風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

イレズミ今昔

2015-03-30 19:52:48 | 歴史・民俗





                     
                       『昭和残侠伝』 高倉健





縄文人はイレズミをしていたのか否か!?明治以降、歴史学者の間でそのような議論が行われていたそうです。

かの「魏志倭人伝」に、倭人はイレズミをしていると記述もあり、縄文時代の土偶にも、イレズミを表しているかのような線が刻まれている。古墳時代の埴輪などにも、イレズミと思われる線刻が確認されるのだそうです。

このような古代日本人のイレズミを研究した学者さんによると、縄文時代には、男女を問わずイレズミを入れていた。これが弥生時代になると、男性のみが入れるようになり、古墳時代には、狩猟、漁労民などの非農耕民のみがイレズミを入れるようになり、一般の農耕民はイレズミを入れなくなった、つまり、農耕民と非農耕民とを「区別」する一つの指標になっていったのだそうです。





「日本人は農耕民族」とはよく言われることです。

まあ確かに、その通りではあるでしょう。しかし、日本人の中にも、農耕が生活手段の中心ではない人々も確実にいたわけです。

そうした人々は、一般の農耕民から差別されやすい環境にあったわけです。しかし一方で、その不可思議性が「畏れ」と「恐れ」をも呼び、ある時は崇められもし、またある時は蔑まれもするようになっていく。

山に生きる者たちや、海に生きる者たち。農業を主体としない人々は、このようにして「畏れ」られ、「恐れ」られ、また蔑まれた。それは一般の農耕民のルール、社会秩序に属さない「アウトロー」とも見做された、ということでしょう。




やがてそうした「非農耕民」の間でも、イレズミの風習は廃れていく。イレズミをしていることが、「差別」の目印となるのなら、それはしないほうがいいに決まっていますからね。

しかし、イレズミが「アウトロー」の象徴である、という観念は後々まで残った。

やがてイレズミは、社会的秩序からはみ出した世界に生きる者たちの、一つのアイコンとなっていく……。

イレズミの歴史というものを、ざっと見てみると、こんな感じでしょうか。







                     
                       『御存じ!いれずみ判官』 片岡千恵蔵







アウトローというのは、一般庶民にとっては厄介な存在であるはずなのですが。

しかしながら、社会秩序や法秩序から外れた存在である彼らを、一般人は実に上手く「使って」来たとも言えます。



およそこの世の事象は陰と陽の表裏一体。社会にも表と裏がある。

表ではできないこと、解決できないことを、裏側で解決させる。そのためには、時に一般庶民も、アウトローに頼った。

「ヤクザ」と呼ばれ「凶状持」と言われ、一方で「侠客」などとも呼び慣わし、時と場合によって蔑みもし、時と場合によっては崇め奉る。

そのようにして一般庶民とアウトローは、持ちつ持たれつの関係でやってきた。

そのような事実が社会の側面として、あったわけですね。



それを象徴するヒーローこそ、いわゆる「遠山の金さん」ではないでしょうか。

遊び人の金さんとして市井の人々と触れ合い、時には片肌脱いでその背に刻んだ桜吹雪をさらけ出し、庶民の為に戦う。

しかしてその正体は、悪を裁く体制側の長、江戸町奉行遠山金四郎であった。

これほどしょみんにとって、「都合のいい」ヒーローはいませんね。アウトローとしての正義の執行者であり、且つまた体制側の正義の執行者でもある。時代劇のヒーローにはままあるパターンではりますが、イレズミを入れた御奉行様ということで、体制側と反体制側という、庶民にとってはどちらも必要な正義の両義性を見事に象徴しているヒーローなわけです。

そりゃ、人気も出ますわな。




「畏れ」と「恐れ」、「尊崇」と「蔑視」は、実は表裏なんじゃないか、と私は考えています。

そしてイレズミは、その両義性のアイコンである、そんな気がします。

この観念は表面的なかたちを形を変えながらも、現代まで連綿と続いて来たのではないでしょうか。

日本社会の側面を知る上で、イレズミの孕む意味を考えてみるのも、一興ではないでしょうか。







勘違いしないでほしいのですが、私はイレズミやアウトローたちのことを、決して肯定しているわけではありません。

表と裏、陰陽はこの世の常とはいえ、好き好んで薄暗い裏街道を歩く必要などありません。人はやはり、真っ当な道、表街道を堂々と行くべきです。

ただ、これまでの日本社会はそうした裏側に隠れた者達をも、上手く利用してきた側面があった、ということは、知っておいていい。

でもこれからはどうなるか、わかりませんよ。

これまでは闇に隠れていたものが、これからは白日の下に曝されていく。隠れることができなくなっていく。

そんな時代になっている気がしませんか?

