風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

映画『幕が上がる』

2015-02-28 22:33:13 | ももクロ





                     


「ももクロの映画だということを忘れていた」と、ある方が評したそうですが、これホントです。




映画は割とあっさり始まります。夏菜子が、しおりんが、れにちゃんが、そしてあーりんが登場しますが、なんとなくいつものようなオーラがない。「あれ?」っという、なんとなく肩すかしを食ったような感じ。

「大丈夫か、これ?」ちょっと不安になる。

演劇大会のシーンで、ももかが他校の生徒として登場。おお!この子はオーラが出てる。それもどこか孤独で寂しげだ。うんうん、ももかは大丈夫そうだ。

こんな感じで、ちょっと小首を傾げながらの鑑賞スタートでした。



これが、黒木華演じる吉岡先生の登場辺りから、俄然変わってきます。

夏菜子演じるさおりは、無理矢理演劇部の部長をまかせられたものの、具体的に何をして良いかわからず、自信無げで所在無げでイライラしている。これが元「学生演劇界の女王」と謳われた吉岡先生との出会いによって、演劇の楽しさに目覚めてくる。さおりをはじめとして、しおりん演じるユッコ、あーりん演じる明美ちゃん、れにちゃん演じるがるるが、演劇部員たちがどんどん輝きだす。それまで停滞気味だった映画の展開が、一挙にテンポよく進みだす。

それに伴い、観客はどんどん映画に惹きつけられていきます。冒頭の不安感など、もう完全に払拭されてます。輝き始めた彼女達に魅せられて、どんどん映画の世界に嵌って行く。

もはやそこに「これはももクロの映画だ」「アイドル映画だ」という意識すら無くなってくる。アイドルとしてではなく、一女優として彼女達を受け入れている自分がいる。

これは私のようなモノノフよりも、むしろももクロになど興味のなかった方達の方が強く感じるのかも知れない。

驚きと感嘆をもって、女優、ももいろクローバーZをそこに見ることになるのです。


アイドル舐めんなよ!

というより

ももクロ舐めんなよ!

といったところでしょうかね(笑)

なんかね、モノノフであることを誇りに思いますよ。ホント、ももクロは凄い。

一体何処まで行くんだ?この子たちは。






さおりは必ずしも演劇に興味があったわけではなく、ユッコのつきそいで演劇部を見学しそのままなんとなく入ってしまう。部長を嫌々押し付けられ、仕方なくやっているような状態。

これは、ももクロにおける夏菜子の位置と見事にシンクロしています。

夏菜子は今でこそももクロ不動のリーダーの地位を確立していますが、ホントはリーダーなどイヤで仕方がなかったそうです。

普段から屈託ない明るさで、周囲を照らしている夏菜子ですが、実は引っ込み思案で、前に出るのが苦手だった。それがももクロの活動を通して、色々学んでいく。

そんな夏菜子の歩みと、さおりが部長として演劇部を引っ張って行く過程とが、見事にシンクロしているんですね。

私は以前「夏菜子は苦労知らず」みたいなことを書いたかと思いますが、このさおりという役を通して、夏菜子もああ見えて(失礼)、実は苦労しているのだなと気付かされます。

お父さんとしては、何やら感慨深いモノがありますね。



しおりん演じるユッコは、演劇部の看板女優。華のある役柄は、ももクロ一アイドルらしいアイドル、しおりんにぴったり。れにちゃん演じるがるるは、変な踊りを踊るムードメーカーで、れにちゃんそのまま(笑)しっかり者の後輩明美ちゃんは、あーりん以外いないでしょう。

演劇の強豪校から転校してきた「スーパー転校生」中西さんを演じるのは、ももか。御存じの通りももかは、ももクロに途中加入したメンバーです。子役の経験もあり、EXILEのバックで踊っていたキッズ・ダンサーでもあり、歌も踊りも演技もこなす。ももかの加入がももクロに多大な刺激を与えたことは間違いなく、この「スーパー転校生」役はももかのためにあるような役です。

本広監督は、ももかの演技力を相当信頼していたようで、クールであるようでいて、実はナイーブな面を持つという複雑な演技を、ももかに要求しています。

さおりと中西さんが、無人の駅で語り合う場面は、この映画屈指の名場面です。ももかは見事に計算された演技で、中西という複雑なキャラクターを演じ、それを夏菜子の自然体の演技がふんわりと包み込んでいく。中西さんが目に涙を溜めながら空を見上げる場面は、この映画の白眉です。



