ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

7月14日、389回目の「火曜日行動」です。

2020-07-14 17:44:06 | 火曜日
大雨の中、389回目の「火曜日行動」が行われました。



府庁前に到着した時は瞬間雨が止み、天の恵みかと思ったのですが、読みが甘かった、途中土砂降りになってしまいました。



今日のレポーターはハルモニ会の陶山さんです。



走り回りながら写真撮影してくださるのは年齢不詳の松尾さんです、今日も元気に発信して参りましょう^_^



東大阪初級のオモニ会の方々が一番乗りです。



長崎由美子さんの第一声始まりました。

長崎さん

今日は大雨警報の中での389回目の火曜日行動です。2012年4月17日からスタートしました。私たちの訴えはいたってシンプルです。子どもたちの夢や希望を大人が奪ってはならない。行政が差別してはならない。どんな立場の人でも賛同できることだと思います。8年の間訴え続けていますが、この間、日本の民主主義が、人権を守る、お互い助け合うということが、壊されていったことと、朝鮮学校への差別が加速していったこと、公然と差別がまかり通っていくことが、私たちがここに立つ基になっています。逆に差別の中で手を取り合って一緒に生きていこうという人たちの輪も大きくなってきています。

私たちに大きな勇気を与えたのが海外からのたくさんの支援、特に隣国、韓国からの支援が大きな力になりました。韓国の軍事独裁政権の中で、民主主義を求めて、キャンドル革命の中で文在寅大統領が登場しましたが、私たちの火曜日行動にも、韓国の中で、人間らしく生きる権利を求めて闘ってきた、労働組合の人たちや、平和を求めてきた人たちが温かい支援をしてくれました。とりわけ大きな勇気を与えてくれたのが、日本軍の性的奴隷として、慰安婦として、辛い暗い苦しみを味わったうえで、二度と自分たちのような苦しみを味あわせてはならないと立ち上がったハルモニの方々でした。それを支えてきた尹美香さんはじめハルモニ達を支えてきた方々は、子どもたちのための財政支援のカンパをする、大きな支えをくださいました。

金福童ハルモニは、私たちが全国で唯一、7月28日全面勝利を勝ち取った後で、高裁でひっくり返されてしまった、悲しみの敗訴の日にも、壇上から、水曜デモで闘い続けてきたこと、勇気を持て、あきらめるなとファイティンとこぶしをあげて私たちに勇気をくれました。ハルモニは世を去りましたけども最後まで子どもたちのことに思いをかけ、子どもたちを支える基金など、心と財政の支援をしてくださいました。


8年の間に成長を感じます。私の胸のプラカードには、火曜日行動始めた当時の、生野初級の幼稚園の子どもたちの写真をかけていますが、その子たちももう中学生、間もなく朝高に行きます。当時の子どもたちは大学生になり社会人になり、中には若いアボジ・オモニになって来られる方もいます。

闘い続ける中で、やってもやっても変わらない、差別に慣れてきてしまう、悔しい思いをしながら、ここに来て、自分たちが味わった悔しさを後輩に渡したくない、共に生きようとする人たちへのエールと、自分がなぜ朝鮮学校に行って、オモニアボジに感謝しているのか、自分が自分であることをありのままに認めて、生きていく力が民族教育の中から得たこと、そういうことを話されます。


私は在日コリアンの多い生野区の保育園の保育士をしてきました。在園児の70%以上が在日の子どもたち。うちの子どもは0才から保育所に居ましたが、日本人で両親そろっているのはうちの子だけ。ほとんどが日本名の通名でした。保育士の中から、子どもたちが自分のルーツを知り誇りに思うような民族保育を始めようと話が出て取り組む中、アンニョンハシムニカのあいさつから、トケビや朝鮮・韓国の民話を語り、サムルノリを習い、プチェチュムを踊り…


始めは、自分の子はこれから日本人として生きていくので民族のことなど教えないでくれとおっしゃっていたアボジが、子どもが家でサントッキの歌を歌うと、ハルモニがもう一度歌えと大喜びしたと言われました。