これからは、アウトローは不必要な時代に入って行くでしょうね、多分。

時代は変わり、社会も変わる。

変わらなきゃいけません。

アウトローなど、どんなにかっこよく見えても

所詮、悲しい存在ですから。






                     
                       『関東テキヤ一家』 菅原文太










参考文献
「アイヌ学入門」
瀬川拓郎著
講談社現代新書
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「常に一発屋」

2015-03-27 20:23:38 | ももクロ






                     




2015年2月26日。ニッポン放送のラジオ番組「清水ミチコのラジオビバリー昼ズ」にゲスト出演したももクロ。

リスナーからの質問、「ももクロを一言で説明するとしたら?」に対する、5人それぞれの答えがコチラ。



:れにちゃん 「奇跡の5人」

:あーりん 「ライヴを観て下されば分かります」

:ももか 「バカじゃなくてアホ」

:しおりん 「永遠の小学生」

:かなこ 「常に一発屋」




れにちゃんは、自分で言うな!という感じ(笑)でも本当にももクロが好きなんだねえ、この子は。

あーりんは説明してないけれど(笑)でもその通りだよね。ももクロはライヴが命。ライヴを見てくれというのは、至極真っ当な答えです。

ももかはももクロを少し引いたところから見ていて、それでもやはり、自分がももクロであることに幸せを感じているという、実に愛情溢れる言葉です。

しおりん上手い!と思ったら、事務所の後輩のアイドル・グループ、「私立恵比寿中学」のキャッチフレーズが「永遠の中学生」だったね(笑)




そして、かなこ。

これ、物凄く深い言葉だと思いません?

ももクロには珠玉の言葉が多いのだけれど、かなこの言葉には本当にハッとさせられることが多くてね。

決して普段から、そんな深いことを考えているような子じゃないと思うんだけど(笑)、こういう珠玉の言葉が極自然に、ポロっと出てきちゃう。

「天性」、だよねえ。



                  




【私たちはここへ、天下を盗りにきました。

でもそれは、アイドル界の天下でも、芸能界の天下でもありません。

みんなに笑顔を届けるという部分で、天下を盗りたい。

そう、思います】


今更言うまでもありませんが、2014年3月16日、国立競技場におけるももクロライヴの最後に、百田夏菜子が語った言葉です。

この言葉と、今回の言葉、「常に一発屋」。

ここに、ももクロの、というより百田夏菜子の、「芸能」というものに対する心構えが透けて見えてきます。



人気というものは、上がれば必ず落ちるもの。ももクロだって、この法則からは逃れられない。今のような人気は、いつか必ず落ちて行く。

それでも、守りに入ることなく、常に攻め続ける、挑戦者であり続ける。

この言葉には、常にチャレンジャーでありつづけようとする気概と謙虚さ、

そして「覚悟」が感じられます。

これは、ももクロという活動を通して、夏菜子が、いや、彼女たちももクロメンバー全員が学んできた在り方。

芸能というものに対する気構えなのでしょう。





「常に一発屋」。この言葉からは、聞いた人それぞれに、感じることがあると思う。

あなたがどのように感じられるかは分かりませんが、いずれにしろ、いずれにしろです。

途轍もなく深い言葉だとは思いませんか?

こんな言葉がポロッと出てくる、百田夏菜子という人。

一体、何者やねん?




                    
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映画『ガス人間第1号』 昭和35年(1960)

2015-03-24 21:15:49 | 特撮映画
 



                        




「煙の如く消え失せる」なんてことをよく言いますが、文字通り肉体をガス状に変化させることが出来る男の、「悲劇」といって良いでしょう。

科学の人体実験によって、図らずも「ガス人間」になってしまった男、水野(土屋嘉男)。この能力を身に着けたことによって、水野の人間性が崩れて行く。

ガス人間となって大胆な銀行強盗を繰り返し、平気で人を殺す。

そうして集めた金の使い道、それは、

とある女性に全額を寄付することでした。



日本舞踊の名門春日流の家元、藤千代(八千草薫)。諸々の事情により極貧状態にあり、弟子たちは皆離れてしまい、発表会も開けない状態でした。水野はこの藤千代に、盗んだ金を全額与え、発表会を開かせようとします。

しかし、ガス人間の存在が世間に知られることとなり、藤千代は好奇の目に曝されることになります。

自分は何でもできると豪語するガス人間、水野。しかし彼の大胆で常軌を逸した行動は、逆に二人を窮地に追い込んでいくのです……。







ガス人間、水野を演じた土屋嘉男さんは、黒澤明監督の映画でも活躍された名優です。この方は特撮映画が大好きな方で、普通の映画では出来ないような役ばかりを好んで演じておりました。

『地球防衛軍』や『怪獣大戦争』では宇宙人役を自ら望んで演じたとか。『宇宙大戦争』や『怪獣総進撃』では、宇宙人に操られる役で、こういう変わった役を楽しんで演じておられたそうです。

