本当は、絵そのものや子供教室のことについて、伺った話での気付きを報告したいけど、先生の商売に直接かかわる話を公開していいかどうか、わからない。
どんどん改良して行ってくれたらいい、というような趣向のことをおっしゃってたと思うので、多分大丈夫だと思うけど、では、といって、私に先生の話を正確に伝える自信も無く、先生の意図と違ったことを伝えてしまったら申し訳ない。
そんなわけで、無難に、音楽の話だけ伝えることにする。
先生を独占して、まず切り出したのは、グレン・グールドの話題だった。
ほぼ日の記事で名前だけ覚えてて、たまたまレンタルすることになって、実際聞いてみてめちゃめちゃ感激したことを伝えた。
その際、ブログに既に書いたとおり、一音一音の強弱の話だけ伝えた。
私はクラシックは全くド素人だが、その感じ方は、間違いない確信があり、やはり、先生は、うなずいた。
ここまでは、なんでもない話。
驚いたのは、ここからだ。
先生は続けておっしゃった。音と音の間の「無音」が素晴らしい、と。
本当に驚いた。
私が気付かなかったことに先生が気付いてた、と言う意味ではない。
その、表現の美しさだ。
音楽家でも、作家でも、思想家でもない、画家の先生。
なんと美しい日本語で、的確な表現をされるのか!
私は、それを、通常、ビート、とか、グルーブ、とか言って表してた。
リズムということもあるけど、リズムにはいろんな意味がある。
まあ、ビートにもグルーブにもいろんな意味があるし、逆に漠然としすぎて、これじゃ、なんのこっちゃわからない。
でも、音と音の間の「無音」なら、意味がそれだけでわかる人にはわかるし、なにより、美しい。
音楽を長くやってる人ならみな知ってるけど、ビートは、音の始まりと、終わりの両方で発生する。
だから歌でもギターでもベースでも管楽器でもピアノでも音の切り際がとても大切。
ジャズだとかサンバだとか、ジャンルごとに独特の癖があって、それがグルーブにつながる。
ちなみに私は理解してない(笑)
単純に、のってる。楽しんでる。それでいいのだ。
驚いたのは、グレン・グールドは、一音一音ごとに、それを制御しているということ。
相当なスピードの曲でもだ。
そんなことが出来るなんてビックリだし、それ以前に、クラシックでそんなことをする人がいるなんてしらなかった。
(グレン・グールドの記事をアップしたあとに知ったけど、彼は、異端の人で、クラシックではご法度の、自分の解釈で譜面と違うアレンジを加えるなんてこともする人らしい。実際、モーツアルトの聴いたことある曲のグールド演奏を聴いてて、あれ?こんな遅かったっけ?これぐらいの速度差は許容範囲なのかな?と不思議に思ったけど、あれ、多分、モーツアルトの意図を逸脱してると思うな、今から思えば。でも素晴らしかった。)
これだけのことを説明するのが面倒だったので、前のブログでは、一音一音の強弱の話だけを紹介しておいた。
ところが、先生は、音と音の間の「無音」という、わかりやすく美しい表現を持っておられた。
感激した。
すごい。
すごい。
すごすぎる。
私には、音楽的才能は、ない。
ビートの話も、ベーシストとして、何年何年も苦労した末に理解した。
世の中には、楽器を手にしたときから理解できてるやつもいるし、歌いだしたときから上手いやつもいる。
音楽なんかしていなくても、深く音楽を理解し、先生のような素晴らしい素晴らしいかたもいる。
私は、生まれつき才能がなかったおかげで、こうして、いろんなことに極端に感動できる。
これもまた幸せなことだなあ。
今もまだジンとしてるよ。
どんどん改良して行ってくれたらいい、というような趣向のことをおっしゃってたと思うので、多分大丈夫だと思うけど、では、といって、私に先生の話を正確に伝える自信も無く、先生の意図と違ったことを伝えてしまったら申し訳ない。
そんなわけで、無難に、音楽の話だけ伝えることにする。
先生を独占して、まず切り出したのは、グレン・グールドの話題だった。
ほぼ日の記事で名前だけ覚えてて、たまたまレンタルすることになって、実際聞いてみてめちゃめちゃ感激したことを伝えた。
その際、ブログに既に書いたとおり、一音一音の強弱の話だけ伝えた。
私はクラシックは全くド素人だが、その感じ方は、間違いない確信があり、やはり、先生は、うなずいた。
ここまでは、なんでもない話。
驚いたのは、ここからだ。
先生は続けておっしゃった。音と音の間の「無音」が素晴らしい、と。
本当に驚いた。
私が気付かなかったことに先生が気付いてた、と言う意味ではない。
その、表現の美しさだ。
音楽家でも、作家でも、思想家でもない、画家の先生。
なんと美しい日本語で、的確な表現をされるのか!
私は、それを、通常、ビート、とか、グルーブ、とか言って表してた。
リズムということもあるけど、リズムにはいろんな意味がある。
まあ、ビートにもグルーブにもいろんな意味があるし、逆に漠然としすぎて、これじゃ、なんのこっちゃわからない。
でも、音と音の間の「無音」なら、意味がそれだけでわかる人にはわかるし、なにより、美しい。
音楽を長くやってる人ならみな知ってるけど、ビートは、音の始まりと、終わりの両方で発生する。
だから歌でもギターでもベースでも管楽器でもピアノでも音の切り際がとても大切。
ジャズだとかサンバだとか、ジャンルごとに独特の癖があって、それがグルーブにつながる。
ちなみに私は理解してない(笑)
単純に、のってる。楽しんでる。それでいいのだ。
驚いたのは、グレン・グールドは、一音一音ごとに、それを制御しているということ。
相当なスピードの曲でもだ。
そんなことが出来るなんてビックリだし、それ以前に、クラシックでそんなことをする人がいるなんてしらなかった。
(グレン・グールドの記事をアップしたあとに知ったけど、彼は、異端の人で、クラシックではご法度の、自分の解釈で譜面と違うアレンジを加えるなんてこともする人らしい。実際、モーツアルトの聴いたことある曲のグールド演奏を聴いてて、あれ?こんな遅かったっけ?これぐらいの速度差は許容範囲なのかな?と不思議に思ったけど、あれ、多分、モーツアルトの意図を逸脱してると思うな、今から思えば。でも素晴らしかった。)
これだけのことを説明するのが面倒だったので、前のブログでは、一音一音の強弱の話だけを紹介しておいた。
ところが、先生は、音と音の間の「無音」という、わかりやすく美しい表現を持っておられた。
感激した。
すごい。
すごい。
すごすぎる。
私には、音楽的才能は、ない。
ビートの話も、ベーシストとして、何年何年も苦労した末に理解した。
世の中には、楽器を手にしたときから理解できてるやつもいるし、歌いだしたときから上手いやつもいる。
音楽なんかしていなくても、深く音楽を理解し、先生のような素晴らしい素晴らしいかたもいる。
私は、生まれつき才能がなかったおかげで、こうして、いろんなことに極端に感動できる。
これもまた幸せなことだなあ。
今もまだジンとしてるよ。
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