延喜式の「触穢」に関する記述を読んでおりますと、当時の宮廷人がいかに触穢を恐れていたかということがわかります。
死穢は伝染病のようなものだと捉えていたわけですから、放っておくと死の連鎖が起こると考えていたようです。だから、死者の出た家の者や死穢に触れた者の行動は厳しく規定され制限された。
本当に心の底から、死穢を恐怖していたようです。
しかしこの死穢観念は、果たして日本古来の伝統的観念だったのでしょうか?
私は、必ずしもそうだとは思わない。
なぜなら、日本文化の基層を成している縄文時代には、原始的農耕も行われていたとはいえ、基本的には狩猟採集を生業をしていたわけです。
ですから、仕留めた獲物を解体して、毛皮と内臓と肉と骨に分離するなんてことは茶飯なことでした。そんなときにいちいち死穢だなんだと騒いでいたら仕事にならーん!
ですから死穢観念の発達は、農耕社会の成立以降のものだと考えられます。
抑々「穢れ」とはなんなのでしょう?
穢れは「気枯れ」であるとする説があります。人の魂は本来、太陽のように「明けき」ものであるはずなのですが、世間にも揉まれながら生きているうちに、煤やら埃やら垢やらがこびり付いて、暗くなってくる。生命力が落ちるわけです。
この状態のことを気枯れ=穢れといったのではないでしょうか。
ですから、そのこびりついた煤やら埃やら垢やらを払い落して、本来の「明けき」心を取り戻す。生命力を強くする。これが「祓い」なのだと思います。
そこに必ずしも「死」は関係していなかった。
一般論として、農耕社会の発展は富と権力の集中を生み、貧富の差や階級差などの「社会内格差」を生み出します。
これも一般論ですが、富と権力を手にした者達は、それらを決して手放したくないと思うものです。
出来れば永遠に、己の栄華を謳歌したい。しかしいつかは必ず手放さなければならい。
何故なら人は、いつか必ず「死ぬ」からです。
富と権力、地位や名誉への強烈な執着心。それが死に対する強烈な恐怖心を生み出した。できるだけ死から遠ざかりたいと思った。
そうした執着と恐怖心が、日本古来の「穢れ」観念と結びついた。
そこへさらに、仏教の不殺生戒や不浄感が拍車をかけ、「死」は穢れたもの、そして「死」に直接的に触れることも穢れと考えるようになった。
現世の栄光に対する執着と、それを失う恐怖が、死穢観念を生み、発達させてきた。
そんな風に、私は考えるわけです。
芸能民がまだ出てきませんが(笑)、今日はここまで。
続きます。