風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

映画『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』

2015-01-29 20:22:22 | 時代劇






                      



佐藤健の立ち姿がいい。

決して力むことなく、ちょっと首を前に出したような姿勢でフワリ、と立っている。

しかし、その静かな姿勢からは考えられないような猛スピードで殺陣をこなす。静から動への転換が実に鮮やか。

この立ち姿。印象としては宮本武蔵の肖像によく似ているように思えます。

あくまで印象ですが。






明治維新が成るその裏側で、暗殺者として暗躍し、“人斬り抜刀斎”と恐れられた男、緋村抜刀斎(緋村剣心)。その抜刀斎の後を継いだ男、志々雄真実(ししお まこと)。志々雄は明治政府の裏側を知り過ぎていた為に、政府の手によってだまし討ちにされます。身体を何十回と斬り刻まれ、油を掛けられて火を付けられます。劫火に焼かれる志々雄。

しかし、それでも志々雄は生きていました。その身体は激しい火傷のため発汗することができず、異常に熱い体温と、激しい憎悪の炎を心に滾らせ。

生きながらにして、地獄の業火に焼かれる男。それが志々雄真実。



明治政府を転覆させ、日本を恐怖の内に支配しようとする志々雄一派と、それを阻止せんとする剣心とその仲間たち。

細かいところは観ていただくとして、やはり見どころはそのアクション。皆さん身体張ってます。かなりのシーンはワイヤーを使わずに、演者自身がその身体能力を駆使してアクロバティックな殺陣を熟している。伊勢谷友介や土屋太鳳が、空中で身体を捻らせながら一回転するシーンは、御本人がホントにやっているそうです。

殺陣は尋常でない手数の多さで、動きが複雑でしかも早い。よくぞこんなもんやり遂げたものだと思います。ある意味

どうかしてます(笑)

でもその殺陣が、一人一人のキャラクターの「言葉」になっているんですね。言葉というかそのキャラそのものを表しているというか、ともかくその殺陣、その動きを見ることで、それぞれのキャラクターの内面だとか想いだとか、そういうものが見えてくる、そんなアクションになっていたと思う。

だから、ラストの大バトルシーンは素晴らしいですよ。単に迫力があるとかいうだけじゃない。各自の想いが殺陣という形で爆発しぶつかりあってる、その熱さに思わず涙が出てくるほどです。

あれほど激しく熱く、残酷で尚且つ感動的な殺陣は見たことがない。あのシーンのためにこの映画のすべての展開はあるといっていいでしょう。


テーマを敢えて上げるとするなら、「生きる」ですかね。自分の為に生きるという事は、決して我欲の為に生きることではない。

自分の為に生きるとは、人の為に、皆の為に、社会の為に生きるという事。

その為に、己の出来る限りの力を尽くす事。

それが「生きる」。




ところで、ラストの剣心のセリフは、ひょっとして……???










『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』

制作総指揮 ウイリアム・アイアトン
プロデューサー 福島聡司
脚本 藤井清美 大友啓史
音楽 佐藤直紀
アクション監督 谷垣健治
監督 大友啓史

出演

緋村剣心  佐藤健

神谷薫   武井咲
相楽佐之助 青木崇高
明神弥彦  大八木八斗
高荷恵   蒼井優

斉藤一   江口洋介
四乃森蒼紫 伊勢谷友介
巻町操   土屋太鳳

志々雄真実 藤原竜也
瀬田宗次郎 神木隆之介

大久保利通 宮沢和史
伊藤博文  小澤征悦


翁     田中泯



比古清十郎 福山雅治


ワーナー・ブラザース配給 




                      
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常識を疑う

2015-01-29 11:26:43 | つぶやき




人間は100%社会的な動物です。

つまり社会が安定していなければ、人は安寧な生活を送れない。

「常識」とはその社会生活を円滑に進めるための、先人達が積み重ねた「智恵」の結晶だと言って良い。


もちろん、その常識はいずれ古くなるし、一新しなければならない時もあるだろう。

常識とされているものに、疑問を抱くこともあるだろう。

しかし、その疑問の源泉はどこだ?

それは単に、自分の「自我」が満たされないからなのか?

