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 風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

森田芳光の『椿三十郎』を観た

2021-03-30 06:19:31 | 時代劇

 

 

 

 

 

 

言わずと知れた黒澤明監督の傑作時代劇『椿三十郎』を、森田芳光監督がリメイクしたヴァージョンを観ました。

オリジナル版で三船敏郎が演じた椿三十郎を織田裕二、仲代達矢が演じた室戸半兵衛を豊川悦司がそれぞれ演じています。

 

脚本はオリジナル版のものを改編することなくそのまま使っているので、ストーリー展開もセリフもすべて同じ、だから、両監督の演出の違いがより明確に見えてくる。

 

結果として分かったことは、黒澤監督はあまり余計な演出を加えずにテンポよく進めていくのに対し、森田監督は色々細かい演出を付けていくため感情表現等は豊かになりますが、その度にテンポが止まってしまい、観ていて少しイラッとするところがあります。

 

黒澤監督は必要最小限の、でも絶対必要な演出を効果的につけていく。森田監督は上手い人なだけに色々やりすぎてしまうところがあるように思えましたね。

これがリメイク版でなかったら、それも同じ脚本でなかったら、あまり気にならない点だったのかもしれませんが、まったく同じ脚本であったが故に、両監督の違い、というより「差」というものが思いっきり見えてしまった感じがします。

 

やはり、黒澤監督は凄い!

 

 

それにしても、主演が織田裕二というのは、どうにも納得がいかない。

この椿三十郎という役は本来、超絶的に強いスーパーヒーローであり、三船敏郎が演じることを前提として脚本が書かれています。

しかし織田さんはどこから見ても超絶ヒーローには見えないし、三船さんのようなギラギラ感がない。だから「あなたはまるで抜身の刀のようですね」というセリフにリアリティがないのです。椿三十郎という男を表す、もっとも最適なセリフだというのに。

 

抑々三船さんのような豪快でスピーディーな殺陣など、織田さんに出来るわけがない。数十人を30秒かからずに、ほぼワンカットで一気に斬り捨てるなんて芸当が、織田さんにできるわけがない。

 

だからそういう超絶的な強さというのは最初から諦めている。代わりに細かくカットを割って編集で繋ぎ、殺陣のアラがなるべく見えないような殺陣に仕上げています。

まあこれはこれで、悪い殺陣ではないですが、私が知っている『椿三十郎』ではない。

 

ラストの室戸半兵衛との一騎打ち。オリジナル版のように一瞬で決まるのではなく、両者の実力が拮抗したスリリングな殺陣になっており、これはこれで悪くはない。

森田監督は「リアルさを追求した」とおっしゃっていたそうですが、つまりは三船さんのような超絶的な殺陣は、誰にも出来ないということにほかならない。

 

重ねて言います、これが『椿三十郎』ではなく、別の作品だったなら

この殺陣でも良かったのだけれどねえ。

 

結局、オリジナル版の凄さを再確認する結果となった作品でした。

 

オリジナル版を知らない方、オリジナル版に思い入れのない方なら、それなりに楽しめる

かも。

 

 

つくずく思うのは、映画はやはり脚本が大事だということ。良いホンがあれば、誰が撮ってもそれなりに面白い作品になるし、逆にホンが悪ければどんな巨匠が撮ってもロクな映画にならない。

 

ホンはホントに大事。

 

 

豊川悦司さんは、オリジナル版の仲代達矢さんのような鋭さは足りない感じがしたけれど、仲代さんにはない「可愛げ」があって面白かった。

 

あと良かったのは佐々木蔵之介さん、オリジナル版では小林桂樹さんが演じた「押入の中にいる男」。飄々とした感じがなんとも面白かったですねえ。

 

まあ、こんなところですかね。

 

つまらない映画ではないです。なにせ脚本が優れていますからね。ただ

 

「世界のクロサワ」の壁は

越え難い。

 

 

 

 

 


中村錦之助の「信長」

2021-03-28 16:11:18 | 時代劇

 

 

 

『徳川家康』という映画を観ました。

 

古い古い映画です。家康の若い頃を描いた映画で、幼い頃の人質生活から織田信長との出合い。そして桶狭間の合戦までを描いています。

北大路欣也さんが、若くて理想に燃える真っ直ぐな家康を瑞々しく演じております。北大路さんは今年の大河ドラマでも徳川家康を演じています。若い頃から何度も家康を演じているのですねえ。

 

で、この映画に織田信長役で出演していたのが、中村錦之助(後の萬屋錦之介)さんです。

 

この信長が素晴らしかった!

