちにすればよかったなあ、と思ったが、もう遅い。
帰国後、もっと後悔することになる。

サカキパンゴーさんという親指ピアノ弾きが書いた、「親指ピアノ道場!」という本がある。
うちにあった。
まあちゃんの本だ。
親指ピアノの教則本。 ・・・だと思ってた。
帰国してから読んだ。
確かに、教則本の意味もあるけど、サカキさんの旅本でもあった。
なんと、スタートは、バガモヨを単身訪れ、フクフェ・ザボセに弟子入りするところから始まる。
よよよ!先に読んでおけば!
まあちゃん!ちゃんと読んどけよ!

そんなことは知りもせず、親指ピアノを購入。
そのときだった。
道向かいから、胡弓のような音と、歌声が聴こえてくる。
素敵な音楽だ。
聞けば、その人もファミリーだと言う。

「これは。。昨夜、祭りで聴こえてきた音楽。。
 やっぱりこの人たちだったんだ。。
 ん?この音楽、以前から聴いていたような。。」

「あっ、私、この人のCD持ってるわ!」

はっ!たしかに、同じだ!
同じ姿のCDジャケットを見たことがある!

ザボセ・ファミリー。
かくして、やっと、このひとたちがどういう人たちかわかったというわけ。
前日は、まったく、まったく、もったいないことをしたもんだ。

こうして、我々のアフリカの旅は、一旦は終わった。
だが、アフリカで学んだことは、どんどん膨らみ、とどまることを知らない。
まずは、歌を聴いてくれ。

http://www.youtube.com/watch?v=j9vN88kYUec

これは今年の5月の高槻ジャズストリートで演奏したやつだ。
歌へろへろやし、その後歌詞や展開を少々変えた。
今度の10/10の天満音楽祭に期待して欲しい。
私のアフリカの旅は、まだ、続いている。
ご愛読ありがとうございました。

タンザニア旅行記15-バガモヨ

2011-09-03 15:12:12 | アフリカ旅行記
■9 月18 日(土)第15 日目〔朝食〕
09:00 専用車にてダルエスサラーム出発
10:30 バガモヨ到着
午後CHIBITE 練習【バガモヨ泊】
■9 月19 日(日)第16 日目〔朝食〕
10:30 専用車にてバガモヨ出発
12:30 ダルエスサラーム到着
16:50 EK726 便にてダルエスサラーム空港出発ドバイへ(所要時間5 時間30 分)
23:20 ドバイ着【機内泊】
■9 月20 日(月)第17 日目
03:10 EK316 便にてドバイ出発関西空港へ(所要時間9 時間10 分)
17:20 関西空港着

---

残り少ないので帰国までの日程を記載した。
9/18、日程表ではダルエスサラームとなってるけど、まだアリューシャ。
見ての通り、実質、この日が最後の夜だ。
なんとしてでも、この日のうちに、バガモヨに行かなければならない。
この日か、翌日午前中に、バガモヨの伝統音楽集団にタイコを学ぶ。
それが最後のイベント、あとは日本へ戻るのみ。

ホテル前で待ってると、サファリガイドさん、めちゃめちゃ爽快な笑顔で登場。

「グンモーニーン♪」

歌でもふんふんと歌ってそうな勢い。
前日の鬼のような追い抜かしとはうって変わり、運転も丁寧。
わき道から来た車に、次々と、「どうぞーっ」ニコニコっ。
家がアリューシャなので、家族とたっぷりくつろいだのだろうな!

アリューシャ空港。
小さな空港。
事務所が開くのを、ひたすら待つ。
同じ境遇のヨーロッパ人カップルがいた。
思い出した。
前日、キリマンジャロ国際空港に猛スピードで到着した際に、もう一台、同時に到着したサファリカーがあった。
彼らと我々は同じ境遇だ。
だが運悪く、彼らは、英語がぺらぺらゆえに、その後自分たちだけで行動してしまった。
我々は、英語がヘタクソだから、いつまでもサファリガイドを頼った。
アリューシャ空港でも頼り、最終的に、それが功を奏した。

飛行機、こちらでも1週間代わりの便を確保できず!
どうしよう!
と思いきや、急転直下、サファリガイド側の費用で、セスナ機を手配してもらえることになる。
イヤッホウ!ガイドさんさようなら!アサンテサーナ!

私、副操縦席に座る。発進。うおー。とんだ!
マークン、おしっこしたくなる。
パイロット、ペットボトルをくれる。
マークン大喜びでおしっこする。
下りてからも見せびらかして大変だった(^^;

バガモヨのホテルに着いたのは、ちょうど日が暮れた頃。7時ごろかな。
村で祭りがあるようで、街灯もない中、歩いてる村人がちらほら。
もう少し早く着いてたら覗いてみたかったけど、晩御飯食べてからではマークンつれて出歩くのは遅いなあ、灯りも暗いし、など話てた。

ホテルは、自然感覚にあふれ、しかもヨーロッパナイズされて、かつ、リゾート的で、それでいてお洒落な、申し分ないものだった。
ディナーを取り、ビールを飲み、ワインを飲む。

やがて、村から、音楽が聞こえだした。
弓で弦を弾く楽器の音や、打楽器の音、沢山の声。
マイクを通している。
ホテルの人に話を聞く。

「村で祭りをやってる。
 行かないほうがいい。
 昼間は安全だが、夜は危険だ。
 音楽を聴きたいなら、もっといいところがあるよ。」

アリューシャの例があったので、すぐにぴんと来た。
ホテルマンは、エリート。村のことなんて、何もわかってない。
それに、客を守らないといけないから、大げさにいう。
実際は村は安全なはずだ。
日本のことを考えればわかる。
街のディスコと、村の盆踊りと、どっちが安全だと思う?