この『ガス人間第1号』でも、静かなる狂気を湛えた水野という男を見事に演じており、荒唐無稽といっていい役に実在感を与えています。


                    
                      土屋嘉男



この水野を追う刑事、岡本に三橋達也。こういう特撮ものに出るのは珍しいスターですね。そしてなんといっても、藤千代を演じた八千草薫さん。

映画の中で「この世のものとは思えない美しさ」というセリフがあるのですが、本当にお美しくていらっしゃる。この世のものとは思えぬ美女が、人を越えた「怪物」ガス人間と恋に落ち、やがて自ら破滅を選んでいく……。ヘタにやると失笑を買いそうな役柄を、このお二方は見事な実在感を持って演じておりました。

藤千代が発表会で舞った新作舞踊の題名が「情鬼」。

情念に狂い、鬼となって行った男、水野と、それを愛した女、藤千代を象徴するような題名ですね。



この「情鬼」を演じ続ける藤千代を、誰もいない客席で一人見つめ続ける水野。口元に笑み。目には狂気。満足げで誇らしげで、それでいてやはり狂っている。そんな佇まいを、静かに座っているだけなのに、見事に醸し出している。あれは凄いです。もうね、あのシーンだけでも、観た価値はあったと思ってしまいますね。それくらい素晴らしいです。

俳優土屋嘉男、恐るべし!



音楽は宮内國男。『ウルトラQ』『ウルトラマン』の音楽も担当された方ですが、この映画のメインタイトルを、そのまま『ウルトラ…』に流用しちゃってます(笑)。まっ、当時はそんなに珍しいことではないのでしょうね。伊福部昭先生なんて、どれだけ流用したことか…(笑)。




ガス人間の特撮は、好みが分かれるでしょうね。手作り感満載で、私は大好きですが。




なんといいますか、「通好み」の映画、とでも言っておきますかね。ですから万人にはお薦めしません。古い映画、埋もれた感がある映画がお好きな方には、ひょっとしたら訴えるものがあるかも。

私のような、古い特撮に興味がおありの方にもね。

そこのあなた。『士魂魔道 大竜巻』という映画をご覧になったことはありますか?

おお!ありますか!えっ!しかもお好きとおっしゃる!?ラストの竜巻シーン!?いやはや、あなた相当な通ですなあ。

はい、あなたのような方になら、大いにお薦め致しましょう。

それ以外の方々は…まあ、




お好きに。







『ガス人間第1号』
制作 田中友幸
脚本 木村武
音楽 宮内國男
特技監督 円谷英二
監督 本多猪四郎

出演

三橋達也

八千草薫

佐多契子
野村浩三

田島義文
小杉義男

松村達雄
佐々木孝丸
山田巳之助

伊藤久哉
山本廉
中村哲

村上冬樹

左卜全



土屋嘉男

昭和35年 東宝映画




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幻の縄文王国?

2015-03-23 20:11:02 | つぶやき




前回の記事で、縄文時代にはイノシシによる「イオマンテ」が本州や北海道で行われていた、と書きました。

北海道にはイノシシが生息しておりませんので、津軽海峡を渡って北東北から輸入していたことが、骨に残されていたDNAにより判明しています。このイノシシは幼獣の内に連れてきて、一定期間飼育された後、祭祀に掛けられたことが分かっています。

幼獣の段階から一定期間飼育した後に祭祀に供するやり方は、現在のクマによるイオマンテと共通していますね。縄文時代にはそれが北海道だけではなく、本州全体で行われていたわけです。

また伊豆大島でも、やはり同じようにイノシシによるイオマンテが行われていましたが、伊豆大島にも野性のイノシシは棲息しておらず、やはり本州から幼獣を連れてきていました。



日本列島全体で、同様の祭祀が行われていた。このことから、ひょっとしたら、

祭儀を統括する、ある種の「王権」のようなものが存在していたのではないか?

「祭司王」のような存在があったのでは?

なんてことが、想像できませんかね?

ちょっとした思いつきですけどね。でも案外

いいトコ突いてるかもよ(笑)




で、その王権は後に、稲作農耕、いわゆる弥生文化を伝えた人々の王権にとって代わられるわけですが、その王朝交代が果たして平和裡に行われたのか、それとも武力によるものだったのか。そこが問題なわけですが、少なくとも考古学的には大規模な戦争の跡は見つかっておらず、縄文から弥生への移行は比較的平和的に行われた、と思われるのです。

ですから、もし「縄文王朝」が存在したとして、それが弥生文化を齎した者達による王朝交代が行われたのだとしても、その縄文王朝の権威、この列島を治める権利は、そのまま平和的に次の王朝へ移譲されたのではないか。