                   



それにしても、黒木華です。

華と書いて「はる」と読みます。「はな」じゃないですよ。お間違え無く。

黒木華演じる吉岡先生ですが、あれの意味するところは、間違いなく「あかりん」ですね。

早見あかり、愛称あかりん。あかりんはももクロのサブ・リーダーとしてももクロのメンバーを支え、とりわけ夏菜子を支えた精神的支柱でしたが、予てからの夢であった女優の道を目指すため、ももクロを脱退します。

吉岡先生も演劇部のまさに精神的支柱であり、とりわけさおりは全面的な信頼を吉岡先生に寄せており、なにかというと頼っていました。

その吉岡先生が、やはり自身の夢を叶えるために、突然辞めてしまう、いなくなってしまうんです。

精神的支柱を失い、そこから立ち上がって行く姿、さおりと吉岡先生との関係性は、そのまま夏菜子とあかりんの関係性にシンクロしているように思えてなりません。

このような演出が出来たのも、監督の本広克行がモノノフだったからこそですが、原作を書いた平田オリザ氏は、ももクロのことをほとんど知らなかったそうです。

しかし小説を読む限り、どう考えても、ももクロを念頭に置いてアテ書きしたようにしか読めない。

不思議です。このような小説が存在し得ていたことも不思議だし、何もかもが、ももクロのために用意されていたようにしか思えない不思議さを感じます。

ももクロが「持って」いるものって、一体何なのでしょうね。







ももクロの映画であることを忘れさせる、と書きました。

ももクロのファンでなくても、モノノフでなくとも、十二分に楽しめ感動できる、上質の映画に仕上がっています。どストレートな青春映画が御望みの方、感動の涙にむせびたい方には、十二分に満足できること請け合いです。

でもね、上記に書いたような意味では、やはりこれは「ももクロ映画」でもあるのです。

ももクロファンでなければ、モノノフでなければ分からないような「仕掛け」が、映画の随所に盛り込まれているんです。これを見つけた時の楽しさったら、

モノノフ冥利に尽きるってもんです(笑)

流石モノノフ監督、本広克行だ(笑)

ああ良かった。モノノフで(笑)







『幕が上がる』
原作 平田オリザ
脚本 喜安浩平
音楽 菅野祐悟
監督 本広克行

出演

百田夏菜子

玉井詩織

有安杏果

高城れに

佐々木彩夏



黒木華

ムロツヨシ


天龍源一郎
内田春菊
辛島美登里

松崎しげる
藤村忠寿
三宅正治
たこやきレインボー



清水ミチコ

志賀廣太郎



笑福亭鶴瓶


制作 フジテレビジョン
   東映
   ROBOT

平成27年(2015)



※ちなみに、エンディングタイトルのシークエンスは、本広監督が心酔している映画監督、大林宣彦監督の作品で、原田知世主演による映画『時をかける少女』へのオマージュとなっています。

わかる方にはわかる。

青春賦

2015-02-25 10:17:30 | ももクロ





ショート・ヴァージョン解禁。



この一番の歌詞は、宮澤賢治の言葉で、私の好きな言葉。

【永久の未完成これ完成である】

そのものです。


永遠にたどり着けない目標へ向かって、ただ一途に、ひたむきに進み続ける。それが「青春」なら、

人はいくつであっても、「青春」であり続けることが出来よう。

人とは抑々不完全、未完成なるもの。だからこそ完全、完成へと向かって歩もうとする。

でもその目標はおそらく、人たるままでは、永久にたどりつくことができない。

しかしその、歩み続けようとする姿勢こそが、完全なのだろう。完成なのだろう。

「青春」、なのだろう。


「青春」とは、人類永遠普遍の物語。




映画『幕が上がる』原作、平田オリザ。監督、本広克行。主演、ももいろクローバーZ。
2015年2月28日公開。

あと3日!