「アボジ僕の本名はなんというの」と聞いて本名を名乗る、保育士さんが本名で仕事をしていると、「先生もキムていうの。私も本当はキムというんだよ」「僕はパクていうんだよ。ボク朝鮮人だよ」と嬉しそうに言ってくる。うちの息子も、友だちが堂々と本名で生き、違いは違いとみていく中で、豊かな人間性を育むことができました。民族教育は恩恵で授けるものではなく、日本が民族の言葉を植民地政策の中で奪ったうえで、民族教育を受け自分に誇りを持って生きていく人たちが、日本の社会で生きていくことができることが、日本の社会を豊かにすると思います。


経済の面からいうと、社会に出て働けなくなってしまう、心に挫折を負って生きていけなくなる、これの大きな要因は幼児期に自分自身がありのままに認められない、競争の中で否定をされる中で社会の中で生きていけなくなる。そうなると働けなくなります。税金も払えなくなります。朝鮮学校の人たちがどれだけ納税しているか大阪府はご存知でしょうか。大阪府民税の中に、朝鮮学校の卒業生がどれだけ貢献しているかご存知でしょうか。

人間らしく生きるということで民族教育をしっかり支えていくことが、大阪府にとってもこれからの大阪府を元気にするためにも何よりも必要なことだと思います。朝鮮学校の子どもたちがこれからも生き生きと生きていける、ありのままに認められる、経済的に厳しい中で、朝鮮学校を支えていくためにも、財政支援を含め、皆さんと力を合わせて、朝鮮学校を知っていただくためにも、朝鮮学校の情報を発信していきたいと思います。



火曜バンドは不滅です

❗️


韓国のKBSテレビから取材に来ています。



宝塚の田中ひろみさんのお姿を何ヶ月ぶりに見たでしょうか?伊丹初級や幼稚園の権利擁護のため活動を続けていらっしゃいます。



大雨降る中、大村和子さんがマイクを持たれました。

大村さん

今日は大変な雨の日です。府庁の外でこんな雨の日も暑い日も、警備をしておられる方々、本当にお疲れ様です。私たちにむかって温かい励ましの言葉をかけてくださっている警備の方、テレワークとか関係なく府民のために頑張っていらっしゃること、本当にありがたく思っています。

昨日大阪高裁で公判がありました。京都朝鮮学校に対するヘイトスピーチの公判でした。私も傍聴してきました。たくさんの傍聴者でした。コロナ禍で大法廷でも人数制限していますので入る人数は30人ほどでしたが、外にはたくさんの人が詰めかけていました。中は記者席もいっぱいでした。始まる前にテレビの撮影もありました。今、注目しなければならない裁判でした。

2009年12月4日、朝鮮初級学校の前に在特会の人たちがたくさん来て、中にいる子どもたち・教職員に向かって、胸がえぐられるようなおぞましい言葉で、朝鮮学校を、在日の人たちを貶める言葉をいっぱいはいた事件がありました。この事件については学校側が提訴し、2014年に勝利判決を得られましたが、その中の一人が、2017年に京都の朝鮮初級学校の跡地に来て、ここに朝鮮学校があった、ここの校長は拉致事件に関与している、ということを言ったらしいです。そして朝鮮人を貶める差別的な言葉をまき散らし、マイクを通してがなり立てました。その様子を動画で配信しました。これを名誉棄損で朝鮮学校が提訴しました。それについては2019年11月29日に判決が出ました。名誉棄損は認めるが拉致問題についてはみんなに知らせる公益性があるということで、刑事事件の犯罪でなく、罰金刑だけで終わっているわけです。

そこが大変問題です。言った内容が全くのヘイトです。フェイクニュースを動画でまき散らす、朝鮮学校が拉致事件に関係した学校なのだ、拉致事件を校長がやったのだ、ということを言っているのです。拉致事件と朝鮮学校を結びつけている、このことは非常に問題があり、ヘイトであるということで公判がありました。

