風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

昭和の日に

2014-04-29 19:53:34 | 日記


とりたててなにをするでもない、普通の休日でしたが



なにやら背筋が伸びるような、不思議な感覚が。




過ぎ去りし激動の時代と、これから来るであろう激動の時代を想いつつ…。



ささ、一献。
コメント (6)

映画『永遠の0』

2014-04-28 19:37:57 | 映画


                      


ようやく観ることができました!…ったく、ウチの街の映画館まで廻ってくるのが遅い!!!


いや、参りました。正直こんなに心が揺さぶられるとは思っていなかった。やられました。

私は山崎貴という人を、少々舐めていたようです。



思えば山崎貴という方は、『ALWAYS三丁目の夕日』シリーズにしても、『SPACE BATTLESHIPヤマト』にしても、一貫して「日本人」というものを描き続けてきたんですね。

『ヤマト』の場合、アニメで「地球連邦」となっていたものをわざわざ「日本」とすることで、ヤマトはあくまで日本の船であることを暗にアピールしています。つまり地球を救うのは日本しかいないのだということを、ちゃっかりと表明しちゃってる(笑)

この監督、案外侮れませんね。



映画は、祖母の死をきっかけとして、特攻隊員として戦士した祖父の人生を調べる姉弟を中心として進んで行きます。

「海軍一の臆病者」と謗る者たちが多い中、徐々に祖父の「人となり」が明らかになっていきます。

祖父=宮部久蔵(岡田准一)は、己の死そのものを恐れていたのではなく、死ぬことによって妻と娘を路頭に迷わせるのではないか、ということを一番に恐れていたのです。だからなにがなんでも生き残り、家族の下へ帰ることを一番の信念としていた。

あの時代の軍隊にあって、死することを忌避する発言を繰り返し続けることは、寧ろ大変な「勇気」が必要でしたでしょう。

「強い人」だったのです。




その人が何故、特攻へ参加したのか。作中では、その理由はあえて明確にはしていません。多くのヒントだけを残して、あとは観客一人一人の判断に任せるということでしょうか。

夏八木勲氏のセリフにあったように、おそらくは明確に言葉にできるようなことではなかったのだと思う。

戦争という極限状態を通して、多くの散って逝った戦友たち、教え子たち。祖国の将来、そして家族の行く末…様々なことを想い、悩み、そうした中から浮かんできた、宮部なりの結論だった。

誰かを死なせるくらいなら自分が行く。一言で言えばそういうことかも知れないがそれだけではない。もっと奥深い、言葉では言い表せない想い。

そしてその思いを繋いでいってくれる人達と、宮部は戦場で出会ったんですね。だから、大丈夫だと思った。

彼らに己の想いを継いでいってくれることを託した。




そうして、その「想い」を継いだ者達は生き残り、宮部が残した妻と娘を、そして孫たちをも「助け」ていくことになる。



かつて宮部は、妻・松乃(井上真央)に約束していました。

「自分は“死んでも”帰ってくる」と。

そして、宮部の想いを継いだ者が松乃を助けて行く。詳しいところは是非にも作品を観ていただきたいですが、宮部は約束を守ったのです。

宮部は死に、その思いを継ぐ者とともに、「帰って」きたのです。

妻・松乃のもとに。



この辺の展開は、絶対に泣きます。泣かない奴は悪鬼羅刹ですな。

いや、例え羅刹でも、「日本人」の魂を持っていれば泣かずにはいられないはずです。



みんな「誰か」のために生き、「誰か」のために死のうとしていた、そんな時代。

そんな極限の時代だからこそ、その国の国民性というものが、民度というものが如実に現れる。

そんなかつての日本人。DNAを通して繋がっている先人達の姿に、普通の一般的「日本人」の心の琴線は強くゆさぶられる。

この映画を観て泣いた方は誇りに思って良い。

あなたは紛れもない、正真正銘の「日本人」だ。



この映画では、0戦のキャノピー越しの映像が多様されています。

キャノピー越しに米軍の戦闘機が火を噴きながら墜落していく画は、まるで観客が実際に0戦に乗っているかのようで、

ある種、怖くもある。

幼い頃からよく見ている、日本の戦闘機がアメリカ艦船からの艦砲射撃で次々と墜落していく、ニュース映像。

映画では、そのニュース映像をCGでより詳細に再現したような映像を作り、特攻機が米艦船に到達することもなく、次々と撃墜されていく様を映し出していく。

「死」以外の何物もない作戦に出撃したのに、その任務を全うすることすらできないまま撃墜されていく哀れさ。

そこに華々しさはなにもない。ただ悲惨なだけだ。

この映画は戦争を肯定などしていないし、特攻を美化などしていない。

誰も戦争など起こしたくはないし、特攻がいかに愚かしい作戦かということくらい、皆分かってる。

それでも当時の日本人は、致し方のない時代の、逃れようのない大きな流れの中で、懸命に自身の「生」を全うしようとしただけ。

そうした当時の日本人の「生き方」を真正面から見据えることと、戦争を否定することとは十分に両立するし、実際この映画は両立し得ている。

にもかかわらず、である。

にもかかわらず、相変わらず「戦争肯定」だの、「特攻賛美」だの決まり文句を掲げて批難する輩がいる。

しかもそうした人々の中に、いわゆる「映画監督」までいる始末。

あなた方は、一体なにを観ているのですか?

いや、きっとなにも観てはいないのでしょう。その頭の中には、予めプログラミングされたデータが入っているだけなのだ。

そして日本のいわゆる「戦争映画」が公開される度、自動人形のように同じフレーズを繰り返すのでしょう。

「戦争肯定」「特攻賛美」と。

もはや「愚か」を通り越して、「憐れ」という他ない。




宮部久蔵をはじめとする、先の大戦で散って逝った多くの先人たちの「想い」をどのように受け止め、これからの時代をこの国で生きて行くのか。

それは今を生きる全ての「日本人」に架せられた課題です。

想いを繋げる、継いでいく。

それがこの映画、最大のメッセージ。








『永遠の0』

出演 

岡田准一
三浦春馬
井上真央

吹石一恵
吹雪ジュン

濱田岳
新井浩文
染谷将太
三浦貴大

橋爪功
田中泯
山本學

平幹二郎

夏八木勲



原作 百田尚樹
脚本 林民夫
音楽 佐藤直紀
撮影 柴崎幸三
VFX制作 白組
脚本・監督・VFX 山崎貴
コメント (7)

映画『ゴジラVSモスラ』 平成4年(1992)

2014-04-25 16:03:51 | ゴジラ


                     


モスラというのは女性からの人気が非常に高いようです。

なんでしょう?華やかな感じが良いのでしょうかね?その辺を翔んでいる蛾は嫌いなクセにね(笑)

その女性の観客も取り込んだせいか、この作品は平成VSシリーズ中最高の観客動員数420万人を記録しています。



作品のテーマのしては「大自然の怒り」というのが全面に押し出されており、その中でもモスラは比較的穏健派で、明確な破壊の意志を持たない。

そのモスラを「陽」とするなら、「陰」と呼ぶべき存在がバトラです。

バトルモスラを縮めてバトラ。その姿はモスラと同じ蛾をモチーフとしていますが、モスラより遥かに戦闘的な姿をしている。極めて好戦的な怪獣です。

そこへさらに、「破壊神」ゴジラが絡んでくる。ゴジラはひたすら破壊のための破壊を繰り返し、地球そのものが崩壊することも厭わない。いわば「恐怖の大王」です。

この三者の三つ巴の戦いが、この作品最大の見せ場。




昭和33年の映画『モスラ』や昭和39年の映画『モスラ対ゴジラ』へのオマージュ的なシーンが随所に見られ、古くからの特撮ファンは思わずニヤリとしちゃいますね。

物語としては、冒頭の「インディ・ジョーンズ」のヘタなパロディみたいなシーンの連続は蛇足です。あれはなくていい。

それと物語全体として、流れが悪いです。なんかギクシャクしてる。脚本が悪いのか演出が悪いのか分かりませんが、どうもスムーズに流れて行かない。

色々なシチュエーションを詰め込みすぎてるのかな?その辺がどうにも残念。



ゴジラの超越性は益々グレードアップしており、太平洋の海底のプレートの裂け目から、マグマの流れの中を泳いで、富士山から出てくるという離れ業をやってのける。もはや生物じゃないですね(笑)まさに破壊「神」。