洗車の話

2015-02-22 18:37:46 | 日記




今日は午前中に、久々に洗車をしました。

なにせ今日は、昼間の気温が9℃まで上がるということで、普通冬場にはあまり洗車をしないのですが、せっかく暖かい日なので、これは洗車をしない手はない、ということで、ホースとブラシを用意して、冬のゆるやかな日差しの中、洗車を開始しました。

9℃で暖かいのか?と、都会の方々は思われるかも知れませんが、ハイ!暖かいです。

まっ、暖かいというか、寒くはないというか、日差しが当たれば十分にぽかぽかなので、こちらの感覚では、暖かいと言っても差し支えないのです。

そうした日差しの中、小一時間も体を動かしておりますと、じっとりと汗ばんでくる。心地よい疲労感のようなものが肉体に広がって行き、肉体が喜んでいるのがわかる。

洗車には丁度良い日和でしたね。

私は、そんなに洗車が好きなわけではないのだけれど、それでも機械洗車というのはどうにも好きになれなくて、やっぱり洗車は手洗いの方が良いと思っています。

なんかねえ、手洗いだと「掃除したなあ」って感覚が得られるじゃないですか。よくやったぞ自分!と、自分で自分を誉めたくなる。自己満足、かな?

ともかく、機械洗車では得られない充足感、といったもの。それを得たいがために、

せっせと手洗いするわけです。



じっくりと手洗いしなければ、わからないことというのはあるもので、小さな傷がついているのを発見して、ちょっとテンション下がったり(笑)まあ、中古だし、年式的にはもう10年以上経ってるし、抑々生産が中止されてる車種だし、今更小さな傷くらいでガタガタ言うな、とも思いつつ、

でもやっぱり、傷は無い方が良いよねえ。


汚れを洗い流し、キレイに吹きとった後、車内を拭き掃除。掃除機も掛けたいところだけど、それはのちほど。

今度はワックスがけ。

ワックスといっても、拭き取り不要の簡単な奴なので、ササッと塗りたくっておしまい。閉めて2時間弱の洗車終了。

良い運動でした。

ああ、スッキリした。




映画『バルジ大作戦』予告編。ヘンリー・フォンダ、ロバート・ショウ、ロバート・ライアン、チャールズ・ブロンソン、テリー・サバラス他、豪華スター共演。
大好きなんだよねえ、これ。ドイツ軍のタイガー戦車という設定で使われている戦車が、どうみてもソ連軍のT-34だったりして(笑)おおらかな時代だったのよねえ。

えっなんでこの映画?それは、ほら、「せんしゃ」だから…。

さあてと……。




今日はただの雑談でしたね。

まっ、こういうのもいいよね。

映画『太秦ライムライト』

2015-02-19 22:29:13 | 映画





                     



通称【5万回斬られた男】福本清三氏、最初で最後の主演作。

斬られ役一筋に徹してきた男の、最後の花道、とでもいうような映画でしょうか。



自分が「斬られる」ことで、主役が引き立つ。作品が面白くなる。そこに自身の存在価値を見い出し、いかに「斬られる」か、それのみを追求し続けた。その真面目で謙虚な人柄が、多くの人の信頼を得、スター俳優からも可愛がられた。そうしていつしか多くの映画、テレビ時代劇に出演するようになる。

出演、といっても、役はやはり「斬られ役」、セリフはほとんどなく、出演シーンはほんの数分。時にはまったく写っていない時もあった。

それでもひたすらに、無骨にやり続けた。その姿はやがて多くの時代劇ファンの心を掴み、福本ファンの輪が出来始め、それは後援会という形に発展。その講演会の尽力により、ハリウッド映画『ラストサムライ』への出演を果たす。

役柄は「サイレント・サムライ」つまり、一言もセリフがない。

でも、主演のトム・クルーズの側に、常についているという大役。


自分が目立つことなど、まったく考えていなかった人が、もっとも目立つ役を得てしまった不思議。それもこれも、福本清三という「人間」が引き寄せたもの。



そんな福本さんの人生そのものを、そのまま映画化したような作品。それが『太秦ライムライト』。

福本さんが演じるのは、斬られ役一筋に生きた役者で、時代劇の本数が激減したことで仕事がなくなってしまい、引退して田舎へ引っ込むという設定。

しかし、かつての教え子や、往年の時代劇スター(松方弘樹)に押されて、もう一度「斬られ役」を引き受ける。

桜吹雪舞い散る中、見事に斬られ、スローモーションでエビ反りながら倒れて行く。このラスト・カットのためだけに作られた映画だと言って良い。


こんなこと言うのは何ですが、福本さんは、とにかく演技がヘタ。だから立ち回り以外のシーンはほとんどセリフがない。あれは多分、セリフが言えないから相当削ったんじゃないかな。

