<東海道五十三次(15)>
(15) 島田~金谷 ~掛川
24、25、26.島田~金谷~日坂~掛川
11月10日 5時間50分 33,019歩 23キロ
島田駅から歩き始めて、とりあえず国道一号を目指す。
ところが、バイパスになっていて歩行者は通行禁止であった。
しかたなく道を戻ったが、方角がわからなくなり迷ってしまう。こういう時に限って店はどこにもないし、人も歩いていないものだ。
ようやく大井川を渡る橋をみつけてほっとする。
静岡の川に架けられた橋はどこも長い、厭になるほどの長さである。今日はようやく駿河の国に別れをつげて静岡最後の国、遠江にはいる。
前回の島田までのウォーキングで痛めた足を、東日本大震災で思わぬ長距離ウォーキングに追い撃ちされて、両方の足の親指と人差し指の爪が死んでしまった。
それから八カ月、左の親指の爪がまだ半分しかないが、それでもまあ癒えたといえる。今回予定の歩行距離17キロなら多分だいじょうぶとの判断で出かけて来たのである。
渡り切って、下流の金谷への道をとろうかと思ったが、そのまま道なりに行くことにした。
「あのぉ・・・すいません」
大井川を渡ってしばらく歩いていると、前方から来た自転車がわたしの前を塞ぐように止めて話しかけてきた。キャップの下の顔がよく陽に焼けた中年男性である。
「旧東海道って、この道でいいんでしょうか」
「いえ、ここではなく、旧東海道はもっと下流方向だと思いますが」
「そうですか。でも、この道をいけば東京まで行けるでしょうか」
おや、この人も東海道を逆方向から旅しているのだろうか。ちょっと興味が湧く。
聞けば岡山から東京まで、ママチャリで制覇する途中だそうである。
そりゃまた凄い。同好の士か、とちょいと嬉しくなりこちらも日本橋から京都まで東海道を歩いている途中だ、と明かす。だが、期待したリアクションもあまりなく、話の方向を引き戻された。
なんと二泊で岡山からここ(島田)まで来たという。
(えっ、ざっと考えて約五百キロを二日と数時間で・・・無理だろ、それは)
全国を走りまわっているから、だいたいの距離はわかる。自転車で一般道、となれば坂も避けられない。平均時速十キロとして一日百キロくらいが限度、一日二百キロは無理だろう。それが本当なら、早ければ明日の深夜に東京に着くではないか。
この人の話、眉唾ものである。どうも・・・かなり怪しい。
所持してきた現金二十万円を、野宿して寝ていたら盗られてしまって困っている。連絡すればすぐに送金してもらえるのだが、岡山から出発する時に携帯を忘れてきた。
(二十万持っていて野宿? ママチャリの荷物は前の籠だけで、岡山から東京までの旅にしてはどう見ても少なすぎる。雨具さえ入っていそうにない量だ。本当の話ならすこしカンパしてやろうかと思ったが、このへんで、もう聞く気も失せてきた)
こうなったらしょうがないので、途中で働きながら東京へ行くつもりだ。それにしても「文無し」で困った。そう熱っぽく語る。
(文無しには見えないし、このご時世で、そんな都合のいい働きぐちがあるわけがない。電話代なら交番で借りられるはずだ)
わたしは腕時計をみると、「いくらでもいいので」と無心がはじまる前に歩き始めることにした。
「この道でも、まっすぐ行けば東京まで行けると思いますよ。それでは、頑張ってください」
振り返らず進むことにする。冷たいようだが、道というものは自分で切り開くものだ。
道が登り坂になってきた。
歩道と呼べるほどのものではなく、白線に内側を歩いているので車に巻き込まれないように度々道を横断して広いほうを選んで歩いた。
道の両側には茶畑が広がっている。
結局、低いが二山を超えて掛川にはいった。
飲まず食わずで歩いてきたのだが、さすがに腹が減った。
道の駅があったので、遅めの昼食をとった。ハンバーグ、しらすと大根おろしで、軽く盛ってもらったご飯を食べた。
歩き始めて5時間を過ぎた。
標識に「掛川」の文字が見当たらず、道が合っているかどうか不安になって誰かに訊くことにした。駐車場にはいってきたOLが、車を降りて事務所に向かうところに声をかける。
「掛川駅ですか? 歩きで? それだと30分から40分はかかりますよ」
40分・・・5時間に比べればたいしたことはない。そうか、あとそんなもので着くのかとひと安心する。お礼を言って歩きだす。
掛川城へは左折の表示があり、ゴールが近いことを実感する。
大手門から掛川城が見える。
掛川城は思ったより、ずっと立派なものであった。
ほどなく掛川駅に到着。
足首は少し痛いが、なんとかたどり着けた。 本日は途中で短いが二度ほど雨が降り、折りたたみ傘をさしたがウォーキングに傘は危ないと再確認した。
それにしてもあのママチャリのおじさんは、新種の寸借詐欺だったのだろうか。
累計:26宿(次) 日本橋より56.5里(220キロ) 所要日数:18日
所要時間:60時間5分
歩数:353,783歩 実際に歩いた距離248キロ
交通費:40,410円(戸塚までは通勤定期を使用)
宿泊費:0円
→「東海道五十三次(14)」の記事はこちら
→「遥かなる家路」の記事はこちら
(15) 島田~金谷 ~掛川
24、25、26.島田~金谷~日坂~掛川