 

 

明るく豪放磊落で、言葉遣いは乱暴だが粗野ではなく、寧ろ気品が漂っており、強さと優しさと繊細さを併せ持った多面的な信長を魅せていただきました。

 

あのような魅力的な信長はなかなかいません。信長というとどうしても理不尽な面が強調されてしまいがちで、下手な役者が演じるとただのチンピラになってしまう。名門の気品と破天荒さとを兼ね備えた信長像を、一人の役者さんがしっかりと見せてくれる、こんなことはまずありません。大概は多角的な面の極一部を演じられるのがせいぜいのこと、それでもよしとする他はない。

 

中村錦之助という方は、身分の高い役からヤクザまで、どんな役でも見事に演じ分けられた。故・福本清三さんによれば、錦之助さんは侍の殺陣とヤクザの殺陣を演じ分けることができた、稀有な役者さんだったといいます。本当に

 

「上手い」役者さんだったのですねえ。

こういう役者さんがおられた。時代劇が面白かったわけだ。

 

良い時代でした。

 

 

 

 

最近、ある方が信長を演じたドラマを、少しだけ観ました。

冒頭の数分だけ観て、「もういいや」と、観るのを辞めてしまいましたが。

 

何故辞めたのか、単純な話です。

その方の演技が、下手だからです。

 

申し訳ないが、この方は時代劇や現代劇の世界に進出するべきではない。この方の演技は

 

見るに堪えない。

 

せめて本業の歌舞伎の世界では、良い役者であることを切望します。

これは悪口ではありません、あくまで個人的な評論です。

 

改めて思う。この方が5代目鬼平にならなくて

良かったと。

 

重ねて言います、これは悪口ではありません。あくまで

個人的評論です。

 

本業の歌舞伎の世界で、どうか頑張っていただきたい。

 

切に。

 

 

 


神に逢うては神を斬り

2021-03-22 18:04:13 | 時代劇

 

 

 

 

 

【裏柳生口伝に曰く、戦えば必ず勝つ。此れ兵法の第一義也。

人としての情けを断ちて、神に遭うては神を斬り、仏に逢うては仏を斬り、然る後、初めて極意を得ん。

斯くの如くんば、行く手を阻む者、悪鬼羅刹の化身なりといえども、豈に遅れを取る可けん哉】

 

1978年10月~1979年6月に放送された、テレビドラマ版『柳生一族の陰謀』のオープニングに流される、柳生十兵衛(千葉真一)の口上です。

個人的には、わざとらしいというか、リアリティがないというか、あまり好きな言葉ではありませんでしたが、当時の高校クラスメイトでこれが好きな奴がいてね、よく千葉真一さん独特の台詞回しを真似て遊んでいましたね。

この言葉、原典は臨済宗開祖、臨済義玄の言行をまとめた語録、「臨済録」にあるようで、本来の意味は要するに「何ものにも囚われるな、執着を捨てよ!」さすれば悟りを得られよう、という意味のようです。本当に殺せ!といっているわけではないのですが、

これを、裏柳生の冷酷非情なお役目を表す言葉に翻案したんですね。

 

だからどこか、わざとらしいのだね。

 

裏柳生とは、幕府にとって都合の悪い人物を消すという非情の組織。しかし実際にはこのような組織は実在しませんでした。初出はやはり時代劇の『子連れ狼』。以降、他の作品にも度々登場することになる裏柳生。

確かに、ある意味魅力的ではありますわな。

 

 

柳生十兵衛(千葉真一)

 

 

裏柳生は架空だし、柳生十兵衛にしても隻眼であったという確かな記録はありません。

肖像画ではちゃんと両目が描かれているとのことですし、隻眼であったとするのは、後世の創作であった可能性が高い。

 

柳生十兵衛の隻眼のイメージを最初に定着させたのは、東映時代劇スターの近衛十四郎さんでした。松方弘樹、目黒祐樹兄弟のお父さんですね。

近衛さんの柳生十兵衛は人気を博し、シリーズ化されます。そうして柳生十兵衛といえば隻眼というイメージが広まっていき、最終的に定着させたのが、

 

千葉真一さんでした。

 