でもそんな福本さんが、立ち回りになると俄然生き生きし始める。顔つきが引き締まり、動きが急にキビキビし始める。ああ、本当にこの方は、殺陣が好きなんだなあと感じさせます。

ホントに顔が変わるんです。この道一筋に生きた男のカッコよさを感じます。




                      




映画としてはそれほど良い出来だとは思いません。脚本が悪いのか、ストーリー展開に相当の難があり、なにより「主役」がヘタなので、観ていて随分辛い部分があります。

しかしそれもこれも、「福本さんだから」それでいい、と言えるような福本ファンであれば、そのヘタさがまた、らしくて良いとも思え、逆に満足できるかも知れません。


とにかく、ラストの松方弘樹との殺陣シーンはメチャメチャカッコイイです。この道一筋に生きた男最大の見せ場、最高の花道。


福本清三という「人間」をリスペクトする人々による、福本清三を堪能する映画。

それが、『太秦ライムライト』。


こんなプレゼントをしてもらえるとは、福本さんは本当に良い人生を送っておられます。



それでも福本さんは常に謙虚。そうした人柄が、またまた多くの人を惹きつけ、多くの人に慕われる。

人が範とすべき「生き方」の、一つの見本がここにある。そんな気がします。



                      







わかってください

2015-02-17 13:50:11 | つぶやき
 


わかってもらおう、なんて思わないこと。

他人にわかってもらう必要はない。

自分がわかっていれば、それでいい。



問題なのは、自分自身に対して、自分は間違ってないと、本当に言えるのかどうか、ということだね。

自分自身の「良心」に対して、何の疚しさも無く、正々堂々、胸を張れるのかということ。



それさえ出来るなら、あとはなにもいらない。

他人が何を言おうが、どう思われようが、そんなこたあ


どーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーでも!

いいんだよ。





映画『幕が上がる』青春真っただ中、ももいろクローバーZ主演。2015年2月28日公開。



というわけで、私は自分自身に対して、堂々と言える。

「私はモノノフだー!!」(笑)

御蔭様

2015-02-15 19:18:21 | つぶやき




人間、一人で生きている奴なんて一人もいない。

みんな、誰かの御蔭様で生きてる。



自給自足している?ならば、その畑を耕す鍬は誰が作ったの?

作物を入れて運ぶ駕籠は誰が作ったの?



その服。あなたが今着ているその服は、あなたがなにもかも一から作ったとでもいうの?糸を紡ぐところから、すべてあなたが一人でやったとでも?


ごはんを食べる時のお箸は?茶碗は?なるほど、それくらいならば、自作される方もおられるでしょう。でもその大元となる土は誰が作ったの?木は誰が育てたの?

すべて、あなたが一人で育てた、一人で作ったとでも言うの?



この大地があって、見ず知らずの多くの人々との、好むと好まざるとに関わらずの関わりの中で、人は生かされている。

人は全て、知らぬうちに誰かの御蔭で、「何か」の御蔭で生かされ、誰かを、「何か」を生かしている。

そういうもんです。



この大地があって、この国があって。我々は日本人として生かされている。

この国を繋げてきた、数えきれぬ多くの先人達の命の連なりの御蔭で、我々は今を生かされている。

本当に、本当に多くの名も知らぬ人々、本当に多くの、ありとあらゆる事象、森羅万象との関わりの中で、我々は生かされている。

誰も、誰も「一人」で生きている奴なんて、ただの一人もいない。

そう思えば、自然と感謝の念が湧いてきませんか?

生きていることに感謝。生かされていることに感謝。これすなわち。

自分を生かしている多くの人々と、大地と、国と、新羅万象と、

そして先人、先祖達すべてに、感謝しているのと同じことなんだな。

生かされていることに感謝する。それだけで、「全て」に感謝しているのと同じことになるんですよ、わかる?