そんなことが想像できちゃうんですねえ。




で、その縄文王朝より正当なる権威、正当なる権利を受け継いだ王権が、現皇室にまでつながっていると。



考古学的に解明された事柄から、ちょっと想像の翼を広げるだけで、このような【事実(!?)】が見えてくるんです。

まっ、「専門家」の方々には、一笑に付されるでしょうけど(笑)









※参考文献
『アイヌ学入門』
瀬川拓郎著
講談社現代新書
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文化というもの

2015-03-20 22:02:36 | 雑論




                     



熊の魂をあの世へ送り返す、アイヌの祭礼「イオマンテ」。

アイヌにとって熊とは、神が美味しい肉と暖かい毛皮を身に着けて、人間にプレゼントするためにやってきた有難い存在です。だから、殺すことで熊の魂と肉体とを分離させ、大量の供物を捧げて丁重に送り返す。

アイヌの自然観、生命観に根差した、とても重要な祭りです。




アイヌは縄文の血を色濃く受け継いでいるとされており、アイヌ文化には縄文文化の残影がかなり強く残っている…とは言っても、縄文文化がそのまま残されているわけではありません。

それはそうです。文化というものはお互いに影響し合いながら、時代の流れと共に変化していくものです。永遠不変の文化などあり得ない。

変化しないものは「死んだ」ものです。それは消えて行くしかないもの。



アイヌの祭礼「イオマンテ」もやはり変化してきたようです。








本土においては、縄文文化の次は弥生文化ですが、北海道では縄文文化の次は続縄文文化、その次は擦文文化と続き、アイヌ文化へと続いて行きます。

アイヌにとって熊は重要な動物ですが、そのアイヌ文化の祖先である縄文時代においては、熊はさほどに重要な動物ではなかったようです。

その代りに、北海道の縄文遺跡からは猪の骨が大量に出土する。しかも猪は北海道には棲息していませんから、これはわざわざ海峡を渡って本州から連れてきた、としか考えられません。

そしてその出土した猪の骨には、火にかけられた痕跡があった。つまりその時代に祭礼の対象となっていた動物は猪だった、ということになります。

この猪の「イオマンテ」ですが、どうやら縄文時代においては日本列島全体で普遍的に行われていたらしいんです。ですから北海道の縄文人は、本州の縄文人とアイデンティティを共有していた。だからこそ、わざわざ本州から猪を連れてきてまで、祭礼に臨んだのでしょう。

とても興味深いですねえ。

これが本州では弥生時代に入ると、この猪のイオマンテは廃れてしまったようです。同じころの北海道は続縄文時代。この頃から、北海道ではにわかに熊がクローズアップされます。

続縄文時代の遺跡から、それ以前の時代にはなかった、熊を模った土製品や骨角器が出土し始める。

それまでも熊に対する信仰がなかったわけではないでしょう。森羅万象すべてに神が宿るとする日本古来の神観念からすれば、熊もやはり神でした。しかし、イオマンテを開催するほどの重要な神ではなかった。それが急にクローズアップされ始めたのは何故か。



「日本書紀」には、王侯貴族にヒグマの毛皮が珍重されていたことが書かれているそうです。ヒグマと言えば主に北海道ですよね?ですからヒグマの皮を手に入れるには、北海道方面から「輸入」する必要があるわけです。

毛皮などは腐ってしまうので、遺跡から出土することは難しいでしょう。しかし北海道の遺跡からは、南島産の貝輪などが出土しており、熊の土製品の出土等を鑑みるに、この時代、弥生時代中期のころには、北海道から南島に至る交易ルートがあった、と推察できるわけです。

ヒグマは続縄文期の北海道人に、他地域からの製品、つまり「富」を齎してくれる重要な存在へと昇格したのです。このことが、イノシシからクマへとイオマンテの対象が交代した大きな理由なのではないか、と考えられるわけなのです。

交易すなわち他地域との「文化交流」が変化を促した、典型的な例だと申せましょう。



では、このような変化を遂げることで、イオマンテはまったく意味を失ってしまったのでしょうか?

そんなことはありませんよね。アイヌに食料と富を授けてくれた神に、多くの供物と感謝を捧げ、丁重にあの世に返すという意味合いはまったく変わっていません。

ただその対象が、イノシシからクマに変わっただけ。

まあ、人間側の「都合」によって変わったといえば、そうなのですけどね。でもそれは致し方ないでしょう。やはり、「富」を齎すものは大切にしたくなるものです。それが人のサガというもの。

こうしたヒグマの毛皮をはじめとして、さらに北方の海で獲れるラッコやアザラシの皮や、矢羽として珍重されたオオワシの羽などを得るために、アイヌはその活動領域を広げていきます。その為、北方少数民族と諍い沙汰を起こし、そこへ元(モンゴル帝国)が介入して、アイヌと元はおよそ40年間も戦争状態になってしまう。