11月10日 5時間50分 33,019歩 23キロ
島田駅から歩き始めて、とりあえず国道一号を目指す。
ところが、バイパスになっていて歩行者は通行禁止であった。
しかたなく道を戻ったが、方角がわからなくなり迷ってしまう。こういう時に限って店はどこにもないし、人も歩いていないものだ。
ようやく大井川を渡る橋をみつけてほっとする。
静岡の川に架けられた橋はどこも長い、厭になるほどの長さである。今日はようやく駿河の国に別れをつげて静岡最後の国、遠江にはいる。
前回の島田までのウォーキングで痛めた足を、東日本大震災で思わぬ長距離ウォーキングに追い撃ちされて、両方の足の親指と人差し指の爪が死んでしまった。
それから八カ月、左の親指の爪がまだ半分しかないが、それでもまあ癒えたといえる。今回予定の歩行距離17キロなら多分だいじょうぶとの判断で出かけて来たのである。
渡り切って、下流の金谷への道をとろうかと思ったが、そのまま道なりに行くことにした。
「あのぉ・・・すいません」
大井川を渡ってしばらく歩いていると、前方から来た自転車がわたしの前を塞ぐように止めて話しかけてきた。キャップの下の顔がよく陽に焼けた中年男性である。
「旧東海道って、この道でいいんでしょうか」
「いえ、ここではなく、旧東海道はもっと下流方向だと思いますが」
「そうですか。でも、この道をいけば東京まで行けるでしょうか」
おや、この人も東海道を逆方向から旅しているのだろうか。ちょっと興味が湧く。
聞けば岡山から東京まで、ママチャリで制覇する途中だそうである。
そりゃまた凄い。同好の士か、とちょいと嬉しくなりこちらも日本橋から京都まで東海道を歩いている途中だ、と明かす。だが、期待したリアクションもあまりなく、話の方向を引き戻された。
なんと二泊で岡山からここ(島田)まで来たという。
(えっ、ざっと考えて約五百キロを二日と数時間で・・・無理だろ、それは)
全国を走りまわっているから、だいたいの距離はわかる。自転車で一般道、となれば坂も避けられない。平均時速十キロとして一日百キロくらいが限度、一日二百キロは無理だろう。それが本当なら、早ければ明日の深夜に東京に着くではないか。
この人の話、眉唾ものである。どうも・・・かなり怪しい。
所持してきた現金二十万円を、野宿して寝ていたら盗られてしまって困っている。連絡すればすぐに送金してもらえるのだが、岡山から出発する時に携帯を忘れてきた。
(二十万持っていて野宿? ママチャリの荷物は前の籠だけで、岡山から東京までの旅にしてはどう見ても少なすぎる。雨具さえ入っていそうにない量だ。本当の話ならすこしカンパしてやろうかと思ったが、このへんで、もう聞く気も失せてきた)
こうなったらしょうがないので、途中で働きながら東京へ行くつもりだ。それにしても「文無し」で困った。そう熱っぽく語る。
(文無しには見えないし、このご時世で、そんな都合のいい働きぐちがあるわけがない。電話代なら交番で借りられるはずだ)
わたしは腕時計をみると、「いくらでもいいので」と無心がはじまる前に歩き始めることにした。
「この道でも、まっすぐ行けば東京まで行けると思いますよ。それでは、頑張ってください」
振り返らず進むことにする。冷たいようだが、道というものは自分で切り開くものだ。
道が登り坂になってきた。
歩道と呼べるほどのものではなく、白線に内側を歩いているので車に巻き込まれないように度々道を横断して広いほうを選んで歩いた。
道の両側には茶畑が広がっている。
結局、低いが二山を超えて掛川にはいった。
飲まず食わずで歩いてきたのだが、さすがに腹が減った。
道の駅があったので、遅めの昼食をとった。ハンバーグ、しらすと大根おろしで、軽く盛ってもらったご飯を食べた。
歩き始めて5時間を過ぎた。
標識に「掛川」の文字が見当たらず、道が合っているかどうか不安になって誰かに訊くことにした。駐車場にはいってきたOLが、車を降りて事務所に向かうところに声をかける。
「掛川駅ですか? 歩きで? それだと30分から40分はかかりますよ」
40分・・・5時間に比べればたいしたことはない。そうか、あとそんなもので着くのかとひと安心する。お礼を言って歩きだす。
掛川城へは左折の表示があり、ゴールが近いことを実感する。
大手門から掛川城が見える。
掛川城は思ったより、ずっと立派なものであった。
ほどなく掛川駅に到着。
足首は少し痛いが、なんとかたどり着けた。 本日は途中で短いが二度ほど雨が降り、折りたたみ傘をさしたがウォーキングに傘は危ないと再確認した。
それにしてもあのママチャリのおじさんは、新種の寸借詐欺だったのだろうか。
累計:26宿(次) 日本橋より56.5里(220キロ) 所要日数:18日
所要時間:60時間5分
歩数:353,783歩 実際に歩いた距離248キロ
交通費:40,410円(戸塚までは通勤定期を使用)
宿泊費:0円
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→「遥かなる家路」の記事はこちら
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