上に書いたとおり、人間は100%社会的な動物であり、その社会生活を円滑に運ぶため、先人達の知恵の結晶体が「常識」です。

キミの自我を満たすためだけに、果たして社会の安寧を乱すことが得策なのかどうか。

よおっく、考えることです。






明治維新とは、公を守るために、あえて社会を一度ひっくり返すべきなのか否かの争いだったと言って良く、どちらも守りたいものは同じだった。

常識を疑うこと自体は良いでしょう。しかしその疑いの源泉はどこだ?単なる自我の渇望か?それとも公を守りたいが故の熱情か?

それによって、まったく意味は違ってくる。

そこに公への篤い「想い」が無いなら、そんな自我の渇望など、意味なし!

と、断言しておきましょう。


よおっく、考えてみることです。
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冬の平泉

2015-01-26 17:21:21 | 黄金の國




午前中、陸中一宮駒形神社に参拝し、その足で平泉、中尊寺に寄ってみました。

2011年の世界遺産登録直後こそ、観光客でごった返していた境内も、今は大分客足が遠のいているようです。今日は冬場ということもあって、中尊寺境内は実に閑散としたものです。私はまず白山神社に詣で、その後中尊寺本堂に参拝させていただきましたが、どちらにも人っ子一人いない(苦笑)御蔭でゆっくりと参拝させていただきました。

では数少ない観光客はどこへ集まっているのかというと、中尊寺宝物殿である讃衡蔵と、金色堂に集中している。他の場所には目もくれないのでしょうかねえ。折角来たんだから、色々見て行けばいいのにと思うのですが、観光なんてものは、そんなものなんですかねえ。

まあ、私としては、世界遺産登録が単なる観光地化のためだけのものなら、意味など無いと常々思っておりましたし、元々静かな平泉が好きでしたから、観光客が減るのは一向に構わないのですがね(笑)いやいや、生活が懸かっている方々にとっては、そんな呑気なこと言ってられないでしょう。失礼いたしました。




さて、静かな境内をゆっくりと歩きながら、藤原4代の“想い”について考えていました。

初代清衡はその生涯の大半を戦乱に明け暮れて過ごし、二度と戦のない、理想の浄土を奥州に築くべく、その浄土の象徴として中尊寺建立に尽力しました。2代基衡、3代秀衡はその初代の理想を引き継ぎ、平泉の街を整備してきました。

しかしその100年の栄華も、源頼朝の手によって潰えます。頼朝は平泉の寺社を篤く保護しましたが、度重なる火災によって、そのほとんどは灰燼に帰し、往時の面影を伝えるものは、わずかに中尊寺金色堂及び経蔵のみ。

芭蕉翁が詠んだ如く「つわものどもが夢のあと」です。







私の中で、4代泰衡に対する評価は、二転三転しています。

巷間伝えられている通り、凡庸な人物だったのか、それとも実は、優れた人物であったのか。

平泉寄りの小説などを読んでおりますと、泰衡は大変優秀な人物であったかのように描かれていることが多く、私なども心情的には、そちらへ傾きたくなってしまいますが、

やはり凡庸、愚昧としか言いようがなかったのではあるまいか。

いずれにしろ、泰衡の代で平泉は滅びます。泰衡自ら幕を引いたようなものです。

その点だけは、逃れようのない事実。





泰衡の父、3代秀衡はその臨終の間際、「いざとなったら源義経を大将として戦え」と遺言を残します。

兄頼朝に追われ、平泉に逃亡していた義経。その義経を総大将として、頼朝の軍勢と戦え、と言遺したのです。

平泉には音に聞こえた精強な軍団が揃っていましたが、いかんせん一度も戦をしたことがない。対する頼朝の軍勢は歴戦の強者、経験値の高さではとても敵わない。しかも泰衡が総大将ではいかにも心もとない。

