風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

水に流す

2012-11-26 23:02:22 | 日記


『神は敬によって威を増し、人は礼によって徳を得る』

神社の手水舎で手を洗い、口を漱いでから参拝する。神社参拝の常識中の常識です。神の前に立つとき、少しでも己の穢れを濯ぐ。神を敬うからこその行為ですな。汚い恰好のまま、尊いお方の前に出るわけにはいかんでしょ?ましてや神様は見えない。見えない存在に対して、どこまで敬意を表すことが出来るのか。

これはその人の、まさに「人間性」が見えてしまうんですな。

怖いですね~。

神様を使いっ走りのようにしか思ってない人達、小銭をポーンと投げ入れて、厚かましくも自分の欲望を叶えてくれと、臆面もなくお願いするような人達には、基本的に神を“敬う”という気持ちが欠如しているとしか思えませんなあ。そんな厚かましい連中の願いを叶えてくれるような神って、何者?

あとが怖いんじゃね?

神様には感謝だけを捧げる。あとは自分で生きていく。それが人としての正しいあり方。

神社は自分を見つめる場所です。決してお願いなんかしてはいけません。


冬来たりなば

2012-11-18 18:50:26 | 日記
盛岡でも初雪が降ったとか。

いよいよ冬の到来。今年はどんな冬になることやら。

子供のころは雪が大好きだったんだけどね、大人になると、嫌いになる。

まったく、勝手なもんだ(笑)

まあ、生活や仕事をする上で、色々と面倒なことが起こってくるからなわけだけど、それでも、深々と降り積もる雪をずっと眺めているのは、結構好きかも。

なんだ、やっぱり好きなんじゃないか(笑)

須川岳も徐々に“白い山”になってきました。

磐井郡

2012-11-12 19:12:23 | 岩手・東北


岩手県南端、宮城県と境を接する一関市は、かつての磐井郡とほぼ重なります。
磐井郡権郡がいつのことか、はっきりとはわかりませんが、奈良時代後半から平安時代前半くらいだろうと言われているようです。

この“磐井”の語源ですが、一般的には磐井川の孤禅寺狭窄部、川幅が急に狭くなり、流れが堰き止められる。つまり、岩の堰、岩堰、岩井、磐井となった。と考えられているようです。

しかしこれを、アイヌ語で解いてみたらどうなるでしょう?

「随想アイヌ語地名考」によると、イワイとは、「聖なる神住みたまう所」と読み取れるそうです。これは青森の岩木山のイワキと同様の語源なのだとか。

では、その「…住みたまう所」とはどこか。前掲書によれば、それは平泉町の達谷窟だそうです。

なるほどたしかに、達谷窟も聖地でしたでしょう。しかし私は、少々違う説を唱えたい。

イワイの「イワ」には、アイヌ語で山という意味もあるようです。これはつまり、山こそが聖なる神の住みたもう場所であるという信仰があったからこそでしょう。ならば、磐井郡の「聖なる神住みたまう所」とは、聖なる山を意味している、とは考えられないでしょうか。

ではその、聖なる山とはどこか。それはやはり、磐井郡を代表する御山、須川岳(栗駒山)以外には考えられない、と私は思う。

この須川岳にたいする信仰。それはこの、磐井郡と呼ばれた地域ほぼ全域に渡っての、信仰の中心だったのではないか、と私は類推しているのですが、それはまた、後ほど。