安全運転
2008-04-11 | 雑文
< 安全運転 >
旅をするようになってから、二十数万キロは走っている。いま乗っている車
でも、十三万キロ走った。スピード違反が三回、シートベルトで一回捕まったが、
まったくの無事故である。
車もノークラッチが主流になり、運転が簡単になった。
ブレーキを踏みながら差し込んだキーを捻ってエンジンをかけ、シフトレバーを
ドライブにいれて、ブレーキからあげた右足でアクセルペダルを踏み込めばスムー
スに走り出す。
ダブルクラッチ、ヒール・アンド・トウ、アウト・イン・アウト・・・そんな
言葉が懐かしい。
コーナーに差し掛かると、右足の爪先でブレーキを踏み込みながら同時に足で
クラッチも踏み込み、シフトにかけた左手を閃かせ四速から抜いて一瞬ニュートラ
ルでとめる。このときクラッチを踏んだ左足を軽くあげながらブレーキにかけ足の
踵で、アクセルを蹴りこんで回転数をあげ、再度クラッチを深く踏み込みシフトを
三速に叩き込み、左足をゆるめクラッチをつなぐ。
ここまでの手順を、瞬きするあいだに行なうのだ。鷲摑みされたように強烈な
エンジンブレーキで車を急減速させると、再度同じ手順で二速まで減速、コーナー
に突入すると最速、最短距離で走破するようなラインをとり、車にかかる遠心力
を、アクセルを踏み込むことによる前進力と小刻みなソーイングハンドルで相殺
させながら抜けていく・・・。
あのころは、いかに速く走ることよりもいかに早く制動できることが大事だった
ようだ。ブレーキを踏むだけでは車はすぐに止まれないが、ダブルクラッチを併用
するとすぐに止められる。必要だから、みな身体で覚えたのである。
もっともこんな走り方は、クラッチのある車でしかも暴走族でもないかぎり、
いまはまずしないだろう。
わたしの車もノークラッチなので、せっかく身体で覚えた技も錆びついて役には
たたず、視力と脳細胞でもっぱら危険を回避することになる。
運転には想像力もすこしだけ必要だ。経験もある。
バスが停留所に止まれば、そのバスの前後からひとが横断しようと顔をだすかも
しれない。子犬やボールが道に飛び出してくれば、慌てた子どもが追いかけてく
る。
すぐ前をタクシーが走っていれば、客に「ここで止めてくれ」といわれ急停車
するだろうし、空車のときには中央車線から走行車線を横切り一気に道路に横付け
することもある。
ガラガラの道を快調に走行しているときに、さきほどからはるか向こうにみえて
いる青信号はそろそろ黄色に変わるはずだと考え、ブレーキの準備をせねばならな
い。前を走る地元ナンバーが、ガラ空きの道なのに制限速度でトロトロ走っていれ
ば、前方でネズミ捕りがあるかもしれず、しばらくは見習わうべきだ。
地元ナンバーの軽トラが中央車線よりにトロトロ走っているときには、急に右折
するかもしれないので、追い越すタイミングが肝要だ。
高速道路でふらついたり、蛇行する車は早めに追い抜くほうが賢明だ。車種や
特徴も覚えておいたほうがいい。前後を大型トラックに挟まれたときにも、脱出し
たほうが無難である。後ろのトラック運転手の視線が前のトラックに焦点が固定す
ると、小さな自分の車が盲点にはいるからである・・・。ああ、きりがねえな。
楽そうにみえるが、運転はとにかく気骨が折れるのだ。
細い山道などではカーステレオを止めて窓をあけ、聴力も動員するが、運転する
ときに必要な情報の、そのほとんどは眼からはいる。前方、右サイドミラー、
前方、ルームミラー、前方、左サイドミラー、前方。とにかく視線は、機関銃の
ように目まぐるしいリズムで動く。
そんな視線のリズムが一瞬固まることがある。
「ねえ、前にこの道走ったのっていつだっけ? そんときって何処行ったっけ?」
運転中の質問は「なに喰おうか」とか「何時ごろ着きそう?」とか現在のことの
ほうがいい。過去に対しての質問をされると、掛け算割り算をだされたみたいで、
まず想像力がコナゴナになる。
思い出そうにもお決まりの瞑想も腕組みできず、斜め上とか斜め下に視線を投げ
ることもできない。記憶力を総動員すればいいのだが、そのために視線がゆるみ、
危ないのである。とくに雨の夜の高速道路などでは。
それでも必死の形相で思い出そうとしてるのに、時間切れらしく、バッサリ引導
を渡されてしまうのだ。
「もういいわ。すーぐ忘れちゃうのね、まったく」