そこに戦上手の義経を据えることによって、戦の経験のない者達をも上手く使ってくれるだろうし、なにより義経の名そのものが、敵にとっては大きなプレッシャーとなる。

あわよくば、「抑止力」となるやも知れぬ。

そこまで考えての策だったように思われます。

しかし泰衡はこれに従わず、義経をだまし討ちにして殺害。義経の死を知った頼朝勢は好機とばかりに攻め上がり、ついに平泉は滅亡するのです。






平泉は、恒久平和の理想郷、此土浄土を顕現せんとして作られた都市だったといっていい。

しかしその平和を守るために、今にも攻めかからんとする敵を前に、いかにするべきかを、秀衡は考えた。

考えて考えて、義経という逸材を活用することを思いつきました。

しかしこの妙案を、息子の泰衡が潰してしまうかたちとなってしまった。


義経を差し出して、ひたすら恭順すれば、頼朝も攻め込むことはないだろう。この泰衡の甘い考えが、黄金の國平泉を滅ぼしてしまった。

この平泉の歴史から、現代人が学ぶべきものはなんでしょう?

平和を守るために、本当にすべきことは何なのか。



平和を守るために、秀衡が考えたことと、泰衡が採った行動とそれが齎した結果と。

今を生きる日本人一人一人に、この歴史的事実から学んでほしい。


それが、藤原4代が我々に伝えている“想い”のような気がします。










金色堂に参拝させていただいたのは、何年ぶりだろう。

なんせ、拝観料が掛かるもので(笑)地元民はあまりしょっちゅう訪れることはないのです。


久々の皆金色の御堂を前に、藤原4代の葬堂を前に、ひたすら感謝を捧げました。

奥州藤原氏が目指した恒久平和の此土浄土。黄金の理想郷が、いつか本当にこの世に顕現することを夢見て。
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尾籠な話

2015-01-25 14:32:57 | 歴史・民俗
 



日本の神話を見ておりますと、糞尿からも神様が生まれています。この世の森羅万象すべてに神が宿るなら、糞尿にも神がおわすのは当然っちゃ当然ですね。



実際のところ、人の出す屎尿は、発酵させて「下肥」として、農作物を育てるのに利用されました。

私が子供の頃は、あちらこちらに「肥溜め」があって、そこに人の屎尿を集めて、発酵させ、下肥を作っていたものです。私の通った小学校は、田んぼの間のあぜ道みたいな細い道が通学路で、一度雨が降るとドロドロになって歩きにくい、おそらく昔は湿地帯であったと思われますが、それはともかく、通学路の近くにも肥溜めがあって、誰々が肥溜めに落ちた!なんて話も聞いたものです(笑)いや、そんなことはどうでもいいんですが。




下肥は藤原京の頃には使用され始めていたとされています。日本のトイレは川や堀の水を屋敷内に引き込んで、その上で用を足す“水洗”式でした。これは縄文、弥生を通しての伝統であり、トイレのことを「厠(かわや)」というのは、川に流していたからなのです。


これが平安時代になると、水洗式トイレが消えて、貴族などは専用の「おまる」に致すようになります。これを家来の者たちが捨てるわけですが、捨て先は鴨川などの河川であったと考えられますが、一部はおそらく、下肥として利用されていたのかもしれません。

もっともこれは、一部の貴族だけの話、一般庶民は相変わらず川に垂れ流すか、その辺の野原で致していたようです。特に平安京は都として栄えましたので、地方から流民が大量に流れ込んできます。そうした人々の排泄物は川や野を汚します。川は下水であるとともに上水でもありましたから、これが汚れると伝染病などの原因になる。それに京都は盆地ですから湿気が溜まりやすいし、当時は墓に埋葬する習慣も定着していませんから、河原には死骸がごろごろ散乱していた。これが京独特の湿気と相まって、伝染病等の原因となった。

源頼朝が京都から遠く鎌倉に幕府を開いたのは、こんな京都がいやだったから、なんて説を唱えている方もおられます。案外壺は外してないかもしれません。



さて、その鎌倉時代に入りますと、幕府によって二毛作が奨励され、愈々下肥は需要性を増して行きます。さらに時代は下って、織田信長全盛時に日本を訪れたルイス・フロイスの記録には、屎尿を買い取り販売する業者の存在が記録されており、下肥の使用は、安土桃山の頃にはほぼ完全に定着していたものと思われますね。




                





