風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

Li-sa-X [Serendipity] 2017

2017-03-31 05:06:14 | 今日のメタル










12歳の少女Li-sa-X(りーさーX)のデビュー曲。年若い割には上手い……なんてレベルじゃない!!凄すぎだ!!!


指の動きの滑らかさ、無駄のなさに感心してしまう。とんでもないテクニックを披露しているのに、それがとんでもないようには見えない。こともなげに弾いている(かのように見える)。あまりにもレベルが高すぎ!!


この超絶技巧に、天才少女なんて冠は今更無意味。この子は


「本物」のギタリストだ。




ちなみにLi-sa-Xの名の由来は、彼女が尊敬するギタリスト、ポール・ギルバートが80年代に在籍していたバンド、Racer-X(レーサーX)からきているようです。

こういうところは、なんか可愛いね(笑)




映画『エスパイ』 昭和49年 1974

2017-03-30 03:33:11 | 特撮映画










「エスパイ」とは、「エスパー」と「スパイ」とを組みあわせた造語です。世界平和を守るための国際的なスパイ組織で、その日本支部長に加山雄三。
その配下に藤岡弘、由美かおる、睦五朗。新人エスパイに草刈正雄という布陣。

対する悪の超能力者組織のボスに若山富三郎。配下には内田勝正(!)



原作は日本SF界の泰斗、小松左京。当時人気があった山田風太郎の「忍法帖シリーズ」に対抗できる小説を、という注文だったようで、小松さんの作品としてはかなり通俗的な作品に仕上がっていたようです。



映画としては、やはり当時人気のあった「007シリーズ」に、SF的なエッセンスを配合したような作品にしたかったのでしょうが、当時の日本映画の実情ではさすがにそれは無理があった。

舞台はジュネーブからイスタンブール、パリ、東京と移り変わっていきますが、どうにもこじんまりとした感じが拭えない。若山さん率いる悪の組織にしても、007に登場する「スペクター」のような、闇の奥深さがまるで感じられず、このスケール感の小ささはどうしようもないものがあります。


大体、若山さんの演技がなんというか、「もっさり」していて、若山さんの演技が始まると途端に映画のテンポが止まってしまう。あれは観ていてイライラします。


若山さんはご自分でご自分の事を「先生」と呼ぶくらいの大御所でしたから、ご自分で立てた演技プランを押し通すところがあったようです。この映画は低予算で、僅か1ケ月の強行スケジュールで撮り終えねばならず、天下の若山大先生の機嫌を損ねずに撮影を終えるには、言うがままにするしかなかった、ということもあったのではないですかね。

なんといいますか、切ないですねえ……。




ただ、「つまらない」と言って終わらせてしまうのは勿体ない、何と言いますか、「珍妙」な映画だとはいえると思います。癖になると案外イケるかも知れません(笑)


藤岡弘さんはお得意のアクションを存分に披露していますし、草刈さんの二枚目ぶりは当時としては天下無双のものがあります。


が、この映画の最大の功労者は、なんといっても内田勝正さんです。


超能力者の殺し屋として冒頭から登場し、映画の主要シーンにはほぼ出ずっぱりで、藤岡さんや草刈さんより遥かに目立ってる。とにかく内田さんがメチャメチャカッコよく、内田さんなしにこの映画は成り立たなかったといっていい。



内田さんファン必見!いやファンならずとも、この作品における内田さんの魅力には大いに惹かれるものがあるのではないでしょうか。




内田勝正という俳優がいかに魅力的であるか、良い役者であるかがよくわかる。内田さんを魅せるためにある映画ですね。



いや、ホントに。



内田勝正という俳優を見たい方、知りたい方。




どうぞご覧あれ。












『エスパイ』
制作 田中友幸
   田中文雄
原作 小松左京
脚本 小川英
音楽 平尾昌晃
   京謙輔
特殊技術 中野明慶
監督 福田純

出演

加山雄三

藤岡弘
草刈正雄

由美かおる
睦五朗

内田勝正

岡田英次


若山富三郎

昭和49年 東宝映画

またまた名言!