ことの善し悪しは別として、やはり人というもの、文化というものは、他者との交流によってしか「動いて」いかないものなのです。

この世の事象は生生流転。常に「変化」し続ける。

変化を忘れたものは、死するだけ。

しかし、ただ変化すれば良いというものでもないでしょう。芯も何もなく、ただ時流に流されるだけなら、そんなものは流れ流れて消えて行くだけ。

やはり、芯というものは、変わっちゃいかんのです。



芯は変わらず流されず、しかし表面的には柔軟に変化していく。それこそが、生き残る秘訣。

伝統文化とは、そのようにして「生き残って」きたのでしょうね。


伝統文化は古いから価値があるのではない。

時流と共に変化をしながら、現代に至るまで継承され続けてきた、その「生命力」にこそ価値がある。

私はそう思います。


その生命力の源こそ、

変わらない「芯」なのです。





では、その芯とはなにか?

私が思うに、それは先人への「敬意」ではないでしょうか。

現代に至るまで、変化を続けながらも継承し続けてきた、その先人達への敬意です。

先人への敬意、先祖への敬意。それこそが文化の「芯」を形作る。

敬意を抱くためには、先人のことを知らねばならず、それを知るためには、やはり「歴史」を学ばねばならないでしょう。

それも出来るだけ、「正しい」歴史を。

歴史はいわば民族のアイデンティティ。歴史の断絶したところに、文化の継承は有り得ません。




ですから、どんなに綺麗事を弄しようとも、歴史を否定しようとする輩は要注意。

そういう輩は、意識しているとしていないとに関わらず、文化を断絶させ、国を亡ぼす。

危ない危ない。



我が国の文化、伝統、それら継承されてきたものを最もよく象徴しているものは何でしょう?

ていうか、何方でしょう?

いうまでもありませんよね、それは

千代田のお城におられる、尊き御方。

だからこの御方を否定しよう、貶めようなどという輩は、何者であろうとも、国を亡ぼす危険人物。

御用心御用心。







                          




歌舞伎は今でこそ、高尚な伝統文化のように思われがちですが、元々は江戸時代のサブカルチャーです。時代時代の流行りものをどんどん取り入れ、変化し続けた。

観客が喜ぶものなら、なんでもやった、そうして江戸時代屈指のエンターテインメントとなって行き、明治に入って一度落ち込んだものの、なんとか命脈を保ち、現代まで継承されてきました。

歌舞伎は現代においても変化している。継承すべき「芯」の部分を守りながら、いかに変化すべきかを常に模索し続けている。

これこそ伝統文化のあるべき姿。












さて、この歌舞伎は時代を越え、海をも越えて、遠きアメリカに住む者達にも、多大な影響を与えたようです。





それがこちら。




すっ、素晴らしい……(笑)
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南部氏と「南部駒」

2015-03-17 21:56:20 | 岩手・東北




南部氏の祖、南部光行は、源義家の弟である甲斐源氏の祖・新羅三郎義光の玄孫に当たり、ですから南部氏と甲斐の武田氏とは遠い親戚筋にあたります。

この光行が、源頼朝の奥州征伐に従って奥州へ下向し、その功績が認められ、奥州の北部、糠部(「ぬかのぶ」青森県から岩手県北部)の地を賜った。以来、明治に至るまでのおよそ700年、ほぼ同じ地域を領有し続けた。

もっとも、頼朝より賜ったとする伝承は、南部家の家伝にのみあるもので、それを証拠立てる客観的資料は存在しません。実際には鎌倉幕府滅亡から建武新政にかけての時期に、同地の代官として入部したのが最初ではないかとするのが、有力な説のようですね。

いずれにしろ、ほぼ同じ地域を6~700年近くも領有し続け、明治に至った大名は、南部家の他には薩摩島津家以外には存在しないそうです。




この、古代において糠部といわれた南部領は、古代より優良な馬産地として知られ、この地で産した馬「南部駒」は、現代で言うところの「ベンツ」並の価値があるとされていました。

奥州は良馬と良質の金属類の一大生産地であり、安倍氏、清原氏、そして平泉藤原氏ら、この地を実質支配していた一族は、その権益を有することで、莫大な富を得、特に平泉藤原氏は奥州一円を傘下に組み入れるほどの権力を得ていたのです。


御多分に漏れず南部氏も、この良馬を自身の地位安堵のために利用します。南部家13代当主守行は室町幕府将軍足利義持に、金1千両の他、馬100頭を献上しています。将軍家には殊の外喜ばれたとか。

24代当主南部晴政は織田信長に使者を送り、鷹と駿馬を献上して、天下統一の目指す信長のご機嫌を取っています。

また、豊臣秀吉の小田原攻めの際には、26代南部信直は陣中見舞いとして鷹50羽と駿馬100頭を献上し、秀吉より本領を安堵されています。

もっともこの小田原攻めの際に、南部氏の領地だった津軽を任せられていた南部家家臣・津軽為信が、南部家よりもいち早く参陣し、津軽の地を秀吉より安堵されてしまい、南部家は津軽の地を家臣為信に奪われてしまいます。