徳川家康が関東に入ったばかりの頃は、関東平野は一面の湿地帯でした。

家康はこの湿地帯を一大穀倉地帯に変えるべく、河川改修工事等、多くの水利事業を展開させます。これは歴代の将軍によって引き継がれ、5代将軍綱吉の頃までには、関東平野は一大穀倉地帯に変貌しておりました。これによって、元禄の爛熟した江戸文化は支えられたといって良いでしょう。


江戸は100万人の人が暮らす世界一の大都会となりました。その100万の人々を支えるためには、当然インフラ整備が必要となります。

江戸市民の咽喉を潤す「玉川上水」は、3代将軍家光の腹違いの弟、保科正之(会津松平家初代当主)によって開削され、江戸は慢性の水不足から解放されます。

一方の屎尿処理ですが、江戸市民が排泄した屎尿はほぼすべて、下肥として利用されていたようです。

江戸近辺の関東平野一帯は一大穀倉地帯ですから、大量の肥料が必要となります。それを賄うために、江戸100万市民の出した屎尿の重要性は大変なものでした。

屎尿を売買する「屎問屋」が両者を介在し、あるいは農民自身が直接、屎尿を買付にきて、大八車に積んだ大量の肥桶を運ぶ、なんて光景は日常のものだったようです。




                   



かくして、江戸時代の日本は完全循環型社会を成立させていたと言えるわけです。



海外ではこのような、人の屎尿を有機肥料として利用するという発想はついに浮かばなかったようです。

御存じの方も多いでしょうが、昔のパリやロンドンなどの大都会では、屎尿は窓から道路に投げ捨てられており、町は大変不衛生な状態でした。そんな状況を赦してまでも、人の屎尿の有効利用にはついに思い至ることがなかった。

なんでしょうね。やはり「生命観」の違いなのでしょうか。

排泄物を単なる「汚物」として忌み嫌うだけなのか、その「汚物」の中にも生命の神秘、神の御業を感じるのか。



いずれにしろ、昔の日本人は、屎尿を単に汚いだけのものとは見ていなかった。

人から出たものが、巡り巡って、人の口に入るものを育ててくれるという神秘。

有難さ。

そこに「神」を見い出したとしても不思議はなく、だからこそ、少々のニオイなど

それこそ「屁」とも思わなかった…?








戦後の化学肥料の台頭によって、下肥の需要は減って行きました。

しかし今再び、脚光を浴びようとしています。


科学肥料のリンは、古代の鳥の糞の化石から取り出されるもので、その方法以外、人工的に作ることは出来ないのだとか。

この鳥の糞の化石が、21世紀中ごろまでには枯渇してしまうのだそうです。

そこで再び、人の屎尿を利用した下肥に注目が集まっているわけです。

最新のシステムでは、下水から人の屎尿を選り分けて集め、そこから下肥を作るのだそうで、すでに一部の地域では実験的に実用化されているとか。

日本がもう一度、完全循環型社会に戻る日も


近いかも。



屎尿にも、感謝ですね。

誰ですか、笑ってるのは!?

真面目な話です。


屎尿にも感謝、トイレに感謝。






                    
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道路から見える日本文化

2015-01-22 20:04:36 | 歴史・民俗




時代劇などを見ておりますと、当時の日本人は、移動手段として「駕籠」を使っていたことが分かります。

疑問に思ったことはありませんか?

何故日本では、車文化は発達しなかったんだろう?







                   




【すべての道はローマに通ず】なんて言葉があるように、道路整備と文明の発展には切っても切れないものがあります。

しかし日本においては、明治以前に本格的な道路整備というものが行われた様子はあまりないようです。

日本は地形的にいくつもの山脈、山地で区切られており、その間を無数の河川が流れています。ですから物資運送の際には、起伏の激しい陸路よりも、川や海を利用した船運の方が遥かに速い、ということはあったでしょう。しかし内陸の都市部などへ搬入するには、一端船から荷を降ろし、陸路を行かなければならない。その際に道路を広く平らにし、さらには石畳等で舗装しておけば、牛車、馬車に大量の荷を積んで、一挙に大量輸送が出来た筈。江戸時代頃であれば、その程度の技術は当然にあった。