映画版とテレビ版両方で、隻眼の剣豪柳生十兵衛を演じ、更には映画『魔界転生』でも柳生十兵衛を演じ、千葉真一さん最大の当たり役となります。

 

千葉さんの柳生十兵衛によって、隻眼のイメージは完全に定着し、以後の柳生十兵衛は、目黒祐樹も村上弘明も、佐藤浩市も上川隆也も皆、隻眼の柳生十兵衛を演じることになるわけです。

 

ところで、柳生十兵衛といえば、生涯武者修行に生きた漂泊の兵法者、というイメージが強いですが、これも事実ではありません。

史実の柳生十兵衛は父・但馬守宗矩の後を継いで、柳生家当主となっています。

もっとも当主となって間もなく、謎の死を遂げており、これが病死なのか暗殺なのかよくわからない。

十兵衛の死後、柳生家の後を継いだのは、十兵衛の弟・柳生宗冬でした。

 

ことほど左様に、史実の柳生十兵衛光厳と、創作上の剣豪・柳生十兵衛とはかなりの違いがあります。でもだからといって、それが悪いとは思いません。

 

面白い方がいいでしょ、ドラマなんだからさ。

 

時代劇はファンタジー。虚々実々が入り混じり、昔と今との時の境を飛び越えて、

人間を、日本を、日本人を描き出す。

 

だからこそ面白い、楽しい。タメにもなるし、心に残る。

 

日本だからこそ、日本人だからこそ唯一描ける、一つの表現ジャンルとしての時代劇の灯。

この灯を消してしまっては、日本の「恥」。

 

自国の文化を大切に守ろうとしない国民など、

 

最っ低だ。

 

 

 

 

 

先日NHKで放送された『柳生一族の陰謀』。

 

オリジナル映画版に割と忠実なストーリー展開で、まあまあ頑張っていたなと思います。

ただラストシーン、柳生但馬守宗矩が徳川家光の首を抱えて気が触れるシーン。

今回宗矩を演じたのは演劇界の重鎮、吉田鋼太郎さん。果敢に挑戦しておられましたが、

 

やはりオリジナルの、萬屋錦之介先生には敵わないな、というのが、正直な感想ですね。

 

吉田さんの舞台口調と、萬屋先生の時代劇口調と、どちらがどうということではなく、何というか、内側から「発している」ものが格段に違いすぎます。

 

萬屋先生のような役者さんは、二度と出てこないでしょう。でも、

頑張っていただく他はない。

 

吉田鋼太郎さんは本当によく頑張っておられた。よくやってくださった、お疲れ様でしたと声を掛けてあげたい。

 

ちなみに今回、柳生十兵衛を演じたのは溝端淳平さん、こちらは…。

コメントを控えさせていただきます(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

将軍宣下の儀式で、摂刀を賜るシーン。ちゃんと描かれていて良いですねえ。

萬屋錦之介先生の「芸術的」台詞回し!誰も敵わない。


速報!新・梅安、新・鬼平

2021-03-12 13:58:37 | 時代劇

 

 

 

『仕掛人 藤枝梅安』主演、藤枝梅安役には、

 

 

 

 

 

豊川悦司!

 

 

坊主頭が想像できん!

 

でもまあ、以外という程以外でもない。不安というほどの不安もない。

人を助けて人を殺す。表は鍼医者、裏は仕掛人。

 

豊川さんの演技、見させていただきます。

 

 

 

 

『鬼平犯科帳』主演、長谷川平蔵役には

 

 

 

 

 

松本幸四郎!

 

祖父が初代、叔父が4代目鬼平。なるほど、

「血筋」できましたか。

 

海老蔵さんの名をあげたこともありますが、正直海老蔵さんは肝心の「演技」に不安がある。大河ドラマで演じた信長があまりに酷かったので、もし本当に海老蔵さんになっちゃったら困るな、と思っていました。

 

制作陣はさすがに手堅い。血筋という最も無難な線で攻めてきた。

悪くはない。

 

 

時代劇の灯を消してはならぬ。この2本が時代劇復興の魁とならんことを。

 

撮影は来年から。公開は2013年の予定。

 

まだまだ先ですが、

 

良いものを、お願いします。

 

 

 


麒麟がくる (メインテーマ) Warrior Past 大阪桐蔭高校吹奏楽部

2021-02-25 13:41:11 | 時代劇

 

 

 

 

 

 

大河ドラマ『麒麟がくる』メインテーマ。高校生の素晴らしい演奏を。

 

 

 

 

結局、麒麟はまだ来ていないんだな。でも光秀の想いは、時空を超えて現代にまで繋がっている。

何度も言うけど、あのラスト・シーンはそういう意味だと、解釈したい。

総集編を観て、改めてそう思いましたね。

 

麒麟を連れてくるのは、誰か一人じゃない。

 

「みんな」で、連れてくるんだよ。

みんなで。

 

 

 

 

麒麟がくる、平らかな世にならんことを。

 

 

 


『鬼平犯科帳』『仕掛人 藤枝梅安』新作映画化決定!