しかし天下人秀吉に安堵されてしまった以上、意義は唱えられず、以来南部と津軽の確執は長く続くことになります。



それはともかく、南部信直は朝鮮出兵にも参加、肥前名護屋より帰国する際、徳川家康と同道し、家康より鷹や馬を所望され、その求めに応じています。

秀吉に唯一対抗しうる力を持つ家康とも、良馬を通して有効な関係を結ぶことが出来たわけです。

馬様様ですね。



信直の長男利直は父の死後家督を相続、関ヶ原合戦の際には徳川方の東軍に与し、上杉景勝を攻める為、最上利光の後陣に参加(慶長出羽合戦)し、家康の信頼を得、その後の大阪の陣にも参戦しています。家康と利直は個人的にも親しい間柄であったようですね。



面白いですねえ。こんな東北の片田舎の大名の話など、教科書には載っていないし、大河ドラマで何度秀吉や家康が出てこようが、南部氏の影すら描かれることはない。

それでも、そこには確実な歴史があった。激動の歴史の波を乗り切り、生き残った一族の歴史が、

確実にあった。



おそらく奥州南部領と中央との間には、良馬等を通じての古代よりの交易ルートが存在しており、そのルートを通じて中央の情報が南部家に齎されていたのではないか、なんてことを想像しますね。

南部家は代々、その時代ごとの中央の実力者と確実に誼を結んでいる。これは中央の情報が的確に齎されていたからこそではないか。そういう部分では、伊達正宗などよりも、中央の事情に明るかったかもしれない。

なんてことを考えると、ちょっとワクワクしませんか?(笑)まさに

馬様様です。




南部駒は南部家にとって大切なお家の財源だったし、南部領に暮らす庶民・農民にとっても、生活の糧を得るための大切な産業でした。

しかしなにより家族として、南部領の人々は馬を大切にした。

そして、神としても祀った。

それは古代より伝えられてきた習俗に違いなく、馬の神は「蒼前様」と呼ばれ、やがて蒼前様は関東以南より齎された「駒形」信仰や、仏教の「馬頭観音」とも集合し、北東北独特の信仰を形成して行きます。

岩手県滝沢市、鬼越蒼前神社に伝わる「チャグチャグ馬コ」は馬も“晴れ着”を着飾って、稚児をその背に乗せて「お参り」をし、馬の神に馬自らが参拝し感謝を捧げるわけです。

そこに馬と人との区別はなく、馬は家族同然に扱われている、と考えて良いのではないでしょうか。









その端的な例が「南部曲り家」です。馬と人との居住部分が繋がっており。家人は常に馬の様子を見守ることが出来る。

これはつまり、馬の糞尿等のニオイが家内に充満することでもあるわけですが、そんなことはお構いなしだったのでしょう。子供のうんちが汚いと感じないように、馬の糞尿やニオイを汚いとは感じなかったのかもしれない。

馬や牛の糞尿は当時、有機肥料として使われてもいましたからね、現代の我々とは、大分感覚は違ったでしょう。









このように大切にされてきた南部駒ですが、明治以降、交通機関等の発達により徐々に需要が減って行き、昭和初期には早くも、純粋種としての南部駒は絶滅してしまいます。

人間の身勝手といいますか……なんともはや、ではあります。






                   



南部家の家紋「南部鶴」の胸に、「九曜紋」が描かれているのが分かりますでしょうか。

九曜紋は北極星への信仰である「妙見信仰」と関わりがあるとか。

北極星。つまり「天御中主神」ですかねえ。

なんだか、ビビッとくるような……。
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文化財レスキュー

2015-03-14 19:49:10 | つぶやき




                      

左上が岩手県陸前高田私立博物館で、右上はその姉妹館である海と貝のミュージアム。下はそれぞれの被災状況。




東日本大震災によって、陸前高田の博物館及び、その姉妹館である海と貝のミュージアムも被災し、その収蔵品の多くが津波による被害を受けました。

学芸員6名は全員死亡。文化庁はレスキュー委員会を発足し、4月中旬より岩手県教育委員会や博物館や文化財の関係者、市職員やボランティアの手によって瓦礫の撤去作業を開始。文化財レスキューが行われました。



レスキューされた文化財は安全な場所へ運ばれ、そこでまず「安定化」のための作業が行われます。

泥や塩水で汚れた文化財は、そのままではすぐに劣化してしまう。それを防ぎ本格的な修理を施すために、まず「安定化」をはかるわけです。そうして安定化処理が施された文化財は、県立博物館その他の場所へ移送され、本格的な修理が開始されるわけです。