にもかかわらず、それをしなかった。

というより、出来なかったというべきか。





                  


やはり時代劇などを見ておりますと、平安時代の貴族などは、牛車に乗って移動していたのが分かります。

牛車はお隣の中国から輸入されたものです。日本は律令制度などの法制を中国から取り入れると共に、文化も輸入しました。牛車もその一つ。

しかし中国文化のすべてを取り入れたわけではありません。日本に「合わない」文化は意図的に取り入れなかった。

その最たるものが「宦官」でしょう。

宦官とは要するに去勢された官僚たちです。古代中国では何故か、律令制の下、政治の中枢に関わる官僚たちを去勢していました。考えるだにおぞましく、縮み上がってしまいますね、いや、マジな話。


日本では律令制こそ取り入れたものの、宦官などは置かなかった。日本人の感覚では、到底受け入れることは出来なかったということです。





ところで、牛車や馬車を自在に動かすためには、牛馬を思い通りに動かさなければいけません。

しかし牛や馬は非常に警戒心が強く臆病なので、ちょっとした刺激ですぐに暴れ出し、いう事を聞かなくなる。

そうなってしまったら、もう処置なしです。

では如何にすれば、牛馬を暴れさせずに済むのか。

その方法で最も有効な手段が

「去勢」なのです。



牛馬を去勢することによっておとなしくさせ、自在に動かす。大陸辺りでは当たり前に行われていた方法です。この方法、技術は当然、日本にも伝わっていたはずです。


しかし、日本人はこれを受け入れなかった。

人間の去勢はもちろん、牛馬の去勢も同様に受け入れなかったんです。



日本人は牛馬を買うとこれに名前を付け、家族のように扱います。そこには当然情が生まれます。

たとえ牛馬であろうと、家族として、同じ生き物として、去勢なんて残酷なことをするのは忍びないし出来ない。

これが日本人の平均的な感覚ではないでしょうか。

だから、去勢文化は日本に定着しなかった。


日本の牛馬は去勢していませんから、平安貴族の乗る牛車の牛も、よく暴れていたようです。これをお供の者たちが数人掛かりで抑えている画が残っているとか。

だから牛車での移動は非常に効率が悪かった。だから普及することはなかったわけです。



蒸気機関の発明以前は、動力といえば牛か馬しかなかったわけですが、日本ではその動力源を自在に使いこなす技術が、「心情的」に発展しなかったわけです。牛馬たちは刺激の少ない農村で、のんびりと田畑を耕し、農民から重宝がられ可愛がられた。

牛馬を移動の動力として使えない以上、他の動力源は人間しかありません。だから日本の道路は、人間が二人すれ違える程度の広さがあればそれで良く、駕籠などの人力を使った移動手段以外、あまり発展することはなかったわけです。



面白いですね。森羅万象鳥獣虫魚、この世のすべてのものに魂が宿るとする日本人の生命観は、牛馬にも人間と同じ「命」を、「仏性」を見ていた。

だから、出来なかったんです。去勢なんて残酷なマネは。


その日本人の生命観が、先進国の中で最も悪い道路事情を生み出した。


そういう理由なら仕方ない、納得出来る。そう思えませんか?

そう思えるあなたは、正真正銘の「日本人」です(笑)








参考文献

『日本史の謎は「地形」で解ける』
竹村公太郎著
PHP文庫
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号外!!!!

2015-01-20 13:09:54 | ももクロ
  



ももいろクローバーZ vs KISS 「夢の浮世に咲いてみな」PV公開!





良い!!!
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幻魔と狼男 ~平井和正氏を偲ぶ~

2015-01-19 21:52:07 | 日記




                     




SF作家、平井和正氏の「ウルフガイ・シリーズ」は、私が中学、高校の頃、最も夢中になって読んでいた小説でした。

ウルフガイ・シリーズには2種類あって、中学生の少年狼男を主人公にした「少年ウルフガイ」シリーズと、30歳過ぎの大人の狼男を主人公にした「アダルト・ウルフガイ」シリーズ。主人公の名前はどちらも同じ、「犬神明」。