だが、もしも、最後の夜に、はめをはずして、もしものことがあったら!
この日、これまで夜に自由にさせてもらった礼に、まあちゃんを連れ出して、音楽を聞こうか、という話になりかけていた。
マークンが眠ってから、短時間、こっそりね。
マークン起きないから大丈夫。
悩んだ末、村の祭りはあきらめた。
ホテルが紹介してくれた、近隣の大きなホテルのバーのライブを聴きに行く。
そいつが、つまらないのなんの!
タンザニア大衆音楽スタイルではあったんだけど、チューニングも怪しいレベルだった。
タクシーを呼んでの移動なので、もはや修復不可能。

「村に行けばよかったなあ。」

と二人で話し合ってた。
だが、この時点では、ことの本当の重大さに、気付いていなかった。
祭りの張本人が、翌日会う人たちだと言うことも知らねば、その人たちがどういう人たちなのかも、この時点では全く知らなかったのだから!

写真はCDから。この日の祭りの場所。翌日訪れることになる。
タンザニアの至宝、ザボセ・ファミリーの自宅である。

映像・音源(Afrikafestival Hertme 2009 - The Zawose Family):
http://www.youtube.com/watch?v=bOsGRn5XKp8&feature=related






タンザニア旅行記14-3-ライブハウス

2011-08-29 23:00:45 | アフリカ旅行記
11時過ぎ、ライブハウスに到着。
程なく、演奏が始まった。

ボーカル+コーラス2名がステージ中央にそびえ立つ。
思ったとおりだ。
声。それが、音楽の原点。
人類発祥の地・タンザニアでは、必ずコーラスを立てる。
これが音楽の出発点である。

背後に、ギター、ベース、ドラム。
アフリカと言えば、パーカッションというのは、幻想だ。
もちろん、地域によっては通りを歩けば至る所でタイコが聞けるという。
だがタンザニアはそうではない。
一部の地域で伝統音楽はあるが、圧倒的に支持されているのは、大衆音楽。
そして、この店で、観客は、1曲目からステージ前で踊る、踊る!
私も、飛び出して、踊る、踊る!
1曲終わり、ボーカリストと、メンバーと、観客と、握手、握手!

「日本からのお客さんだぜ!」

と紹介される。
ワオーと声が上がり、私はアサンテー、と手を上げる。
楽しくてたまらない。
観客は20~50代ぐらいだったかな。50名ぐらいだったかな。
曲は、スワヒリ語の、ポップス。
それまでにラジオなどで聴いたものに比べると、相当に激しい。
ただ共通点はある。
それは、「自由」。
ベースもドラムも普通に8ビートや16ビートを刻むようなことは一切ない。
激しくて自由、イメージで言うと、ツェペリンだとか、クリームだとか、そういう感じ。
そういうのをスワヒリ語でやってコーラスがずっと入ってる感じ。かな。

運転手さんがおなかすいたというので料理も注文する。
牛の骨つきの固い肉をスパイスたっぷりで煮込んだ料理。
めちゃめちゃ美味かった。
安いのにかなり量があって、周りの人たちにも振舞う。
(タンザニアは料理がまずいなどというやからがいるが、美味しいものを食べてないだけですよ。
 ルカニ村では、こんな凝った料理ではなく、煮たり焼いたりの家庭料理を頂いたが、どれも本当に美味しかった。)

再度お客さんたちとニコニコ踊っていると、一番お洒落なお兄さんが近づいてきた。

「やあ、楽しんでるかい?
 俺、××。よろしくね。
 今日は俺、ワイフと一緒に来てるんだ。
 めっちゃ美人なんだぜ。
 たまらねえぜ。」

ここで、彼の態度は、明らかに、変わった。

「なあ、3人で、プレイしねえか?」

プレイって、単に、遊ぶという意味もあるにはあるが、どう見ても、そういう表情ではない(笑)
しかし、悔しいことに、興味が全くゼロとは言い切れない悲しいサガ。。
指差すほうを見てしまう。。
ああ、助かった!美人かもしれないけど、その体形、全然日本人好みではありません(笑)
はっきりNoと言えばいいんだけど、なんとなく、私英語話せません、見たいな笑顔でその場を逃げる私。
席に戻ると、あれ?運転手さんいない。
振り返ると、そこには不思議な光景があった。
どうやら、運転手さん、お洒落男に説教しているようだ。
運転手さんのほうは、腹の出た冴えない中年男。
お洒落男は、若くて強そう。
「俺の客とるんじゃねえよ」とでも言ってるんだろうか。
どうなってるの?

深夜1時。
まだまだライブは続くが、帰路に着く。
タクシー相乗りする女性がいて、さっきの件があったので、ホテルに無事到着するまで意味がわからずとても怖かった(^^;
これ、道合ってるの?と聞いて、忘れたのか?と運転手さんに大笑いされて、やっと安心した。
で、普通に雑談。

「今日はありがとう。一人では絶対に行けなかった。
 街の人が普通に遊んでいるところで遊べて楽しかった。
 みんな英語うまいね。
 街の人同士は、普段は何語?」

「それはスワヒリ語だ。
 英語は中学校からやから。
 小学校からのスワヒリ語みたいには自在ではないよ。」

「え?ああ、そういう意味やなくて。。
 街の人同士は、スワヒリ語やなくて、もっとローカルな言語を使ってるんやないの?」

「いや、アリューシャは都会やから、ここではスワヒリ語。
 いろんな部族が集まってきてるからね。」

「へえ。運転手さんは?」

「ん?俺は、マサイだ。」

なるほど!それで強いのか!

無事ホテルに届けられ、大満足な私。
この冒険は、この旅1番の「音楽」な冒険!
そう、確信していた。

なんたる大ばか者!