レスキュー作業はそれはそれは大変でしたでしょう。余震は続いているし、埃や悪臭もすごい。夏になれば炎天下の中の作業で、熱中症の恐れもある。

また、瓦礫の下に遺体があるのではないか、という気持ちは、精神的な緊張感を強いたことでしょう。

それでも皆さん、レスキュー作業をがんばった。頭が下がります。

しかし、そんな作業を謗る声もあったとか。「そんなことしてないで人を探せ!」「捨ててしまえ!」などと言われたこともあるそうです。

でもその一方で、こんなこともありました。↓



                    

市教委と書かれていますが、関係者でこれを書いた人はいないそうです。

おそらくは、市民の誰かが、市教委の名で注意を促したものでしょう。



文化財の中には、陸前高田で使われていた漁撈道具等の資料も多数あったそうです。

陸前高田は海の町ですから、漁撈道具は陸前高田の先人達が確かに存在した証し。現代に至るまで命を繋げてきた方々の「想い」の結晶。

いわば、陸前高田のアイデンティティです。

大変な状況のときに、それでも町のアイデンティティを守ろうとする姿勢。しかもそれは、文化関係者でもなんでもない、名も無き一市民から発せられた。

先人達の生きた証しを、その想いを守りたい。それは本当にこの町が好きだから、大切にしたいからこそ。

先人達を御先祖を敬っているからこそ。



なんだか素敵な話だとは思いませんか?

被災地で見た、ちょっといい話。

こういうとき、東北人であることを、誇りに思う。




東北は、まだまだ捨てたもんじゃない。

人間は、まだまだ捨てたもんじゃない。



http://www.nippon.com/ja/currents/d00168/
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アイドルについて

2015-03-13 22:02:09 | 雑論





                      



日本人の生命観、美意識というものは、変化して行くものにあるようです。

春夏秋冬の四季の移り変わりの中で、春に萌えた若葉が、夏の盛りを過ぎて、秋には枯葉となって散り、冬を迎える。しかし翌年の春には再び若葉が萌える。永遠にこの繰り返し。

日本人の生命観、美意識はこうした大自然の移ろい行く在り様によって形成され、そこへさらに、仏教の無常観が導入され、さらなる深化を遂げた、と考えられます。



変化し続けるものこそ美しい。「完成」されたものはある意味「止まって」しまったもの。そこに変化はありませんから、日本人はあまりそういうものを好まないように思われます。

常に変化し続ける。それは常に発展し続けるということでもあります。先人達から伝えられてきた者を大切にしつつも、決して一か所に留まらず常に発展し続ける。時には「外」から来たものを導入しながら。

そうやって、日本の文化、伝統というものは形作られてきた、と、私には思われます。






大自然の変化の中で、最も劇的な時期は、やはり若芽が成長し若葉となって萌える頃。人間でいえば幼少期から青年期にかけてではないでしょうか。

若者がなにかに一生懸命打ちこんでいる姿は、とても心を打つものがあります。もちろん大人が頑張っている姿だって素晴らしい。素晴らしいけれども、若者のそれには、また格別のものがある。

プロ野球に興味はないけれども、高校野球は好きだ、という人は多いです。これなどはまさにその典型でしょう。まだ完成されていない若者達が、勝ち進むことを夢見て戦い続ける姿は、涙が出るほどに美しい。



日本独自のアイドル文化というものも、実はこれと同じ文脈で語れるのではないでしょうか。






アイドルというものは本来、「偶像」「憧れるもの」を指す意味で、それが芸能関係で用いられるようになって「人気者」を指すようになった。アメリカではフランク・シナトラのような大物歌手をも「アイドル」と呼んでいたようです。

これが日本では、70年代頃から主に十代前後の若い人気タレントを指して言うようになります。当時の「アイドル」は本当に歌が下手、演技も下手な人が多かった。とても大人の鑑賞に堪え得るものではない人も結構いたわけです。

実際には歌の上手い、演技力のあるアイドルもいたのでしょうが、やはり「悪い」印象の方が強く残る。それにアイドルというものは、同世代かそれ以下の世代の子供達が夢中になるもので、大人が興味を持つものではないという社会通念がありましたから、そうした諸々の事どもが、「アイドル」=「稚拙」「程度が低い」というイメージを作り上げてしまった。

しかし先述したように、日本人には変化・発展していくものを愛でる文化がありましたから、実際にはアイドルを心の中で応援していた「大人」達も多くいたことでありましょう。それこそ

甲子園球児達を応援するように。






時は移ろい、社会通念、一般常識というものも徐々に変化していきました。

「萌え」などという言葉が生まれ、いい大人がアイドル好きを公言して憚らなくなった。

この「萌え」にしても、日本人が古来より培ってきた生命観からすれば決して唐突なものではなく、なるべくしてなった言葉だと言えましょう。

萌える若葉を愛でる心は、甲子園球児を応援する気持ちに通じ、それはアイドルを応援する気持ちにも繋がって行く。

こうした流れに乗っかったかたちで生まれた最大のアイドルこそ、

ももクロ。ももいろクローバーZなのです。




                   