2017-03-29 13:00:48 | ももクロ










「私が思う、夢を叶えるために大事なことは努力です。努力は何をするにも必要な事だとは思いますが、夢を叶えるためにも必ず必要な事ですし、その夢が叶わなくても、きっと何かを得ていると思うからです」



女優、松岡茉優さんのラジオ番組にて、我らがももクロリーダー、百田夏菜子が語ったことです。松岡茉優と百田夏菜子は高校の同級生。夏菜子が夏菜子也に努力している姿を見ていたようで、「本当に努力していた人の言う言葉は重みが違う」ともらしていたとか。



努力したところで、夢が叶うかどうかなんてわからない。でも努力してみなきゃ、夢が叶うことはない。


結局、努力するしかない。




彼女たちのドキュメンタリー、『はじめてのももクロ』を見ていると、本当にこの子たちは、何もできない底辺から努力し続けてきて、努力して努力してここまでやってきたし、これからだって努力し続けるんだろう。その時点ではできなかったことも沢山あった。

それでも、「得られるもの」が必ずあった。

だからこその言葉です。






彼女たちの夢はまだまだずっと先にある。そういう意味では彼女たちもまた、

夢を「叶えて」などいないのだ。


どこまで行けるかは分からない。それでも彼女たちは


努力し続けるんだろうね。



千尋の谷を、キャッキャキャッキャはしゃぎながら登っていくんだろうね(笑)




百田夏菜子は、経験に裏打ちされたことしか語らないし、語れない(笑)だからこそ、彼女の言葉には重みがある。



百田夏菜子を、舐めたらいかんよ。






見よ!この雄姿!(笑)



予め断っておきますが、私の夢はなにか?なんて質問は受け付けませんので(笑)よろしく~。


内田勝正

2017-03-28 06:19:16 | 名バイプレーヤー










私は子供の頃から悪役が大好きで、時代劇や刑事ドラマを見ては、お気に入りの悪役さんの登場に喜んでいたものです。


中でも大のお気に入りだったのがこの方、内田勝正さん。



なにが良かったかって、子供ですからそんな難しいことではありません。要するに「カッコよかった」からなんです。


基本、二枚目じゃないですか。厳ついっちゃ厳ついんだけど、でもなにかこう、颯爽としたカッコよさがあるというのか、とにかく好きでした。


最近でこそあまりお姿をお見かけしませんが、私が若い頃は、様々なドラマ、時代劇に出まくっておられましたね。水戸黄門の出演回数68回というのは、記録じゃないかな。


映画『メカゴジラの逆襲』では珍しく(失礼)「良い方」の役で、ちょっとびっくりしましたが、あれはあれでまた、カッコよかった。




現在73歳、まだまだ現役。末永く我々を楽しませて頂きたい。




勿論、悪役として(笑)

『べっぴんさん』 第25週 「時の魔法」

2017-03-27 03:43:33 | エンタメ総合










キアリスメンバーも全員引退し、会社は次世代へ受け継がれることに。

明美さんは栄輔君と結婚ではなく、「同居」することに、良かった良かった。


キアリス精神の原点ともいうべき、あのワンピースの子、美幸(星野真里)ちゃんも登場。涙あり笑いありの、このドラマのエッセンスがすべて凝縮されたかのような、良い一週間でした。


さて、泣いても笑ってもあと一週間きりです。楽しみましょう。



田中要次さん、夏菜子のほっぺにツンって、あれは明らかなアドリブでしたね。夏菜子がリアクションに困っている姿をそのまま使ってる。


愛されてるねえ。

祝☆ 有安杏果、大学卒業~!!!

2017-03-26 19:57:09 | ももクロ










ある程度年季の入ったファンならば、杏果が実は女子大生であったことは、みんな知っていました。


しかしながら、公式な発表が控えられていたために、モノノフさんたちは杏果や事務所側の意向を忖度(←流行語!)し、誰の命令を受けたわけでもないのに、この4年間、杏果の大学に関する話題を上らせなかった。


結果、この情報は知る人ぞ知るという段階以上に拡散することがなかった。



そうしてこの度、忙しいももクロとしての活動を続けながら、単位を一つも落とすことなく、きっちり4年での卒業です。もう、なんていうか、

素晴らしいですね!!!