生かされていることに感謝するだけでいいんです。

それだけでいい。

これって、スゲーと思いません?お得だと思いません?(笑)

そして感謝し続けている内に、或る時気付くんです。




自分の中に、それら「全て」があるということに。








                       



最近、アメリカ、ギブソン社製エレキギター、「レス・ポール」の質が落ちているそうです。

いや正確には、元々あった粗悪品が、日本国内でも頻繁に出回るようになったということのようです。

今までは、ギブソン社製品の輸入を取り扱っていた日本の代理店が、そうした粗悪品を水際ですべてハネていたために、国内には良い製品しか入ってきていなかったのが、その代理店がギブソン社製品を取り扱うことから降りてしまったため、急激に粗悪品が国内に出回るようになった。

人知れず、日本のために働いていた方々が、ここにもおられた。このような事になって初めて知ることが出来ました。

なんとも皮肉な事です。

人知れず日本のために働いていた方々に、

感謝。




Gary Moore-Parisienne Walkways(邦題「パリの散歩道」)

レス・ポールの魅力を伝える代表的な曲。

KISSとももクロ

2015-02-12 19:16:02 | ももクロ




                      



ヘヴィ・メタル専門誌BURRN!(シンコ―ミュージック) 2015年3月号に、ももクロとKISSが一緒に写っている写真が大きく掲載されています。(P11)。ももクロがオズフェスに参戦した際には、記事に取り上げないことを表明していた同誌でしたが、今回ばかりはそうもいかなかったようですね。


現在発売中の同誌3月号、KISSのポール・スタンレーとのインタビュー記事(インタビュアー、増田勇一氏)によれば、ある人物から、「ももクロとなにか一緒にやってみることに興味はあるか」という打診があったのだそうです。初めからももクロを知っていたわけではなく、その打診を受けてからももクロの曲やライヴ映像をチェックし、非常に強い興味を覚えたところから、最終的にKISS側がももクロに曲を提供し演奏するという、破格のコラボに至ったようです。

まあですから、「KISS側からのオファー」というのは、嘘ではないけれでも、100%正しいわけでもないのでしょうね。

ももクロの気に入った点について、やはり同記事より抜粋しますと

********************

「たとえばあの振付けがある。ヒップホップではなく、どこか伝統的であり、ゲイシャ的でもあり、しかも彼女たちは、自分達ではない何かになろうとはしていないと思えたんだ。俺の目から見ると、きわめて日本的で、しかも自分達の踏まえてきたものに対する誇りを感じさせられるんだよ。あの踊りは、俺に言わせればスモウのようでもあり…。」

(増田)ああ、なるほど。

「ふふっ。そうだろう?カブキもあるし、ゲイシャもあるし、いろいろなものが少しづつ、断片的に織り込まれている。そこに俺は大きな魅力を感じたんだ。正直、黒人のヒップホップ・アーティストを真似て踊っている女の子達には、俺は意義を見い出せないんだ。その点、彼女達がやっていることには独創性があって、俺は気に入った。衣装も素晴らしい。これは非常にエキサイティングだ、と思えたし、何か強く印象に残る、しかも時の試練に耐えられそうなものを書けそうな気がしたんだ」(以上抜粋終わり)

********************

素晴らしいですね、流石40年間、熾烈なエンタテインメント業界を生き抜いてきた方です。ももクロの特色を的確に見抜いている。見事です。

特に私は

>「自分達ではない何かになろうとはしていない…」

ここを見抜いたところが素晴らしいですね。

ももクロは当初より、「和」をコンセプトとしたグループだったし、表立っては言わないけれど、日本人であるということに、実はかなりこだわっているグループだと、私は以前から思っていましたから、ポールのこの指摘は実に嬉しいものがあります。

日本の伝統的なものを踏まえつつ、そこからさらに飛躍した、独自のものを作り上げていく。これはロックというものに立脚点を踏まえながらも、常にあらゆる方向性を模索し続けてきたKISSというバンドの在り方と通じるものがある、と、ポール及びKISS側が感じたのだ、と思う。

もちろんビジネスですから、裏側では様々な駆け引き等、とても表ざたには出来ないことがあったでしょうが、つまりは、上記のようなことが決め手となってのコラボ実現だったと、なるほど。

よくわかりました。





今回のコラボ、様々な意見が飛び交っているようです。が、まあ、そんなことはどうでもいいです(笑)