よもや、このわずか翌日、この旅どころか、一生に一度クラスの、音楽体験とめぐり合うチャンスを、自らの手で打ち砕くことになろうとは、この時点では知るよしもない。


注 50人のうち、たった2人、不良カップルが含まれていて、あとはみな善良な市民でした。
  タンザニアにヘンケン持たないでね。
  というか、人類発症の地ですからね。
  それも人類の性と言うべきでしょうか。。

タンザニア旅行記14-2-アリューシャ

2011-08-23 23:03:28 | アフリカ旅行記
滞在するはずのなかったアリューシャ。
当然、何の予備知識もない。
今の私は、皆さんに、こう伝える。
アリューシャには、滞在すべき。
首都ダルエスサラームはパスしてもいい。
でもアリューシャは当たりだ。

もちろん、夜9時過ぎにホテル入りした時点では、そんなことは知るよしもない。
つかれきった我々はホテル内の中華レストランで簡単に食事を取って、寝る。
・・・私は部屋を出る。
フロントで。

「どこか、生演奏やってる店はないかな?」

「ないな。」

「えっ!」

絶句。
アリューシャが大きい街だというのは知ってた。
ライブハウスはあるだろう。
だがフロントマン曰く、

「素晴らしいディスコならすぐ近くにあるよ。
 でもディスコは生演奏ではない。
 生演奏じゃないとだめなんだろ?」

「ああ。。」

がっかりだ。
飛行機に乗り遅れてアリューシャ市内のホテルに泊まる事になったのは軌跡だと思ってたのに。
単に運命のいたずらだったのか。

「他に何か手助けは出来るかい?」

「タバコあるかい?」

「ホテル内にはないけど、買ってくるよ。」

「遠いのかい?」

「バイクで行くから問題ないよ。バーで待っててくれ。」

「アサンテ・サーナ(どうもありがとう)」

チップ含めてお金を渡す。
だいぶ待たされた。
外を覗いてみると、ホテルの周りは真っ暗で何もない。
市内とはいえ、街の中心部とは離れているようだ。
タクシーのおっちゃんが話しかけてくる。

「タクシー乗るかい?」

やけくそ。

「生演奏やってる店知ってる?」

「知ってるよ。」

一瞬耳を疑った。
なんと!
次の瞬間、全てを理解した。
最初から、街のことは、街の人に聞けばよかったんだ!
ホテルのフロントマンなんて、所詮はインテリだ。
それこそ、高級なヨーロッパナイズされたディスコは知ってても、地元ピープルが集うライブハウスは知らない。
タクシーウンちゃんは、全て、知っている。

「案内してくれ。幾らだ?」

そして、聞いた額を3倍して、言った。

「××払う。ライブが終わるまで、一緒にいて、またここまで送り届けてくれ。」

本当の旅が始まった!

タンザニア旅行記14-1-マサイ

2011-08-18 22:09:37 | アフリカ旅行記
■9 月17 日(金)第14 日目〔朝食・昼食〕
08:00 セレンゲティ出発(昼食はお弁当)
17:00 アルーシャ到着
19:30 プレシジョンエアPW433 便にてキリマンジャロを出発
20:50 ダルエスサラーム到着専用車でホテルへご案内【ダルエスサラーム泊】

----

アリューシャ空港だったかキリマンジャロ空港だったかから、ダルエスサラームへ戻る日。
ところがそうは問屋が卸さないのだが、そんなことは露とも知らず。
のんびりサファリ車で出発。
ガイドドライバーが車を止め遠くを指差す。

「木の枝から豹の尻尾が下がってるよ。」

めっちゃ遠く。
見えるかい!
あ、アサンテ・アフリカに豹、入れてなかった。。
さすがガイド、目がいい。

マサイも目がいい。
一度、まあちゃんが走行中デジカメでビデオ撮影してて、遠くのマサイをついでに取ってたら怒りはって棒をブオーンて投げてきて、あまりにも怖くて、帰国するまで黙ってたと言う。(笑)

写真はマサイ村。
のんびりした。
まさかあんなことになるとはね。

ガス欠でエンジンストップ。
ガイドドライバー、必死でガソリンをパコパコ送り込む。
なんとかエンジンがかかり、

「エブリシング・オーケー!」

と叫び、出発。
それを何度か繰り返し、一度は我々を通りすがりのホテルの送迎バスで街まで送り出し、別の車を手配する予定で、ガソリンの調達に成功し、

「エブリシング・オーケー!」

と再登場。
陽気な男。
だが彼が陽気だったのはここまで。
ここからは鬼だった。
追い抜く追い抜く。
こんな荒っぽい運転をタンザニアで初めて見た。
飛行機の出発予定は19:30。
空港に到着したのは、まさに19:30だった。
飛び出して空港事務所へ向かう。
当然だめ。
しかも1週間空きがない。
アリューシャ空港だったかキリマンジャロ空港だったか、アリューシャ市内のもう一つ大きいほうの空港へ翌日行って相談しろと言う。
ガイドドライバーが近くのホテルへ運んでくれる。
満室。
アリューシャ市内のホテルへ向かう。
すると、そこは超豪華ホテル。

「これは高すぎるよ。」

「え?ああ、ドンウォリー。ウイペイ。」

時間は9時過ぎ。ヘトヘト。

「ヘトヘトだろ?ディナーとブレックファストもつけとくからね。」

「君こそヘトヘトだろ?お疲れ様。」

ここでやっとガイドドライバーはにっこり笑った。

「実際今日は本当に疲れた。ゆっくり休むよ。また明日。」

こうして、長い一日が終わったかに思えた。。
はは。。
そんなわけないよな。
最初の小さな空港近くのホテルがいっぱいで、アリューシャ市内に出ると聞いた時、これは奇跡の到来だと思った。
そう、本当の冒険が、始まろうとしていた!
つづく!