なぜ発表しなかったのかについては、我々がどうこう言うべきことではありませんが、杏果の性格を鑑みるに、学生であるときは学生に専念したいということや、周りに極力迷惑をかけたくないという思いがあったからだと思われ、

何も言われなくても分かってる。だからモノノフさんたちも、あえて何も言わなかった。


このももクロとモノノフとの関係性、何というか、やっぱり、


素晴らしいね!!!!




有安杏果、日本大学藝術学部写真学科卒業。その忙しい仕事をしながら学業を全うした姿勢に、大学側から「学長特別表彰」が送られたそうな。



私かあれこれ言うまでもないね、これがすべてを物語ってる。


これがももクロだ、これが杏果だ!



どうだい!ウチの杏果スゲーだろ!?なんか、親戚の子を自慢する叔父さんのような気分(笑)




よかったね杏果。本当に本当におめでとう!!!!



バンザーイ杏果、バンザーイ!!!!!




おめでとう。




最後にやはりこの一言。


杏果を


ももクロを



舐めんなよ!

映画『君の名は』 平成28年 2016 (ムスビ)

2017-03-26 10:53:12 | 映画









被災地、閖上の地に立って、新海監督は何を思っただろう。


詳細は私には分かりません。ただ、「助けたかった」と思ったことは確かでしょう。


その思いが、この映画を作らせた。この時空を超えた


「愛」の物語を。



この作品は何というか、命をはじめとするこの世の神羅万象に対して、とても真摯な態度で臨んでいるように思われます。登場人物はみな、与えられた状況の中で自分ができることを必死に努力している。誰も安易に、神様におねがいなんてしないんですよね。これほど神社やら御神体やらが物語の中心に据えられているというのに、誰も「神頼み」ということを発想すらしない。

人が人として努力し続けた結果として、口嚙み酒に辿り着く。そこではじめて恩寵が与えられるわけです。


しかもこの恩寵の絶妙なところは、恩寵を受けた人たちがそれに気づけない、ということなんですね。本来なら彗星の破片の墜落によって亡くなったはずの人たちが全員助かった。

時間軸が新たに組直された。このことによって、彗星によって多くの犠牲者が出たという事象が消えてしまった。だから

当然その「記憶」も消えてしまう。


この時間軸の変更にほぼ直接的に関わった瀧や三葉の記憶もまた消えていく。新たな時間軸の中では、彼らの行動は「なかった」ことになったわけですから、なかった事象、起きなかった事象が記憶にあるはずがないんです。



この辺りの展開がなんとも絶妙で、切ないわけです。瀧と三葉は、入れ替わりをしたことも、片我時のつかの間の邂逅も、

お互いがお互いに「恋」をしたことも



すべて忘れて、新たな時間軸の中に溶け込んでいく。



だけど、何かを失ってしまったという寂寥感は、お互いの中に残り続け、何を失くしたのか分からないまま、二人は


「片我」をずっと探し続ける……。






この世の神羅万象への真摯な姿勢を保ちつつ、雄大にして壮大、尚且つとても繊細な物語でした。正直、『シン・ゴジラ』や『この世界の片隅に』比べれば、若干落ちる(失礼)けれど


好感触は持てた作品でしたね。



なんかね。監督の名前が良いなあと思いましたね。


「新海誠」=神界のまこと。



散々書いといて、結論はそこかーい!(笑)

映画『君の名は』 平成28年 2016 (片我時) 

2017-03-25 05:59:52 | 映画











夕暮れ時の薄暗い時間帯。夜でもなく昼でもない曖昧な境界では、人ならぬものと出会うかも知れぬ。これを称して


【逢魔が時】

といいます。



薄暗い中では、人の顔もよく見えぬ。あれは誰だ?という意味の言葉


【誰そ彼(たそかれ)】から「黄昏」という言葉が生まれたとされています。


もっと古い言い回しでは、やはり同じ意味である【彼は誰(かわたれ)】から、「かわたれどき」とも言ったそうです。



宮水三葉の住む村では、この時間帯のことを

【かたわれ時】というのだそうな。



何故このような言い回しが生じたのでしょう?



