時代劇専門チャンネルにて、映画『超高速参勤交代リターンズ』が放送されておりまして、見ることもなく見ていたのですが、
まあコメディということで、あまり細かいことを指摘するのはどうかとも思ったのですが、どうにも拭えない強烈な違和感を感じたものですから、その点をちょっとばかり指摘してみたいと思います。
映画の中では、陣内孝則演じる幕府老中が極悪人として登場するのですが、この老中に酷い目に遭わされる小藩の家老、これを佐々木蔵之介さんが演じているわけですが、この家老が、陣内老中の「本名」を呼び捨てにするという、およそあり得ないシーンが何度も出てくるんです。
また、将軍吉宗公のおそらくは家臣にあたる人物が、やはり「徳川吉宗様」と、本名を呼ぶシーンが出てくるのですが、これもあり得ないことです。
身分の高い人物を、その本名で呼ぶことは大変な失礼にあたりました。ですからいかににっくき極悪人であろうとも、本名を呼び捨てにするなど武家のマナーに反することであり、恥ずべきことでありました。ですから当然将軍様の本名を呼ぶなどと云うことも
あり得ません。
老中ほどの人物ともなれば、なんらかの官職を賜っているはず。たとえば伊豆守とか大和守、越前守などを賜っていたなら、それを呼ぶのが常識、間違っても本名など呼ぶはずはずがない。
「おのれ伊豆め!」ならわかります。「おのれ○○め!」と本名で云うなど、何度でもくりかえしますが、
あり得ません。
最近こうしたことが多いです。去年公開された映画『関ケ原』でも、岡田准一演じる石田三成のことを、「おのれ三成!」と本名で呼び捨てにするシーンが何度も出てくる。何度もいいますが、
あり得ません。
石田三成は「治部少輔」という官職を賜っております。したがって「治部少」あるいは「治部」と呼ばれるのが常識、「おのれ治部!」ならあり得ますが、「おのれ三成!」など、しつこいですが、
あり得ません。
また、役所広司演じる徳川家康を、加藤清正などの格下の武将が「家康様」と呼びかける。これもないな。
当時家康は内大臣の官職を賜っておりましたので、「内府様」と呼ばれるのが常識。間違っても本名で呼ばれるなど
あり得ません。
いかに加藤清正、福島正則などの武断派であったとしても、そこまで武家のマナーを知らぬ「うつけもの」であるはずがないです。
何度でも何度でも、な~んどでも云います。
あり得ません。
ひと昔、ふた昔前くらいの時代劇、大河ドラマなどでは、この辺はしっかりと描かれていたのですが、最近すっかりいい加減になってしまっていますね、これは良くない。
当時の日本人、当時の武家のマナーを知ることで、日本人の伝統的「美意識」を学ぶことができると思われ、こうした部分は大切に伝えていかなければならない。
それもまた、エンタテインメントの使命と考えます。
さて、それでは日本人の「名前」の成り立ちについて、ちょこっと考察してみましょう。
源朝臣徳川次郎三郎家康(みなもとのあそんとくがわじろうさぶろういえやす)
これ徳川家康の正式名称です。細かく検証してみましょう。
まずは「源(みなもと)」。これを「氏(うじ)」と云います。
氏は天皇から直接に賜ったもの。源や平(たいら)、藤原(ふじわら)、橘(たちばな)など、いわゆる源平藤橘(げんぺいとうきつ)が特に有名ですね。
つまり徳川将軍家は源氏であるということを示しているわけですね。
次の「朝臣(あそん)」。これを「姓(かばね)」と云います。
姓は家の家格を表すもの。天武天皇が制定された「八色の姓(やくさのかばね)」が特に有名ですね。皇室に近い家柄から順に、「真人(まひと)」「朝臣(あそん、あそみ)」「宿禰(すくね)」「忌寸(いみき)」「道師(みちのし)」「臣(おみ)」「連(むらじ)」「稲置(いなぎ)」という八つの家格に分けて、当時乱れつつあった身分秩序を整理仕直そうとなされた。
もっとも時代が下るにつれて、この「姓」は本来の意味をなさなくなっていくわけですが。
次の「徳川(とくがわ)」。これを「名字(みょうじ)」と云います。
平安時代、「墾田永年私財法」という法律が作られ、自ら開墾した土地は永遠にその人物およびその血縁の者達の私有財産であることを認められました。これにより武士たちはこぞって新田開発などに勤しみ、開墾した土地を子々孫々に伝えて行くため、その土地の名称を名乗るようになります。
当時、開墾された土地のことを名(みょう)と呼んでいたんですね。そこから「名字」というものが出来たわけです。
たとえば「足利」という土地を開墾した源氏は足利を名乗り、同様に新田、佐々木、徳川(得川)等々、多くの一族が源氏から派生していったわけです。
次の「次郎三郎(じろうさぶろう)」。これを「通称(つうしょう)」と云います。
通称は極親しい者たちだけが使うことを許された。もっとも家康ほどの高い身分ともなれば、気軽に通称で呼ばれることなど、めったになかったでしょうね。
たとえば鬼平こと長谷川平蔵。この方、本名は「信為(のぶため)」といい、平蔵は通称なんです。本名で呼ばれることなどついぞあり得ず、通称の平蔵でさえ、家族以外では、岸井左馬之助のような若いころから親しくしていた人物でなければ、「平蔵殿」などと気安く呼ぶことはできなかった。大概の人は「長谷川様」あるいは「長谷川殿」と呼び、火付盗賊改配下の者らは「おかしら」と呼んだ。
間違っても、本名の信為で呼ばれることはあり得ませんでした。
そしてさいごの「家康(いえやす)」。これを「諱(いみな」と云います。
諱とはつまり、本名です。
本名とは本来、身分の高い者ほど秘される傾向にあったのではないでしょうか。本名を知られると呪いをかけられるかもしれない。昔の日本人はそれを恐れたのではないかと思われます。
アイヌの人々の古い習俗では、生まれたばかりの幼子に「汚い」名前をわざと与えることで、悪霊などが寄ってこないようにまじないをかけたそうです。それとそのまま同じかどうか分かりませんが、古くから本名を知られることを怖れる意識が、日本人の中にはあったのかも知れません。
いずれにしろ、日本人には相手の本名を気安く呼ぶことを控える傾向があって、それは現代までも続いていると思われますね。そうした日本人の伝統的な嗜みは、なるべく大事にしていきたいし、特に時代劇においては、そうした部分はしっかりと守って欲しいと思う、今日この頃であります。
日本人の名前については、もう少し触れてみたい点もありますが、それはいずれ、またの機会に。
今日はここまで。
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大河ドラマ『真田丸』より、石田治部少輔三成(山本耕史)
出来れば「治部殿」とお呼びしましょう。なんつって(笑)、