超古代、地球の先住民族「コスモス」は、モスラを守り神とし、その文明を反映させました。しかし地球の環境を激変させる技術力に恐怖を感じた地球生命はバトラを生み、その文明を滅ぼそうとします。

モスラとバトラは戦い、バトラは北極の氷の中に封印されます。しかし世界中を襲った大洪水のために超古代文明は滅びました。

そして現代、巨大隕石の落下により再び活動を開始したゴジラ。

モスラの卵の発見と同時にバトラも目覚める。

懲りない人類の環境破壊に、地球は鉄槌を下そうとしているのだろうか!?





本当にね、このままいったら、地球は本当に堪忍袋の緒を切りますよ。

地球も一つの生命。生き残るためには、害となるものを排除しなくてはならない。




マズイよ、このままじゃ。



排除されるよ。










『ゴジラVSモスラ』
制作 田中友幸
プロデューサー 富山省吾
脚本 大森一樹
音楽 伊福部昭
「モスラの歌」作曲 古関裕而
特技監督 川北紘一
監督 大河原孝夫

出演

別所哲也
小林聡美
村田雄浩
小高恵美

篠田三郎
小林昭二
黒部進

大沢さやか
今村恵子

大和田信也
田中好子
渡辺哲
上田耕一

薩摩剣八郎
破裏拳竜

大竹まこと

宝田明

平成4年 東宝映画
コメント (4)

映画『ゴジラVSキングギドラ』 平成3年(1991)

2014-04-22 20:18:36 | ゴジラ


                      



バブル景気真っただ中の日本にあって、どのようなゴジラ映画を作るべきか?なんてことを考えていたのかどうか…しかし制作から23年後の現在にあって改めてこの作品を見返してみた時、そのような視点から見てみると実に面白い発見があります。

ストーリーは酷いです(笑)SFというものを嘗めているとしか思えないような展開には、憤りというよりもあきれ返ってしまうほど。

そんな酷い脚本をを書いたのは(笑)監督の大森一樹。前作に引き続きの登板です。

特技監督には川北紘一。相変わらず冴え捲ってます。東京新都庁舎でのバトルシーンは圧巻!

音楽には御大、伊福部昭先生。やはりゴジラには伊福部先生の音楽がよく映える。



では、ザックリとストーリー紹介

********************

1992年、日本上空に謎のUFOが飛来。若狭沖に眠るゴジラを偵察するかのようにして飛び去って行く。ゴジラは「抗核エネルギーバクテリア」の効果で眠り続けていた。


フリーライターの寺沢健一郎(豊原功輔)は、博多でラーメン屋台を営む、通称、恐竜じいさん(上田耕一)から、戦時中、マーシャル群島の外れ、ラゴス島で恐竜を見たとの証言を得、直感的にその恐竜が、核実験でゴジラになったとの仮説をたて、ラゴス島の元守備隊長であり、現在は日本経済の中枢を担う「帝洋グルーブ」総帥の進藤靖明(土屋嘉男)を問い質します。

「あれが、ゴジラになったというのか」数枚の写真を出す進藤。そこにはまぎれもなく恐竜の姿が。




富士山麓に降り立ったUFOから降りてきた三人の人間はそれぞれウイルソン(チャック・ウイルソン)、グレンチコ(リチャード・バーガー)、エミー・カノー(中川安奈)を名乗り、23世紀から日本を救う為に来たと話します。

23世紀の日本は、再び目覚めたゴジラによって滅ぼされた。その災禍を未然に防ぐため、ラゴス島の恐竜がゴジラになる前の時間までタイムワープし、その恐竜をラゴス島以外の場所へテレポートさせることで、ゴジラの存在そのものを歴史から抹殺してしまうというのです。

未来人たちは、ゴジラ=ラゴス島の恐竜説を書いた寺沢と恐竜学者の真崎教授(佐々木勝彦)そして国立超科学センターのゴジラチームでゴジラを見続けてきた三枝未希(小高恵美)の三人を、証人として同行するように指名、政府の許可を得て、指名された三名とエミー、そしてアンドロイドM11(ロバート・スコットフィールド)一行は戦時下のラゴス島へタイムワープします。

戦時下のラゴス島では、今まさに米軍と日本軍との最終決戦が行われていました。次々と斃れて行く日本兵。とその時大地を揺るがすかのような咆哮とともに恐竜が現れ、米兵を次々となぎ倒していきます。

恐竜は米艦船の砲撃を受け、ボロボロになりながらも上陸した米兵を全滅させます。米軍は上陸を諦め撤退、結果的に助けてもらうかたちとなった日本軍。

やがてラゴス島守備隊は撤収の時を迎え、瀕死の姿で横たわる恐竜に敬礼を捧げます。
「我々は決して忘れない」
涙を流す進藤。

日本軍が撤収したあと、エミーたちは恐竜をベーリング海中へテレーポーテーションさせ、見事成功、現代へと帰路に就きます。その時エミーは、一緒に連れてきた人造生物「ドラッド」をラゴス島に放していきます。

92年に戻ってみると、ゴジラが消えた代わりにキングギドラが出現、日本を蹂躙し始めました。エミーの放ったドラッドが、核実験によってキングギドラになったのです。
「日本を攻撃するとは聞いていない!」とウイルソンに詰め寄るエミー。これが未来人の狙いだったのです。キングギドラを使って日本を脅し、意のままに操ろうとしていたのです。

実は、23世紀現在でもゴジラは現れず、日本の経済発展は23世紀になっても止まらず、世界各国の土地を次々と買い占めて“領土”となし、アメリカ、ソヴィエト(撮影中はソヴィエトは健在でした)、中国以上の国土をもつ超大国へと成長していたのです。これを快く思わない連中が、歴史を変えてしまおうとして、20世紀へやって来たのです。

キングギドラを操り悦に入るウイルソンとグレンチコ。その時北海道に迫る巨大な影が。

なんとそれはゴジラでした。ベーリング海に不法投棄された核廃棄物によって、あの恐竜がゴジラになっていたのです。

北の大地で激突するゴジラとキングギドラ。その間寺沢とM11はエミーの手引きでUFOに侵入、コンピューターを破壊しウイルソンたちを殴り気絶させると、テレポーテーションシステムを使ってウイルソンたちをUFOごとゴジラの下へ移動させます。

ゴジラの熱線により破壊されるUFO。主を失ったキングギドラは逃げ出そうとしますが、ゴジラの放射能熱線により、北の海へと墜落して行きます。

ゴジラは北海道を横断、札幌を蹂躙し東京へ向かいます。

寺沢の提案によりエミーは、キングギドラを23世紀の技術でサイボーグ化し、ゴジラと戦おうと決意、23世紀へ一旦戻ります。

新宿には進藤が一人、帝洋ビルの一室に残り、ゴジラを待っていました。ゴジラがビルに迫る。それを窓際に立ってじっと見つめる進藤。

両者の目線が合います。しばらく見つめ合う両者。ゴジラはなにかを思い出そうとするかのように瞼を閉じます。

じっと見つめる進藤。その目には薄らと涙が浮かび、ゴジラの目にもまた、なにか光るものが。

やがてゴジラは、なにかを振り払うかのように頭を一振りさせると、放射能光線を一閃させ、進藤をビルごと吹き飛ばします。

恐竜に命を救われ、その恐竜が化したゴジラに命を奪われた。

数奇な一生でした…。




ゴジラは新宿新都庁舎へと迫ります。はたして、エミーは間に合うのか!?

