風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

穢れと芸能民 ~その1~ 死穢観念の発達

2016-09-30 04:31:23 | 歴史・民俗





延喜式の「触穢」に関する記述を読んでおりますと、当時の宮廷人がいかに触穢を恐れていたかということがわかります。


死穢は伝染病のようなものだと捉えていたわけですから、放っておくと死の連鎖が起こると考えていたようです。だから、死者の出た家の者や死穢に触れた者の行動は厳しく規定され制限された。


本当に心の底から、死穢を恐怖していたようです。



しかしこの死穢観念は、果たして日本古来の伝統的観念だったのでしょうか?




私は、必ずしもそうだとは思わない。



なぜなら、日本文化の基層を成している縄文時代には、原始的農耕も行われていたとはいえ、基本的には狩猟採集を生業をしていたわけです。

ですから、仕留めた獲物を解体して、毛皮と内臓と肉と骨に分離するなんてことは茶飯なことでした。そんなときにいちいち死穢だなんだと騒いでいたら仕事にならーん!



ですから死穢観念の発達は、農耕社会の成立以降のものだと考えられます。





抑々「穢れ」とはなんなのでしょう?

穢れは「気枯れ」であるとする説があります。人の魂は本来、太陽のように「明けき」ものであるはずなのですが、世間にも揉まれながら生きているうちに、煤やら埃やら垢やらがこびり付いて、暗くなってくる。生命力が落ちるわけです。


この状態のことを気枯れ=穢れといったのではないでしょうか。



ですから、そのこびりついた煤やら埃やら垢やらを払い落して、本来の「明けき」心を取り戻す。生命力を強くする。これが「祓い」なのだと思います。


そこに必ずしも「死」は関係していなかった。









一般論として、農耕社会の発展は富と権力の集中を生み、貧富の差や階級差などの「社会内格差」を生み出します。



これも一般論ですが、富と権力を手にした者達は、それらを決して手放したくないと思うものです。


出来れば永遠に、己の栄華を謳歌したい。しかしいつかは必ず手放さなければならい。

何故なら人は、いつか必ず「死ぬ」からです。


富と権力、地位や名誉への強烈な執着心。それが死に対する強烈な恐怖心を生み出した。できるだけ死から遠ざかりたいと思った。

そうした執着と恐怖心が、日本古来の「穢れ」観念と結びついた。


そこへさらに、仏教の不殺生戒や不浄感が拍車をかけ、「死」は穢れたもの、そして「死」に直接的に触れることも穢れと考えるようになった。



現世の栄光に対する執着と、それを失う恐怖が、死穢観念を生み、発達させてきた。


そんな風に、私は考えるわけです。





芸能民がまだ出てきませんが(笑)、今日はここまで。


続きます。

穢れと芸能民 プロローグ 延喜式

2016-09-29 04:47:44 | 歴史・民俗





『延喜式』は10世紀に編纂された、律令制の細則を記載した文書です。


この延喜式に、「穢れ」に関することが記載されているそうです。

それによれば、穢れは「伝染」するものだと考えられており、延喜式ではこれを「触穢(そくえ)」と呼んでいるそうです。


この触穢には一定の法則があって、例えばAの家に死人が出たとします。このAの家にBが著座(ちょざ)すると、Bの家族全員が死穢に感染するのだとか。


著座とはつまり「着座」のことで、着座とはつまり、Aの家で食事や、火、水などを同じくすることを言います。




【同じ釜の飯を食う】ことは、単に食をともにすることではなく、この同食によって、霊的にもつながりができるということを意味しています。

同じ火や水を使い、同じものを食することによって、AとBは霊的につながる、つまり死穢が伝染するということなのです。


ですからAは、一定の服喪の期間を置き、穢れを浄める祭祀を行わねばならず、その間は役所等の公の場所に出仕することは固く禁じられていました。またBのように死穢に触れたものも、やはり一定の期間、公の場への出仕を禁じられていました。




イザナギ、イザナミの神話では、イザナミが黄泉の国の食べ物を食べてしまったがために、もう戻ることは出来ない、とする記述があります。食を共にすることは霊的に同化することなんですね。



火や水は神聖なものであり、その神聖性(あるいは穢れ)を伝播させると考えられていたようです。伊勢神宮では神様に供する食事を煮炊きするために「忌火」と呼ばれる火を焚きます。



「忌む」とは現代では単に「嫌う」といったような意味でつかわれることが多いですが、本来は「畏れ憚る」という意味だったと思われます。神聖なものだから、他の用途に安易に使うものではないと、きつく戒められていた。