2021-02-14 04:43:30 | 時代劇

 

 

 

 

池波正太郎原作『鬼平犯科帳』『仕掛人・藤枝梅安』新作映画化決定!3.12 主演・製作発表 生中継&生配信 

3.12新たな「鬼平」新たな「梅安」発表! 2021年2月12日(金) 日本映画放送株式会社 株式会社NTTぷらら スカパーJSAT株式会...

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誰?誰?誰?誰が長谷川平蔵?

誰?誰?誰?誰が藤枝梅安?

 

誰が演るのー?

 

ううむ、期待というより、不安の方が大きいが……。

 

ともかく、3月12日の詳細発表を待とう。ううむ、不安だよーっ!!!

 

 

それにしても、令和の時代になっても、やはり鬼平さん、やはり梅安さんなのだねえ。特撮の世界でいうゴジラやウルトラマンみたいなものだ。

いっそのこと『シン・鬼平犯科帳』『シン・仕掛人 藤枝梅安』というタイトルにしようか。なーんつって(笑)

 

ともかくも、新作を作ろうというその意気や良し。ありがたい。

時代劇の法燈を消してはならぬ。

その為にも、くれぐれもキャスティングを間違えないでよ。

 

どうなることか、とにかく3月12日を待て!

 

ああ、ドキドキ。ああ、不安だー。

 

心配だーーーっ!!!

 


『麒麟がくる』キャラクターBest10その②

2021-02-13 14:55:40 | 時代劇

 

 

 

第5位:正親町天皇(坂東玉三郎)

風格、威厳、浮世の人とは思えぬ神々しさ、すべて完璧。さすが玉三郎さんです。戦国時代モノで天皇がここまでクローズアップされたのはおそらく初めてでしょう。大変興味深く、楽しく拝見させていただきました。

月に閉じ込められた男の話、感銘を受けました。やはり「月」なのですねえ。

 

 

第4位:斎藤道三(本木雅弘)

物語前半の、事実上の主役だったんじゃないかと思えるくらいの、強烈な存在感を放っていました。単なる悪人ではない奥深さ、「大きな国を作れ」との言葉を残し、光秀の生き方に多大な影響を与えた最重要人物。歌いながら毒殺するシーンは、大河の歴史に残る戦慄の名場面でした。

本木雅弘新境地!

 

 

第3位:松永久秀(吉田鋼太郎)

光秀のことをなにかとサポートする良き先輩、不良中年オヤジ(笑)。態度も声もデカいが、一本筋の通った人物。平蜘蛛の茶釜を通じて光秀に覚悟を伝え、本能寺の変へと光秀を導いた重要人物の一人。爆死こそしなかったものの、最期の死に様、痺れました。

吉田鋼太郎さん、素晴らしかった。

 

 

第2位:織田信長(染谷将太)

この物語は光秀と信長の奇妙な友情物語であり、愛憎劇なんです。本当の信長はこんな人じゃないとか、あーだこーだ色々言いたくなる気持ちもわかるけど、このドラマの信長はこうなのだから、この信長を楽しめばいい。染谷信長、サイコパスだがどこか哀しく、寂しい孤独な男。面白かった、とても楽しませていただきました。染谷信長、好きです。最高でした。

 

 

第1位:明智光秀(長谷川博己)

本能寺を攻めながら、その頭に去来するのは信長と初めて会った時の思い出。本能寺に上がった火の手を涙で見つめる光秀。己が夢を託した人物を、己が殺さねばならぬ悲しみ。これで光秀が死ぬところまで描いたら、とても悲惨な物語となってしまう。だから敢えて、死の場面は描かなかったのだと解釈したいですね。

光秀の「魂」は死なず、それは江戸250年の太平の礎となり、その「思い」は現代まで繋がっている。そういう意味を込めたラストシーンなのだと、私は思いたい。

長谷川光秀、大河の歴史に残る名演!