どちらも好きだったけど、どちらかといえば「少年」シリーズの方が好きでしたね。近い年齢ということもあったし、少年故のガラスのように傷つきやすい、明少年の悲しみに強く惹かれたものでした。

狼男といっても、人を襲うような妖怪ではなく、大自然の「精霊」なんです。人間に絶望しながらも、それでも見捨てることが出来ずにいる、つい助けてしまう。そんな精霊。



初期の平井氏は、「人類ダメ小説」と銘打って、人間の愚かさ、ダメさ加減を告発するような小説ばかりを書いていました。ウルフガイ・シリーズもその一環で、人類のダメさ加減を、大自然の精霊が冷徹に眺めている、」という趣旨だったようです。

しかしこの犬神明“たち”は、ただ冷徹に眺めているだけだったろうか?彼は時に人間の行いに介入し、時にその悲しみを共有していた。彼ら犬神明“たち”は、本当は

人間が好きだったんじゃなかろうか。

それはそのまま、作者平井和正氏の真のスタンスだったような気がします。






                   




平井氏はマンガの原作も多く手掛けていました。

有名なところでは、桑田次郎の「エイトマン」や「エリート」、石森章太郎(当時)の「幻魔大戦」辺りでしょうか。


後に平井氏は「幻魔大戦」をノベライズします。初めのうちこそマンガに沿った展開でしたが、徐々に独自の展開を見せ始め、主人公、東丈(あづまじょう)が主催する幻魔研究会、通称GENKENの物語にシフトして行きます。

実はこの当時、平井氏は某新興宗教団体と関係するようになっており、その影響が相当強かったようです。

GENKENは途中で会長の東丈が忽然と姿を消してしまう。その後、東丈の姉、美千子が中心になって運営されていくのですが、カリスマを失った組織内では派閥争いが起こり始める。この辺の展開は、平井氏が関わっていた宗教組織の顛末とよく似ているんですね。平井氏はどうやら、自身が関わる団体の女性教祖の姿を、東三千子にダブらせて描こうとしていたのではないか、と思われる節があるわけです。

尤も幻魔大戦は完結することなく途中で終わってしまうので、結局どういうつもりだったのか、よくわかりません。いや、その後完結したのかも知れませんが、私はこの路線変更で急速に熱が冷めてしまい、幻魔大戦が一旦終了したのを機に、平井氏から離れてしまいました。

なので、その後のことはよくわかりません。



幻魔大戦はスピ系に多大な影響を与えたと云われているようですが、私自身は単純に小説として楽しんでいただけだったので、これによってスピ系に目覚めたということは、まったくありません。

私は一度だけ、いわゆる「手かざし」系宗教団体と関わりを持ったことがありますが、それは行きがかり上やむを得ないしがらみがあったからで、決して幻魔大戦の影響からではありませんでした。寧ろ、幻魔大戦で描かれていたような派閥争いがやはり行われていて、どんな偉そうなことを言っていても、所詮宗教団体などこんなものなんだなと、嵌り過ぎることをセーブさせてくれた面がありました。

結局その団体には、5年もいなかったんじゃないかな。真面目にやってみたのは最初の2~3年だけ、まあそれでもズルズルとしばらくは居てしまったわけですが、やっぱり幻魔大戦を読んでいたせいか、組織じゃだめだな、というのは思っていましたね。

そういう意味では、私にとっての幻魔大戦は、宗教団体に嵌らずに済ませてくれた、有難い小説だったということは、言えるかも知れません。

人生、何がどう自分に影響を与えるか、分からないものです。




尤も、私をそういう風に「導いて」くれた存在は、もっとずっと、「奥」の方におられたのかも知れませんがね。









                     




平井氏は一般的にSF作家と言われておりますが、科学に根差したような小説は殆ど書いていないはずです。

寧ろ人の心の暗黒面に肉薄した小説ばかりと言って良いでしょう。人の心の闇に潜む魔物が、虎の姿となって人を襲う「虎は暗闇より」とか、「メガロポリスの虎」なんてのもありましたね。

「サイボーグ・ブルース」という小説は瀕死の重傷を負った黒人警官が、サイボーグとなって復活するという話なのですが、物語の要となっているのは人種差別です。どんなに科学技術が発展しようとも、人の心は変わらない、相変わらず人種差別は続いているという、救いようがない小説でしたね。


