ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

11月24日の日記

2012-11-25 09:00:04 | 日記








 11月23日、大阪朝高創立60周年記念イベントが無事終わりました。

 24日は第4土曜なのでウリハッキョはすべてお休みです。

 ユニとユナのオンマは今日も仕事があるので5時半までは私と過ごします。6時にオンマは帰る予定なので、

 30分間だけ二人で過ごします。



 24日6時から「大阪民族教育のためのチャリティ音楽会」が天満橋のドーンセンターで行われるので、

 この音楽会には必ず行かねばなりません。

 ユニとユナが10時過ぎにやってきました。



 3回と言う約束でトランプの試合をしましたが結論が出ません。「神経衰弱」はユナが勝ち、

 「ババ抜き」は私が勝ち、「爺抜き」はユニが勝ったのです。それで「7並べ」で決勝戦をしたのです。

 ユニが勝ちました。そのあと、3人で料理を始めました。ユニ・ユナはホットケーキを作り私はスパゲティを作りました。









 3人でホットケーキをおやつで食べました。スパゲティを食べれるぐらいに。

 美味しく食べた後、残りはオンマとイモちゃんに残そうとしっかりラップで包んでいました。優しい子供達です。



 量の少ないのはイモちゃんとハルベの分、多い方はオンマの分だと言います。ちゃっかりしています。

 スパゲティが出来上がりました。



 スパゲティの麺が思い通りしっかり茹で上がりました。

 トマト、ベーコン、エリンギ、ニンジン、玉ねぎをオリーブオイルで炒めました。

 塩コショウをし最後は茹でた麺と一緒に絡め、ケチャップで味を調えました。

 大皿に盛った後はアオサを少々散らし、市販のチーズハンバーグをチンして4つ切りにし乗せました。

 記念に写真を撮るよと言うととっさに演技しています。笑いが出ました。演劇部に入れば?



 食事の後、私が片づけている間、子供たちは外でボール遊びをしました。

 片づけも終わり、時間になりました。出発です。うちからユナの家までは歩いて365歩です。(2分弱)

 私は自転車で会場に向かいました。大阪城公園に到着したときはすでに暗くなっていました。



 会場までは公園の中のジョギングコースをひたすら走り出口を出て2~3分で会場に着きます。一番近道なのです。

 会場に着きました。



 入り口で夫と待ち合わせをしていたので、ぎりぎりに入りました。客席には結構人が入っていました。

 音楽会が始まりました。最初の曲は「祝盃の歌」でした。



 大阪第4のオモニ会会長であり、文芸同で音楽部の活動もしているカン・ジスンさんが歌は勿論司会も担当されました。



 久しぶりに美しいウリマルを聞きました。祖国からの教育援助費が送られてきた時のお話をされるときは、ジーンときました。



 今回の音楽会を企画され、ご苦労の多かったキン・グンスさんです。心を込めて7曲も歌われました。

 1部はすべてウリナラの曲でした。今は亡き金主席の生誕100周年を記念して、主席に関連した歌が歌われました。

 2部はカンツオーネやオペラの中からの独唱が続きましたが、やっと今回の趣旨に合った歌が歌われました。

 カン・スネさんが在日の子供たちを歌った「子供たちへ」(너희들의 가방안에)が会場を感動の渦に巻き込みました。



 さすが20年間、歌舞団で歌い続けられた方です。今は3児の母になり昨年退団されましたが、

 子供を連れて舞台活動を続けることは並大抵のことではありません。同胞の中で20年間歌い続けてきた彼女の歌を、

 同胞たちが誰よりも知っています。歌うたびに拍手喝采でしたがこの歌を歌う時は、子供達への想いが爆発したように、

 あちこちですすり泣く声が聞こえてきました。勿論私も胸がいっぱいになりました。



 合唱の最後は今は亡きハン・ドクス前議長が作詞された「異国の空の下」でが歌われました。

 同胞たちがついに立ち始めました。チャンゴに合わせ踊りだしたのです。



 続いてフイナーレは民謡メドレーです。

 FBチングのキン・リミさんも1部での2重唱に続きウグイスのような美しい声で歌ってくれました。



 コンサートが終わり代表の金さんが今回の収益金50万円を玄教育会長に渡しました。



 拍手がいつまでも鳴り響きました。歌で民族教育を応援する素晴らしい巧みが見事実を結んだ瞬間でした。

 とても素敵な1日が終わりました。



 







 
コメント
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