「地主」という地名を見かけたことはありませんか?あるいは「地主町」なんて名前の商店街があったりします。
大概の人は、「偉い地主さんが住んでいたのか?」といったようなことを連想します。しかしこの「地主」とは人ではありません。
地主とは「地主神」つまり「土地神」のことを云っているんです。
地主と書いて「とこぬし」、「じぬし」、「じしゅ」などと読みます。上に挙げた地主町は、私の知っているところでは、「じしゅまち」と読みます。年配の方などは「じしゅうまち」と伸ばして呼んでいますね。
古来より日本人は、大自然ありとあらゆるところに神が宿ると信じていました。ですからそれぞれの土地には、それぞれの土地神様がおられる。
ですから、例えば町場を整理するための大規模な開発工事などを行う際に、その土地の神を祀って許しを得ようとした。あるいは、
祟りを成さないように「封じ込めた」という意味もあったかもしれません。
私の知る地主町の由来も、おそらくは城下町整備を恙なく行うために地主神を祀った場所があったからだったでしょう。土地の神「地主神」を祀った祠か社が、かつてはこの地主町の一画に建てられていたのだと思われます。
ただ古地図などを見る限り、そのようなものは見当たらない。ただ寺院が数軒建っていたようなので、おそらくはその寺院のどこかに祀られていたのだと思われますね。
その地主町も現在では、人通りもまばらな閑散たる商店街となってしまいました。江戸の頃にあった寺院は一軒も残っておらず、もはやどこに地主神様が祀られていたのか分からない。
この街を通る度、どの辺に祀られていただろうかを夢想します。
伊勢外宮には、「土宮」と呼ばれる別宮があります。
この土宮は、伊勢外宮の鎮座する彼の地の、元々の土地神つまり地主神を祀った社なのだそうです。
日本古来の風習として、神社や寺院を建てる場合、その土地の土地神、地主神を祀ったんです。土地の神の許可を得る、あるいは土地の神を封じ込める。どちらの意味にせよ、土地神を祀る風習があった。
例えば武蔵国一宮・氷川神社には摂社として「門客人神社」があり、アラハバキの神が祀られています。民俗学者の故・谷川健一氏などによれば、このアラハバキの神こそ元々の地主神であったようです。
どの土地にもその土地の神がおわす。神社や寺院でさえ土地神を祀っていたのだから、人がその土地に住もうとするなば、当然土地神の許しを得なければなりません。それは地鎮祭というかたちで、現在でも継承されていますね。
ただこの地鎮祭の意味を、本当に分かっている人はどれだけいるのだろうか。
今や「地主」といえば、土地を金で買った持ち主のことを指すようになってしまい、土地神という本来の意味が忘れ去られてしまっています。かつての日本人は、その土地に住まわせていただいているという意識が強かった。しかし今はどうでしょう?
土地に対する感謝、家に対する感謝を忘れてはいないだろうか?
地主町を通る度、そんなことを思う今日この頃。
今日のリクエスト。NSP『八月の空へ翔べ』
夏らしい名曲。