風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

黒澤監督の言葉

2017-07-21 04:13:27 | つぶやき






黒澤明監督は生前、「映画には世界を必ず戦争から救う、平和に導く、そうした美しさと力がある」と語っていたとか(大林宣彦監督談)。



以前にも紹介しましたが、『七人の侍』のセリフには

【他人を守ってこそ自分を守れる。己のことばかりを考える奴は、己をも滅ぼす奴だ!】


とありますし、また、『椿三十郎』のセリフには

【本当に良い刀は鞘に収まっているものです】


とあります。



この意味を、正確に捉えなければなりません。



武士道においては、刀を腰に挿しながらも、最後まで刀を抜かずに相手と対することをこそ、最も善しとしていたそうです。刀を抜くのは本当に最後の最後の最終手段。いつでも刀を抜ける覚悟を持ちながらも、決して簡単には抜かない。


あくまでも平和的な解決を求めるのが、真の武士道。



良い刀は鞘に収まっている。しかし鞘に入れっぱなしでは錆び付いてしまって、いざというときには抜けなくなってしまいます。だから刀の手入れは怠ってはならない。


平和を守るとは、そういうことです。



ただただ闇雲に「平和!平和!」と叫ぶだけでは、いざとなったときに、かえって平和を無くすことにもなりかねませんよ、わかってる?



黒澤監督の作品の上っ面だけを観て、分かった気になっちゃいけない。その意図を正確に捉えた上で、もう一度、


黒澤監督が残した言葉の真の意味を、考えていただきたい。


全ての映画人へ、全ての映画ファンへ、愛を込めてそう伝えたい。





なーんてね。生意気だねえ(笑)






それでも

2017-07-20 11:36:19 | つぶやき





それでも、人を思いやる気持ちは忘れたくないものです。










上の画像は我らが有安杏果と、曲者ブラザー・トムとのトーク対決の一コマ。杏果とブラザー・トムは杏果が子役時代に出演していた「ポンキッキーズ」で共演していた仲。トムさんは言葉こそ伝法でしたが、ちゃんと杏果が話しやすいように話題を振り、上手くリードしながら杏果を立てていたようです。流石ですね。

九州で豪雨被害に遭われた方々に想いを込めて、杏果自身が作詞作曲した『小さな勇気』という曲のワンフレーズを歌っています。この曲は元々、去年の熊本・大分の震災に対しての、杏果の想いを綴った曲でした。トムさんは手拍子しようとする観客を手で制し、杏果の歌が直に被災地に届くことを想い、配慮しています。流石ですね。

ホント杏果は、「人」に恵まれてる。



気の滅入るようなことばかりの世の中ですが、それでも、人を思いやる気持ち、「小さな勇気」は、忘れちゃいけない。

反骨

2017-07-20 09:10:56 | つぶやき





反骨と反体制は必ずしもイコールではありません。


イマドキは反体制がすっかりトレンドと化してしまっているようです。もはや反体制は反骨にあらず、か。



真の反骨者たちよ、進め!



あっ、歌の話っすよ、政治的な話ではありません。



こんな感じ

鶴田浩二『傷だらけの人生』

右を向いても左を見ても、ってね。


あなたは莫迦?それとも阿呆?おや、そのどちらでもない?


ならばあなたは、真の反骨者だ!


……いやだから、政治の話じゃないって!

攻めてるねえ

2017-07-18 06:55:50 | ももクロ










8月2日に発売されるももクロの新曲『BLAST!』が、先日ラジオにて初オンエアされました。相変わらずといいますか、ももクロらしい「攻め」の曲でした。

安定を欲せず、攻め続けることで前身し続ける、音楽的にも歌い手としても進化し続ける。


でも芯の部分には、変わらないももクロらしさがある。徹底的なポジティブさと底抜けの明るさはまったく変わることがない。



音楽ジャンルが細分化し、もはや国民的ヒット曲というのが望めない現状だからこそ、このような実験的「遊び」が、アイドルにおいて出来るということがあるのかも知れないが、まあ、それはともかく、


ホント、ももクロは楽しませてくれる。



8月2日の発売、楽しみだあ!