********************



なにが良くないかって、タイムパラドックスの対処がいい加減過ぎるんです。

ゴジラが消えて、突然キングギドラが現れたというんですが、それがおかしい!!!

つまり、昭和29年のビキニ環礁の核実験でキングギドラが誕生したなら、昭和29年以降1992年に至るまで、キングギドラは存在し続けたことになる。決して突然パッと現れるわけがないんです。
キングギドラが存在し続けた時間軸というのがあって、その時間軸の中で人々は暮らし、記憶し、歴史を刻んでいった。しかもその時間軸の中にはゴジラがいないんです。そういうところがまったく整理されていない。

こんなもん、SFとして最低の設定ですよ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だって、もっとちゃんと整理されてる。

基本が全然なってない。その時点でもうダメですよこんなもん。屁理屈小理屈こねくり回そうと、ダメなものはダメです。ふざけんじゃねーよ!です。

大体未来人の作戦がめんどくさ過ぎです。もっと簡単に日本を滅ぼす方法はいくらでもあるっしょ?あまりにも回りくどい。

ストーリーがダメダメ過ぎて、私は全然乗れませんでしたね。ただ川北特技監督の特撮が素晴らしく、特に都庁でのゴジラとメカキングギドラとのバトルシーンは、本当に凄かった!あれがなければ、この作品には注目すべきところがなにもありません。

ほんっと、最低!





……って、この23年間ずっと思ってきました。

が、



今回改めて見直してみて、ちょっと感じるところがありました。



91年頃といえば、日本はバブル景気の真っただ中。この景気がまるで永遠に続くかのような錯覚を覚えさせていました。

作中では、土屋嘉男氏演じる進藤靖明が、戦後日本の経済成長、そしてバブル景気の立役者として登場します。

この進藤がいなければ、日本の経済成長はなかったと言われる程の人物。いわば日本の経済力の象徴です。

で、この方はラゴス島の恐竜がいなければ戦死していた。つまり恐竜がいなければ日本の経済成長はなかった。

そしてその恐竜=ゴジラに命を奪われた。


ちょっと興味深い展開ですよね。進藤氏はホントに一生懸命働いて働いて働いて、日本の経済成長を促進させていったのでしょう。それが日本の為だと信じて。

日本は経済大国に成長し、バブル景気に浮かれている。それはモノカネに偏重した価値観を蔓延させた。

果たしてこれで、本当に日本は幸せなのか?

そこへゴジラです。ゴジラはまるで、熱に浮かれた日本人の目を覚まさせるかのように、経済成長の証しである東京のビル群を破壊しまくる。

そして、こんな日本にしてしまった進藤を屠る。

まるで、進藤を「生かして」しまった自らの責任を取るかのように。

進藤もまた、自分を「殺しに」来たであろうゴジラを受け入れるかのように、じっと佇んでいる。

やはり、責任を取るかのように。


バブルなんていずれ崩壊するよ。早く気が付かないと酷い目に会うよ。という裏メッセージを受け取ってしまいました。今更ですけどね(笑)



そして、日本が突出するのを好としない勢力が、世界にはあるんだよ、ということも暗に示しているのかな。ウイルソンとかグレンチコとか、ああいう「白人」さん達は、そうした裏勢力の象徴なのかもしれない。



まあ、裏メッセージがどんなに面白くても、「表」が面白くなきゃ意味ないけどね(笑)





             

               小高恵美「花のあすか組」ヴァージョン






『ゴジラVSキングギドラ』
制作 田中友幸
プロデューサー 富山省吾
音楽 伊福部昭
特技監督 川北紘一
脚本・監督 大森一樹

出演

豊原功輔
中川安奈
小高恵美

西岡徳馬
佐原健二
小林昭二
黒部進

チャック・ウイルソン
リチャード・バーガー
ロバート・スコットフィールド

ケント・ギルバート
ジェフ・バーグランド
ダニエル・カール

渡辺哲
小木茂光
時任三郎
森末慎二
風見しんご

矢追純一

山村聡
上田耕一

福田亘
破裏拳竜
薩摩剣八郎

土屋嘉男

平成3年 東宝映画
コメント

バンカラ

2014-04-19 14:57:27 | 岩手・東北


《バンカラ》とは、いわゆるハイカラに対抗するかたちで出てきたもののようです。ことば使いや行動が粗野、乱暴であったり、また「弊衣破帽」といって、擦り切れた学生服にボロボロに敗れた学生帽を被り、腰に手ぬぐい足には高下駄。かまやつひろしの「我がよき友よ」の世界。これは「外見に捕われず、真実の精神性を目指す」といった意味合いもあるようで、旧制中学、旧性高校の学生達を中心に広がっていったスタイルのようです。

だから本来は知的レベルの高い人達(といっては語弊があるかもしれませんが)の文化だったわけで、それが後世、不良のスタイルを意味する言葉に変化していった。不良のケンカ三昧の結果としてのボロボロの制服と、旧制中学、高校の学生の擦り切れた制服とは、まったく意味合いが違うのです。



現在ではすっかり廃れてしまったバンカラスタイルですが、我が岩手をはじめとする東北には、応援団のスタイルとして、未だに継承され続けている高校が多々あるのです。

東北以外でも、未だバンカラスタイルの応援を続けている高校、大学も、探せばあるようですが、やはり東北、岩手は突出していると言って良い。




岩手県立盛岡第一高等学校応援団







http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/special/2012082000007.html



岩手県立一関第一高等学校応援団







http://www12.plala.or.jp/hakanz/





自慢ではありませんが、私の母校も、旧制中学以来の伝統を誇る高校で、こうしたバンカラスタイルの応援を継承しておりました。声と手振りと太鼓のみ。ブラスバンド等は一切使わない。数年(十数年)に一度、甲子園大会でも見かけるこのスタイルは、そこだけ異空間が広がったような、一種異様な迫力がありますね。

春になると新入生には、応援歌練習というのが待ち構えています。昼休みと放課後に行われるんです。各クラスを応援団幹部(←各校によって呼び名は変わります)が回って応援歌や手振りの練習をする。こうした伝統校の場合、応援歌は10曲とか20曲とか、当たり前にありますから、それを限られた期間で強引に憶えさせられるわけです。

「腹がら声だせ~!!!」

「前ばり(だけ)見でろ前ばりよ~!!!」

「おめ!やる気あんのが!?オラァ~!!!」

新入生は必ず通らなければならない関門です。この少々厳しい応援歌練習を通して、この学校の一員となったのだということを自覚していく。



まあ、他地域にもみられるとはいえ、やはり岩手・東北にはこうしたスタイルが残されている例が顕著であるように思われます。

それは何故なのでしょう?





話は変わりますが、岩手県から輩出された総理大臣が何人いるかご存知ですか?

