<鬼怒川、バイキング・トーク>
「三百、四百、五百、六百とありますけどどれにしましょう」
カウンターの左端に座ったわたしに厨房のママさんが訊いた。数字はどうやらグラム数ではなく、二つしかないメニューの代金のようである。代金ごとに量が増えたり目玉焼きのトッピングが載ったりするらしい。
今日は焼きそばしかないという。もうひとつのきっかぶ焼きのほうは、まあお好み焼きと思えばいい。

「三百(円)でお願いします」
四人掛けのテーブルがひとつに、カウンター席が四つの狭い店である。テーブルには女性客が向かい合って二人、カウンターには熟年女性が一人、いずれも常連のようだ。


鬼怒川温泉駅で降りると、駅前広場ではアニメキャラの車が勢ぞろいしていた。どうやらイベントをやっているようだった。

まったく興味がないので、鬼怒太のでかい像の前を通り線路に沿った道を戻るように進み住宅街のなかにあるこの店「きっかぶ」に辿りついたのだった。前に来たら定休日だったのだ。ここは書き入れ時の日曜、それに月曜と火曜が休みなのだ。

住宅をすこしだけ改造した地元密着型店舗で営業は三十年余り、まず観光客にはわかりにくい場所である。残念ながら酒類はまるで置いていない。
「どちらからですか」
焼きそばを作りながらママが訊く。
「横浜からです」
「あら横浜から? 今日はお泊りですか」
「はい」
「どちらにお泊りになるのですか」
別に隠す必要もないので宿の名前を言った途端に、ママさんのお喋り装置のスイッチが入ってしまったらしい。
お待たせしました、と焼きそばが届く。

うん、旨そうだ。いつも残してしまうキャベツの芯も柔らかである。次に来た時には青海苔を少なめにしてもらおう。
「あそこのバイキングは豪華でとにかく凄いのよ」
えっ、そうなのと女性客たちが合いの手を入れる。わたしも、良かった、今夜はバイキングなんだと安心する。懐石料理やら部屋出しは残す言い訳で苦労する。
「和洋中で、それは料理の品数が百種類ぐらい豊富で、鍋物もあるし、スイーツや果物まで充実しているのよ」
へぇーっ、と行ったことのない地元の客が溜息をつく。
電話注文が入り中断するが、また焼きそばをつくりながらのトーク再開。
「実はね、わたしね、友達と夕食のバイキングに行ったことがあるのよ」
そうなんだ、泊らなくて夕食だけでもいけるのか。料金はそのとき約五千円だったそうだ。
「そうしたらさ、わたしの友達ったら、いきなり炒飯だけてんこ盛りで持ってきたの。蟹とか海老とか刺身とかビフテキとか眼もくれずにさ」
もったいない、せっかくのバイキングなのに。元が取れないじゃない。炒飯なんかいつでも食べられるのに、など女性客たちが俄然、話の続きを聞きたがる。
「その友達、次に持ってきたのなんだと思う?」
「なになに?」
食べきったわたしは外で煙草が吸いたくて、勘定の三百円をカウンターの上に載せて立ち上がる。
「なんとなんとね。お饅頭が三個!」
どよめきが湧きあがるなか、店を出た。
興味深い話だった。ずいぶんな回数このバイキング話をしているようで、だいぶ練れている。まあ多少のデフォルメもあるかもしれない。
炒飯饅頭の友人だが、帰り際に現れたご主人ではないかとわたしは睨んでいる。本当に女性の友人だったら、少しは元を取ろうとするだろう。自分や近い肉親の笑い話を、友人として話すことはよくあることだ。わたしは同じようなところがあるから、その<炒飯と饅頭の友人>を決して笑えない。

店名「きっかぶ」の由来だが二つの意味がこめられている。ひとつは<木の切り株>。森のなかの切り株に疲れた腰をおろすように客にくつろいで欲しい。もうひとつは方言で「きっかぶ戻し」と呼ぶ、雑木の切り株に出る茸の群生のこと。密集する茸のように客で賑わって欲しいそうだ。
居心地は悪くないが、酒がないのと、灰皿をいえば持ってきてくれるのだろうが煙草が吸いにくいし女性常連客が多そうなので、次回は電車から電話注文して宿に持ちこむほうが良さそうだ。
→「川治温泉」の記事はこちら
「三百、四百、五百、六百とありますけどどれにしましょう」
カウンターの左端に座ったわたしに厨房のママさんが訊いた。数字はどうやらグラム数ではなく、二つしかないメニューの代金のようである。代金ごとに量が増えたり目玉焼きのトッピングが載ったりするらしい。
今日は焼きそばしかないという。もうひとつのきっかぶ焼きのほうは、まあお好み焼きと思えばいい。

