<剣豪謹製「天丼」>
中学生のころだったと思うが、家から毎日弁当を持参していた。
弁当のおかずのなかでは、前日の夕食の惣菜で余った天ぷらの甘辛く煮たものをご飯に乗っけたやつが一番好きだった。もっとも、いかにも貧乏くさいのでこの話は誰にもしたことがない。
末っ子のわたし以外の兄姉が働き出すと、家計に若干のゆとりが出始めたのか、月に一度くらいは店屋物を頼むようになった。
いつも頼むのは蕎麦屋で、育ち盛りのわたしは軽そうな麺類よりも腹が一杯になるご飯物が好きだったので玉丼を頼むことが多かった。
そうして、顔色をみて機嫌が良さそうだと、ダメもとで「今日は天丼食べたい」といってみたりした。
出前にかかる時間で丼つゆが満遍なく飯に滲みた、このちょい甘めの天丼がことのほか旨かったのである。
流れる月日はひとを変える。酒を呑むようになってからは、蕎麦屋にいったら当たり前のように蕎麦かうどんを食べるようになり、丼物はすっかり敬遠するようになってしまった。大人になった舌が甘味より、辛味や苦味をより好むようになったのだろう。
それでも天丼には、ほのかな郷愁は感じ続けてはいるのだ。
川崎駅・・・。
改札口を出て、中央コンコースを左手のラーゾーナ方面に向かう。
エスカレータで一階に降りて、フードコートの入り口前で立ち止まった。
入り口の案内表示に、素早く視線を走らせ店の存在を確認する。今日の昼はここにある「金子半之介」の天丼と決めて、川崎で途中下車したのである。
なんでも評判の天丼らしく、日本橋の本店では長蛇の行列ができるらしい。行列嫌いだが川崎ならあまり待たずにすみ、丼つゆもそれほど甘くないと聞いたのだ。
それにしても「金子半之介」という店名は凄い。なんとなく、天ぷらだけでなく剣の達人のような怖いイメージの名前である。
日本橋本店の無言の客が居並ぶカウンター・・・天丼を半分残して立ち上がったら、ひと睨みした何代目かの店主の手元が一閃し、音もなく飛来する必殺の出刃に、殺気を感じて放つわたしの奥技「真剣白刃取り」が寸毫間に合わずただの拍手と化す。眉間に的中、突き立った包丁を寄り目で見ながら「だって丼つゆが思ったより甘かったんだもん・・・」と呟きながら絶命する、なんてこともあるかもしれない。災難はどこに転がっているかわからぬ。おー厭だやだ。(絶対ないって)
フードコートの奥に、店のカウンターをみつけ並の天丼と味噌汁を注文、千円を払い、十円玉を二個とポケットベルを受け取った。
店に行列はなくても、コート内で待っている客がいるので待ち時間はわからない。
席に着き、本を読んでいると五分ほどで呼び出し音が鳴った。
ちゃんとした店の天ぷらは新宿の「つな八」以来となる。
天ぷらは、きす、海老、イカと小柱のかきあげ、ししとう、のり、温泉玉子などである。千円以下なのにかなり豪華だ。
最初に食べたきすは、身離れがとてもいいので新鮮さがわかる。
(これは、たしかにそんなに甘くないぞ)
温泉玉子のトロリとした黄身が、いい具合に味に変化を与えてくれる。
丼つゆが沁みたご飯の状態もばっちり許容範囲内で、ぱくぱくと食べ進む。
この天丼なら、だいじょうぶ全部食べられそうだ。
と思ったら、やっぱり丼の底のほうのご飯がつゆでひたひたに甘くなっていて箸がピタリと止まってしまう。これ以上は無理だと断念した。
注文のときに、つゆの量を減らすように言えばよかったか。でも、常連でもあるまいし、初めてなのにそんな注文もおかしい。
それにつけても本店で残さなくて幸いだった。出刃持った店主に三白眼で上目遣いに「お客さん、つゆの量を減らしてほしいならひとことそうとはっきり言ってくだせえや」なんていわれるのも業腹だもんな。(そんなこと店主いわないし)
ここの天丼を食べられたら、銀座でもう五年くらい食べてみたかった老舗の天丼があって、次はぜひそこの天丼をと思っていたがやめておこう。
やっぱり、わたしには天ぷら定食が無難のようだ。
→「ある晴れた朝天ぷら屋に」の記事はこちら
中学生のころだったと思うが、家から毎日弁当を持参していた。