原敬
斎藤実
米内光政
鈴木善幸

この4名です。これは山口県の8人、東京都の5人に次ぐ第三位だそうです。

この4名に、さらに東條英機を加えて5人だとする方もおられるようです。東條英機は東京生まれですが、先祖が盛岡藩に仕えていたということで、これを岩手出身として数えようという魂胆のようですが、ちょっと無理があるかな?(笑)

べつに3位でもいじゃねえか、十分立派だと思うのですがね…。



平民宰相と謳われた原敬は、号を「一山」といいます。

この由来は、明治維新後の東北地方が

「白河以北、一山百文」

つまり、山一つに百文ほどの値打も無いなどと言われて嘲り笑われた、その屈辱を忘れまいという反骨精神の表れなのです。

宮城県仙台市に本社を構える「河北新報社」の社名の由来もやはり、この「白河以北…」からきています。

戊辰戦争で被った屈辱をどのように晴らすべきか。もとより東北諸藩は決して皇室に逆らったわけではない。ただ立場や考え方が違っていただけです。逆賊などという誹りを受ける謂われは微塵もないという自負があった。

だから、お国のためにこの身を捧げてつくすことで、薩長を見返してやる!東北人の底力を見せつけてやらねばならぬ!

そうした気概が、原の号や、河北新報の社名に表れているのです。


              
                          原敬                                           





東條英機の父親、東條英教は陸軍士官学校を主席で卒業したにも関わらず、大将に昇進することが出来なかった。これは自身の出自が盛岡藩にあることから、薩長閥によって妨害されたからだ、と、終生思い込んでおられたとか。

そのような妨害、嫌がらせが本当にあったのかどうか分かりませんが、少なくとも御本人はそう思っていたようですから、この無念の想いは少年の英機に大きな影響を与えたでしょう。

父の無念を晴らすためにも、自分は一心不乱にお国の為に働かなければならぬ。

東條英機という人は、東北の無念の血の継承者でもあったのか。


                 
                    東條英機





バンカラスタイルの応援団の制服や制帽は、先輩から後輩へと継承されていくことが多いようです。

団長や副団長の制服は特にその傾向が強いでしょう。

戦前の学生さんは貧乏な方々が多く、特に東北の学生はその傾向が強かった。制服でさえもそんな頻繁には買えないなんてことはザラにあった。

だから、当然擦り切れてもくる。

それでも学生さんたちは、それを大事に使った。

そうした大事に大事に使った制服制帽を後輩に譲る。これは言ってみれば、魂の継承です。



「末は博士か大臣か~♪」という戯れ唄にあるように、戦前の中学、高校の学生はお国のために働くことを目指していました。

上述したようにバンカラとは、「外見に捕われず、真実の精神性」を求めるものであり、学生とは、お国のために働ける人となるために勉学に励むもの。

制服制帽の継承とは、そうした魂、志を忘れず、後世に伝えて行くという、ある種の「儀式」だったのかもしれない。



未だに岩手・東北にその名残が強く残っているということは、原敬以来の無念の想いは、未だ東北人の心の底、DNAの一角に深く刻み込まれているという事なのかもしれない。

普段は気が付かなくとも、それは東北人のパーソナリティに、一定の影響を与え続けているのでしょう。

そうだとしても、それは決して悪いことではありません。

それをバネにすればいい。バネにして「強く」なればいい。

岩手には、石を割って咲く桜がある。

あれが東北の、東北人の強さだ。

あれが東北魂。

多分に形骸化したとはいえ、バンカラの継承とは東北魂の継承でもあったということ、か。
コメント (10)

映画『ゴジラVSビオランテ』 平成元年(1989)

2014-04-16 23:24:28 | ゴジラ


                     


【第一種警戒体制】

Gの活動が物理的以外の化学、地質、気象、精神など
いかなる点でも一つ確認された場合

【第二種警戒体制】

Gの活動が声、動きなど物理的に確認された場合

【第三種警戒体制】

Gが出現した場合

【第四種警戒体制】

Gが日本のある特定地域に上陸することが
確実とされた場合

〈国土庁・特殊災害作戦会議〉




84年のゴジラ公開の後、東宝は次作のゴジラ用のオリジナル・ストーリーを一般公募します。

投稿総数5025本、その中から最終的に小林晋一郎氏の原案が採用され、当時気鋭の映画監督だった大森一樹が脚本と監督を担当しています。

えっ?アンタは投稿しなかったのかって?えへ、えへへへへ。


では、ざっとストーリー紹介

********************

1984年、ゴジラが襲った直後の東京で、飛び散ったゴジラの皮膚片を集める謎の一団。

彼らはアメリカのバイオメジャー(バイオテクノロジー産業の独占を狙う企業合同体)のエージェントでした。彼らはゴジラ細胞を入手し、意気揚々と引き揚げますが、突如現れたアラブ系の男の銃撃を受け全滅。ゴジラ細胞はそのアラブ系の男に奪われてしまいます。

男はアラビア半島の王国サラジアのエージェント。サラジアには世界最高峰のバイオテクノロジー研究施設があり、そこに勤務する日本人科学者、白神博士(高橋幸治)のもとへ、ゴジラ細胞到着の報せが届きます。

白神博士は娘、英理加(沢口靖子)を連れて研究所へ出向きますが、何者かに研究所が爆破され、英理加は巻き添えで帰らぬ人に。

5年後、三原山火口内で、再びゴジラが活動を開始し始めたことが、精神科学研究所の超能力少女、三枝未希(小高恵美)により感知されます。

自衛隊特殊災害対策本部の若きエリート、黒木特佐(高嶋政伸)は、大河内財団に保管されているというゴジラ細胞を使って、対ゴジラ用生物兵器「抗核エネルギーバクテリア」つまり核を食べて無力化してしまうバクテリアの製造を指示。筑波科学研究所の桐島一人(三田村邦彦)と、芦ノ湖畔に隠棲していた白神博士の二名に白羽の矢を立てました。

白神博士は了承する条件として、一晩だけゴジラ細胞を貸して欲しいと要求します。

白神博士の天才的手腕によって、抗核エネルギーバクテリアの製造に成功。しかしまたもやバイオメジャーのエージェントが暗躍。三原山火口に爆弾を仕掛け、抗核バクテリアを渡さないと爆破してゴジラを目覚めさせると、日本政府を脅迫。政府はやむなく受け入れ、自衛隊の権藤一佐(峰岸徹)と桐島によって引き渡し場所へと移送されます。

しかし引き渡し場所に現れたサラジアエージェントの妨害により、バクテリアはサラジアエージェントに奪われ、三原山に仕掛けられた爆弾の爆破阻止に失敗。火口に激しく吹き上がる爆炎の中、ついにゴジラが復活します。

その頃芦ノ湖に巨大なバラ状の生物が出現。これは白神博士がゴジラ細胞にバラの細胞を融合させて誕生させた生物「ビオランテ」でした。

ゴジラの細胞が融合されたバラには、実は以前から、博士の亡くなった娘、英理加の細胞が融合されていたのです。娘を無くした悲しみから、娘の細胞をバラと融合させて“生かし”、さらにゴジラ細胞を融合させて、永遠に生かそうとしたのです。

余りにも罪深い行為に、「それがあなたのいう“科学”ですか!?」と詰め寄る桐島、それを無言で見返す白神。

ゴジラは駿河湾近海に現れます。黒木特佐の指揮の下、自衛隊はゴジラ掃討のため出撃。自衛隊艦船や戦闘ヘリとゴジラの攻防。ゴジラの吐く放射能光線により、海面に激しい水柱が立つ!次々と撃破される自衛隊。自衛隊は新兵器「スーパーX2」を出撃させ、ゴジラの放射能光線を跳ね返しゴジラに打ち返します。

たまらず海中へ逃れるゴジラ。しかしスーパーX2も損害を負い、両者痛み分け。スーパーX2は一旦引き揚げ、ゴジラは駿河湾より上陸。まるで惹きつけられるかのように、芦ノ湖へ向かっていきます。

ゴジラとビオランテはついに対峙。ビオランテは蔓をヘビのように絡ませてゴジラを攻撃しますが、ゴジラの放射能光線にあっけなく燃やされ、灰となって天へと昇っていきます。はたしてビオランテは死んだのか!?

