私らが20代のころは、自動車運転免許を取るときにはマニュアル車が当たり前でした。
教習所にも試験場にも、オートマ車なんたありませんでしたからね。車はマニュアル車が当たり前、オートマなんてまだまだ珍しかったんじゃないかな。
それがいつの間にか、オートマでも免許が取れるようになって、気が付けば世に溢れる車たちの主体はオートマばかり、イマドキマニュアル車なんて、生きた化石みたいな扱いです。
かく言う私も、御多分に漏れずオートマ車を所有しております。実際、運転はマニュアル車より遥かに楽だし、世に溢れるのも当然かなとは思います。
ただ私は、仕事でマニュアル車を運転することが多いので、畢竟オートマとマニュアルとを比較する機会に恵まれています。
楽なのはオートマですが、マニュアルの方が「操作している感」は強いですね。
自分の意志と、車の動きとの一体感という点では、マニュアル車の方が強く感じられるように思われ、運転する楽しさという点では、マニュアル車の方が上のように思えます。
特に、冬場の凍結路面の際の、オートマ車の心もとなさったらないです。ああいうときはマニュアル車の方が遥かに安心できる。
まあ、単に私の運転が下手なだけかもしれませんが(笑)
映画『2001年宇宙の旅』『時計仕掛けのオレンジ』等の監督、スタンリー・キューブリックが制作し、映画『E.T』『ジュラシック・パーク』等の監督、スティーヴン・スピルバーグが監督した映画『A.I.』。
息子が仮死状態にある女性のために、息子の代わりにその女性を愛するようプログラミングされた少年型ロボット(ハーレイ・ジョエル・オスメント)。
しかしその息子がある日息を吹き返し、少年ロボットは森に棄てられてしまいます。
様々な冒険、苦難を繰り返した後、少年ロボットは海中へ没し、機能を停止してしまいます。
それから2000年後、人類はすでに滅び、地球は進化した半透明なロボットたちが支配していました。
その半透明なロボットたちによって、少年ロボットは救い出されます。
少年が語った希望はただ一つ。「母親を愛したい」。
半透明たちはクローン技術を駆使して、少年の「母親」を蘇らせます。しかしそのクローンは、一日しか命が持たない。
それでも少年は、その母のもとで、たった一日の至福の時を過ごしたのです。
オートマチックな「愛情」をプログラミングされた少年ロボットは、果たして「幸せ」になれたのだろうか?
車の技術は日進月歩です。そのうち人間は「なにもせず」に、車が全自動で勝手に行く先まで連れてってくれるようになるかもしれません。
でもそれって、
「楽しい」ですか?