ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

朋友の宋基燦さんが岩波書店より素晴らしい本を出版されました。

2012-07-12 20:49:32 | 日記



 今日は私のウリマル(口語体)の師であり、朋友である宋基燦さんと3か月ぶりのデートをした。
 丁度、3か月前の4月12日に同じ場所で、本を出版するための準備をしている旨を聞いたのだがもう出版されたという。
 どんな本になったのだろうとワクワクしながら今日の日を待っていた。

 5月20日に偶然に城北のウリハッキョのイベントで、宋さんのご家族とお会いして以来、50余日が過ぎていた。

 彼、宋基燦さんと初めて会ったのは彼が、私の勤めていた中級学校に頻繁に訪れるようになったちょうど10年前ごろだったと思う。

 背がすらっとして、イケメンで、品のある雰囲気の宋さんは、私が初めて心を許した韓国の映画監督ー趙ウンリョン監督の次に親しくなった韓国出身の人である。何事にも誠実で、謙虚な宋さんはたちまち子供たちの人気者になった。

 
 中級学校の教員時代、放送口演部を長年指導していた私は、ほかの朗読等はさておいて、イムマル(口語体)を子供たちに学ばせるためにはどうすればいいのだろうと、長年悩んでいただけに彼との出会いに運命的なものを感じた。

 同じ民族とはいえ長年まるで違った環境、制度の中で成人した彼に、朝鮮学校の子供たちの指導を託すということは、とても勇気のいることだった。しかし、私は6・15共同声明が発表され統一へと全人民が前進しているときに躊躇する必要があるのかと考えたし、正確な日本語の発音を教えるため日本人の講師を呼んで指導をしてもらっているのに、なぜ同じ民族の同胞の指導を拒む必要があるのかと考え、校長に彼の指導を申し出たのだ。

 先進的な考えを持った当時の校長の判断で、彼は放送口演部(週5)の学生と学科クラブの口演部(週1)の学生たちの指導をしてくれたのだ。

 彼に対し信頼できる人だと思ったのは、彼が学生たちを指導する時、常々発した言葉である、彼は指導する時「皆さんはウリハッキョでウリマルを習いウリマルで生活している。それはとても素晴らしいことだ。私が皆さんに教えてあげるウリマルは絶対的な言葉ではなくあくまでも、ソウルという地方弁だと思ってくれれば良い」というような話をしたのだ。その言葉がとても気に入った。

 あれから10年の歳月が流れたが、まさかあのころのことが、彼の研究の対象として今回の本に反映されるとは夢にも思っていなかった。(まだ全部を読んだわけではないが、ところどころ学校でのことが記されている。)




 宋基燦著
         「語られないもの」としての朝鮮学校
    在日民族教育とアイデンティティ・ポリティクス

「私は語れないものについて語りたかった。だからといって私がしたいのは彼らを単純に代弁することではない。それは彼らを他者化​してしまう暴力に過ぎないからである。人類学徒として私は、まず彼らの歴史と現実に共感することから始めたかったが、その過程で​、私の同志がそうであったように、「韓国人」としての私は在日コリアンと「記憶」を共有している存在であることに気がついた。(中略)この本の意味は、朝鮮学校に関するプロパガンダでもなく、無条件の批判でもない、朝鮮学校の有りのままの姿を肯定する新しい視角を発見することにある。(本文より)



   (帯より)
   
  朝鮮学校の実像を浮き彫りにする。

 今その存在そのものを問う声が高まる中、朝鮮学校はいまだに「語られないもの」として存在している。
 著者は韓国人研究者として、これまで外部からの調査が困難だった朝鮮学校や民族教育の現場で、37か月におよぶ長期のフィールド​ワークを行った。その豊富な聞き取り調査やデーターからその実像を浮き彫りにする。

と、しるされている。

 今この時期に、朝鮮学校に関する本を出すということは相当勇気のいることだと思う、しかし彼は、こんな時期だからこそ、広範な日本の人に朝鮮学校に対する正確な認識を持っていただきたいと言った。頭が下がる、読みかけの本をすべて後回しにしてでも、この本を読ませていただこうと思う。

 みなさんも是非お読みください。何かを感じるはずです。宋さん、コマッスムニダ!



 話のあいまに、おいしいものをいただいた。







最後はパッピンス!


コメント (2)
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昨年のコラムですが再掲載します。「1篇の詩がもたらしたもの」

2012-07-12 10:17:52 | 日記



コラム

  「1篇の詩がもたらしたもの」    


 昨年8月、詩人の河津聖恵さんと共に『朝鮮高校無償化除外反対アンソロジー』を世に出した日から丸2年。

 昨年11月27日には河津さんと共にソウルでの朗読会に招待され、日本語の詩「ふるさと」をウリマルで朗読した。

 この間、広島での朗読会を皮切りに京都、東京、大阪、奈良、東北、北陸等で何回この詩を朗読し、無償化を訴えてきたことか。

 40年余り詩を書きながらも、かたくなに日本語で詩を書くことを拒んできた私だったが、無償化除外反対を多くの日本の人々に訴えるためには日本語で書くしか方法がなかった。

 まるで自伝詩のような詩が波紋を呼んだ。決して詩の良し悪しではない。一人の在日2世の悲惨な生い立ちがウリハッキョの大切さを訴えるのに説得力を持たせ共感を呼んだのかも知れない。

 生まれ故郷もまことの故郷も知らずに六十数年を生きた私が、この詩のおかげで生まれ故郷も、夢にまで見た故郷も訪ねることが出来たばかりか、統一の日まで無理かも知れないと思っていた両親の墓参りまで実現したのである。

 離散家族として生きた六十余年、希望と挫折の繰り返しの中で私が得たものは、じっと座っているだけでは何も解決しないということ。思えば行動する。

 必要であれば全てを投げ打ってでも子供達の未来を切り開かねばならない。

 それが1世の魂を受け継いだ我々の使命だと思う。

 戦いはまだまだ終わらない。

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