海へと戻ったゴジラ。黒木特佐はゴジラがエネルギー補給のため原発を襲うと判断。一番近い原発が集中している若狭へと向かうと判断し、最短距離である名古屋に上陸すると予想。自衛隊を名古屋湾沿いに集結させます。

しかしゴジラは大阪湾に出現!裏をかかれた黒木特佐は大阪上陸阻止を諦め、住民避難の時間稼ぎのため、超能力少女・三枝未希のテレパシーに頼ります。精神科学研究所職員、大河内明日香(田中好子)と二人、ゴジラの全面に立ち、その小さな身体でありったけのテレパシーを放出する未希。ゴジラはこれを嫌がり、一旦遠ざかります。その場に崩れ落ちてしまう未希。

その頃桐島と権藤一佐は、大阪にあるサラジアの貿易会社に急行。見事抗核エネルギーバクテリアの奪取に成功します。

ついに大阪に上陸するゴジラ。市内を蹂躙し大阪ビジネスパークへと進んで行きます。

自衛隊は抗核バクテリアを搭載したロケット弾を撃ち込む決死隊を組み、権藤一佐も参加します。

ツインタワービルに登り、ゴジラの口の中へ直接ロケット弾をぶち込む権藤。「薬は飲むのに限るぜ、ゴジラさん!」

不敵な笑みを浮かべる権藤でしたが、ゴジラによってビルは倒壊、権藤一佐は殉職します。

若狭へと向かうゴジラ。抗核バクテリアが効いている様子がみられない。

ゴジラの体温が低いため、バクテリアが活動していないのではないかという判断から、黒木特佐は実験段階の「サンダーコントロール」システムの使用を指示。人工的に雷を発生させ、それによって分子を振動させて温度を上げる。電子レンジの要領です。

刻々と原発へ迫るゴジラ。激しい嵐が吹き荒ぶ中、自衛隊との激しい攻防戦が展開されます。一歩も引かぬゴジラ。サンダーコントロールシステムは!?

ふと嵐が止んだその時、天空より黄金色の鱗粉が降り注ぎます。中から現れたのは、進化したビオランテ!!

大地を摺るようにしてゴジラへ突撃するビオランテ。愈々ゴジラVSビオランテの最終決戦!!

果たして勝敗は?抗核エネルギーバクテリアの効き目は?

日本の運命は…!?

********************


バイオメジャーによる陰謀、ゴジラ細胞の争奪戦。ん?なんかどこかで聴いたような話じゃあーりませんかねえ…。

まあ、例の○★方さん騒動の場合、エージェントが銃を抱えて奪いに来るなんて分かり易いシチュエーションではありませんけどね。あちらはもっと巧妙なトラップが随所に仕掛けられていた、という見方も出来ますね。

「事実は映画よりも奇なり」てことかもね。

いやマジな話、ありますねこれは。




それはともかく、映画はゴジラと自衛隊の攻防戦を中心に最後まで展開していきます。こういう展開って、それまでのゴジラ映画には案外無かったんですね。

高嶋政伸演じる黒木特佐が良い。冷徹な指揮官で、任務を遂行することのみに集中している。

ゴジラとビオランテが初めて対峙した時、上田耕一演じる年長の士官が不安げに「どうなるんだ…?」と呟くんです。すると隣にいた黒木特佐が一言。

「勝った方が我々の“敵”になるだけです」

なんだかね、シビレちゃいますね、このシーン(笑)



ゴジラ対自衛隊の攻防が中心になる分、ビオランテの出番が少ない感じがしますが、ビオランテはビオランテで、行き過ぎた科学信仰の危険性を一手に引き受けたかたちになっていますね。しかもゴジラ細胞によって誕生した、言わばゴジラの分身。

この点を掘り下げて分析してみるのも、興味深いですね。




川北紘一特技監督の特撮演出は、カメラが斜めになったり、戦闘ヘリ目線でゴジラにグングン近づいたりと縦横無尽に動き回る。ゴジラの放射能光線で海面に水柱が「走る」シーンなどは、水面の下に爆薬を並べて、順番に爆破しているだけなんですが、そんなこと今まで誰もやったことがなかったですから、映画館で思わず仰け反っちゃいました。スゲーっ!て(笑)




娯楽作品としてよく出来た作品だと思います。東宝特撮映画伝統の「文明批判」「科学信仰への警告」もしっかりと描かれています。

しかし惜しむらくは、アクションシーンが、かったるいんです。映画の大事な見せ場であるはずの銃器アクションのシーンなどがどうにも締まらない。その点が非常に残念。

そこさえしっかりしていたら、本当にシリーズ中屈指の傑作と成り得ていたかもしれない。

返す返すも残念。



最後に特筆すべきは、超能力少女・三枝未希を演じた小高恵美の存在ですね。

小高恵美は「第二回東宝シンデレラ」でグランプリを受賞。この「…VSビオランテ」から95年の「…VSデストロイア」までの全作品に同役で出演しており、平成VSシリーズは別名「三枝未希シリーズ」と呼ばれています。

小高恵美の女優としての成長と共にシリーズがあり、シリーズ終焉とともに、彼女の女優人生も大きな節目、転機を迎えたといえます。

シリーズ終了後は、三枝未希のイメージが強すぎたせいか今一つパッとせず、ひるドラのヒロインや舞台にも出演していたようですが、体調を崩してしまい、現在は事実上の引退状態にあるようです。

惜しいです。良いものをもった方だと思っておりましたので、非常に残念。

御本人の問題ですから、私がとやかく言うことではありませんが、今後どのような人生を歩むにせよ、納得された良い人生を歩むことを願います。

ゴジラシリーズに大いなる足跡を残した女優さんへ、敬意を込めてエールを送ります。

ちょっとだけ、言っても良いすか?復帰しないのかなあ…。





さて、上述した黒木特佐のセリフにあるとおり、ゴジラは完全に人類の“敵”になりました。二度と人類の味方、正義のヒーローにはなりません。



こうして平成VSシリーズは幕を開け、次作では最大のライバル、キングギドラと激突します。








『ゴジラVSビオランテ』
制作 田中友幸
プロデューサー 富山省吾
ストーリー原案 小林晋一郎
音楽 すぎやまこういち
ゴジラテーマ曲作曲 伊福部昭
特技監督 川北紘一
脚本・監督 大森一樹

出演

三田村邦彦
田中好子
高嶋政伸
小高恵美

金田龍之介
上田耕一
峰岸徹

豊原功輔
鈴木京香

ハント敬士
マンジョット・ペディ

沢口靖子
永島敏行
久我美子

相楽晴子
デーモン小暮
斉藤由貴(声のみ)

薩摩剣八郎

高橋幸治

平成元年 東宝映画
コメント (2)

桜あれこれ

2014-04-15 15:47:20 | 岩手・東北


岩手でも、あちこちで桜が開花し始めたようです。

岩手の桜の名所といえば、北上市展勝地公園の桜並木でしょうか。北上川沿いに並んだ桜並木はそれはそれは見事です。

ここ数年で話題になったのが盛岡市近郊、小岩井農場に立つ一本桜です。岩手山を背景にした光景が実に綺麗。

盛岡といえば、盛岡地方裁判所構内にある石割桜。花崗岩を割って育ったエドヒガンザクラが有名ですな。樹齢360年。“岩手の男なら~、石を~割って咲け~♪”…って歌知らない?あっ、知りませんか、そうですか…。

宮城県の大川原町から柴田町にかけての白石川沿いには、一目千本桜という、これまた見事な桜並木が続いております。JR大河原駅は白石川沿いにあって、夕方になると沈みゆく夕日が白石川に照り映えて、息を呑むような美しい光景を魅せてくれます。いいっすよ~。