映画 『宮本武蔵 二刀流開眼』 昭和38年(1963)

2017-07-17 10:27:57 | 時代劇









内田吐夢監督、中村錦之助主演によるシリーズ第三弾。五部作の真ん中ということで、正直「繋ぎ」的な印象が強い作品です。高倉健演じる佐々木小次郎が初登場した以外には、特に観るべきシーンがあるわけでもない、ともいえる作品ではありますね。


物語は、柳生の庄の隠棲している伝説の兵法家・柳生石舟斎(薄田健二)を武蔵が訪ねますが、石舟斎は武者修行者に会おうとせず、武蔵はなんとか会おうとして策を弄しますが、石舟斎の直弟子、いわゆる柳生四高弟に行く手を阻まれてしまう。

その時武蔵は咄嗟に日本の刀を同時に抜いて構えます。二刀流「開眼」というわけです。


山中に逃げ込み、翌朝、石舟斎の隠棲する庵を訪ねようとしますが、門前に掲げられている歌に、俗世を離れて自然のなかに静かに生きようとする心情を読み取り、このような心境の人のところへ乗り込んで騒がせるのはいけないと、武蔵は石舟斎に会うことなく去るんです。


武蔵という人はただ単に「強い」わけではない。こうした人の心を思いやる繊細さを持ち合わせているわけです。こういうところがただ単に「強い」だけの兵法家とは違うところなのですね。



武蔵は剣を通して人としての道を極めようとしている。一方、京都の名門吉岡道場の二代目当主、吉岡清十郎(江原真二郎)は、剣の腕はそれなりにあるけれども、自分には「何か」が足りないと感じている。武蔵の存在がそれを常に意識させ、清十郎はいいしれぬ不安感を感じています。

その武蔵と果し合いをする清十郎、武蔵に「真剣か木刀か?」と問われ、思わず「木刀」と答える弱気を見せてしまう清十郎。

「そうであろう」と、武蔵はすでに清十郎を「見切って」います。踏み込んでくる清十郎を苦も無く一撃で倒し、素早くその場を去る武蔵。

「名門の子、やる相手ではなかった。しかし俺は勝った!」と無理矢理己を納得させるようにして去っていく武蔵。一方清十郎は武蔵に左腕の骨を砕かれ、痛みの余りに歩けない状態でした。駆け付けた門弟たちが戸板に乗せて運ぼうとしますが、道場の食客となっていた佐々木小次郎(高倉健)に一喝されます。

「道場主を戸板に乗せて京の町中を運んだのでは、道場の看板に泥を塗ることになろう」言われた清十郎は自分の腕を斬ってくれるよう小次郎に頼み込みます。これを受け入れ清十郎の左腕を斬り落とす小次郎。

すばやく止血すると、清十郎は無理矢理立ち上がり、歩いて帰ろうとします。名門の誇りだけが、清十郎の拠り所でした。


そこへ駆けつける青樹郎の弟、吉岡伝七郎(平幹二朗)。伝七郎は必ずや武蔵を倒し、この意趣を晴らし、吉岡道場の誇りを取り戻そうと心に誓うのです。


第四部、『一乗寺の決斗』へと続く。となるわけですが、


正直、全体的に間延びしたような印象のある映画で、べつに五部作にしなくても、三部作くらいでまとめた方がむしろスッキリしたんじゃなかろうか、と思わせる作品になっちゃってるところが、ちょっと残念な作品ではありますね。

ただ、佐々木小次郎初登場編ということでは意味があるし、演じる高倉健さんは、のちのある程度年齢が行かれてからの印象とは全然違っていて、かなり怖い印象が強い。目に込められた「修羅」の気が半端なく、この自信家の若き剣豪役に見事にハマっているんです。

晩年の健さんしか知らない人は、結構ビックリするんじゃないかな。この健さんは必見!


五部作の真ん中ということで、どうにもも中だるみ感が出てしまった作品ではありましたが、しかしこの作品あってこそ、次の『一乗寺の決斗』、吉岡道場の門弟70人VS武蔵一人という、このシリーズ最大のクライマックスを迎えるわけです。


そういう意味では、この作品もけっして無駄な作品ではありません。


というわけで、第四部、『一乗寺の決斗』へと続く。










『宮本武蔵 二刀流開眼』
制作 大川博
原作 吉川英治
脚本 鈴木尚之
   内田吐夢
音楽 小杉太一郎
監督 内田吐夢

出演

中村錦之助

入江若葉
丘さとみ

木村功

江原真二郎

浪花千栄子
阿部九州男

小暮美千代
南廣

薄田健二
河原崎長一郎

平幹二朗

神田隆
外山高士
谷啓


高倉健

昭和38年 東映映画

ぼっこ

2017-07-16 12:37:29 | つぶやき









青空の下おひさまの光を浴びてお昼寝……なんてことは出来ないほど、暑い日々が続いております。皆さまいかがお過ごしでしょうか(笑)



実際、日の光を浴びるのは肉体的にも良いことのようです。日の光を浴びて活性化するのはウルトラセブンだけではないらしい(笑)




ところで、日光浴の事を「日向ぼっこ」といいますが、この「ぼっこ」とはなんなのでしょう?