タンザニア旅行記12&13-サファリ

2011-08-17 12:50:40 | アフリカ旅行記
アフリカ旅行記、なんと、2011/5/30以来3ヶ月近くも更新してなかったようだ。
すまぬ。
ボチボチ更新したい。
なんせ、人類について、深い造詣を与えてくれた旅だったのだから。
再度日程表を表すと、下記の通り。

現在、2010/9 月13 日(月)第10 日目
のルカニ村が終わって、これからサファリだ。
だがサファリは見ればわかるだろう!
2010/9/15~9/16まで、今回、写真で終了ということでよろしく。

 最終日嵐を呼んだ(笑)マシン

 ンゴロンゴロを見下ろす。

 ヌーの群れ。

 ライオン。

 動物見飽きてお絵かき。
見た動物は、「アサンテ・アフリカ」の2番に登場する。
「ぞう、かば、わに、はいえな、だちょう、らいおん
 くろさい、きりん、がぜる、むー、ひょう、ちーたー
 いぼいもしし、しまうま、でぃくでぃく
 ほろほろちょう、いんぱら、じゃっかる、ばふぁろー」
サルとかハゲワシとか抜けてるなあ。

 かず作

 まーくん作

 まあちゃん作

 かず作

2010.08.28
【太田様タンザニアの休日旅行日程表】
〔日程〕〔食事〕【宿泊】
■9 月04 日(土)第1 日目
21:00 搭乗手続き関西空港国際線出発ロビー4 階<G アイランド>エミレーツ航空
23:15 エミレーツ航空EK317 便にて関西空港出発(機内食は2回出ます。)
空路ドバイへ(所要時間10 時間30 分) 【機内泊】
■9 月05 日(日)第2 日目
04:45 ドバイ着
10:50 EK725 便にてドバイ発空路ダルエスサラームへ(所要時間5 時間30 分)
(機内食は1回出ます。)
15:20 ダルエスサラーム着専用車でホテルへご案内【ダルエスサラーム泊】
■9 月06 日(月)第3 日目〔朝食〕
終日ダルエスサラームフリータイム【ダルエスサラーム泊】
■9 月07 日(火)第4 日目〔朝食・夕食〕
午前ご自身でフェリー乗り場へ(大人の足で20 分程度/タクシーUS$3程度)
フェリーにてザンジバルへ※『カリブタンザニア』P73 にフェリーの時刻が
記載されています。ご希望の時間帯をお知らせ下さい。
ザンジバル着ビーチ方面ホテルへご案内フリータイム【ザンジバル泊】
■9 月08 日(水)第5 日目〔朝食・夕食〕
終日ビーチでフリータイム【ザンジバル泊】
■9 月09 日(木)第6 日目〔朝食〕
午前ビーチからタウンへご案内
午後ストーンタウン観光へご案内(入場料込み) 【ザンジバル泊】
■9 月10 日(金)第7 日目〔朝食〕
午後ご自身でホテルからフェリー乗り場へ(徒歩で約15 分程度)
フェリーにてザンジバルを出発
ダルエスサラーム着ご自身でホテルへ
夜ご自身で音楽ライブをお楽しみ下さい。【ダルエスサラーム泊】
■9 月11 日(土)第8 日目〔朝食・昼食・夕食〕
朝専用車でホテルからバスターミナルへご案内
08:00 ジャタツアーズスタッフのアレックスさんと一緒にバスにて出発
昼食は途中の休憩時にレストランで。モシに専用車に乗り換え。
18:00 ルカニ村到着【ルカニ村・民家泊】
■9 月12 日(日)第9 日目〔朝食・昼食・夕食〕
終日農村滞在【ルカニ村・民家泊】
■9 月13 日(月)第10 日目〔朝食・昼食・夕食〕
終日農村滞在【ルカニ村・民家泊】
■9 月14 日(火)第11 日目〔朝食・昼食・夕食〕
07:00 ルカニ村出発
08:00 アルーシャ到着ゲームドライブの車に乗り換えます。
11:00 ンゴロンゴロ到着
午後クレータードライブ(昼食はお弁当)
18:30 ンドゥツ到着【ンドゥツ泊】
■9 月15 日(水)第12 日目〔朝食・昼食・夕食〕
08:00 ンドゥツ出発(昼食はお弁当)
17:00 セレンゲティ到着【セレンゲティ泊】
■9 月16 日(木)第13 日目〔朝食・昼食・夕食〕
終日セレンゲティ・ゲームドライブ
■9 月17 日(金)第14 日目〔朝食・昼食〕
08:00 セレンゲティ出発(昼食はお弁当)
17:00 アルーシャ到着
19:30 プレシジョンエアPW433 便にてキリマンジャロを出発
20:50 ダルエスサラーム到着専用車でホテルへご案内【ダルエスサラーム泊】
■9 月18 日(土)第15 日目〔朝食〕
09:00 専用車にてダルエスサラーム出発
10:30 バガモヨ到着
午後CHIBITE 練習【バガモヨ泊】
■9 月19 日(日)第16 日目〔朝食〕
10:30 専用車にてバガモヨ出発
12:30 ダルエスサラーム到着
16:50 EK726 便にてダルエスサラーム空港出発ドバイへ(所要時間5 時間30 分)
23:20 ドバイ着【機内泊】
■9 月20 日(月)第17 日目
03:10 EK316 便にてドバイ出発関西空港へ(所要時間9 時間10 分)
17:20 関西空港着

タンザニア旅行記10-2、月曜市場/キリマンジャロと人類発祥の秘密

2011-05-30 12:36:00 | アフリカ旅行記
軽トラバスで、月曜市場へむけ、出発!
扉写真は、親切なマダムが、マークンをひざの上に乗せてくれている図。

市場にて。
マサイからマサイの服を買った。
ルカニ村滞在中の案内役のアレックスさんから、危ないからと、現場で写真を取るのを止められてたので、2枚目の写真は、約1ヵ月後の天満音楽祭の時の控え室でのものです。
せめて本番の写真があればよかったのですが、ない。。