そこで被告側の男性弁護士は、聞くに堪えないことをいっぱいならべたてました。京都朝鮮学校の校長と言ったけれども実は、1980年にあった大阪朝鮮高校の校長さんが拉致事件に関係したのだとか、被告は舌足らずであまり言葉の表現ができていないのだ、ウソは絶対言っていないとか言いました。この裁判は昨日が結審で9月14日に判決があります。

このことはほっておいていいものではありません。なぜヘイトスピーチが行われたのか。2009年の京都朝鮮学校の子どもたちは、その時のことを10年経っても、心の底に残り、トラウマになっています。彼らは大学生や社会人になっているけど、その時感じた、自分が朝鮮人だということを否定しないといけないのか、そうした思いが絶望感や失望感に襲われていた。そんなヘイトスピーチを受けた側が裁判に出さなければ変わらない。それはほんとにおかしいことではないでしょうか。

ヘイトスピーチを禁止する条例を、川崎市では罰則を持った条例が全国に先駆けて4月1日から施行されました。ヘイトスピーチは犯罪です。言論の自由ではありません。国連の人種差別撤廃条約からも言われていることです。

コロナ禍でマスク配布から朝鮮学校を排除する自治体、給付金を出そうとしない自治体、困窮大学生への給付金も朝鮮大学校には出さないという政府のやり方、高校無償化から朝鮮学校を排除する国、補助金を不交付にする大阪府・大阪市初めの各自治体、政府・自治体が公的に差別していることがヘイトスピーチを助長する後押しをしているのではないでしょうか。根本的なことは国や自治体がそのことを認めて、だれもが差別のない、そういったことをしないとこのヘイトスピーチは収まらないのではないかと思います。

先日の東京都知事選で、在特会の元代表だった人がたくさんの票を得ました。びっくりしました。きっとこれは日本の中に、今行われている差別をもっとしっかり考えていかなければ、こういう考え方を持つようになるのではないかと思いました。

京都の裁判をもっともっと注目して、皆に広げていくこと、そして裁判に勝つことで、差別がなくなる方向へ行くのではないかと思います。




大雨の中、黙々とレポートをしてくださる陶山さんです。



オモニたちもアピールしたりシュプレヒコールしたりみんなで合唱したりしました。

若者(オ・ミヤさん)

もうすぐ400回目を迎えます。400回ということは記念することではなく、何も通らない行政、むしろ悪化していく人種差別政策によって、日本の有志の方々、保護者の方、同胞たちが、それぞれの貴重な時間を割いてこの場で迎えているのです。

この間幼保無償化制度から朝鮮学校幼稚班に通う子どもたちが外され、コロナ禍での困窮学生への給付金で朝鮮大学校生は対象外、留学生は成績優秀な方だけに支給されるようになっています。これは露骨な人種差別ではないでしょうか。

私の家の近所にある中学校、私が通った日本の中学校ですが、校舎を建て直すために工事をしていますが、もちろん行政からお金が出ています。仮校舎として建てられたプレハブの教室にも、一つ一つクーラーが設置されています。

でも朝鮮学校はどうでしょうか。南大阪朝鮮初級学校は、校舎を建て直して落成式が行われました。これは同胞たちや日本の方々が協力し合ってお金を出し合って、建設事業を行いました。そのほかの朝鮮学校もクーラーが設置されていない学校には、地域や保護者の方、支える会の方々が一丸となって、チャリティイベントなどを企画して資金を集めています。

日本の学校は授業料無償化で給食も出ています。朝鮮学校は給食もなく、弁当持参です。授業料だけでなく様々なお金がかかっています。それでも朝鮮学校へ通わせるのはなぜなのでしょうか。

今、コロナの時期で、ただでさえ金銭的な差別を受けている中で、とても不安の中、さらにいろんな支給がされていないのは本当におかしいことだと思います。在日朝鮮人として、自分のルーツを知り、自国のことが、文化を守り堂々と朝鮮人として生きていくためには、やはり朝鮮学校で民族教育を受ける必要があると思います。誰もが平等に生きる社会を目指して、引き続き活動していきたいと思います。ともに頑張りましょう。