それは……。


********************


瀧と三葉との間には、3年という時空の隔たりがあります。


瀧が三葉のことを知った時、三葉はすでにこの世にはなく、会うことが出来ない。また三葉が生きていた3年前には、瀧は三葉の存在を知らず、三葉が会いに行ったとしても、瀧には誰だかわからない。


この絶対的な断絶がある二人が、はたして会うことができるのか!?


これが、出来ちゃうんです!!


その出来た「時間帯」こそが、

【かたわれ時】というわけです。




詳しいストーリーは端折らせていただきますが、例の御神体が鎮座されるクレーターの外輪で、今にも日が暮れようとする【逢魔が時】に、3年という時の断絶を越えて、時空の垣根を越えて、


遂に二人は、出会いを果たす。



瀧は三葉の噛んだ口嚙み酒を飲むことで、三葉と一体になった。つまりもう一人の三葉、三葉の「片割れ」になったわけです。

もう一人の「我」ですから、この場合は「片我」と表記するのが相応しいでしょう。


逢魔が時に出会ったのは魔物ではなく、もう1人の自分、「片我」だった。だから、


【片我時】



出来過ぎてるくらいに、よく出来てます。



思うにこの【片我時】という言葉、まさにこの時の、瀧と三葉のことを語るために生まれた言葉なのかもしれない。


遥かなる太古より、こうなることが予定されていた?

いや、と云うより


瀧が三葉の口嚙み酒を飲んだことを起点として、新たなる時間軸が形成されたのではないだろうか。


ちょうど組紐を編むように、行きつ戻りつしながら様々な色の糸を縒り合わせ、一本の組紐を編み上げていくようにして


新たな時間軸が編み上げられた。


それは、三葉たちや村人が予め避難していたお蔭で、彗星の齎した災害に巻き込まれなかった、誰も死ななかったという結果へと向かう、新たなる時間軸だった。

遥かなる太古より、瀧と三葉が出会えるような因果を積み重ねていく、そんな時間軸が編み上げられた。


やはりこれは、「ムスビ」の神の、ただ一度の恩寵のようです。




もしもこの恩寵が、3・11にも齎されたなら……。




なんてことをふと、思ってしまいます。



それは監督の新海誠も、おそらくは同じ気持ちだったに違いない。












もう少し、つづく



で、ありやす。









映画『君の名は』平成28年 2016 (個と時空の垣根を越えて)