とにかく曲が良い。これに尽きる。

「何故KISSがアイドルなんかと…」なんてことを言う人は、抑々KISSの歴史を知らないのじゃないかと思いますね。80年代には、当時流行のディスコ・ミュージック風の曲「ラヴィン・ユー・ベイビー」を書いて賛否両論侃々諤々巻き起こしましたが、結局現在ではバンドを代表する曲として、ライブではほぼ必ず演奏される。観客はみな大喜び。あの論争はなんだったの?という感じ(笑)世の中なんてそんなもんです。

曲が良い。これは「命」です。この曲はももクロのこれからのキャリアの中でも、重要な位置をしめる曲になると確信します。ファンも外野も、屁理屈小理屈こねくり回してるんじゃない!


曲が良い。それが「すべて」です。





KISS-I Was Made For Loving You(邦題「ラヴィン・ユー・ベイビー」)




ももクロはこれからも進み続ける。自分達の手で、未来を伐り拓きながら。



さあてどちらの方向へ、どのように進んで行くのか

楽しみだ。





                    




                                  

映画『小さき勇者たち ~ガメラ~』

2015-02-11 12:45:10 | 特撮映画




                     



1995年より99年に亘って公開された、金子修介監督の「平成ガメラ三部作」は、大人の鑑賞に耐えうる怪獣映画を目指し、特に一作目『ガメラ大怪獣空中決戦』は、そのハードでリアルな世界観が怪獣映画ファンのみならず、多くの一般映画ファンをも取り込み、95年度の各映画賞において多くの賞を受賞するほどの完成度を誇りました。

個人的に嬉しかったのは、キネマ旬報の読者選出映画第2位に選ばれたことでした。「映画秘宝」ならともかく(当時はなかったけど)キネ旬ですからね。

しかしこのシリーズも回を追うごとに興行成績が落ちて行き、三作をもって制作は打ち切られます。それから7年後の、2006年、昭和ガメラとも金子ガメラとも一線を画した、まったく新しい設定で製作されたのが、本作『小さき勇者たち ~ガメラ~』です。

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母を亡くした少年、透(富岡涼)はある日、浜辺で光る物体を見つけます。それは真珠のような赤い石と、その上に乗った小さな卵でした。

その卵から孵化したのは亀でした。透は亀に「トト」と名付けます。

透の家は食堂なのでペットを飼うことは禁止されていました。透は父親の孝介(津田寛治)にないしょでトトを飼いはじめます。

しかしトトは成長が異常に早く、ついには空中に浮かび始めてしまいます。気味が悪くなった透はトトを捨てようとしますが、どこまでもついてくるトトを捨てきれず、連れて帰ってきます。

ついに1メートル台に達したトトを、浜辺の小さな小屋に隠す透。秘密を共有するのは親友・勝(石川眞吾)とその弟・克也(成田彰吾)。そして透の隣家に住む、心臓病を患う少女・麻衣(夏帆)。

麻衣は、トトの特殊能力が、33年前にギャオスと戦い、人間を守って自爆した怪獣ガメラにそっくりだと指摘します。麻衣は心臓手術のために、名古屋の病院へ入院するため町を離れます。

そんな麻衣に、透はお守りだとして、トトの卵の下にあった赤い石を預けます。

はたして、トトはガメラなのか…。

折しも、太平洋上で船舶の遭難が連続して発生。そして透たちの住む海辺の町に、突如トカゲのような巨大生物が上陸します。

町を破壊し人々を喰らう。謎の巨大生物に追い詰められる透たち。

そこへ、巨大な影が立ちふさがります。それはさらに大きく成長したトトでした。

トトと怪獣との壮絶な戦い。劣性を強いられるトトでしたが、必殺の火球攻撃で辛くも怪獣を海に追いやりますが、力尽きて動けなくなってしまう。

トトは自衛隊によって名古屋の大学の研究所へ運ばれます。

大学には、33年前の事件以来、ガメラを研究している学者・雨宮(石丸謙二郎)がおりました。

雨宮は、33年前のガメラが自爆した破片とされる緋色真珠からガメラのエネルギーを採取し、ととに注入、復活させて「ジーダス」と名付けられたトカゲ型怪獣とぶつけようとします。エネルギー液によってより巨大化したトトでしたが、目覚める気配は有りません。力尽きてしまったのか。