 

 

 

ここからは漏れたけれど、他にもよいキャラは沢山おられました。足利義輝(向井理)、明智光安(西村まさ彦)。玉を演じた芦田愛菜ちゃんも良かったし、門脇麦さんの演じたお駒さん、色々言われましたけど、私は良かったと思います。架空キャラの役割を見事に果たしていました。

 

 

『麒麟がくる』、何度でも言います。素晴らしい、面白いドラマでした。楽しませていただきました。

ありがとうございました。

 

さて、次回からの大河ドラマは『青天を衝け』、このタイトル、高橋克彦氏の小説『天を衝く』のパクリに思えて、今一つ気に入りませんが…果たしてどんな作品となることやら。

 

『麒麟がくる』忘れられぬドラマとなりました。素晴らしかった。

 

ありがとー!!!

 

 


『麒麟がくる』キャラクターBest10

2021-02-13 03:48:30 | 時代劇

 

 

 

『麒麟がくる』とても面白いドラマでした。

休止を挟んで1年2ヶ月、楽しませていただいたことに、感謝の意を込めて

 

『麒麟がくる』キャラクターBest10を開催したいと思います。拍手~👏👏👏👏

 

 

先ずは10位から6位まで。

 

 

第10位:摂津晴門(片岡鶴太郎)

「わ~か~り~ま~せ~ぬ~」いやいや、とても分かりやすい悪役で、物語の中盤を盛り上げてくださいました。悪ノリとも言えるあの演技には賛否あるでしょうが、私は好きでした。

 

 

第9位:足利義昭(滝藤賢一)

貧しい人々を救いたいという思いから将軍になったものの、所詮はお神輿。何もできないイライラと、信長への反発心が募り混乱していく様を見事に演じていました。今までにない足利義昭像、楽しませていただきました。

 

 

第8位:羽柴秀吉(佐々木蔵之介)

出世のためなら利用できるものはなんでも利用する、かなりえげつない秀吉でした。光秀が変事を起こすかもしれないことを知ったときの秀吉の冷静な対応ね。この秀吉は信長に心酔などしていない。すべては出世の手段。ただ、命がけであるところが、この秀吉の凄いところ。

どうせスピンオフを作るなら、この秀吉を主人公にしたドラマを作れば面白いのにね。今までにない『悪辣太閤記』が観られるよ、きっと。

 

 

第7位:菊丸(岡村隆史)

架空キャラというのは自由に動かせるので、物語を円滑に動かすにはとても都合がよい。自由だから将軍とも親しくなれるし、天皇と碁を打てるようにもなる(笑)。家康の間者、菊丸は第1話から登場し、光秀と親しい関係を築いて行きますが、これが光秀と家康の間を繋ぐ重要なパイプ役となっていき、これが最終回で生きてくる。

出番は少ないが、実はとても重要なお役だったのです。岡村さんの演技、良かったです。

 

 

第6位:帰蝶(川口春奈)

信長のプロデューサーであり、光秀の背中を押した、とても重要なお役目。結果的に川口さんの抜擢は大正解でした。

こういうのを「怪我の功名」というのかな。

 

 

 

続きは後ほど。

 


『麒麟がくる』にスピンオフ・ドラマ制作の可能性はあるか?

2021-02-11 05:36:12 | 時代劇

 

 

 

大河ドラマは基本的に「トンデモ」は扱いません。

 

例えば『炎〈ほむら〉立つ』。高橋克彦氏の原作では、源義経は衣川で死なず、藤原泰衡の手引きによって密かに逃れた事になっていましたが、これは俗説、トンデモ歴史の類なので大河では扱えない。

結局ドラマ上では義経は生死不明ということにして、お茶を濁しています。

 

今回の『麒麟がくる』にしても、一応の「史実」の上では、光秀は山崎の戦で秀吉に破れ、農民の竹槍に刺されて死んでいる。ですから普通なら、光秀の死をもってドラマは終わるはずなのですが。

今回の大河では、敢えて光秀の死は描かれていませんね。そんなところから、「光秀=天海説」が俄かにクローズアップされたわけですが。

 

制作サイドにそのような意志はなかったでしょう。だってこれは

 

「トンデモ歴史」ですから。

 