                       
                         北上展勝地



                   
                     一本桜



                             
                                石割桜



               
                  一目千本桜






桜といえば西行さん。


【願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ】

釈迦の命日に、桜の花の下で死にたいというくらいの桜好き。桜という花はその散り様の見事さから、世の無常や死というものを想起させるのでしょうか。武士道とも関連付けられて捉えられ、日本を代表する花のように見られてきました。

西行さんは元々「北面の武士」として朝廷の側近く仕えていた方。武士としての感性が桜とよく感応したのかも知れません。




哲学者であり作家であり、仏教にも造詣の深い梅原猛氏によれば、無常観は仏教によって日本に伝えられたとか。

その伝えられた無常観は日本の神道などと結びついて独自の発展を遂げ、日本人のものの見方、感じ方に大きな影響を与えた。そしてその独自の無常観は桜の散る風情と結びつき、桜は日本人にとって特別愛でるべき花へと変化していった。

なんてね。

日本独自の「侘び寂び」という概念も、この無常観の発展系ということでしょう。およそ無常観とは、日本人の感性に多大な影響を与えたようです。

まっ、素人の勝手な妄想ですので。


西行が二度も訪れたという奥州平泉は、この世に仏国土を築かんとした古代都市です。

平泉を象徴する山、束稲山(たばしねやま)にはかつて、桜の木が群生していたとか。

西行はその束稲山の桜のあまりの見事さに

【聞きもせず束稲山の桜花吉野のほかにかかるべしとは】

と、感嘆の歌を残しています。

桜が仏教の無常観と結びついているなら、此土浄土を築かんとした平泉を象徴する束稲山に桜を群生させたのも、ある意味当然だったとも言えましょう。

奥州平泉藤原氏は武門の家です。その武士道もまた、桜と結びついていたとすれば、束稲山の桜の意味は、平泉にとって実に重要な位置を占めていたと言えますね。

いやいや、素人の妄想です。

西行が詠んだ桜の歌をもう一首。

【雪と見てかげに桜の乱るれば花の笠着る春の夜の月】





「櫻の樹の下には死体が埋まっている」

と言ったのは梶井基次郎でしたか。

桜と死生観との関連性を考えれば、こうした発想も決して特異な発想ではないと申せましょうな。

桜は美しい。その美しさの根底には死がある。それゆえ桜の美は時に怪異を生み、時に狂気を呼ぶ。

いやはや桜とは、実に恐ろしきものか。

恐ろしき故に魅かれ、恐ろしき故に愛でる、か。





それでは最後に


「桃の節句に桜餅とはこれ如何に」

「冬の日に小春日和と言うが如し」

お粗末。
コメント (5)

映画『ゴジラ』 昭和59年(1984)

2014-04-12 18:01:13 | ゴジラ


                       



昭和50年(1975)の『メカゴジラの逆襲』を最後に、ゴジラは休眠に入ります。東宝社内では何度となくゴジラ復活が検討されましたが、実現までには至らず、このまま歴史の中に埋もれてしまうかに思われました。

私自身、もう復活はないと思っていましたからね。

ところが、昭和58年(1983)に新宿の映画館で行われた「ゴジラ・フェスティバル」が大盛況で迎えられます。かつてのゴジラシリーズ及び東宝特撮映画を再上映した企画は日本全国に飛び火し、全国的な盛り上がりを示しました。東宝社内ではにわかにゴジラ復活の機運が高まり、原点に戻った「怖いゴジラ」を復活させるという方向性のもと、「本当にゴジラが現れたらどうなるか」というシミュレーションを識者とともに検証し、ストーリーをくみ上げていきました。

制作は田中友幸、共同制作に田中文雄。脚本には、松田優作のアクション映画やアニメ「ルパン三世」などで有名な永原秀一。音楽は初め伊福部昭を予定していましたが、御本人の体調が優れず、新人の小六禮次郎を起用。監督は本多猪四郎氏が辞退したため、長年特撮映画の助監督を務め、「さよならジュピター」で監督デビューした橋本幸治を起用しています。

この作品は、昭和29年の第一作の「続編」として制作されています。つまり、昭和30年の『ゴジラの逆襲』から昭和50年の『メカゴジラの逆襲』までの一連の作品は「無かった」ことになっています。

この点をよく把握していないと、理解出来なくなる点が多々ありますので、お気を付けくださいね。




では、ざっとストーリーを紹介

********************

伊豆諸島の南端に位置する大黒島が噴火した数日後、嵐に遭遇した漁船「第5八幡丸」が大黒島近海で遭難。翌日、近くをヨットで通りかかった新聞記者・牧(田中健)が「第5八幡丸」を発見、漁船に乗り込むが、船員はみなミイラ状の死体と化していた。
牧は唯一人の生存者・奥村(宅麻伸)を発見するが、直後、巨大化したフナムシに襲われ、間一髪のところで奥村に助けられる。

奥村は大黒島で巨大な生物の影を見たと証言。生物学者の林田(夏木陽介)によって、その影はゴジラであると確認されます。

その報告は直ちに内閣総理大臣・三田村(小林桂樹)に届けられ、三田村は官房長官・武上(内藤武敏)と協議の上、この情報をしばらく秘匿することを決断、マスコミ等に厳重な箝口令を敷きます。

そんな折、太平洋の深海でソ連原潜が何者かによって撃沈される事件が発生。ソ連はアメリカによる攻撃と断定、世界は一触即発の緊張状態に包まれます。しかし空自の哨戒機、P3-Cがソ連原潜の撃沈された海域を探査したところ、海中にゴジラの姿を確認します。原潜撃沈の犯人はゴジラであることが判明したのです。三田村首相は箝口令を解き、ゴジラの存在は世界の知るところとなります。

ソ連特使とアメリカ特使が首相のもとを訪れ、ゴジラに対し核兵器を使わせてくれるよう進言します。両国ともに、ゴジラ出現を口実に自国の核兵器の実験を行う腹積もりなのです。特にソ連は、自国の原潜が撃沈されたことを盾に、攻撃の権利を強行に主張します。

しかし三田村首相は「非核三原則」を盾に、毅然として断固これを拒否。首相は米ソ両国首脳と直談判し、了承を取り付けます。

ゴジラが東京湾内に侵入。自衛隊は直ちに防衛出動します。首都防衛用に秘かに開発された戦闘兵器「スーパーX」にカドミウム弾が搭載されます。カドミウムは放射能を抑える効果があり、ゴジラに対し有効であると評価されたためです。

しかしこのカドミウム弾搭載が予想以上に手間取り、スーパーXはゴジラ上陸に間に合いません。通常兵器による攻撃は功を奏さず、ゴジラは東京に上陸します。

折悪しく、ソ連がゴジラに向けて衛星から核ミサイルを誤射してしまう。このままでは東京で核爆発が起こる。

三田村首相はアメリカに、ミサイルの迎撃を要請。アメリカはこれを了承し、嘉手納基地より迎撃ミサイルが発射されました。

スーパーXがようやく発進。ゴジラにカドミウム弾を撃ち込みます。ゴジラのエネルギー源である放射能が抑制され、ゴジラはその動きを止め、ビルに倒れ込みます。

ゴジラ制圧に成功かと思われた時、東京上空の成層圏において、ソ連の核ミサイルがアメリカの迎撃ミサイルによって爆破され、強烈な磁気嵐が発生、急速に雷雲が発達し、雷がゴジラを直撃。

ゴジラが再び目を覚まし、立ち上がります。

磁気嵐によって計器が破壊され、カドミウム弾を撃ち尽くしたスーパーXはなすすべなくゴジラに粉砕されます。

 


