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ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

コラム 「4・24の歌」を聴くたびに

2013-04-19 11:44:05 | 詩・コラム


「4・24の歌」を聴くたびに

                        

 もうすぐ「4・24」の日から65年になります。
 「4・24の歌」を聴くたび思い出すのは初級部時代です。初級部時代にこの歌を初めて習いました。

 「4・24」教育闘争が行われたその年に、青森の片田舎で生まれた私は、北海道、東京、京都、大阪と転々と引っ越しを繰り返したため、幼いころの楽しかった思い出がほとんどありません。

 大阪に引っ越した年に学齢期に達した私は、兄や姉と一緒に家から一番近かった尼崎市立園田小学校分校(のちの園田朝鮮初級学校)に1955年4月に入学いたしました。
 園田朝鮮初級学校は1945年9月小中島国語講習所から出発し、その翌年の2月8日に園田初等学院に改名、阪神教育闘争が行われた翌年の1949年10月には強制的に閉鎖させられましたが、1953年に復校いたしました。
 その2年後に私は園田のウリハッキョに足を踏み入れたのですが、名の通り日本の小学校の分校だったので、先生も日本の先生と朝鮮の先生が半々で、担任の先生もお二人でしたが、ウリハッキョでの思い出は楽しいものばかりです。



 園田のウリハッキョはとても穏やかな場所にありました。阪急園田の駅から15分ほど歩いて行くのですが、住宅の立ち並ぶ道を通り過ぎると土手が現れます。遠くには六甲山が見え、藻川が悠々と流れています。鉄橋を渡り左に曲がると神崎川に向かう土手道に繋がりますが、私の学校は土手の下にありました。土手で寝転んだり、スイスイという雑草を口にしたり、ヨモギを採って家に持ち帰ったりもしました。学校の周りには朝鮮があり、いつもキムチの匂いが漂い、同胞たちの笑い声や喧嘩している声などが聞こえていました。

 6年生のときで生徒数98名でした。なぜこの数字が記憶に残っているかというと、6年生の時私は園田の初代女団委員長(生徒会会長)だったからです。
 女団委員長はそれから3代続きました。(2代目は兵庫で定年の日まで教員をされた梁貞順先生、3代目は文芸同中央書芸部長の李裕花さん)

 毎朝朝礼の時、先生方が来られるまで、私が98名を並ばせるのですが、マイクもないため、大きな声で怒鳴ってばかりいたから、声がつぶれてしまいました。(本当はソプラノだったのに、のどがつぶれ高音の出ない太いバスのようなアルトになってしまいました。)

                             

 運動場が狭くて、運動会は近くのお寺の大きなグランドをお借りして行っていました。学芸会は本校の講堂を借りて行っていました。
 雨が降れば教室のあちこちにバケツを置きます。でも学校が楽しくて楽しくて、嫌な思い出なんて一つもありません。先生方も優しくてウリマルがとても上手で、野生の猿のように天真爛漫な初級時代をこの地で過ごしました。

 3年生の時に祖国から初めて教育援助費が送られてきました。5年生の夏、キャンプが行われた阪神初級近くの香枦園の海で泳いでいるとき、祖国への帰国のための調印がジャカルタで行われたというニュースが入り、浜に上がって一晩中キャンプファイヤーを灯し歌い踊り明かしたことなど、感動したお話は数えきれません。いつだったかは覚えていませんが「4・24」のお話を初めて聞いたのも「4・24の歌」を習ったのも園田でした。その日の衝撃はこの歳になってもしっかりと胸に刻まれています。金太一という少年の名と共に!



 私の母校―園田は、1966年、私が高級部2年生になった年に自主学校にやっとなりましたが、それから20年後、立花初級と統合され尼崎東初級になり、2008年にはその学校も尼崎朝鮮初中級学校に統合されてしまい、園田という名前は消えてしまいましたが園田のウリハッキョで培った民族愛は心の柱となり今日まで私を支えてくれました。ウリハッキョはまさに心のふるさとになりました。

 「4・24」を迎えながらいろんなことを考えています。今の時代がなんと65年前のあの頃と似ているだろうかと。
 毎週,大阪府庁前で「民族教育の権利」を守り、無償化実現のため、助成金の交付再開のため要請行動を行っていますが、なんら進展されたものはありません、しかしこの運動の中で日朝の連帯は深まり、ウリハッキョを守るため命を懸けた先達たちの魂が自分の心にも乗り移っていることをひしひしと感じています。諦めは敗北です。民族教育は生命のように大事な宝物です。
 金太一青年が眠る墓地には行けませんが、彼が戦った大阪府警、大阪府庁前で最後まで戦い抜くことを誓います。4月23日が「火曜日行動」50回目の日です。

             2013年4月19日

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