「三百(円)でお願いします」
四人掛けのテーブルがひとつに、カウンター席が四つの狭い店である。テーブルには女性客が向かい合って二人、カウンターには熟年女性が一人、いずれも常連のようだ。


鬼怒川温泉駅で降りると、駅前広場ではアニメキャラの車が勢ぞろいしていた。どうやらイベントをやっているようだった。

まったく興味がないので、鬼怒太のでかい像の前を通り線路に沿った道を戻るように進み住宅街のなかにあるこの店「きっかぶ」に辿りついたのだった。前に来たら定休日だったのだ。ここは書き入れ時の日曜、それに月曜と火曜が休みなのだ。

住宅をすこしだけ改造した地元密着型店舗で営業は三十年余り、まず観光客にはわかりにくい場所である。残念ながら酒類はまるで置いていない。
「どちらからですか」
焼きそばを作りながらママが訊く。
「横浜からです」
「あら横浜から? 今日はお泊りですか」
「はい」
「どちらにお泊りになるのですか」
別に隠す必要もないので宿の名前を言った途端に、ママさんのお喋り装置のスイッチが入ってしまったらしい。
お待たせしました、と焼きそばが届く。

うん、旨そうだ。いつも残してしまうキャベツの芯も柔らかである。次に来た時には青海苔を少なめにしてもらおう。
「あそこのバイキングは豪華でとにかく凄いのよ」
えっ、そうなのと女性客たちが合いの手を入れる。わたしも、良かった、今夜はバイキングなんだと安心する。懐石料理やら部屋出しは残す言い訳で苦労する。
「和洋中で、それは料理の品数が百種類ぐらい豊富で、鍋物もあるし、スイーツや果物まで充実しているのよ」
へぇーっ、と行ったことのない地元の客が溜息をつく。
電話注文が入り中断するが、また焼きそばをつくりながらのトーク再開。
「実はね、わたしね、友達と夕食のバイキングに行ったことがあるのよ」
そうなんだ、泊らなくて夕食だけでもいけるのか。料金はそのとき約五千円だったそうだ。
「そうしたらさ、わたしの友達ったら、いきなり炒飯だけてんこ盛りで持ってきたの。蟹とか海老とか刺身とかビフテキとか眼もくれずにさ」
もったいない、せっかくのバイキングなのに。元が取れないじゃない。炒飯なんかいつでも食べられるのに、など女性客たちが俄然、話の続きを聞きたがる。
「その友達、次に持ってきたのなんだと思う?」
「なになに?」
食べきったわたしは外で煙草が吸いたくて、勘定の三百円をカウンターの上に載せて立ち上がる。
「なんとなんとね。お饅頭が三個!」
どよめきが湧きあがるなか、店を出た。
興味深い話だった。ずいぶんな回数このバイキング話をしているようで、だいぶ練れている。まあ多少のデフォルメもあるかもしれない。
炒飯饅頭の友人だが、帰り際に現れたご主人ではないかとわたしは睨んでいる。本当に女性の友人だったら、少しは元を取ろうとするだろう。自分や近い肉親の笑い話を、友人として話すことはよくあることだ。わたしは同じようなところがあるから、その<炒飯と饅頭の友人>を決して笑えない。

店名「きっかぶ」の由来だが二つの意味がこめられている。ひとつは<木の切り株>。森のなかの切り株に疲れた腰をおろすように客にくつろいで欲しい。もうひとつは方言で「きっかぶ戻し」と呼ぶ、雑木の切り株に出る茸の群生のこと。密集する茸のように客で賑わって欲しいそうだ。
居心地は悪くないが、酒がないのと、灰皿をいえば持ってきてくれるのだろうが煙草が吸いにくいし女性常連客が多そうなので、次回は電車から電話注文して宿に持ちこむほうが良さそうだ。
→「川治温泉」の記事はこちら
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