林田博士はゴジラの「帰巣本能」に着目。独自の電波を発生させ、ゴジラを大島三原山に誘導します。

電波に導かれ、三原山へと向かうゴジラ。

果たしてゴジラは、日本の運命は…。

********************

昭和シリーズを「無かった」ことにして、一作目と直接つなげたことが良かったのか悪かったのか。

まあ、正義のゴジラという「呪縛」を解き放つという意味においては、これで良かったのでしょう。これによって、昭和の怪獣達を臆面もなくリニューアルすることだって出来るしね(笑)




ゴジラは核エネルギーを食糧としているということで、原潜を襲うわけだし、上記のストーリー紹介にはありませんが、架空の原発「伊原原子力発電所」を襲うシーンがあるんです。

核融合炉をむき出しにして、核エネルギーを吸い取るシーンがあるのですが、この時の人間側のリアクションの描写が実に杜撰。

誰も防護服を身に着けていないし、林田博士(夏木陽介)と奥村(宅麻伸)、牧(田中健)の三人は、平服のまま炉心むき出しの原発に乗り込んでる。ゴジラが放射能を全部吸ってしまったから大丈夫とかって、そういう問題か?

放射能に対する危機意識が無さ過ぎるんですよね。3.11以後の今の日本においては、到底受け入れられるものではないです。

東京に上陸してからのゴジラは、ただノッシノッシと歩き回るだけで、ほとんどビルを破壊しない。タイアップ企業のネオンサインが輝くビル群を横目になにも出来ないゴジラ。なんだ、ゴジラにやられない方法がわかったよ。ゴジラ映画のスポンサーになればいいんじゃん!(笑)

まったく…。

でもね、東京のビル群のミニチュアセットの出来は、シリーズ随一のものでしょう。ビルの中の蛍光灯の光具合とかまで気を使って、実にリアル。全面ガラス張りのビルの壁面にゴジラが映り込むシーンなんか良いですね。好きです。



まあ、恐いゴジラといっても、そのゴジラが現実世界に現れたら?という恐怖感がまるで伝わってこないんですね。それはやはり、政府の動きにばかり焦点を置き過ぎて、一般庶民の視点というものがほとんどないからではないでしょうか。

東京に暮らしていた極々普通の人々が、ゴジラの出現によって日常の暮らしを破壊され、怒りと恐怖と当惑に慄く。そういう描写がまるでないんだ。

やっぱりそうした描写の先に、我々観客は、ゴジラを生み出してしまった人類の文明に対する疑問と不審、恐怖を覚えるわけです。怪獣映画における文明批判とは、こうしたかたちで表現されるのが最も効果的なのです。

原点に返るというなら、こうした文明批判精神は当然持ち合わせていなければならない。




そういうところがまったくダメなこの映画、なんというか、「災害シミュレーション映画」としてはそれなりの出来だし、前述したようにミニチュアワークはシリーズ最高峰ですが、怪獣映画のカタルシスにかけるし、うーん、困ったもんだ…。

ラストシーン、三原山火口に消えたゴジラを、災害対策本部のモニターで見つめながら、涙を浮かべる三田村首相。

この涙、小林桂樹さんのアドリブだったそうです。

小林さんとしては、人類の傲慢さが生み出したゴジラを、人類の都合で葬ってしまわなければならないという苦悩、ゴジラに対して申し訳ないという贖罪の想いを表しているわけです。

これはゴジラという映画が本来持つべきテーマ性を、小林さんはよく理解されていたということです。ゴジラ映画初出演の小林さんでしたが、流石です。脱帽するしかありません。小林さんには小林さんなりの、「ゴジラ愛」があったのでしょうか。

しかし映画の内容は、この小林さんの涙を生かせるようには出来ていなかった。なんだかとって付けたような、浮いたシーンになってしまったのが、残念です。

私が言うのもおかしいですが、

小林さんに、申し訳ない。




色々問題有りな作品でしたが、この作品が出来たことによって、次作への継起となった。そう意味では、シリーズ中、重要な位置を占める作品であることは確かです。






『ゴジラ』
制作・原案 田中友幸
共同制作 田中文雄
脚本 永原秀一
音楽 小六禮次郎
特技監督 中野昭慶
監督 橋本幸治

特別スタッフ

竹内均(東京大学名誉教授)
青木日出雄(軍事評論家)
大崎順彦(工学博士)
クライン・ユーベルシュタイン(SF作家)
田原総一郎(ジャーナリスト)

出演

小林桂樹
田中健
宅麻伸
沢口靖子

内藤武敏
小沢栄太郎
金子信雄
鈴木瑞穂
織本順吉
御木本伸介
田島義文
村井国夫

小泉博
佐藤慶
林家しん平
江本孟紀

橋本功
潮哲也
江幡高志

石坂浩二
かまやつひろし
森本毅郎
武田鉄矢

薩摩剣八郎

夏木陽介

昭和59年 東宝映画
コメント (9)

つれづれと…

2014-04-09 17:46:11 | 日記


今日、マイ自動車のタイヤを、冬タイヤからようやく夏タイヤに交換しました。

もっと早く交換したかったのですけどね。先週末まで天気予報に雪マークがあったもので、用心のために替えないでいたんです。

普段はもっと早くに替えちゃうんですけどね、今年は用心の上にも用心を重ねて、今の時期になっちゃいました。

ていうか、半分忘れてたというのもありますけどね(笑)忘れかけてて、今日あわてて替えにいったというのもあります。危ない危ない。

東北では、夏ばっぱ…もとい、夏場と冬場でタイヤを替えるのは極々当たり前のことで、誰も文句なんか言わない。お金が掛かるったって、冬道の怖さを、東北人は身に染みて知っておりますからね。命には代えられません。

冬道でのスリップ経験なんて、東北のドライバーなら全員当たり前に経験しているし、田んぼに落っこちたとか、そういう経験してる人もそんなに珍しくなかったりする。かく言う私も、一度田んぼに落っこちました(笑)…いや、笑いごとじゃないんですけどね、でも笑っちゃうけど。

私の場合、あと数メートル先だったら、電柱に激突していたし、あと数メートル手前だったら、用水池の凍った水の中に落っこちてるところでした。その電柱と用水池との間の田んぼに、軟着陸するように落っこちた。下は泥ですから、すぽんと嵌って車はほとんど無傷(会社の車で、私のじゃありません)。けがも一切無し。あれはホント、なにか見えない力に助けられたのだ、と思ってます。

これから気象も変わって行くでしょう。東京以南にお住いの方々も、今度の冬辺りから、「当たり前」にタイヤ交換して置いた方がいいかも知れません。無いよりゃマシの、冬用タイヤ…って、それで、いいのか?

まあ、タイヤ交換しようが、滑るときゃ滑る。四駆だろうがなんだろうが、滑るときゃ滑る。それが冬道です。私はデカイ四駆の車が、坂道を思いっきり滑走していく風景を目撃したことがあります。

東北人は、いや東北に限らず雪国の方々は、毎年そんな凍結路面を命懸けで走ってる。

それも「当たり前」にね。どうだまいったか!…ちょっと大げさ?いやいや、舐めくさっとる奴には、このくらい脅しを掛けかんと…って、誰にだよ(笑)


とにかく、命あってのモノダネです。タイヤの替えくらい、常備しておいた方がいいかもよ~。




「帰ってきたウルトラマン」が観たくなってTUTATAへ寄ったら、よりによって「帰ってきたウルトラマン」だけが置いてない!

他のウルトラシリーズはあるのに、「帰ってきた…」だけ置いてない!

なにやってんだTUTAYA!?