そうした「畏れ憚る」が故になるべく遠ざけるべき対象とされ、それが時代の変遷とともに、単に「厭い嫌う」対象へと変化していった。


そうして「忌む」は「嫌う」「遠ざける」と同様の意味となってしまった、と考えられますね。






さて、被差別民というのは、この「死穢」に直接的に関わることを職能としていた人々だから忌み嫌われ、差別されたとされています。


しかし私は、単純に「嫌われて」いたわけではないのではないか、と考えています。

「忌火」の「忌」が、本来神聖な意味であったように、被差別民は嫌われていたから差別されたのではなく、むしろ神聖視されていた側面もあったのではないだろうか。



その点を「芸能民」に視点を置く形で、素人考察を行ってみたいと思います。



今日はほんの「触り」。




続きます。

早起きは三文の……。

2016-09-28 05:11:15 | つぶやき




北条早雲や加藤清正は、領内の法律で朝寝坊をきつく戒め、早寝早起きを推奨していたらしいです。

日本人は概して朝寝坊を嫌う。戦国時代は特にいつ死ぬかわからないのだから、時間を有効に使うという概念がより強く発達していたのかも知れない。

それにしても、時間の使い方まで人にあれこれ指図されるのは相当つらい。時間の使い方くらい好きにさせてくれよ!と思うのが人情というもの。


かくいう私も早起きですが、これは仕事柄致し方ない面もあり、誰に言われるまでもなく、自分で自分に課したものなので、これはさほどのつらさは感じません。

なんでもそうですが、人に言われるくらいなら、自分で決めて自分から行動した方が納得がいくというものですね。



誰に強制されるまでもなく、自分の意思で、自分がしたいからする。



無理は続かないです。



最初は人から言われて始めたことでも、続くか続かないかは結局自分の意思です。自分の意思にできるかできないかが、分かれ目



なのかもね。







それが「素直さ」というものか。




三文の徳があるのかないのか知らないけれど、そんなことには関係なく、早起きは続けたいですねえ。

Ozzy Osbourne [Mr.Crowly] 1980

2016-09-27 04:38:20 | 今日のメタル










24歳で早逝した天才ギタリスト、ランディ・ローズ在籍時の貴重なスタジオ・ライヴ映像。

曲のタイトル『ミスター・クロウリー』とは、20世紀最大の魔術師といわれたアレイスター・クロウリーのことです。



アレイスター・クロウリーは、ザ・ビートルズのアルバム、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のアルバム・ジャケットにも登場している人物で、60年代~70年代にかけて、多くのアーテイストにある種の「思想的」影響を与えた人物といっていいでしょう。


ロックとスピリチュアリズム、ロックとオカルティズムとの関係性の元となった人物、かもしれません。


レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが、ネス湖畔にあったクロウリーの屋敷を購入した、なんてエピソードもあったようです。その後どうしたのかは知りませんが……。



この曲は、そんなクロウリーに対し、オジーが「決別」を宣言している曲なんですね。決して讃えているわけではない。そこが面白いところです。



ランディ・ローズのクラシックをベースとしたギター・プレイは、まだまだ粗削りだけれども、惹きつけられるものがあります。もしも存命だったならば今年で57歳、どんなギタリストになっていたことやら……。




バンド・メンバーはキーボードに重鎮ドン・エイリー。ドラムにはトミー・アルドリッチ。ベースにルディ・サーゾ。錚々たるメンバーです。

曲のテンポがなぜか若干遅いし、スタジオ・ライヴということもあってか、オジーは今一つ乗り切れていない感じ。その分バンド・メンバーが奮起して演奏してますね。その演奏を突っ立ったまま、楽し気にただ眺めてるオジーの姿に妙な微笑ましさを感じてしまうのは、オジーの人徳(?)故か。




いずれにしても在りし日のランディの貴重なる雄姿。目ん玉ひんむいてとくと見よ!