色々説があるようですが、日の光を浴びて呆けたようになる。ボケたようになる。この「ボケ」から「ぼっこ」になった、らしい。



確かに、日の光を浴びすぎると、ちょっとボウっとしてしまいますもんね。




「ぼっこ」といいますと、岩手辺りでは子供のことを「ぼっこ」という地域もあるようで、有名な岩手の妖怪・座敷童のことを「座敷ぼっこ」と呼ぶこともあるようです。



この「ぼっこ」は「おぼこい」が語源のようです。「おぼこい」とは元々西日本の方言「おぼこ」を形容詞化したもので、「おぼこ」とは子供っぽい、世間知らず、初々しい、などの意味があるようです。


子供というのは、どこかボーッとしているようなところがありますから、そういう意味では「ボケる」と通じるところがあるように思いますね。



子供は神に近い存在と考えられていましたから、子供のどこか呆けたような感じは、神を連想させたのかも知れません。神や精霊、あるいは妖怪なども、子供たちとどこか相通じるものがあると考えられていたのでしょう。酒呑童子、茨木童子など、鬼が童形をしているのは、世間というもの、世の常識から外れた存在ともいえる子供と、妖怪などの類いに同様のものを感じていたからだと思われ、あるいは一寸法師などの「法師」にも、同じような意味が付帯されているのかもしれませんね。



また、室町時代頃のいわゆる「被差別民」は前髪を切らない「童形」だったといいます。彼らも亦、世間一般から外れた存在でしたから、そういう意味では「ぼっこ」であり、神に近いのか鬼に近いのか、いずれにしろ畏れられた存在だったのでしょう。






日の光を浴びて肉体が活性化するとともに、頭がボーッとした感じになる。日向ぼっこには「神に近づく」あるいは「神の力を身に着ける」という意味があったのかもしれません。


もっとも、イマドキの陽射しは大変危険なものがありますので、あんまり陽射しを浴びすぎますと、「神に近づく」どころの話ではなくなりますので(笑)いや、マジな話、危険ですので、ご用心くださいますよう。



それにしても、西日本の方言が東北にも根付いているなんて、面白いですねえ。東北には元々京都のお公家さん辺りが使っていた言葉が、そのまま方言化して残っていますし、武家言葉なども庶民に流れて行って方言として土着した言葉など、結構そういうものがあるんです。


古くから東北には、西日本から移住してきて、文化を伝えた方々がたくさんいたということです。東北と西日本の間には、文化的相違点はあっても、文化的「断絶」はほとんどなかったといっていい。


「一にして多、多にして一」それが日本。










目も大切に。

水の星へ愛を込めて

2017-07-15 13:38:17 | エンタメ総合











この曲に反応するのは40代半ばから50代半ばにかけてのオジサンかな(笑)


昭和60年から61年(1985-86)にかけて放送されたテレビアニメ『機動戦士Z(ゼータ)ガンダム』の後期オープニング・テーマ。歌うのは森口博子。


森口さんといえば、井森美幸、山瀬まみと並ぶ「三大バラドル(バラエティ・アイドル)として一世を風靡した方ですが、実は歌が大変に上手い。その歌唱力と相まって、埋もれさせるのには勿体ない名曲だと思いますね。



生命育む蒼き水の星、地球。その地球を生み出した宇宙と、宇宙の奥の奥川の、

そして己自身の内側の、


大いなる存在と、それらすべてに、愛と感謝を込めて、



この曲を捧げたい。

忘れてたわけじゃないけど……。

2017-07-13 20:22:47 | 日記





本日7月13日は、のんこと能年玲奈さんの24歳の誕生日です。


おっめでと~!!!!