弁当のおかずのなかでは、前日の夕食の惣菜で余った天ぷらの甘辛く煮たものをご飯に乗っけたやつが一番好きだった。もっとも、いかにも貧乏くさいのでこの話は誰にもしたことがない。
末っ子のわたし以外の兄姉が働き出すと、家計に若干のゆとりが出始めたのか、月に一度くらいは店屋物を頼むようになった。
いつも頼むのは蕎麦屋で、育ち盛りのわたしは軽そうな麺類よりも腹が一杯になるご飯物が好きだったので玉丼を頼むことが多かった。
そうして、顔色をみて機嫌が良さそうだと、ダメもとで「今日は天丼食べたい」といってみたりした。
出前にかかる時間で丼つゆが満遍なく飯に滲みた、このちょい甘めの天丼がことのほか旨かったのである。
流れる月日はひとを変える。酒を呑むようになってからは、蕎麦屋にいったら当たり前のように蕎麦かうどんを食べるようになり、丼物はすっかり敬遠するようになってしまった。大人になった舌が甘味より、辛味や苦味をより好むようになったのだろう。
それでも天丼には、ほのかな郷愁は感じ続けてはいるのだ。
川崎駅・・・。
改札口を出て、中央コンコースを左手のラーゾーナ方面に向かう。
エスカレータで一階に降りて、フードコートの入り口前で立ち止まった。
入り口の案内表示に、素早く視線を走らせ店の存在を確認する。今日の昼はここにある「金子半之介」の天丼と決めて、川崎で途中下車したのである。
なんでも評判の天丼らしく、日本橋の本店では長蛇の行列ができるらしい。行列嫌いだが川崎ならあまり待たずにすみ、丼つゆもそれほど甘くないと聞いたのだ。
それにしても「金子半之介」という店名は凄い。なんとなく、天ぷらだけでなく剣の達人のような怖いイメージの名前である。
日本橋本店の無言の客が居並ぶカウンター・・・天丼を半分残して立ち上がったら、ひと睨みした何代目かの店主の手元が一閃し、音もなく飛来する必殺の出刃に、殺気を感じて放つわたしの奥技「真剣白刃取り」が寸毫間に合わずただの拍手と化す。眉間に的中、突き立った包丁を寄り目で見ながら「だって丼つゆが思ったより甘かったんだもん・・・」と呟きながら絶命する、なんてこともあるかもしれない。災難はどこに転がっているかわからぬ。おー厭だやだ。(絶対ないって)
フードコートの奥に、店のカウンターをみつけ並の天丼と味噌汁を注文、千円を払い、十円玉を二個とポケットベルを受け取った。
店に行列はなくても、コート内で待っている客がいるので待ち時間はわからない。
席に着き、本を読んでいると五分ほどで呼び出し音が鳴った。
ちゃんとした店の天ぷらは新宿の「つな八」以来となる。
天ぷらは、きす、海老、イカと小柱のかきあげ、ししとう、のり、温泉玉子などである。千円以下なのにかなり豪華だ。
最初に食べたきすは、身離れがとてもいいので新鮮さがわかる。
(これは、たしかにそんなに甘くないぞ)
温泉玉子のトロリとした黄身が、いい具合に味に変化を与えてくれる。
丼つゆが沁みたご飯の状態もばっちり許容範囲内で、ぱくぱくと食べ進む。
この天丼なら、だいじょうぶ全部食べられそうだ。
と思ったら、やっぱり丼の底のほうのご飯がつゆでひたひたに甘くなっていて箸がピタリと止まってしまう。これ以上は無理だと断念した。
注文のときに、つゆの量を減らすように言えばよかったか。でも、常連でもあるまいし、初めてなのにそんな注文もおかしい。
それにつけても本店で残さなくて幸いだった。出刃持った店主に三白眼で上目遣いに「お客さん、つゆの量を減らしてほしいならひとことそうとはっきり言ってくだせえや」なんていわれるのも業腹だもんな。(そんなこと店主いわないし)
ここの天丼を食べられたら、銀座でもう五年くらい食べてみたかった老舗の天丼があって、次はぜひそこの天丼をと思っていたがやめておこう。
やっぱり、わたしには天ぷら定食が無難のようだ。
→「ある晴れた朝天ぷら屋に」の記事はこちら
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