でもこの方は、どこかで人間を信じたいと思っていたのではないでしょうか。それは犬神明のキャラクターによく表れていたのではないかと思うし、だからこそ某宗教団体との接触により、その面が急速に開花していったのではないでしょうか。

アダルトウルフガイ・シリーズは、犬神明は実は天使だった!という展開にシフトいきますし(「人狼白書」、「人狼天使」等)、宇宙の究極的闇と戦う話だった幻魔大戦は、登場人物たちの心の中の光と闇の戦いへとシフトしていったように思います。

「釈迦もキリストも人間から生まれたのだな」と、平井和正氏はつぶやいていたとか。

人間の持つ「光」の可能性に、目を向けようと、自身のスタンスをシフトさせたのでしょうね。

それはそれで、悪いことではなかった。

某宗教団体との、関わりさえなければ……。





晩年はどうやら、宗教団体との関わりは絶っていたようですが、今、平井氏の魂はどのような状態にあるのだろう?

きっと心根は優しい方だったと思っておりますので、どうか


安らかならんことを。






SF作家、平井和正。平成27年(2015)1月17日、急性心不全の為逝去。享年76歳。

合掌。
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鶏舞

2015-01-16 15:27:05 | 岩手・東北




この前の記事の一番最後にUPした動画『リトル・フォレスト【冬編・春編】』の予告編動画の中で、橋本愛ちゃんが「鶏舞(とりまい)」を舞っている場面が、一瞬映し出されていました。


鶏舞は、岩手県南部(奥州市付近)から宮城県北部(大崎市、栗原市)付近辺りまでのエリアで主に伝承されている、「南部神楽」のオープニングで舞われる演目です。











激しく回転する動きを特徴とする舞で、天の岩戸を開く時に鳴いた、「常世の長鳴鶏」を表現したものであろうとされています。

衣装は非常にカラフル。鳥兜を被り、長い鉢巻に襷に帯を垂れ流しているのは、おそらく鶏の尻尾のイメージなのでしょう。左手に扇、右手には「錫杖」と呼ばれる飾りのついた短めの棒状のもの、地域によっては「ほこ」と呼ばれる祓い幣を持って舞います。








岩手県奥州市衣川区(旧胆沢郡衣川村)には、この南部神楽とりわけ鶏舞の、後世への伝承を目的とした活動が盛んに行われており、小、中学校でも教育の一環として取り入れられ、ダンス風の群舞にアレンジし直した鶏舞が授業に組み込まれているようです。



私は衣川出身ではありませんが、私の在籍した中学校でも、このダンス風群舞としての鶏舞の授業がありました。当時の私は、地元の伝統文化などには、ほとんど興味がなく、仕方なくやらされている感がハンパなかったですね(笑)今考えるともったいないことをしたな、と思いますね。もっと真面目に憶えておけばよかった。








さて、Wikipediaによりますと「神楽」の語源は「神座(かみくら)」にあるとか。神座とは神が依られるところ。神を降ろし、参拝者の祓い浄めを行うためのものだったそうです。伊勢神宮の神楽殿で行われる神楽は、この祓い浄めですね。

これが山伏によって地方に伝播されるに及んで、神楽は祈祷や奉納のためのものに変化して行き、芸能色が強くなっていきます。




南部神楽の発祥地は、岩手県一関市萩荘地区の奥にある小高い擂鉢型の綺麗な山、自鏡山であるとされています。

この自鏡山は古代よりの信仰の地であったようで、この山に鎮座する吾勝神社は、ヤマトタケルノミコトによる建立と伝えられており、御祭神はアメノオシホミミノミコト。ヤマトタケルが岩手県に来たという記事は、「古事記」にも「日本書紀」にも書いておりませんが、岩手県南にはヤマトタケルに縁起を持つ神社が多く、おそらくは古代東北の開拓と、なんらかの関係があるのでしょう。

それはともかく、この自鏡山を管理していたのは、出羽三山系の修験者たちで、この修験者たちが代々、神楽を伝えてきたわけですが、明治維新による神仏分離令によって、山伏はその存在そのものを否定されてしまいます。