さて、ひとしきり、市場を楽しみ、もう、夕方。
軽トラバスを拾って、村へ帰る。
バスを降り、村一番の高台を歩いているときだった。
アレックスさんが、いう。

「とうとうキリマンジャロ、見えなかったですね。
 この高台から、見えることもあるのですが。。
 まあ、見えないことのほうが多いので、仕方がない。。。
 あ!!あそこ!雲の切れ間!!キリマンジャロ!!」



なんと!!
キリマンジャロ!!
でか!!
写真ではよくわからないが、実物は圧倒される。
あのへんかな?て思ってたあたりを、ギュアン、とありえない上に引き伸ばしたとこに現れた頂!
何で写真でよくわからないかといえば、多分、距離がわかりにくいからだと思う。
めちゃめちゃ遠くなのである。
遠いのに、この高さなのである。
普通、ものって、遠いと低くに見えるでしょう?
何やあれは!えええ!3人でしばし大騒ぎ!

人類は、タンザニアで生まれた、ということだが、多分、キリマンジャロが見える範囲で生まれたんやないか?
きっとそんな気がする。
130の民族が言葉もバラバラなのに今日まで共存してきたのも、キリマンジャロがそこに在ったからだと思う。
日本の富士山の場合、神々と妖怪の戦いの絵なんか似合いそうだけど、キリマンジャロは圧倒的過ぎて、そんなの描けないんだ。
ひれ伏すしかない。

最後まで感動のルカニ村だった。
書ききれてないエピソードも沢山あるけど、MCにでも取っておくよ。

翌朝早く、マークンの親友くんたちに見送られ、目指すはサファリ!


タンザニア旅行記10-1、演奏@中学校

2011-05-09 10:55:09 | アフリカ旅行記
■9 月13 日(月)第10 日目 〔朝食・昼食・夕食〕
終日 農村滞在 【ルカニ村・民家泊】

---

とってもアバウトなタンザニア、小学校はたまたまお休み中だったため、予定を変更して中学校にお邪魔。
予定、て言ってもこっちが予定していただけで、ぱっとお願いして受け入れてもらえるところからして、さすが、アバウトなタンザニアである。

校歌で迎えてくれた。
うおー!ぱちぱち!
我々も負けじと演奏を披露。
このためにウクレレを持ってきてたのだ!
確か、アロハオエだったかな?
マークンが歌の合間にハーモニカでオブリを入れる。
これがかっこいいのだ。
そのかっこよさがあだとなる。
幼稚園児がかっこつけてるものだから、ある意味面白い。
中学生たち、くすくす笑い出す。
気持ちわからんでもない。いや、わかる。
マークン、えっ?て反応。負けるなマークン!何とかやりきる。

ジャン、と演奏終了。
アンコールがかかる!(先生の扇動で。みんなとてもシャイです。)
イヤッホウ!
何やったかなあ。
九度山の敬老会でやる予定の別の曲をやった。
こちらも大盛況!

タンザニアでは、授業自体が、小学校はスワヒリ語、中学校は英語で行われるんだって。
壁に、「英語を話せ!」というような英語が書いた紙が貼ってあった。
そらみんなスワヒリ語も英語もバリバリになるわ。

さて、午後は月曜市場に出かける。
つづく。


タンザニア旅行記9、「平和主義」人類

2011-04-15 19:24:05 | アフリカ旅行記
■9 月12 日(日)第9 日目 〔朝食・昼食・夕食〕
終日 農村滞在 【ルカニ村・民家泊】



ルカニ村2日目
村の教会(聖歌隊とか愉快だった)からの帰り道でのこと
アレックスさんが村の人と話すのを聞いててふと気づいた
スワヒリ語じゃない!
なんかわからん、聞いたことない言葉
アレックスさん談
「私たちはチャガ人で、チャガ語を話します
タンザニアには130の民族が住んでいて、それぞれ別の言葉を持ってます
方言のレベルではなく全く通じない別の言葉です
今は小学校でみなスワヒリ語を習い、話通じますけどね」
130だって!
日本と同じか、せいぜい倍ほどの広さだったろ?タンザニア!
侵略・破壊しあうことなく今に至ったのか!
アフリカ、物騒なイメージだったが、もともとアフリカは平和なとこで、物騒なもんは全部あとから外部から持ち込まれたんやないのか?なんて勘ぐってしまいたくもなる
ていうことは、真実の我々は平和主義者!なんたって、タンザニアは人類発祥の地、タンザニアこそ俺たちの基本スタイルだからね!
なあ、そうだろ、ゾウよカバよシマウマよライオンよ!

こうして、歌が生まれた

「アサンテ・アフリカ」
作詞作曲:太田和広
演奏:アズウ・コラサオン(太田、宮川直之、渡邊ひろひと)

5月3日、昼1時より、高槻ジャズストリート、炭摂家(たんとや)にて披露します!
阪急とJRの間よりやや阪急より
どちらからも行けます
駅を降りたらパンフ配られてます
待ってます!

タンザニア旅行記8-4、ルカニ村到着!