江幡高志

2016-09-26 04:33:39 | 名バイプレーヤー









死に方が上手い役者さんだなあというイメージがありますねえ。


必殺仕事人だったと思いますが、伊吹吾郎演じる左門さんに、身体を折りたたまれるのですが、その時に「おっ?なんだ!?」という声を上げるんです。

おそらく江幡さんのアドリヴだと思うのですが、自分の身に何が起こっているのか理解できていない、たかがおでん屋だと思っていた左門さんに、今自分の身体が折りたたまれているという事実が理解できないまま死んでいく。

いかにも「どうしたの?」というような表情で死んでいく。そういう演技がたまらなく上手い方ですね。



演じる役柄は大概小狡い小悪党で、必ず「小」が付く(笑)。たまに町の商店の気のいい店主を演じたりもするのですが、これもやはり小商店の店主で、大会社の社長ではない。やっぱり「小」が付く。


でもそこがいいんですよね。そこがこの方の「味」なんですね。



元々劇団出身ということもあってか、しっかりとした演技力があるし、その演技力と風貌とが相まって、無敵の存在感と味わいを持った、これぞ名バイプレーヤー!というべき方の一人、だと思いますねえ。




御年87歳にして未だ現役。これからもその小狡い演技で、視聴者をイライラさせて、楽しませていただきたいですねえ(笑)。

ももクロ今昔 ~人の成長こそがエンタテインメント~

2016-09-25 04:17:56 | ももクロ









2008年の結成から、2015(実質2014)年までの、ももクロの軌跡を追ったドキュメンタリー『はじめてのももクロ』略して『はじクロ』。

2015年にテレビ放送された分に未公開シーンを加えた「完全版」が、この度発売されました。


全体的に面白いですが、中でもやはり面白いのは「黎明期」ともいうべき最初の1~2年ですね。



事務所の都合で集められた女の子たちですから、大人の言うことは素直によく聞くけれど、自主性に欠けていたんですね。教えられたとおりのの振り付けでただ動いて、教えられたとおりのMCをただ繰り返す。


これではただの「売れないタレントだ!」kwkmマネージャーの激が飛びます。


アドリブで言えないなら自分たちでMCを考えろ!と言われ、戸惑いながらもミーティングをはじめるメンバーたち。



これなんですよ、この素直さなんです。


これが、ももクロを現在の位置まで押し上げた大きな要因の一つだと、私は思う。



ホントに素直過ぎるくらいに素直で、周りの大人たちがよっぽどしっかりした人たちでないと、すぐおかしな方向に曲がっていくんじゃないかと心配するくらいなんですよね。

もう完全に親目線(笑)


その点はkwkmマネージャーが正しい「愛」をもって育ててくれましたからね、だからこそ今のももクロがある。

ありがたいことです。




2011年だったか、Zepp Tokyoで1日3回公演なんてとんでもないライヴを行ったときも、最初はブーブー言ってても、結局は3回公演をやり遂げてしまう。あれだけ不満と不安でいっぱいだったのに、終わってみると楽しい思い出しか残ってないというんです。


あの激しいダンス・パフォーマンスと歌を2時間行って休憩1時間。それを3回繰り返すわけです。楽屋裏でひたすらマッサージを受けるももクロちゃんたち。その姿はアイドルというよりアスリート。24時間マラソンか!というくらいの過酷な現場。

夏菜子などは、あまりのプレッシャーに泣き出してしまうほど。あのめったに人前では泣かない夏菜子がです。

それでも、終わってみると、やってよかったという感想しか残らないというんですから、

まったく、どんだけええ子やねん!


夏菜子曰く「私たち、バカですから(笑)」








「悪い」大人たちの築いた壁を次々と乗り越え、あかりん脱退の悲しみをも糧として、紅白出場、そして改修前の国立競技場でのライヴと、快進撃を続けてきたももクロですが、そういうことよりも、ももクロの最大の面白さは、その成長の過程にこそあるんだな、と思う今日この頃です。



最初はホントに何もできない子供たちなんです。ダンスなどと、とても言えるようなものではなく、ただなんか動いてるだけだったし、歌もまるで下手、およそ聞くに堪えない代物でした。



それが、大人たちがちょっとツボを押すだけで、あれよあれよという間にできるようになっていくんですよね。これが観ていてとても面白い。



最初は言われるがままだったのが、自分たちで自主的に考え、行動するようになっていく、それによって益々パフォーマンスが伸びていくわけです。この過程を見ているのが途轍もなく面白いんですね。



人の成長の現場に立ち会える。なるほど、これがももクロというエンタテインメントの、最大の感動であり、楽しさなのだということを、改めて確認させてくれる。

『はじクロ』とは、そういう作品です。 




いやあ、ももクロって、本当にいいものですね(水野晴郎風)。












それにしても、ももクロは本当に歌が上手くなりました。


メンバー個々人の歌は勿論ですが、最近の曲は5人のユニゾンがとても素晴らしくなってる。これは昔の曲と今の曲を聴き比べればはっきりわかります。

例えば『猛烈宇宙交響曲第七楽章「無限の愛」』のユニゾン・パートと、『走れ!Z Ver.』のユニゾン・パートを聴き比べてみると、その違いに愕然としますよ。

『猛烈……』は今聴いてみると、結構雑で、それに比べて『走れ!……』は、ブレスの位置から音を伸ばす長さに至るまで、一音一音寸分たがわずぴったりと音が重なりあっていて、実に気持ちがいい。