「帰ってきたウルトラマン」は、ウルトラシリーズのなかでも奥深い作品が粒ぞろいのシリーズだと思ってます。

「怪獣使いと少年」というエピソードなんか白眉ですね。命を守るとはどういうことか、ということを考えさせる秀作です。いずれ機会があれば取り上げたいと思います。

ちゃんとしろよTUTAYA!!

冗談ですよ、冗談。

でも出来たら入荷してね…って、どこのTUTAYAに言ってんだ?

もう、こうなったらGEOにいっちゃうよ、これ本気ね。

まあ、そんなことはどうでもいいんですけど、命を「守る」とはどういうことか、ということを色々と考えておりましてね、その流れでふと「帰ってきたウルトラマン」を観たくなったのですが、ちょっと宛てが外れたという次第。

まあいいや、じっくり考えます。



そういえば最近、「岩手、東北」カテゴリーの記事を全然書いてない。まあ、書きたいことはあるんですけどね。地元の信仰の話とか。これも追々書く予定。

ゴジラシリーズは、これから「平成VSシリーズ」に突入します。これは個人的には、書くのが一番楽しい(笑)まあ、どんだけ人様の役にたってるんだか、たってないんだか分かりませんけどね(笑)でも楽しいから書きますよ。あしからず。



そうそう、TUTAYAに「愛と哀しみのボレロ」が入荷してましたね。これは素晴らしい!

私が万人にお薦めする、数少ない映画の一つ。今まで置いてなかったのが不思議なくらいの超大名作映画です。

読者の皆様、機会がありましたらどうぞご覧ください。ちょっと長いですけどね。

よくぞ入荷してくれましたTUTAYA!!これからもお世話になります。よろしく!

…って、これが今日のシメかよ!(笑)
コメント (10)

映画『メカゴジラの逆襲』 昭和50年(1975)

2014-04-06 21:21:25 | ゴジラ


タイトルにゴジラ以外の怪獣の名前が冠されたのは、ゴジラシリーズ中この作品だけです。それだけメカゴジラの人気が高かったということでしょう。

監督には久々の本多猪四郎氏を迎え、音楽もまた久々の伊福部昭。脚本には公募によって選ばれた新人、高山由紀子。

シリーズ第15作。この作品の後、ゴジラシリーズは9年間の休眠に入ります。図らずも昭和ゴジラシリーズの集大成的作品となっています。



                     


では、ざっとストーリーを紹介


********************


メカゴジラの残骸を回収するため、インターポールは海洋開発研究所の探査船を使って探索するが、メカゴジラは発見されず、探査船は突如現れた恐竜・チタノザウルスによって破壊されてしまう。
実はメカゴジラは、ブラックホール第三惑星人によってすでに引き上げられていたのだ。ブラックホール第三惑星人の下には、日本人科学者・真船博士(平田昭彦)の姿が…。

真船博士は元海洋科学研究所の研究員。生物を人間の想い通りにコントロールする研究を続けていたが、その研究が認められず、学会を追われてしまう。
真船博士には娘の桂(藍とも子)がいたが、桂は博士の研究中の事故により命を落としてしまう。
その桂にサイボーグ手術を施し、蘇らせたのが、ブラックホール第三惑星人だったのだ。
人類への憎しみと、第三惑星人への恩から、真船博士はメカゴジラの修理・開発に関わることになっていたのだ。

チタノザウルスは、博士によって操られていたのだ。

海洋開発研究所の一之瀬(佐々木勝彦)は真船博士の屋敷を訪ね、そこで桂と出会う。お互いに魅かれあう二人。しかし運命が二人の間を引き裂く。

第三惑星人は桂の体内にメカゴジラのコントロール装置を取り付ける。人間の脳とコンピュータを連結させることで、メカゴジラを無敵の怪獣とするためだった。

メカゴジラとチタノザウルスの攻撃に苦戦するゴジラ。果たして地球は、人類の運命は…。


********************



アクション主体の福田純監督と違い、本多監督は人間ドラマを中心に据え、重厚な物語に仕上げました。しかしあくまで子供向け作品であることを念頭に置き、出来るだけ分かり易く、特撮といかに有機的にドラマを絡ませるかに苦労されたようです。

映画内では久々に、逃げる群集と攻撃する自衛隊が出てくる。福田作品にはこれがないんだな。日常世界との繋がりという意味で、逃げる群集のシーンがあるのとないのとでは、大きな違いです。やはり怪獣映画というのは、日常の中に突如飛び込んでくる非日常を描くもの。それが怪獣映画の王道というものです。

本多監督は、その王道の創始者でもありますから、そういう作品になるのは、ある意味当然かもしれない。




さて、平田昭彦氏演じる真船博士は、面白い存在です。

すべての生物を思い通りにコントロールするという、おまりに傲慢な研究が認められず、学会を追われ、人類を、社会をすべてを憎んだ。

そして、地球侵略を企む宇宙人に加担する、マッド・サイエンティストとなった。

これは、第一作目でやはり平田氏が演じた芹沢博士とは、真逆の存在です。

芹沢博士は、自らが開発したオキシジェン・デストロイヤーの秘密を守り通すため、ゴジラ抹殺とともに自らも海の藻屑と消えた。人類の未来に、確実に禍を及ぼすであろうオキシジェン・デストロイヤーを封印するには、その製法の秘密と共に、自らの命を絶つしかなかったからです。

これは、原爆実験という人類の傲慢なる過ちによって生み出されたゴジラと、オキシジェン・デストロイヤーは対になっているということなんですね。

どちらも人類の未来にとって明らかな禍なわけで、芹沢博士はその両方とも、自らの命を持って葬り去ろうとしたんです。そうやって人類を守ろうとしたんです。

翻って真船博士は、自身の個人的怨みを晴らす手段として、人類を侵略者に売り渡そうとする。なんと傲慢で自分勝手なことか。

その真逆な役を、同じ本多作品で、同じゴジラで、同じ平田昭彦氏が演じているというのが面白い。

ところで、この平田氏演じる科学者の対比の構図というのは、そのままゴジラ自身の対比の構図と重なるんです。

昭和29年の第一作目の『ゴジラ』では、ゴジラという存在は、人類の行き過ぎた科学への盲信と傲慢に対する、大自然からの警告というかたちで現れました。

しかし時が経つ内に、ゴジラは徐々に人類の味方となって行き、その警告性は薄れ、やがて消えて行きました。もはやゴジラに、大自然の怒りの象徴としての役割は果たせない。

人類の脅威から人類の味方へと、大きくシフトしてしまったゴジラ。そんなゴジラ作品にあって、人類への警告性を高めるにはどうしたらいいか。

それが、芹沢博士と真船博士との、立場の対比性にあったのです。

だからこの役は、絶対に平田昭彦氏が演じなければならなかったのです。

第一作目から21年、第15作目によって、ゴジラシリーズはその失われかけた警告性を取り戻した。人類の敵から見方へと、大きな「一捻り」を加えながら、一作目と15作目は繋がったのです。

まるで「メビウスの輪」のように。




「常に第一作へと還る」ことを示した『メカゴジラの逆襲』。この作品を範として、新たな作品を作るため、ゴジラシリーズは9年間の冬眠に入ります。

次作の登場は昭和59年(1984)。ここからゴジラは「平成VSシリーズ」へと、新たな展開を魅せて行くことになるのです。






『メカゴジラの逆襲』
制作 田中友幸
脚本 高山由紀子
音楽 伊福部昭
特技監督 中野昭慶
監督 本多猪四郎

出演

佐々木勝彦
藍とも子

中丸忠雄
内田勝正
大門正明

沢村いき雄
睦五郎

河合徹
森一成

佐原健二

平田昭彦

昭和50年 東宝映画
コメント (2)