またしても、だ。
例によって、私は、まあちゃんが調子を落としてるのだと思ってた。
私は変わらず優しくしてるのに。
なんせ、「最後の心の旅」「真の最終心の旅」「究極の心の旅」を経て、私の心は鉄壁だ!
・・・と、思ってた。
でも、大間違いだった!
「真の・・」は、途中で連載中止したとはいえ、最終回まで執筆済みで、最終回のみ削除しただけで、私の中では整理済みだ。
だが、「究極・・」は、一切文字でまとめてなかったので、記憶の固定が甘かったようで、効き目が薄れてきてたみたいだ。
「究極・・」は、自分と関係が深く、かつ、自分と異なる意見を耳にしたときに冷静でいられない、という心への対処。
これはまた、子育てにも関係する。
実は、「最後の・・」連載の最後のほうで、私はこういうことを書いていた。
「もう自分と違う意見に出会って自分の意見が言えないような場面でもイライラすることはない。これで安心だ。でも、子育てだけは例外だ。子育てに関してだけは、黙っていられない。」
なんと!最初から、ヒントはあったのだ。
最近になってだが、普通の人は、自分の意見と異なる意見に出会っても、それが自分の生活と無関係な話題であれば、特にどうということにはならないものだ。
今の私もそう。
だが、「最後の・・」実施以前の私は、だめだった。
幼い頃、「自分と違う意見に出会ったら、自分の意見を主張する」という誓いを立てていたため、そうしたくてうずうずしていた。
もちろんそれは無意識下のことで、簡単には見つからない。
散々苦労してその誓いを見つけ出して、やっとの思いで解除した、それが、「最後の・・」のお話。
上記の通り、「最後の・・」で扱ってる「意見」とは、私と直接関係のない一般的な話題についての意見だ。
ところが子育ては、そうではなく、めちゃめちゃ私に関係してくる。
だから、「最後の・・」実施後も、子育てに関しては(「だけ」ではなかった)黙っていられなかったのだ。
子育てに関しては、「究極・・」で解決する。
昨日だったか、一昨日だったか、何かの記事のついでに、「究極・・」について軽くまとめた文章をあげた。
また、その数日前、エクセルにこれまでの歩みをまとめてて、「究極・・」についても詳細をまとめていた。
そういった効果が、出てきたようだ。
今日になって、ぱたっと、私は、変わった。
「あれ?昨日、まあちゃんと喧嘩してふて寝したけど、どんな理由やったっけ?」
まあちゃんに聞いてみると、あんなにまあちゃんが悪いと思ってた理由、それほどでもない。
夜、かに鍋を頬張る私とまあちゃん、まさひろは既にご馳走様、という状況で。
まあちゃん「明日は、会社で、年賀状の住所録、よろしくね。」
おお、以前は、こういう言い回し、嫌いだった。
私のことなのに、何で指示する?お前は上司か?と。
今日はなんとも思ってない。
まさひろ「デザートまだあ?」
まあちゃん「もうちょっと待って」
私「お母さん食べ終わってからする、て言ってたやん」
おお、以前はいやだった動き、今日は気にならない。
以前なら、言わないまでも、
「せっかく愛情をアピールできる場面で、何でせーへんねん?」
などとムンムンしてたシーンだ。
へんだったのは、私のほうだった。
だから、まあちゃんも、へんだった。
そういえば、昨夜は、まさひろ、荒れたなあ。
今日は冬休みの宿題も進んで、まあちゃんと仲良く年賀状の宛名書きをして、たった今寝床へ向かった。
いい一日だったなあ。
↑ かに、まさひろ作、サンタがくれたブロック
例によって、私は、まあちゃんが調子を落としてるのだと思ってた。
私は変わらず優しくしてるのに。
なんせ、「最後の心の旅」「真の最終心の旅」「究極の心の旅」を経て、私の心は鉄壁だ!
・・・と、思ってた。
でも、大間違いだった!
「真の・・」は、途中で連載中止したとはいえ、最終回まで執筆済みで、最終回のみ削除しただけで、私の中では整理済みだ。
だが、「究極・・」は、一切文字でまとめてなかったので、記憶の固定が甘かったようで、効き目が薄れてきてたみたいだ。
「究極・・」は、自分と関係が深く、かつ、自分と異なる意見を耳にしたときに冷静でいられない、という心への対処。
これはまた、子育てにも関係する。
実は、「最後の・・」連載の最後のほうで、私はこういうことを書いていた。
「もう自分と違う意見に出会って自分の意見が言えないような場面でもイライラすることはない。これで安心だ。でも、子育てだけは例外だ。子育てに関してだけは、黙っていられない。」
なんと!最初から、ヒントはあったのだ。
最近になってだが、普通の人は、自分の意見と異なる意見に出会っても、それが自分の生活と無関係な話題であれば、特にどうということにはならないものだ。
今の私もそう。
だが、「最後の・・」実施以前の私は、だめだった。
幼い頃、「自分と違う意見に出会ったら、自分の意見を主張する」という誓いを立てていたため、そうしたくてうずうずしていた。
もちろんそれは無意識下のことで、簡単には見つからない。
散々苦労してその誓いを見つけ出して、やっとの思いで解除した、それが、「最後の・・」のお話。
上記の通り、「最後の・・」で扱ってる「意見」とは、私と直接関係のない一般的な話題についての意見だ。
ところが子育ては、そうではなく、めちゃめちゃ私に関係してくる。
だから、「最後の・・」実施後も、子育てに関しては(「だけ」ではなかった)黙っていられなかったのだ。
子育てに関しては、「究極・・」で解決する。
昨日だったか、一昨日だったか、何かの記事のついでに、「究極・・」について軽くまとめた文章をあげた。
また、その数日前、エクセルにこれまでの歩みをまとめてて、「究極・・」についても詳細をまとめていた。
そういった効果が、出てきたようだ。
今日になって、ぱたっと、私は、変わった。
「あれ?昨日、まあちゃんと喧嘩してふて寝したけど、どんな理由やったっけ?」
まあちゃんに聞いてみると、あんなにまあちゃんが悪いと思ってた理由、それほどでもない。
夜、かに鍋を頬張る私とまあちゃん、まさひろは既にご馳走様、という状況で。
まあちゃん「明日は、会社で、年賀状の住所録、よろしくね。」
おお、以前は、こういう言い回し、嫌いだった。
私のことなのに、何で指示する?お前は上司か?と。
今日はなんとも思ってない。
まさひろ「デザートまだあ?」
まあちゃん「もうちょっと待って」
私「お母さん食べ終わってからする、て言ってたやん」
おお、以前はいやだった動き、今日は気にならない。
以前なら、言わないまでも、
「せっかく愛情をアピールできる場面で、何でせーへんねん?」
などとムンムンしてたシーンだ。
へんだったのは、私のほうだった。
だから、まあちゃんも、へんだった。
そういえば、昨夜は、まさひろ、荒れたなあ。
今日は冬休みの宿題も進んで、まあちゃんと仲良く年賀状の宛名書きをして、たった今寝床へ向かった。
いい一日だったなあ。
↑ かに、まさひろ作、サンタがくれたブロック
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