この点を踏まえつつ、最新曲『ザ・ゴールデン・ヒストリー』を改めて聴いてみると、その成長ぶりに改めて感動するという(笑)


同じメンバーでずっと続いてきたからこそ味わえる感動なんだよね。例えば杏果一人を見ても、以前の歌い方と、発声法を変えて以降の歌い方とでは、明らかに現在の声の方が自然に声が前に出ていて、凄く聴きやすい。元々の歌の上手さがより味わえるようになってる。

各自の成長と、グループとしての成長と両方味わえる。一粒で二度おいしい(?)それがももクロ。



人の成長を見守ることこそが、最高のエンタテインメントだなあと思う、今日この頃ですわ。



いやあ、ももクロって、ホントにホントに、本当にいいものですねえ。






諸々のこと

2016-09-24 09:03:35 | 日記





お彼岸、だからなのかどうか。

最近、先祖供養で線香に火をつけると、体内の血が活性化するというのか、なにかこう、「来る」ものがあるんですなあ。


あんまり奇異的なことは言いたくないのですが、「血は霊」などとも申します。なにかこう、「つながってるのかあ」などと思ってしまう、今日この頃。









夏目漱石の『彼岸過ぎまで』という小説。あれは彼岸過ぎあたりまでに書き上げなきゃならなかったのでそういうタイトルにしたのだとか。

こういうセンス、結構好きだったりします(笑)

その漱石が熊本の旧制5高の教師をしていたころに生徒だったのが、のちの物理学者・寺田寅彦。寅彦が漱石に、「俳句とは一体どのようなものですか」と質問したところ、

「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである」

と答えたそうな。

「扇のかなめのような集中点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである」


五七五の短い言葉の中にある種の「宇宙」を感じるのが俳句だろうと思うんですが、その要諦をものの見事に見取っています。スゴイなあ。



漱石は続けて、「花が散って雪のようだといった常套な描写を月並みという」。こういう句はよくない。

「秋風や白木の弓につる張らんといったような句はよい句である」

と教えたそうな。わかりやすい!

これからの参考にさせていただきます(笑)




寺田寅彦は漱石から二つのことを教わったそうです。

【自然の美しさを自分の目で発見すること】

【人間の心の中の真なるものと偽なるものとを分け、そうして真なるものを愛すること】




なにやら、岡潔先生にも通じる、簡素にしてツボを得た教え、ですねえ。


(磯田道史『江戸の備忘録』)

















若いころは、スティーヴン・キングなどのホラー小説をよく読んだものです。


キングの小説はホラーという部分を抜きにしても、物語としての精度が非常に高い。『シャイニング』『IT』などは、その辺の文学作品と並べてもなんら遜色はないと、今でも思っています。

もっとも、並べるほどには「文学」など読んじゃいませんが(笑)。



日本のホラー小説では、なんといっても小野不由美の『屍鬼』。吸血鬼を日本の風土の中に見事に溶け込ませた大長編ホラー小説で、もう、お見事!としか言いようのない小説でした。


ホラーは単に怖がらせればよいというものではなくて、特に小説の場合は、ある種の「人間論」「文明論」になっていなければならない。なんて偉そうなことを論じつつも、もう、ここ10数年、ホラーに関係するものには、ほぼ一切、手を出しておりませんでした。

自分の中で、ホラーの「需要」がなくなったのでしょうね。



そんな私でも、昔とった篠塚……もとい、昔取った杵柄で、やはり評判の高いホラーものは、どうしても気になってしまう。


というわけで、買っちゃいましたよ、小野不由美のなにかと話題の小説。


『残穢』


今、机の上にポンっと、置いてあります。



さて、買ったのはいいけど、読もうかな、どうしようかな。


正直に言うと……。







読むの、コワイよ~~~~っ!