2011-02-04 13:15:17 | アフリカ旅行記

写真1:ドレスアップした子供たち
カメラ向けるとおどけて変なポーズするとこは世界共通?いや、慣れるん早いと思うわ
これは2日目の写真、初日に多分歓迎の意味で来てくれたドレス、結局最後まで来てる子もあり(^^;

写真2:マークンと一番仲良くしてた子
二人で牛小屋の前に座って牛を眺めてたり
この写真は最終日、朝早いのに見送りに来てくれた



申し送れたが、これはジャタツアーズ・スタッフのアレックスさんの故郷ルカニ村へ向かう旅、アレックスさんのサポートがバッチリついている

夕方、大都市モシ近くで下車、タクシーに乗り換える
道中、何件か店によった
なんだか人々、特に子供の反応が今までと違う
違うというか、今までは反応が無かったけど、ここでは、有る
そして、それに対するマークンの反応に驚いた
一度、ザンジバルリゾートでマークン女の子たちに囲まれたことがあったが、全然無反応だったので、言葉の壁はキツいんやなあ、て思ってた
とんでもない!
市場にて、男の子と、何やらちょっかい掛け合って遊び出す
後で、なんで?て聞いたら、
「ザンジバルでは女やったからな。女は嫌いや」
なるほど、日本と同じ反応やわ
言葉なんて関係ないな

山をグングン登る
30分ぐらい、山頂付近に村、それがルカニ村
アレックスさんが昔住んでた家、どんなだろう、ワクワク
到着、すっかり暗くなった
ん?真っ暗な中に…子供の人影、10人近く
車降りた途端に一斉に駆け寄る
ドレスでおめかしした近所の子らだ
後で聞くところによると、この農村ホームステイは、10年ほど前から年平均2件ぐらいのペースで実施してるけど、子供の参加は初めてとのことだ
子供たちも楽しみにしてたらしい
「アイネイムイズ?」と口々に名前を聞かれ(マイ、ておもろい!)、「かずひろ、まさひろ、まさこ!」て同一部分強調して答えたら受けた
最初家も外も電気が付かず、アレックスさんが奮闘してて、真っ暗な中、とりあえず高い高いとかグルグル回すのとかやってあげてて、疲れ果てたころアレックスさん電気付けに成功したので、家の中へ
マークンまーちゃんも付いて入った
外で子供たちが「マサヒロー」ていつまでも呼んでいる
行って上げたら?
「トランプがしたいねん」
とトランプを繰るマークン
行ってあげーよ、行ってあげーよ、私とまあちゃんで大合唱
バシッとトランプを置いたマークン、仕方ないなあ!と叫び、バーンと扉をあけ飛び出した!
なるほど、子供は直ぐに言葉覚える、ちゅうけどさもありなん

さて、しばらく続くルカニ村の生活
しばらく音楽とは無縁、と思うかい?
それがそうでもないんだ、かねてから、ある計画を立ててたんだ
だが、その前に、この翌日、音楽どころか「世界」について重要な知見を得ることになろうとは、この時点では知る由もなかった!

続く

[音楽の秘密2、汎人類的タンザニア音楽)]タンザニア旅行記8-3

2011-01-21 20:37:31 | アフリカ旅行記
前回のあらすじ:

…だったらアフリカ、とりわけタンザニアには、汎人類的な香りを感じられるんじゃないかと思った
で、実際感じまくりなんだが、ここまでの旅行記で伝わってるだろうか
まあよい
今回は正面突破でいくよ
私は、音楽の秘密をつかんだ

(前回最後のへんから引用)



重要な前置き:

あるドラム・パーカッションの世界的名手が、子供向けのパーカッション・ワークショップを開催
嬉々として名手を囲む子供たち
名手が問いかける
「みんなー!世界で一番最初の楽器はなんだと思う?」
子供たちは我先に叫ぶ、タイコ!タイコ!タイコ!
名手、ニヤリと笑い、
「違うよ!『声』だよ!」

(テレビだったか人から聞いた話だった忘れてしまったけど本当の話)



世界で最初の楽器は声!
そうなのだ!
ルカニ村へ向かう長距離バスのなかで聴いたBGMは、FMで聴いたものと一見ものすごく違う
FMは激しく、バスBGMはゆるゆるだ
だが明確な共通点がある
そして、それらは人間共通の、「楽しみ」やないかい?
ちょっと考えてみて!

まず、歌
サビで必ずハモる
ユルいハモリじゃなくて、結構同等だ

それから、歌の、声
作ってない声
会話の声をシャウトした感じだ

そらに、楽器
自由だ
ドラムにしろベースにしろ、一般的な、エイトとか16とか2とかスカとかのパターンはやらない
なんか自由
でもチャンと流行音楽になってる
変なん表現だけど

バスBGMについて言えば、編成がシンプルで美しい
歌、ベース、ドラムの他はキーボードだけ
ほとんど弾かず、いいとこだけ弾くキーボード
それどころか、ベースレスでドラムと歌だけ、なんて曲もあった
そんな時も歌はハモリあり、会話の声
なお、言語がスワヒリ語なんで、間違いなくタンザニアの音楽だ
(そりゃまあケニアの音楽という可能性もあるが)
思わず唸った

「スゴいな
凄くシンプルでお洒落だ
FMで聴いた時は、ゴチャゴチャしてるなあぐらいの印象だったが…
タンザニア流行音楽の特質を知った今聴けば、また違う感想だろうな
もう一度聴けるだろうか…
いや、それよりも、ライブを見れないだろうか…
いやいや、これから農村ホームステイ、サファリ見学、最後に伝統音楽の人らを訪ねるけど、流行音楽と接するチャンスは無いなあ…」

ところが、あるのである!
だいぶ先になるが、太田一家は予定外のトラブルで、とある町に足留めを食らう
深夜、家族が寝静まった後、私は単身ライブハウスを探し求め、ついに出会う
夢中で踊り、ミュージシャンとも観客とも握手し、例の挨拶(ジャンボ!ジャンボ!マンボ!ポウア!なんたら!ボンバ!)を繰り返した
踊れる音楽
でもしっかりステージにはボーカル多数いて会話声シャウトで、楽器は自由だった(そして最高に巧かった)

おっと、これぐらいにしとこう、先走って後の日の内容を出しすぎたな
汎人類的タンザニア音楽、てのはこういうことだ
すべての人類の心の奥底に共通してあるものが、タンザニアにある

さて、しばらく音楽から離れるけど容赦してくれ
バスの旅はまだ続く




一昨日の超ハッピー状態で大部分書きました
今は少々きつい
とは言えブログ更新出来る程度、予想より全然楽
明日で1週目の点滴終了、待ってろよ、屋上!