透と勝、克也の三人は、トトを助けるためには赤い石が必要だと考え、麻衣の入院する病院へ向かいます。透たちが名古屋へ到着したちょうどその時

その名古屋に、ジーダスが上陸します。

その気配を察知し目覚めるトト。

トトは果敢に戦いを挑みますが歯が立ちません。劣性に次ぐ劣性。

透たちはガレキの転がり、非難する住民が右往左往する市街をなんとか病院へたどり着きますが、麻衣たちはすでに避難しており病院はもぬけの殻。そこへ駆けつける孝介。

孝介は勝兄弟に避難所の地図を渡し避難するよう指示、なおもトトの元へ行こうとする透を諭します。
「あれはガメラだ。もうお前のトトじゃない」
しかし透は言います。
「トトは僕の目の前で生まれた、僕よりずっと子供なのに逃げずに戦っている、だから僕も逃げない!」


トトの戦いをモニターで見ていた麻衣は、手元にある赤い石をトトに返そうと、手術が終わったばかりの身体を懸命に起こしてトトの元へ向かおうとします。それを止める大人達。

「トトに…トトに…」か細い声で云い続ける麻衣の元へ、同じ避難所にいて、やはりトトの戦いを見ていた少女が歩み寄ります。

じっと麻衣を見つめる少女に、麻衣はモニターに写るトトを指し「トトへ…」

少女は「トトへね」と答えると石を受け取り、走り出します。

それを見て、麻衣は安心したように眠りにつきます。


逃げ惑う群集と逆方向へはしる少女。向かうは一路、トトへ。

石は途中で多くの子供達にバトンタッチされ、リレーされていきます。ただ一言「トトへ」そして一方向を指し示す。

それだけでわかる。

それだけで伝わる。

子供達は知っている。

自分達を守ろうとしているのが誰なのか。

だから、子供たちもまた、守りたいのだ。

助けたいのだ。

そこに理屈はない。

あるのは

強く、純粋な想いだけ。


石のリレーはついに勝の手元まで届き、勝はこれを透に託します。

ここに至り、孝介も透と行動を共にすることを決意。親子はトトの元へ向かいます。

折しもトトは、ジーダスの攻撃によりタワービルに頭から突っ込み、身動きがとれなくなっていました。

はたして透は、無事トトへ石を届けられるのか、トトはジーダスを倒せるか…。


********************



「小さき勇者たち」とあるように、主役は名も無き多くの子供達なんですね、ガメラじゃない。

いや、この場合、トトはまだガメラに成り切れてはいない。まだ子供なんです。そう意味では、トトもまた「小さき勇者」です。大きいけど…(笑)

ラスト・シーンで飛び去って行くトトに、透は初めて「ガメラ」と呼びかける。つまりこの戦いを通じて、トトはガメラに成長したんですね。ガメラとして自立した。

同時に透も、トトから自立したわけです。

先述したように透は母親を亡くしており、幼馴染の少女は心臓に病を抱えている。そんな折にトトに出会い。透は命というものの大切さ、愛おしさを実感していく。

その命を守るための、戦いに挑んでいく。


少年の成長譚として非常に良くできています。個人的には、幼馴染の少女への仄かな純情みたいな部分があれば、もっと「少年の映画」になったかな、とも思いますが、それをやっちゃうと話が煩雑になると判断されたのでしょうね。合ってもいいと思うんだけどねえ。透は絶対、麻衣に恋してるって(笑)。

それと、津田寛治演じる孝介は、子供の頃にガメラが自爆するところを見ているんですね。その時に感じた想いを、息子の透を通して思い出したのだと思うんです。だから最後には、透と行動を共にした。

かつて子供だった大人が、子供の頃の想いを蘇らせられるような作りになっている。

そこがまた上手いです。


まあ、怪獣映画としてみた場合、定番nである自衛隊との攻防戦が一切無いし、都市破壊シーンも少ない。ジーダス登場シーンも意外とアッサリしているし、抑々このジーダスって何者なのかさっぱりわからない。怪獣の出自等が皆目わからないし、描き方もアッサリサッパリで、ほとんど印象に残らない。敵怪獣に魅力がないというのは、かなり致命的です。