9月の雨

2016-09-23 05:08:25 | ここで一句





♪Septenber Rain Rain~♪



9月の雨は冷たい、なんて歌った歌がありますが、言うほどには9月の雨は冷たくない(笑)

それでも、長時間雨の中に立っていたら、そりゃあやっぱり冷たく感じるものです。寒くもなります。


それでも、見たいものを見るためには、人は立ち続ける。


ファンとは有り難いものです。






9月22日、秋分の日。岩手県平泉町周辺では、夕方ごろから雨が本降りとなりました。

そぼ降る雨の中、平泉は毛越寺のすぐ横、「観自在王院跡」に三々五々集まってくる人々。



観自在王院は、奥州平泉藤原氏二代・藤原基衡の妻によって建立されたと伝えられています。現在、建物は残っておらず、跡地は公園として整備されています。




観自在王院跡





ここでは様々なイベントが開催されており、毎年恒例の企画に、「平泉歌舞伎」があります。

昨日、9月22日、今年の平泉歌舞伎開催されました。

これまでにも、猿之助さんや勘太郎・七之助兄弟、愛之助さんなど錚々たる方々に来ていただいております。


今年の好演はコチラでした。




私は外から会場をチラッと眺めただけでしたが、大きなテントが張られておりましたので、舞台はそのテントの下に設営されたのでしょう。しかし観客席まではそうはいかなかったのではないでしょうかね。雨の中、雨合羽を着たり傘をさしての鑑賞となったことでしょう。


それでも、実に多くの方が集まっておられました。さすが成田屋、人気は伊達じゃない。







以前にも取り上げましたが、江戸の頃、役者は「」と呼ばれた被差別民でした。


その歌舞伎役者を、から町人身分に引き上げる尽力をしたのが、成田屋一門だったそうな。



身分を上げるなんて、そうそう簡単なことではなかったと思います。あるいは表ざたにできぬような「工作」をしたのかも知れない。

町人身分を得たといっても、すぐに差別がなくなるわけではない。彼ら歌舞伎役者たちは、己の生活を守り、芸を守り伝えていくために、多大な努力と苦労を重ねてきたに違いない。


そのためには、言うに言われぬ様々な事、本当に様々なことを行ってきたに違いなく、


良縁悪縁、本当に多くの因縁を重ねてきたのでしょうね。

それもこれも、芸のため。伝えていくため、致し方ない面もあったのだ。


と、私は思う。


その先人たちの労苦あったればこそ、今の歌舞伎がある。

今の成田屋がある。



重いものを背負わされちまったね、でも自分で選んだ道だ。なにがあろうと、行くしかない。



色々大変だろうけど、つらいこと悲しいこと、泣きたいこともあるだろうけど、それでも頑張れ!海老蔵!


イヨッ!成田屋!




ここで一句。



【長月の夜雨にけぶる傾奇舞】



唐松、じゃない、お粗末。

Hey!Sey!

2016-09-22 08:04:50 | エンタメ総合








BABYMETAL、東京ドーム、ライヴ2日間で11万人動員!!


今月の19日、20日と2日間に亘って行われた、BABYMETALの東京ドーム公演。日本だけでなく海外からも多くのファンが訪れ、大成功に終わったようです。



「なんでも【溶かす】国ニッポン」の象徴といっていい彼女たちの快進撃。今後世界もまた、このように【溶かされて】いくのだとしたら……。



面白いですねえ。


へヴィ・メタルにアイドル。サブカルの中でも割とバカにされがちなジャンルが、世界を変える魁をなしていたとするなら、

こんな面白いことはない。


世の中とは得てして、【下】から変わっていくものです。










ところで、「平成」という年号は幕末にも一度検討の対象になったことがあるそうな。


時の孝明天皇は、禁門の変などの凶事がこれ以上起こらないように、改元を検討します。その当時の年号は「元治」でしたが、これは「保元・平治の乱」が起こったときの年号の字が両方入っているから縁起が悪いのだ、として、いずれの字も被らない年号を求めた。

そうなると「平成」は「平」の字が入ってますから即却下。こうして年号は「慶応」に決まり、「平成」は140年の間、封印されてきたというわけです。





平成の「平」の字を解体すると「一」「八」「十」となります。これを「イ」「ワ」「ト」と読み、「成」をプラスして、「イワト成る」と読むとする説が、一時期流布されました。この平成の御代において、天窟戸が本当に開き、アマテラスオホミカミがお出ましになる、という説です。

幕末ではまだ早かった、だから封印されたのでしょうか?



その平成も、どうやら後2年ほどで終わりそうな状況になっております。果たしてイワトは開いたのでしょうか?

それとも、これから開くのか?