旅をするようになってから、二十数万キロは走っている。いま乗っている車
でも、十三万キロ走った。スピード違反が三回、シートベルトで一回捕まったが、
まったくの無事故である。
車もノークラッチが主流になり、運転が簡単になった。
ブレーキを踏みながら差し込んだキーを捻ってエンジンをかけ、シフトレバーを
ドライブにいれて、ブレーキからあげた右足でアクセルペダルを踏み込めばスムー
スに走り出す。
ダブルクラッチ、ヒール・アンド・トウ、アウト・イン・アウト・・・そんな
言葉が懐かしい。
コーナーに差し掛かると、右足の爪先でブレーキを踏み込みながら同時に足で
クラッチも踏み込み、シフトにかけた左手を閃かせ四速から抜いて一瞬ニュートラ
ルでとめる。このときクラッチを踏んだ左足を軽くあげながらブレーキにかけ足の
踵で、アクセルを蹴りこんで回転数をあげ、再度クラッチを深く踏み込みシフトを
三速に叩き込み、左足をゆるめクラッチをつなぐ。
ここまでの手順を、瞬きするあいだに行なうのだ。鷲摑みされたように強烈な
エンジンブレーキで車を急減速させると、再度同じ手順で二速まで減速、コーナー
に突入すると最速、最短距離で走破するようなラインをとり、車にかかる遠心力
を、アクセルを踏み込むことによる前進力と小刻みなソーイングハンドルで相殺
させながら抜けていく・・・。
あのころは、いかに速く走ることよりもいかに早く制動できることが大事だった
ようだ。ブレーキを踏むだけでは車はすぐに止まれないが、ダブルクラッチを併用
するとすぐに止められる。必要だから、みな身体で覚えたのである。
もっともこんな走り方は、クラッチのある車でしかも暴走族でもないかぎり、
いまはまずしないだろう。
わたしの車もノークラッチなので、せっかく身体で覚えた技も錆びついて役には
たたず、視力と脳細胞でもっぱら危険を回避することになる。
運転には想像力もすこしだけ必要だ。経験もある。
バスが停留所に止まれば、そのバスの前後からひとが横断しようと顔をだすかも
しれない。子犬やボールが道に飛び出してくれば、慌てた子どもが追いかけてく
る。
すぐ前をタクシーが走っていれば、客に「ここで止めてくれ」といわれ急停車
するだろうし、空車のときには中央車線から走行車線を横切り一気に道路に横付け
することもある。
ガラガラの道を快調に走行しているときに、さきほどからはるか向こうにみえて
いる青信号はそろそろ黄色に変わるはずだと考え、ブレーキの準備をせねばならな
い。前を走る地元ナンバーが、ガラ空きの道なのに制限速度でトロトロ走っていれ
ば、前方でネズミ捕りがあるかもしれず、しばらくは見習わうべきだ。
地元ナンバーの軽トラが中央車線よりにトロトロ走っているときには、急に右折
するかもしれないので、追い越すタイミングが肝要だ。
高速道路でふらついたり、蛇行する車は早めに追い抜くほうが賢明だ。車種や
特徴も覚えておいたほうがいい。前後を大型トラックに挟まれたときにも、脱出し
たほうが無難である。後ろのトラック運転手の視線が前のトラックに焦点が固定す
ると、小さな自分の車が盲点にはいるからである・・・。ああ、きりがねえな。
楽そうにみえるが、運転はとにかく気骨が折れるのだ。
細い山道などではカーステレオを止めて窓をあけ、聴力も動員するが、運転する
ときに必要な情報の、そのほとんどは眼からはいる。前方、右サイドミラー、
前方、ルームミラー、前方、左サイドミラー、前方。とにかく視線は、機関銃の
ように目まぐるしいリズムで動く。
そんな視線のリズムが一瞬固まることがある。
「ねえ、前にこの道走ったのっていつだっけ? そんときって何処行ったっけ?」
運転中の質問は「なに喰おうか」とか「何時ごろ着きそう?」とか現在のことの
ほうがいい。過去に対しての質問をされると、掛け算割り算をだされたみたいで、
まず想像力がコナゴナになる。
思い出そうにもお決まりの瞑想も腕組みできず、斜め上とか斜め下に視線を投げ
ることもできない。記憶力を総動員すればいいのだが、そのために視線がゆるみ、
危ないのである。とくに雨の夜の高速道路などでは。
それでも必死の形相で思い出そうとしてるのに、時間切れらしく、バッサリ引導
を渡されてしまうのだ。
「もういいわ。すーぐ忘れちゃうのね、まったく」
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