4年前に30年間のヨーロッパ住まいを終え日本に帰ってこられた方です。

女性

いつもは仕事で来れないのですが、会社に反抗して自宅待機になったので、今日は参加しようと来ました。私は帰国子女なのですが、32年間ヨーロッパに居まして、様々な差別を受けてきました。ゆえに韓国の人たちの受ける差別を少しは理解できると思うのです。日本は私のようにほかの国から帰ってきた日本人にも激しい差別をしてきます。

たとえば私がロンドンにいたときのことを話すと、ここは日本やでそんな話はええと言われたり、ドイツではねというと、何やまたその話と言って、うらやましいのか、いやな思いをしています。

少しは在日の人の気持ちを理解できると思います。私がロンドンに引っ越してきた時も、カナダに行った時も、最初に友達になってくれたのは韓国人でした。私が一人で英語が不自由だったとき、家に呼んでくれて冷たいラーメンを食べさせてくれた、私は彼女のことを忘れられない。最後に別れるとき、家からピンク色のチョゴリを持ってきて着せてくれて写真を撮ってくれた、その写真を今でも持っています。

カナダに行ったとき私はお金がなかった仕事がなかった、その時仲良くなった健康食品の店の人も韓国の人でした。私にいっぱい韓国のお菓子をくれて、いつでも来ていいよと言ってくれた、私は孤独から救われました。私は差別が大嫌いで、いやな思いをしている。

漢字がわからないで何度も聞いてみんなにばかにされたり、そういうことが何度もあった。だから少しでも、ここに住んでいる在日韓国人だけでなく、フィリピン人もインド人も、全部の人の気持ちを少しでも理解したいと思います。

やっぱり日本には正義がない。正義を貫くためにも私たちはここでどんなことがあっても声をあげていきます。どんな差別も許せません。まず一つの差別をなくして一つ一つ勝ち取っていきましょう。私たちは弱くない、小さくないです。みんなで集まれば克服できます。よろしくお願いします。





東大阪初級の高淑美オモニ会会長のアピールです。

オモニ

 近鉄布施駅から20分ほどのところにある、東大阪朝鮮初級学校に通う子どもたちの母親代表としてやってきました。

私たちの学校は、来年創立75周年を迎えます。75年前というとちょうど日本の植民地支配から解放された時代でもあります。そこから75年、地域に根差して学校がずっとあります。あたしもその学校の卒業生です。

学校は今困難な時期にあります。今年は特にコロナ禍で、保護者が負担する分担金だけで運営されている学校なのでほんとに厳しい状況に置かれています。私たち保護者の中にも自営業が多く、生活に困っているのですけども、一人ひとりが学校を守ろうという、その気持ちで歯を食いしばって頑張っています。

私は何度もここに来ているのですが、なんでここに立っているのだろうかと思うのですが、皆さん、なぜ在日朝鮮人・韓国人がこの日本に住んでいるかご存知でしょうか。無知なことが一番怖いと思います。歴史を学んでください。

75年前に私たちのおじいさんやおばあさんが好きでこの日本にやってきたのか。無理やり強制連行で連れてこられて、あと自分たちの国で住むことも難しくなり、命からがらやっと渡ってきて、どうにか生活の基盤をささえて、そして解放されて、じゃあいざ帰れるか、帰れません。故郷に帰りたかったおじいさんおばあさんたくさんいます。帰りたくても帰れなかった状況があるのです。だからと言って連れてこられたのも、好きで来たのではありません。

この歴史をやはりわかっていない。かといって弁償しろとか賠償しろとか、特別な待遇しろとか言ってるのではありません。ここにいてる子どもたちに、普通の日本の学校に通う子どもたちと同じようにしてほしい。無理なことは言っていません。なぜか。私たちは生活しながら、日本の国民の方たちと同じように税金も払い法律も守って生活しています。それなのに私たちの子どもは、日本の学校に通う子どもたちと同じような待遇を受けることができません。こんなばかげた話はないと思います。

