「送る言葉」
ー故 高仁鳳さんにー
仁鳳さん、言葉を失いました。最近Fbへの投稿も無かったし,パソコンへのメールも無かったので,
なんとなく気になってあなたのウオールを開けて見て、初めて訃報を知ったのです。
2012年12月12日、午後12時12分に昇天されたのですね。
苦しんで苦しんで、でもいつも笑顔で戦って戦って、みんなに勇気を与えてくれましたね。
あなたのホームページをもう一度開いて見たら、ハワイで写された写真がたくさんアップされていました。
赤いアロハ着て、ニコニコ笑っている写真、赤いTシャツ着て浮き袋でハワイの海で寝そべっている写真、
あなたの傍でニコニコと寄り添っていらっしゃる奥様のパンジャさん。
退院後パンジャさんのルーツを探す旅に出られ,帰って間もなくハワイに行かれましたね。
あなたはみんなに、ハワイに行こうか行くまいか迷っていると仰っていたけど、
きっと心の中で決めていらっしゃったのだと思いました。だから後悔の無いように行ってらっしゃいとメールしました。
いつもそばであなたを見守ってくださった奥様に、恩返しがしたかったのですね、きっと。
思い出を一杯残して行きたかったのですね、きっと。
8月24日の講演会であなたは何度も奥様への感謝の言葉を述べられました。
ご自分の大切な家族も紹介してくださいました。
幼いころ苦労を共にし、小学校3年生のあなたを一人残して、何の治療も受けられないまま、
あなたを一人残して死ぬに死ねないと仰っしゃりながらあの世へ旅立たれたオモニムの無念を胸に抱いて、
あらゆる艱難辛苦を乗り越えてこられましたね。
印刷会社KBSが今日あるのもすべてあなたとパンジャさんの努力のたまものです。
息子さん3人に恵まれ、晩年は趣味を生かし、いつもカメラ片手に至る所に出かけられましたね。
あなたのその笑顔からは想像もできない苦難に満ちた過去を知った時、
涙が止まらなかったのは決して私だけでは無かったはずです。
日帝の植民地支配に続く南北分断は全ての同胞に苦難をもたらしました。
あなたの病院を初めてお訪ねした5月、ニコニコとまるで妹を迎えるように喜んでくださいましたね。
ハンマウムキーホルダーと少しばかりのCDと書籍とチョゴリの折り紙を持って行ったら、
ちゃんと写真立てに入れて病室に飾ってくださいましたね。
9月の半ばごろ、初めてたこ焼き屋さんでデートしましたね。いろんなお話をしました。
2月と3月、病室で戦っているあなたに見せてあげようと、慣れない手つきで生まれて初めて携帯で、
大阪城公園の梅林の梅の木を数十枚撮ったのが、お花の写真を撮り続けるきっかけになったと話しましたね。。
パケ防止していなかったので数万円の請求書がソフトバンクから来たときは目が飛び出そうでした。
その時から娘が私にデジカメを使うように勧めてくれたのです。
そのお話をしたらあなたは声を出して笑っていらっしゃいましたね。
そんな世間知らずの少しぼけた私を、いつも褒めてくださり、励ましのお言葉をくださいましたね。
あなたのその素晴らしい笑顔と、ガッツポーズと赤色のTシャツを忘れることは無いと思います。
目に見えない壁があって今までウリハッキョの中に入れなかったと仰り、私が11月23日案内しますと言ったら、
とても喜んでくださいましたね。再入院のため実現できなかったことが本当に残念です。思想や所属団体は少し違っても、
心が通じあえばみんなチングです。
11月24日のメールが私とあなたの最後の交信でした。12月1日、奥様とご一緒に公園で撮られた写真が最後の写真でした。
今は何か信じられなくてボーットしています。
時が経ってもあなたがいつも言っていた「なせばなる」という言葉をかみしめてこれからも頑張って生きていきます。
愛するオモニムとお兄さんにもう会えましたか?
もう苦しまなくても良いですね、あんなに飲みたかったお水はもう飲みましたか?
今はただ安らかに眠りにつかれることを心から願っております。
故 高仁鳳さまのご冥福を心の底からお祈り申しあげます。
2012年12月13日午後4時30分
許玉汝拝
高仁鳳さんの記録から
NTT大阪病院に2月12日に入院して、放射線治療が15日から始まり、
29日で、放射線治療は30日60回照射を受け、完了した。
抗がん剤治療は2月27日、1クールが終わり、
3月21日から点滴から2クールが始まり、3月27日に終わった。
5月7日から点滴が始まった。抗がん剤の第3クールだ。13日に終わった。
4クールの抗がん剤治療が6月5日から点滴が始まり、12日に点滴が終わった。
5クールの抗がん剤治療は、7月3日から点滴が始まり、10日の朝方に終わった。
6クールは、7月30日に入院して、8月1日から抗がん剤の点滴を行い、6日に終了。8日に退院した。
PET-CT検査を9月5日に受け、食道のところにがん細胞が残っているのが判明。他には転移していない。
私は、韓国自転車巡行の相棒、高仁鳳さんの告別式で弔辞を申し述べた朴正泰といいます。
高仁鳳さんが亡くなってから手が空いたら、高仁鳳さんとの楽しかった出来事が自然と映像として思い出します。
今も、何気なしに高仁鳳を検索したら貴方の「送る言葉」を見つけました。また、鳳のページ2010.5.17を覗いて見たら許玉汝さんのことが少しわかりました。
機会があれば、高仁鳳さんの思い出話をしたいものですね。
私は、12日に亡くなってからの3日間よく泣きました。
今後は、残ったご家族の相談役になるように致します。
送る言葉本当にありがとうございました。
a5k2i2-arai@appros.com
パソコンアドレスに返信させていただきました。