2017-03-24 03:44:57 | 映画










宮水神社の御神体は山の奥に鎮座されております。


巨大なクレーターのような形をした窪みの真ん中に、巨大な石があり、この石が御神体とされているのです。


この石はどうやら、太古の昔にこの地に落下した隕石らしい。宮水の家は代々この隕石を守り、祀ってきた家系なのです。



隕石に乗って地球にやってきたウイルスから、生命が誕生したという説があります。あるいはこの隕石には、地球生命誕生の秘密が隠されているのかも知れません。




また宮水の家の女たちは代々、組紐を編むことを生業としており、三葉の祖母一葉は、「組紐と時の流れは同じ」だと三葉に教えています。


命を生むこと、時の流れ。これはいずれも「ムスビ」と言い習わします。およそこの世の神羅万象はすべて「ムスビ」の中にある。



どうやら、この隕石に鎮座される神は、「ムスビ」の神のようです。




宮水の女の行う神事の一つに、「口噛み酒」があります。


米を口の中で嚙み、唾液と混ぜて吐き出す。これが発酵して酒になったものを「口嚙み酒」といい、これを御神体内の祠に捧げる神事です。


祖母一葉は言います。「この酒は三葉の半分」であると。

つまり、この酒には三葉の「分霊」が入っている、ということでしょう。



実はこの口嚙み酒を御神体に運ぶ時、三葉の中身は瀧と入れ替わっており、瀧はそのことを憶えていました。



「入れ替わり」が途絶えて後、瀧は三葉が住んでいた、消滅した村に辿り着き、この御神体石の事を思い出します。


瀧は御神体石の中へと入り、三葉が捧げた口嚙み酒の入った丙子を手に取り、中身の酒を一口飲み干します。


忽ち瀧の頭の中に現れる、飛び交う彗星と、なにか受精卵のようなものが成長していくイメージ。

三葉の歩んだ人生が頭に浮かび、そうして遂に、瀧は再び「入れ替わり」を体験するのです。




三葉の分霊がはいった口嚙み酒を飲むことで、瀧は三葉と一体になった、だから入れ替わりができるようになったわけです。つまり、


この物語のすべての起点は、「ここ」から、口噛み酒を飲んだところから始まっている、ということです。




過去は過ぎ去っていくものではなく、常に「今」と並行して存在している。だから、瀧が御神体石の中で口嚙み酒を吞んだことによって、そう言う状況を生むむような方向へ向かって行くように過去が変化した、と考えればいいのです。


時間というものを、過去から未来へ一直線に進むものだと思っているから分からなくなる。過去現在未来はすべて並行して今ここにある、と考えれば、時間軸のどこを切っても「今」になる。


そういうことです。何の問題もない。


瀧や三葉の記憶がすぐに薄れていくというのも、この並行した時間ということで理解できます。つまり、時間軸の中の事象が変化したわけですから、変化する前の、消えてしまった事象が、抑々記憶にあるはずがないことになります。だってその時間軸中では「起きなかった」出来事になったわけですから、起きなかったことが記憶にあるはずがない。


だから、記憶から消えていくのです。


筋が通ってます。よくできた話です。




こうして見ていくと、この物語は「ムスビ」の神が氏子たちに与えた、ただ一度の「恩寵」であったのかも、

知れませんねえ。





まだつづく、で



ありやす。

映画 『君の名は』 平成28年 2016 (プロローグ)

2017-03-23 14:40:44 | 映画










ここで一句。


【早春や忘れた頃に『君の名は』】




一応ネタバレありありということで、自己責任でお願いしますね~。


********************



人間の中身が入れ替わる話自体は古くからあるようですが、現代においてはやはり、昭和57年公開、大林宣彦監督による映画『転校生』の影響が大きいと言えるでしょう。


肉体が入れ替わる事によって、お互いがお互いを、深いところまで理解し合えるようになる。「俺はお前でお前は俺で」となるわけです。


基本は男の子と女の子が入れ替わるのですが、このパターンは様々なバリエーションを生み、父と娘、母と娘、父と息子、中には不倫の相手同士なんてのまで出てきた。


いずれにしろ、入れ替わることで相手の想いとじぶんの想いとが重なり合い一つとなる。個という垣根を越えて通じ合っていくというところに骨子があると言えるでしょう。









この作品では単に男女が入れ替わるというだけではなく時空をも越えた物語が展開されていきます。


東京の男子高校生・立花瀧と田舎の女子高校生・宮水三葉が、夢を媒介として入れ替わるわけですが、ある日その入れ替わりが忽然と起こらなくなってしまう。

瀧は、三葉と入れ替わっている時に見た風景が、3年前に彗星の破片の落下により消滅した村であることを知ります。


つまり三葉は、3年前に死んでいたのです。






新海監督がこの作品の着想を得たのは、東日本大震災の被災地、宮城県名取市閖上でのことらしい。

閖上は仙台にも程近い良港でしたが、先の震災で町がまるごと津波にやられてしまった。新海監督は日和山と呼ばれる呼ばれる小高い丘の上に立って、壊滅した町をじっと見つめていたそうです。


その時、監督の胸に去来したものとは……。










さて、ところでどうして二人は、入れ替わりが出来るようになったのでしょう?


そこには、女子高生・宮水三葉の「家系」が強く関係していると思われます。



この辺りの見解については、章を改めて書いてみたい。ということで



唐突ですが、つづく、で



ありやす。