この日本社会の差別という根強い悪、いつまで続けるのでしょうか。今私の子どもは地域のサッカースクールに通っているのですけど、日本の子・朝鮮の子関係なく楽しんで一緒にプレーしています。その子どもたちが差別をしている大人たちを見て、大きくなって同じようにするのかなと思うと、恐ろしくてぞっとします。大人は子どもの鏡です。

この日本社会を守るためにも、日本の方たちはもっと深刻に、自分たちの姿がどのように映るのかを考えなければいけないと思います。私たちの時代に変えなければいつまでたっても変わりません。いつまでたっても差別はなくなりません。日本の方たちは日本の国のためにも差別をなくしていただきたい。そしてグローバルと言われていますが、コロナの中で、世界の人たちみんなが助け合いながら協力し合いながら、コロナに勝っていこうとするときに、後ろ向いているのは日本人だけです。

もっと世界と手を繋いで協力し合っていかなければならないと思います。そのためには差別を決して許さないことだと思います。子どもたちのために住みよい日本社会を作るためにも、みんな手を取り合って頑張っていかなければならないと思います。よろしくお願いします。




[マスク越し笑み交わしつつ仲間たち差別許さぬ行動に立つ ]ちゅうき




シュプレヒコールと合唱「声よ集まれ 歌となれ」が続いています。

オモニたち歌とシュプレヒコール
「声よ集まれ、歌となれ」
・子どもたちの学ぶ権利を保障しろ
・朝鮮学校の子どもたちを差別するな
・朝鮮学校に高校無償化を適用せよ
・朝鮮学校に補助金支給を復活せよ
・行政が差別するな




宋裕子さんのアピール

オモニ
私は朝鮮大学校に子どもを送る保護者です。私の娘はこの3月に朝鮮高級学校を卒業しました。コロナの影響で毎日遠隔授業で楽しい女子大生の日々を送っています。

最近娘を見ながら、ふと自分の学生時代を思いだしています。私も朝鮮学校に通いました。小・中は1時間バスに乗り電車に乗り通いました。高級学校は、浜松に住んでいましたので、愛知まで3時間半かけて、往復7時間かけて通いました。その時もう父は他界していましたので、オモニは女手一つで私を朝鮮大学まで通わせてくれました。

そこには私の父、一世であるアボジが2世のオモニと約束をしたらしいです。子どもたちを朝鮮学校に、立派な朝鮮人に育ててほしいと残してオモニとお別れをしたそうです。そんな話を高校3年生の時に聞きました。

こんな思いで私を朝鮮学校に送っていたのか。こう考えるとき私は、やっぱりウリハッキョというのは、本当にいろんな人の愛で包まれている、そんなところだと思います。そして私も自分の子どもを育てている最中ですけど、これからもウリハッキョ、私たちの愛がたくさん詰まったウリハッキョのために、頑張っていきたいと思います。




最後の歌は「勝利のその日まで」❗️❗️



いつものように駐輪場での申し送りです。



今日も歌舞団のトンムたちがタオルの普及をしました。



申し送り
幼保無償化の署名、40万240筆の署名をもって、明日文科省と厚労省、内閣府に要請に行きます
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2 コメント

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素晴らしい発言 (なかやましげる)
2020-07-15 11:13:53
素晴らしい発言の数々でした。長崎さんの冒頭の発言は、特によかった。8年間の活動が凝縮され、自らの保育所時代の経験も私達に響きます。長くヨーロッパに住んでられた女性の報告も良かったですね。朝鮮大学に娘さんを通わすオモニの発言も、ズシリと在日の歴史を感じ、素晴らしかった。
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ありがとうございます。 (ニョニョ)
2020-07-15 12:10:50
中山様、いつもコメントありがとうございます。お一人でもコメント下さればスタッフの励みになります。大雨の中でしたが、私も皆さんの熱意溢れるアピールを聞きながら胸を打たれまた頑張ろうという気持ちを抱きました。
これからも共に!
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