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温泉クンの旅日記

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日光東照宮 (1)

2013-02-10 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <日光東照宮 (1)>

 元和二年(1616年)、家康が駿府で死去、七十五歳だった。
 死因は鯛の天麩羅による食中毒と長らくいわれている。わたしもそう思っていたのだが、天麩羅を食べたときから亡くなるまであまりにも日数が立ち過ぎていることから、これに代わって「胃癌」説が有力になっているそうだ。

 危篤となった家康は「遺体は久能山に納め、葬儀は芝の増上寺で行い、位牌は故郷の大樹寺に置き、一周忌が過ぎたら日光山に小さな堂を建てて祀れ。八州の鎮守となろう」と遺言を残す。
 その遺言通り、同年久能山に葬られ、翌元和三年(1617年)に日光に改葬されたのである。

 世界遺産となって初めての日光東照宮である。



 かなり寒い陽気なのに観光客は思ったより多い。人を写さずに撮るのは難しそうだ。
 九州からはるばる運んだ石で造った、筑前藩主黒田長政公奉納の石鳥居を抜ける。



 左手に五重塔がある。



 この塔は小浜藩主酒井忠勝により奉納された。その後火災で一度焼失してしまったが、また時の小浜藩主酒井忠進公により再建されたそうだ。

 券を買おうと拝観受付所にいって拝観料のなんとも高いのに魂消るが、しぶしぶ支払った。千三百円も出せば上等な焼肉ランチが食べられるぞ。こんなこと考えるのはわたしぐらいか。
 最初にある「表門」は、両側に仁王像が安置されているので「仁王門」と呼ばれている。



 入ったところから下神庫、中神庫、上神庫と、三神庫(さんじんこ)の建物が並ぶ。内部には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が納められている。



 上神庫の屋根の下には「想像の象」の彫刻があるとのことで、後日、家のパソコンで画像を思い切り拡大してみるとたしかに確認できた。。



 神厩舎は神馬をつなぐ厩であるが、黒山の人だかりが出来ていてアングルが決まらず、思わず脇から写真を撮った。



 昔から猿が馬を守るとされているところから、長押の上に猿の彫刻が八面あり、人間の一生が風刺されているそうだ。
 なかでも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名だが、これは「幼少期には悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」という教えだそうだ。



 お参りする前に手を洗い、口を漱ぎ心身を清める御水舎である。手を洗うところにしてはずいぶんとまあ贅沢な造りである。



 日光東照宮は陰陽道に強く影響を受けているという。
 陽明門とその前の鳥居を中心に結んだ上空に北辰(北極星)が来るように造られており、またその線を真南に行けば江戸に着く。



 また、東照宮の主要な建物を線で結ぶと正確に北斗七星の配置となる、というからほんとうなら凄い建築術だ。

 では、陽明門に登っていくとしようか。


  ― 続く ―


   →「いまさらの日光へ」の記事はこちら

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