公正取引委員会が久々に、芸能界の契約事情の調査に乗り出すようです。前回調査した時すでに、その不公正な内容は世に知られるところとなっていたのですが、具体的な改善には至りませんでした。


しかし今度こそは、何かしらの動き、効果を期待したいものです。芸能界の近代化のためにも、それは絶対必要だ。


能年ちゃんのような才能を、不当に埋もれさせてはならない。



頑張れ能年ちゃん、24歳、おめでと~っ🎶







台北にて。



明日は記事お休みで~す。

映画 『たそがれ清兵衛』 平成14年(2002)

2017-07-13 13:35:07 | 時代劇









主人公、井口清兵衛の生き方をどう捉えるかによって、まったく違った印象を持ってしまう映画ではありますね。



東北、出羽庄内地方の小藩、海坂藩に仕える井口清兵衛(真田広之)は、奥方に先立たれ、幼い娘二人と認知症気味の老いた母を抱え、少ない俸禄で汲々としながら日々慎ましく暮らしています。



同僚の誘いも断り、遊びにも行かずお城と家の間を行き来する毎日。同僚たちはそんな清兵衛を密かに「たそがれ清兵衛」と呼び、嗤っていました。


この清兵衛、実は戸田流小太刀の達人で、その腕前を買われて藩に反抗した男、余吾善右衛門(田中泯)を討つように命じられてしまうのです。

本当はそんなことはしたくない。しかし藩より俸禄を頂戴している以上、逆らうわけにはいかない……。






「サラリーマンの悲哀」、「不運な男」、表面的にはそのように見えるし、そのような評価をされたオジサン方は多かったような気もします。



しかし当の清兵衛本人は、自身の暮らしをそれほど不運だとも惨めだとも思っていない。娘たちの成長していく姿や、作物が育っていく姿に楽しさを覚え、日々のつつましやかな暮らしの中に生きる甲斐を感じているわけです。他人がいうほどには、今の暮らしを悪いとは思っていなんです。


もちろん清兵衛も人間ですから、不平不満がないわけではないし、嫌いな奴だっている。幼馴染の朋江(宮沢りえ)の元夫で、酒に酔っては元妻の実家に押し掛ける酒乱男、甲田(大杉漣)と果し合いをして、木刀一本で見事打ち負かし、その甲田のことを静かに、しかし吐き捨てるように「負け犬」と言い捨てる激しさを内に秘めている。

また、世間体ばかりを気にして、清兵衛のところへ気の進まぬ縁談話を持ってくる大叔父(丹波哲郎)を嫌っており、娘たちの前ではっきりと「嫌いだ」と言ってのける。決して人として完璧なわけではないんですね。


それでも、この清兵衛という人は、己の暮らしの中に、本人も気づかない内に、この宇宙の「真理」の片鱗を掴むことの出来た、心の深さを持っていた人なのだろうな、と思いますねえ。だから、「サラリーマンの悲哀」だけで終わらせちゃう評価は、余りに底が浅い評価だな、と思わずにはいられませんね。



山田洋次監督は、人の心の細やかな機微というものを、実に丁寧に描いて見せる。流石です。ここを読み取れないでどうするよ!



みんな完璧じゃない。完璧じゃないから、色々過ちも犯すし、それが時には取り返しのつかない事態に発展することもある。清兵衛さんはその苦労の多い人生の中で、そうしたことを学びながら、己に与えられた状況のなかで懸命に生きた。


清兵衛さんは、他人が何と言おうと、己の生を全うした、生き切った。


それは決して、ただ「哀しい」人生なわけがなく、「不運」でも「不幸」でもない。


それはある意味とても充実した、とても「幸せ」な人生だったのではないだろうか。


少なくとも本人はそう思っていたに違いなく、ならば他人が勝手なことをほざこうとも関係ない。




本人がよければ、それでいいのです。



それで、いい。




一度観ていただきたい映画ですね。その上でなにを感じるかは、



あなた次第。











『たそがれ清兵衛』
原作 藤沢周平(「たそがれ清兵衛」「竹光始末」「祝い人助八」)
脚本 朝間義隆
   山田洋次
監督 山田洋次

出演

真田広之

宮沢りえ

小林稔侍
大杉漣

吹越満

赤塚真人
佐藤正宏

中村梅雀
尾美としのり

伊藤未希
橋口恵莉奈

深浦加奈子
草村礼子

田中泯

丹波哲郎


岸恵子

平成14年 松竹配給