[音楽の秘密1、汎人類のアフリカ人)]タンザニア旅行記8-2

2010-12-21 21:37:01 | アフリカ旅行記
前回のあらすじ:

ルカニ村へ向かうバスの中でBGMの地元音楽を聞いてつかんだ音楽の秘密とは?



人類はタンザニアで生まれた
その後、つい最近まで長いことアフリカに留まり、アフリカを出てから一気に世界各地へ広がった
(これはミトコンドリアDNAの解析から決着がついている事実である)

すごいと思わないか?
日本人と白人がどれだけ顔が違うと言ったところで、所詮アフリカを脱出してから短い間にチョコチョコっと変化しただけのことなのだ

知ってはいたが、私はこれまで軽く思い違いをしていた
私は長く現地主義を信奉してきた
日本人は日本食が、日本酒が、日本の武道が、体に合う
年取れば時代劇が、民謡が、演歌が、好きになる
思い違いはいいすぎやな、それはそれで合ってるな、だが肝心なことを忘れていた
すべての民族は、人間になってから現在までの間に、アフリカで一番長く過ごしている
日本人もアラブ人も北欧人もラテン人もみな、アフリカ人の血をすごい割合で共有しているんだ

だったらアフリカ、とりわけタンザニアには、汎人類的な香りを感じられるんじゃないかと思った
で、実際感じまくりなんだが、ここまでの旅行記で伝わってるだろうか
まあよい
今回は正面突破でいくよ
私は、音楽の秘密をつかんだ

以下次号

タンザニア旅行記8-1、バスの旅1

2010-12-19 21:07:14 | アフリカ旅行記
■9 月11 日(土)第8 日目 〔朝食・昼食・夕食〕
朝 専用車でホテルからバスターミナルへご案内
08:00 ジャタツアーズスタッフのアレックスさんと一緒にバスにて出発
昼食は途中の休憩時にレストランで。モシに専用車に乗り換え。
18:00 ルカニ村到着 【ルカニ村・民家泊】

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道中に買った弁当がべらぼうに美味くてビックリ
バルエスもザンジバルも不味いわけやなかったけど、肉も鳥も卵も野菜も米も格が違う
「やっぱ田舎は何食っても美味いなあ
それにバス旅行って楽しいなあ」
和みかけた私は、ふと気を引き締めた
「騙されないぞ、ジャタツアーめ!」
失礼!ザンジバルの祭りを見れなかった逆恨みだ
翌日日曜はバスが出てないが、飛行機使えば何か方法があったかもしれないな

そのとき、BGMの音楽がかかりだした
「ん?これはスワヒリ語の地元音楽か
なんどか送迎車のラジオなんかで聞いたけど、イマイチ特徴がわからなかったな
これはまたずいぶんゆったりした曲だな
…はっ!
そうだったのか!
音楽って、そういうことだったのか!」

次号、タンザニア音楽どころか、いきなり「音楽」の本当の秘密に迫る!
必見!
今度はステロイドでらりったりしてません!

タンザニア旅行記7、ザンジバルよさらば

2010-11-18 23:11:42 | アフリカ旅行記
■9 月10 日(金)第7 日目 〔朝食〕
午後 ご自身でホテルからフェリー乗り場へ(徒歩で約15 分程度)
フェリーにてザンジバルを出発
ダルエスサラーム着 ご自身でホテルへ
夜 ご自身で音楽ライブをお楽しみ下さい。 【ダルエスサラーム泊】

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迷路のように入り組んだ白い石材の街、ストーンタウンは、白い儀礼衣装をまとった人たちでいっぱい
子供たちも白い儀礼衣装を決め、でもやることは子供、ご近所さんを訪ねてお小遣いをもらってる
小銭だけどお年玉みたいな感じだろうか
太鼓隊の練習場横を通った
一瞬、心躍るポリリズム
一瞬で終わり、長い休憩、残念無念
建設中の巨大お祭り広場があった
ああ、麗しのラマダン明けイン・ザンジバル、わずか一日の差が致命傷、がっくしとほほ、ザンジバルよさらば!

出国手続き(!)を済ませフェリー(と言っても日本で言う高速艇)に乗り込む
来るときと打って変わって海が荒れた
マークンまあちゃんダウン
マークンに外の空気吸わそうと席を立つが揺れがひどくて扉までたどり着かず途中停止
「オエー!」
マークンが叫ぶ!
「これを使え!」
ビニール袋が飛んでくる!
パシッ!ゲロゲロ!間一髪セーフ!
「縛ってこれに入れろ!」
ゴミ箱が通路を滑って来る
シューッ、ガチャ、ポイ、ありがとう
やっぱり外に出ないとダメだ、ジェットコースターのように揺れる中マークンを抱え扉へ向かう
扉の横の爺さんが手伝ってくれてたらグラッと来て思いっきり爺さんの歯の辺りに頭突きをかましてしまった
めちゃめちゃ手応えがあった、ごめんなさい!
でも爺さん全く平気でニコニコと扉を開けてくれた
強い!流石はザンジバルの男!