山伏が去った後、神楽が途絶えてしまうことを危惧した地元民によって、神楽は伝承されることになります。これが「南部神楽」と呼ばれ、現代まで連綿と伝えられているのです。



自鏡山は今でこそ辺鄙なところにありますが、古代から中世にかけては、街道が近くを通っていたであろうことが推察され、広範囲に渡っての信仰を集めていたようです。かの奥州平泉藤原氏も、この自鏡山に寺社を建立し、手厚く保護したと伝えられています。

零感の私にはわかりませんが、こんな辺鄙な田舎の小さな山には、多くの人々の信仰を集めるに足るような、なにやら秘密があったようですね……。



自鏡山



南部神楽のなかでも、「みかぐら」と呼ばれる鶏舞は特にフューチャーされることが多い。そのダイナミックな躍動感のある舞は、多くの人の目を惹きつけます。

神楽のルーツは、天岩戸で舞われたアメノウズメの舞ともいわれております。天岩戸からアマテラスを誘い出すための舞がルーツなのです。

鶏舞は「常世の長鳴鶏」を模したものとされています。鶏は朝の到来を告げる鳥。つまり、アマテラスが天岩戸がお出ましになることを告げる鳥でもあるわけです。

神楽のルーツであるアメノウズメの舞と鶏舞は、天岩戸を通して繋がっているわけですね。









ところで、「天岩戸」とは、一体何処にあるのでしょう?

言わずもがなですね。それは、

一人一人の、心の中に。



岩手県奥州市衣川区「磐神社」にて奉納された御神楽(鶏舞)。13分と長いですが、そのダイナミックな舞を堪能していただきたい。









ももクロ夏のバカ騒ぎ2014日産スタジアム大会「桃神祭」より。

この画像の曲目は「天手力男」。天岩戸神話で、アマテラスを岩戸から引っ張り出した力自慢の神です。

この衣装といい、曲のタイトルといい。ももクロの「舞」もまた

ある意味、「神楽」です。
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映画『リトル・フォレスト【夏編・秋編】』

2015-01-13 12:39:03 | 映画





                    


2013年から、岩手県奥州市衣川区にて、およそ1年を費やして撮影された映画です。

生きるために食べる。食べるために作る。ひたすらにひたすらに、その基本的な真理を、静かに見せて行く映画。

主演、橋本愛。農業や料理のシーンはすべて、橋本愛本人がやっているとか。合鴨の解体にも果敢に(?)挑んでおります。


制作の森屋圭一郎氏は、いつもなにかと「戦って」いるような佇まいを持つ橋本愛を、当初から主役として考えていたそうです。

何となく、分かる気がします。



生きるとは、ある意味「戦い」です。静かな静かな

静かな、「戦い」。

その戦いの、究極の「対戦相手」とは……。





他の出演者は、橋本愛演じるいち子の、失踪した母親役に桐島かれん。

いち子の後輩役に三浦貴大。その他温水洋一など。

いち子の幼馴染、キッコ役に松岡茉優。橋本愛とはプライベートでも大の仲良し。映画『告白』や、映画『桐島、部活辞めるってよ』。そしてNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』など、共演作も多い。




ドラマ『あまちゃん』より。右端でネギを持っているのが、GMT6リーダー、入間しおり(松岡茉優)。
「海はーないけどー、夢はーあるー♪」



同じく『あまちゃん』より。ユイちゃん(橋本愛)とアキちゃん(能年玲奈)。



固まる勉さん(塩見三省)








…あれ?何の話だっけ?









『リトル・フォレスト【夏編・秋編】』
原作 五十嵐大介(月刊アフタヌーン)講談社
制作 森屋圭一郎
   石田聡子
   河合勇人
製作総指揮 高橋敏弘
音楽 宮内優里
脚本・監督 森淳一

出演

橋本愛

三浦貴大
松岡茉優

温水洋一

桐島かれん

平成26年、松竹配給






ちなみに、今年の2月から【冬編・春編】が公開されるとのことです。




                      

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Intermission

2015-01-13 09:54:00 | ももクロ






                       

                         ももか面



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