天窟戸神事に欠かせないのが、アメノウズメによる芸能神事です。すべての芸能事のルーツはここにあるのだとか。

ならば、すべての芸能者はアメノウズメの末裔であり、とりわけ歌って踊る女性アイドルなどは、直系の子孫といっても過言ではないのかも知れない。


今や、その直系の子孫たちが、日本を飛び出し、世界に活躍の場を広げています。



イワトが「成った」にせよ、これから「成る」にせよ、

これが平成という世の、一つの表れなのかも、



知れませんねえ。







一番好きな曲

BABYMETAL [Ijime,Dame,Zettai]

特撮映画紳士録 -第2回ー 土屋嘉男

2016-09-21 03:49:20 | 特撮映画






帝洋グループ総帥、権藤(『ゴジラVSキングギドラ』)



昭和29年、黒澤明監督の映画『七人の侍』に、百姓・利吉役で出演してした土屋嘉男さんは、同時期に撮影を行っていた映画『ゴジラ』に興味を持ち、黒澤監督に内緒でゴジラの撮影を見学していたとか。

黒澤映画の常連俳優として有名な方ですが、一方では大変な特撮好きとしても有名な方で、宇宙や宇宙人にも興味を持ち、昭和30年の特撮映画『地球防衛軍』(本多猪四郎監督)出演が決まったとき、自ら宇宙人の役を買って出たそうです。

終始ヘルメットを被っている役で顔が写らないと言われても、「顔を出すことだけが役者の仕事ではない!」と言って、宇宙人役を熱望したのだそうです。なんか、良い話ですよね(笑)




百姓・利吉(『七人の侍』)


宇宙人役が決まったことを黒澤監督に報告すると、「イノさん(本多猪四郎監督)のトコならいいよ」と快諾されたとか。黒澤監督と本多監督とは助監督時代からの大親友でしたから、黒澤監督も嫌な顔はしなかったようです。

この二人の監督の関係性もまた、面白い。




映画『地球防衛軍』より、宇宙人ミステリアン。真ん中の方が土屋さん。見事に顔がわからない。




その後昭和39年の映画『怪獣大戦争』では、やはり宇宙人・X星人役で出演。その他、昭和34年の映画『宇宙大戦争』や、昭和43年の映画『怪獣総進撃』では、宇宙人に操られてしまう人間を好演。特撮映画の中でも、割と「変わった」役を好んで演じられる方という印象が強いですね。




映画『怪獣大戦争』より、X星人統制官。多少は顔が分るかも。




平成3年の映画『ゴジラVSキングギドラ』では、バブル経済の立役者、権藤役で出演。この権藤という男、戦時中は南太平洋の小島、ラゴス島の守備隊長でした。

そのラゴス島で、権藤ら日本兵は、一頭の恐竜と出会い、心を通わせます。

その恐竜は、戦後のアメリカの核実験によって、ゴジラへと変貌してしまうのです。

今や日本経済の中心人物となった権藤の前に、東京の街を破壊しながらゴジラが現れます。

ビルの一室の窓際に静かに佇む権藤をゴジラが見つめます。動きを止めるゴジラ。

遠い日の記憶を思い出し、目に涙を溜める権藤。ゴジラは何かを思い出そうとするかのように目を閉じます。

やがてそのゴジラの目にも、うっすらと涙が……。

しばらく見つめあう両者。やがてゴジラは、なにかを振り払うかのように頭を一振りさせ、咆哮を上げると放射能熱戦を権藤に向けて吐き出します。


バブル崩壊、の瞬間でした。



ゴジラと権藤、静かに対峙する両者(『ゴジラVSキングギドラ』)



土屋さんならではの名演でした。





そんな土屋さんの代表作といえば、やはり昭和35年の映画『ガス人間第1号』でしょう。


人体実験によって、肉体をガス状に変化させることができるようになってしまった男、水野の狂気と純愛。


前身から立ち上る静かなる狂気と申しましょうか、これがなんともスゴイ!土屋さん一世一代の名演技!私の大好きな作品です。









特撮映画に限らず、幅広く仕事をされておられる方ではありますが、やはり私としては、稀代の特撮俳優という印象が強いです。

特撮映画は、他の映画では演じられないような役を演じることができる、ということもあったでしょうが、なにより特撮が好きだったからこそ、好んで特撮映画に出演されたのでしょう。

顔が写るか写らないかは問題じゃないと言い切った、この役者魂。そして特撮好きな魂に、

心からのエールを送ります。



最近はすっかりお見かけすることがなくなってしまいましたが、またいずれ、お元気なお姿を拝見できますことを、楽しみにしております。





ガス人間第1号 予告編