モノノフ達はこぞって「ももクロちゃん達を性の対象としては見ていない」と公言しています。

これこそが「萌え」の「萌え」たる所以。

若葉が成長していく様、萌える命が躍動する様を愛で、応援する。これは日本人古来の伝統的な生命観、美意識に正しく由来したもの。

いい大人がももクロを応援する行為は、実は日本の伝統文化に正しく裏打ちされたものなのです。

どうだ、凄いだろ!(笑)









ですから「アイドル映画」というのは、この「若葉」の時期、「萌える」命の躍動をいかに上手く、映画として切り取れるかが要、なのでしょうね。

そういう意味でも『幕が上がる』は大成功なわけです。

結局、ももクロ話でありやす(笑)






先達へ、敬意を込めて。
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忘れない

2015-03-11 21:31:26 | 日記



2月28日のこと、映画『幕が上がる』を観るために、仙台市のさらに南、名取市のイオンに向かいました。

盛岡の劇場にするか名取にするか、上映時間等を検討の結果、名取を選んだわけですが、およそ10年ぶりに国道4号線仙台バイパスを通ってみて、周りの光景が随分と変わってしまっていて、ビックリしました。

特に泉区内のパイパス周辺は、店舗などが随分と入れ替わってしまって、どこがどこやら分からない。

震災があったにも関わらず、仙台という町は、ずっと発展し続けてきたのだなあ。





映画を観た後、ちょっと寄り道しようか、とも思った地区があったのですが、なんだか不謹慎な気がして、結局寄りませんでした。

仙台市の海岸沿い、荒浜地区は震災で大変な被害を被り、仙台市は荒浜地区を危険地域に指定、家屋等を建てることが禁止されています。

そこは未だに、震災の爪痕がくっきりと残っているのです。

仙台市の中心部から車で僅か15分くらいのところです。大都会の明かりが煌々と輝く仙台の、目と鼻の先くらいのところに、未だにそのような光景が広がっている。仙台に住む私の友人が、震災直後に荒浜の光景を見た後、仙台市内に戻ってくるとき、その余りの落差に混乱し、吐き気を催したと言っていました。

同じ仙台なのに、この差はなんだ?それを実感してみたいと、一瞬思いました。

でも所詮は、単なる好奇心です。そんな軽い気持ちで見るべきではない。

そう思い、寄るのを止めました。

荒浜は仙台でも中心部とは違い、風光明媚な田舎といった風情の良いところでした。かつてその土地に暮らしていた人々の大半は、今では仙台市内中心部に近いところで暮らしていることでしょう。

都会の片隅で暮らしながら、彼らは何を思っているのか。

いつの間にか、皆の記憶から荒浜が忘れ去られてしまうかもしれないことを

恐れているかも知れない。










今日、東京にて行われた、東日本大震災追悼式典において、今上陛下が「被災者に寄り添う」とおっしゃられていたとか。

「寄り添う」私はこの言葉が一番「リアル」だと思っています。

百の「正論」をぶつよりも、まずは寄り添うことです。気持ちだけでも、寄り添ってあげること。

寄り添ってあげて、そして出来れば、話を聞いてあげる。

それが出来なければ、せめて「忘れない」でいてあげる。

忘れ去られるということは、もっとも寂しく

もっとも恐ろしいことですから。



私には何もできない。何もしてあげられない。

だからせめて、忘れないでいようと思う。

被災地のこと、被災者の事、私は決して忘れない。

震災から2ヶ月後に初めて入った被災地の光景。陸前高田の、大船渡の、釜石の、大槌の、

気仙沼の、あの光景を、

私は忘れない。

絶対

忘れない。






ももいろクローバーZ「ももクロのニッポン万歳!」2012年3月11日、横浜BLIZ。


がんばれ! がんばれ! 東北

福島の桃が大好きです

山形さくらんぼ大好きです

宮城の牛タン大好きです

あきたこまち大好きです

青森リンゴはテッパンです!

岩手のお魚大好きです

どうか諦めず 希望をその胸に




東北パートを歌うももか、泣いてます。

泣きながら、それでも一生懸命歌ってます。

有難いことです。



忘れないよ

絶対。
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4年目

2015-03-10 19:15:57 | 日記




今日は1日風が強かった。

雪の少ない冬でした…と思ったら、今日の夜から明日(11日)にかけて、大雪の恐れがあるとか。

一筋縄ではいかないものです。まっ、想定内ですけど。





あれから4年。

私は一体、何をしてきただろう……。




















せめて、忘れずにいたい。
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