外も人でいっぱい、我々は階段に腰掛け、それから到着まで約二時間、ウォータースライダー状態でずっとうっすら波をかぶってた
マークンはすぐに眠ってしまった
幸せなやつ

海が荒れてたせいか予定外に時間がかかった
ホテルについてすぐにジャタへ
荷物預けてたし、それにライブ情報をくれる約束だ
ところが鍵が閉まってて手紙があった
「太田さんへ
荷物はホテル受付に預けました」
おーのーれー!社長め!
このあと軽く3人で近くでご飯食べた後私一人ふらふら散歩
街はラマダン明けを祝って外食する子供連れ家族で賑わっていた
やっぱタンザニア料理屋で食べればよかったなー、どうしてもカルボナーラが食べたいてマークンが言って、船で可哀想だったから妥協したけど「えっ俺船で寝てたっけ?」て全然覚えてなかったしなー
音楽はみつからなかった
多分時間が早すぎた
それはわかっていた
たがもうヘトヘト
とても深夜まで待てない
断念してホテルへ戻りながらつぶやいた

「果たしてタンザニア滞在中に音楽を楽しめるのか
本当の戦いはこれからだ
それにしても、おのれ社長め
もうジャタなんて信用しないぞ」

よもや旅の後半に大きなトラブルに巻き込まれ、ジャタツアーの存在に助けられることになろうとは、この時点では知る由もない

写真はまあちゃんの手、ラマダン明け祭り仕様、現地の女性はもっと派手やけど、これもなかなかのもんやろ?帰国後も一週間ぐらい残ってたよ

なお、ダルエスサラーム中心部ではライブはないようだ
周辺の田舎というか、本当に住んでる人で賑わってる街にあるらしい
後半に似たエピソード出てくるけど、タクシーに尋ねればよいよ
彼らは知ってる
よく考えたら日本でもそう
例えばハチやホンキーやオールウェイズの3軒向こうで「この辺でライブやってませんか」て聞いても「知らない」て返るさ
でもタクシーうんちゃんは知ってる
これから行くひとは是非頑張ってくれ

次号、ルカニ村編、スタート!

タンザニア旅行記6-3、ストーンタウンの夜

2010-11-03 03:20:17 | アフリカ旅行記
夜になると海辺の公園に屋台がたくさん出る
地元民や観光客で賑わってて楽しいし、料理も素晴らしい
ロブスターみたいなやつを選んで買ってその場で焼いてもらったやつが絶品
串焼きの肉も、ピザみたいなんも美味かった
特筆すべきはサトウキビジュース、サトウキビをかなり力技でローラーにかけて搾る、びっくり仰天の美味さ

宿に戻ってマークンまあちゃんおやすみ、私は再び部屋を出る
はっきり言って期待してた
ここは世界遺産の街、ザンジバル・ストーンタウン、毎年世界的音楽祭が開かれる音楽の街、木曜の晩にライブがやってないはずはない
ところがホテルマンは残念そうに首を振った
「今日はラマダン明け前夜だ
明日ならそこのリビングストン、その向こうの××、あっちの××、その向こうの××、いろいろやってるけど今日はない」
がっくし
ほんとにがっくし
この日が最後のザンジバルなんだ

仕方ないのでとりあえず名前があがってたリビングストンに行ってみる
しゃれたバー&レストラン、人でいっぱい(観光客8割)、でもライブはない
エリッキという地元男と話した
キリマンジャロ近くの大都市アリューシャ出身の建築を学ぶ学生、といっても30代ぐらいに見えた、男前、多分いいとこの出なんだろう
気持ちよさそうにタバコを吸ってるから、珍しいね、というと、エリッキ、
「クリスチャンだからな(内陸はほとんどがクリスチャン)
でもラマダンが開けたらイスラム教徒もバンバン吸うよ
タバコどころかマリファナもな」
えっここじゃ合法なのか?
「違法だけど警察からは隠れて吸うさ
日本だって同じだろ?」
いやそれはない、少なくとも俺の友達にはいない、と言うと、そりゃあんたの友達だけだろ、て言わんばかりにあっはっはと笑った
実際そうかもな

エリッキと別れて他の名前のあがった店を探すが名前覚えてなく苦戦
妙な建物を見つけた
入り口は人(地元民のみ)があふれてるけど中は真っ暗、でもその奥は明るくなってる
覗きこんでいると、入り口近くの男、恒例のスワヒリ語挨拶を仕掛けてくる
もうお手の物だ
ジャンボ→ジャンボ→マンボ→ポア→?(忘れた)→ボンバ→スワヒリ語話せるのかい!(と言ってると思う)→キトーーーゴ!(ほーーーんの少し!)
その後もお決まり
中国人かい→違うよ→コリアかい→違うよ→日本人かい→そうだよ
意外にいつもこの順番
続いて
「女欲しいか?」
これは初めてだ
要らないよ
「マリファナ欲しいか?」
おっとこれも初めて
要らないよ
「単に酒を飲みに来ただけなのか?」
そうだよ
こういう時、こっちの人は心底がっかりした顔をする
(まあちゃん曰わく「がっかり顔が上手い」)
肩をすぼめ眉をひそめるようなんじゃなくて、顔から表情が消える
これが人間の真のがっかりなんやなあと思う
「おわ!」
とか叫びながら中の暗がりからエリッキ登場
またあったね、さあ奥へ行こう
独りなら入れてなかったろうな
暗い部屋を通り抜け階段をあがると天井がない屋上のような広いスペース、地元民でいっぱいの飲み屋だ
なんかのケースをひっくり返したテーブルで飲む
隣のテーブルから向こうのテーブルから声がかかる
こっちへ来いよ、明日予定あるかい?
エリッキ、
「やつら儲け話たくらんでるんだ
ドルフィンツアーとかスパイスツアーとかな
でもあんたは明日ザンジバルを離れるんだよな、ははは
どころで俺の故郷アリューシャもいいとこだぜ、立ち寄ってみろよ」
いやそれは無理、日程組んでしまってるから

そう、アリューシャには行くはずもなかった
よもや、旅の終盤、行くはずもないアリューシャで大冒険が繰り広げられることになろうとは、この時点では知る由もない
まあとにかく音楽もなしにザンジバル最後の夜はふける
エリッキのおかげでそれなりには楽しい夜だった