『麒麟がくる』というドラマは、平和な世が来ることを夢見た光秀という男の純なる魂、純なる想いを描き、それとともに、光秀と信長との不思議で熱い、そして哀しき友情の物語なのです。だから友情の帰結としての本能寺の変で、物語は終わり。その後光秀がどうなったかは、テーマの外。

 

寧ろ光秀の平和を希求する「想い」が、家康に伝えられ、江戸幕府に繋がったのだ、ということを描きたかった。だからあの光秀の「ような」男は、時空を超えて江戸幕府も超えて、現代にまで伝えられる光秀の「想い」の象徴なのだ、と私は捉えたい。

 

ですからスピンオフ、それも皆さんが期待するような「光秀=天海説」に則った物語は

ありません。

 

だって、「トンデモ」ですから(笑)

 

 

もしもそんなスピンオフが作られたら、大河ドラマの歴史は大きく変わる。それこそ

「信長は本能寺で死んでいない」説に則った大河ドラマが作られるようになるかも知れない。

 

この説も「今のところは」トンデモ説ですから、大河で描かれることなど有り得ない。

今のところはね(笑)

 

 

大河ドラマでは基本、トンデモは扱われない。これ定石。この点しっかりと

押さえておきましょう。

 

 

 

 

 


『麒麟がくる』最終回

2021-02-08 15:58:11 | 時代劇

 

 

 

 

 

 

信長(染谷将太)の光秀(長谷川博己)への辛い仕打ちは、全て信長の光秀に対する、強烈なラブコールだったんですよね。

 

両親に愛されない幼少期を送った信長には、愛してほしい、存在を認めてほしいという、強烈な「承認欲求」があった。

そんな信長の中に、世を変革させる「芽」を見出したのが光秀だった。天下人織田信長を作ったのは、明智光秀だった。

 

しかし、天下人へと登り詰めていく過程で、信長は徐々に「怪物」化していき手がつけられなくなっていく。

 

信長としては、光秀にはずっとそばにいてほしい、自分の方を向いていてほしいわけです。でも光秀は、将軍・足利義昭(滝藤賢一)や正親町天皇(坂東玉三郎)の方を向いてばかりいる。

そうしたことへの嫉妬、光秀に見捨てられるのではないかという不安。

 

「こっちを向け!俺を見捨てないでくれ!」そんな信長の心の叫びが、聞こえるようでした。

 

信長は光秀に、鞆の浦にいる足利義昭を討てと命じます。将軍を殺してしまえば、いくさは終わる。

 

しかし光秀にそれは出来ない。将軍があって、さらにその上にはミカドがおられる。この秩序を守ることが、世を穏やかに平かにする。光秀はそう信じている。

でも信長は将軍を害したてまつり、更にはミカドをも意のままにしようとしている。

 

このような「怪物」を作ったのは、他ならぬ光秀自身。

作ったものが、責任を取らねばならぬ。

 

それは光秀にとって、とても辛く悲しい決断でした。

 

 

本能寺を取り囲んでいるのが光秀の軍勢であることを知ったときの、信長の驚きと悲しみ。なんだかんだ言いながらも、信長は光秀のことを1番信頼していたわけです。

その光秀がまさか…。信長は目にいっぱいの涙をためながら、それでも笑い、呟きます。

「…ならば、是非もなし!」

 

何かに吹っ切れたかのように大立ち回りを演じる信長。頃合いやよしと奥へ引き上げると、火をかけるよう命じ、一人、自害します。

自害したあとの信長は、全てから解放されたかのような、とても穏やかな死顔でした。

 

共に世の変革を志し、平らかな世の到来を目指した二人の男。

同じところを目指していると思っていた二人でしたが、実は最初から微妙なズレがあったのでしょう。時を経るごとにそのズレは拡大していき、もはや収拾が付かなくなってしまった、その帰結としての「本能寺の変」。

とても悲しく切ない、本能寺の変でした。

 

 

 

ラストシーン、光秀は生きている!?かもしれないという余韻を残し、ドラマは幕を閉じます。結局光秀は麒麟を呼べなかった。しかしその思いは菊丸(岡村隆史)を通じて家康(風間俊介)に託された、とも解釈出来ます。そう意味では

光秀は「生きて」いる、そして

麒麟は「きた」。

 

 

休止を挟んでの1年2か月、好いドラマを見させていただきました。

ありがとうございました。

 

 

※これは史実を基にしたフィクションです。フィクションはフィクションとして、ドラマはドラマとして、

楽しみましょう。

 

野暮は嫌いだよ(笑)