合成やミニチュアワークがよく出来ているだけに、その点が非常に残念。


ですから、この映画を「怪獣映画」として観るか、「ファミリー映画」「少年映画」として観るかで、随分評価は違ってきます。私個人としては、あの「石のリレー」のシーンで思いっきり点数が上がっちゃいますね(笑)。

「小さき勇者たち」が活躍するあのシーンが、この映画の要です。結局あのシーンをどう感じるかが、すべてを決める。そう思います。



子供達の「純」なる魂を信じられるかどうか。それがすべて。








『小さき勇者たち ~ガメラ~』
企画 佐藤直樹
制作 黒井和男
脚本 龍居由佳里
音楽 上野洋子
特撮演出 金子功
監督 田崎竜太

出演

富岡涼
夏帆

津田寛治
寺島進
奥貫薫
小林恵

石川眞吾
成田翔吾

石丸謙二郎
田口トモロヲ

渡辺哲
弓削智久



小野ひまわり
磯村洋祐
諏訪圭亮
鷹尾星奈
片岡皇杏



佐々木俊宣
吉田瑞穂

制作 角川ヘラルド映画

配給 松竹

平成18年(2006)

真剣に「遊ぶ」

2015-02-08 03:31:01 | つぶやき




人は人であるという時点で

不完全、未完成、不安定なものである、というのが私の持論。

“アッチ”の世界でどんだけ凄い存在だったとしても、“コッチ”の世界へ「人間」と生まれた以上、その時点で不完全、未完成、不安定に出来ている。

まあそれでも、いわゆる「普通」の人から比べたら、色々な意味で「優れて」いるのかも知れないが、それでも「完璧」ということはない。

どんなに優れていようが、「特殊」な力を持っていようが、「人間」である以上、「完璧」はありえない。

必ず「間違える」、「失敗」する。誰であろうと、ね。

そういうものだと、私は信じる。



だから、だからこそ

生きてることは「面白い」。

人でいることは「楽しい」。



生きている限り「完成」はない。

人でいる限り「完璧」はない。

その、達成できない「完成」へ向かって、

到達できない「完璧」を目指して、

人は進み続ける。


それが、この世に「生きる」ということ。


虚しい?そんなことはない。

むしろ「楽しい」んじゃない?



これはゲームだ。

永遠に届くことのない目標へ向かって、どこまで近づけたかというゲーム。

刹那の一生を賭けて挑む「遊び」だ。

だから、誠心誠意、全身全霊を込めて、真剣に、それこそ命懸けで「遊ぶ」のだ。



真剣に「遊んで」いる人は、

カッコイイね。








【現し世は夢、夜の夢こそまこと】

誰の夢かは知らないが、夢の浮世に





自分なりの花を咲かせようぜ~っと!




以上で、ありやす。

2015-02-05 13:18:17 | 日記



関東地方に大雪が降るとか。要警戒と、ニュースで盛んに報道しております。

毎度毎度ながら、10センチ降る位でびびるのかよ!?と思ってしまうのは、雪に慣れた地方に住む者の傲慢ですな。いや、反省反省。

報道を見ておりますと、未だノーマル・タイヤのままで走行している車も見かけるとか。これはよくない!雪を「ナメて」はいけません!

冬道にスタッドレス・タイヤは必須です。お金や時間を惜しんだり面倒くさいとか言ったって、命落としちゃ意味ないよ。



くれぐれも、お気をつけあれ。





猫 「雪」
作詞作曲、吉田拓郎。盛岡の雪の夜の出来事を歌にしたのだとか。



何故か雪には、郷愁を感じさせるものがあるようです。

冬の後には必ず春が来る。冬は終わりの季節であるとともに、あらたな始まりを告げる季節でもある。

雪はその象徴。雪解け水は大地を潤し、新たな命を芽吹かせる。

終わりは始まり。また始めりゃいいんだよ。






心が傷ついたとき、何かを清算したいときには、雪国への一人旅は最適??あっ、変なこと考えちゃダメよ。

生きるための、雪国一人旅。お試しになりたい方は、どうぞどうぞ、お出でください。

ただし、

寒いよーーー!!!





石川さゆり 「津軽海峡冬景色」




北国の人もしゃべるよ。