風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

普通の定義

2018-03-31 08:53:33 | 有安杏果










それでだ、杏果は何故、今この時にツイッターを始めたのか、ということですが。



そんなことは、仮にもモノノフを名乗る者たちなら、容易に気が付かなければならないはずなんですがね。



有安杏果という人の人となり、性格を、家族や周りのスタッフ以外でもっともよくわかっているのは、ほかならぬモノノフのはずなんですから。




人との縁(「みどり」じゃないよ「えん」だよ)を大切にする、優しさと気遣いの人。それが有安杏果。





ももクロを卒業し、芸能界から距離を置くという決断をしたとき、杏果が一番気遣ったのは、他ならぬファンのことだったに違いない。



自分の行動によって、ファンの人達が寂しがる。杏果にとってそれは、とても耐えがたいことだったに違いないのだ。



杏果は生まれた時から芸能界にいて、芸能界で育った。その過程で、ファンというものがいかに有難く、大切な者であるかを、杏果は身を持って知っていたのだ。


それになにより、杏果はファンのことが「大好き」なのです。だから、ファンと繋がっていたいという気持ちも強いのだと思う。



今までならライヴ会場で大好きなファンと繋がれたし、オフィシャルブログを通じて大好きなファンと交流することができた。しかしそのどちらもなくなってしまった今、杏果にとってツイッターを始めることは、改めて大好きなファンと交流する場として、これ以上最適なものはなかったのだ。


3月15日。杏果のブログが閉鎖された日。あの時感じた何とも知れぬ寂しさ。しかしそれから数時間後にツイッターを始めたと知った時の驚きと喜び。



杏果は痛いくらいに、ファンの気持ちというものを理解していた。これは杏果の、大好きなファンに対する「思いやり」「気遣い」なのである。


杏果がツイッターを始めたわけ。それはつまり、そういうことです。




「普通の女の子」云々ということが、一部で取り沙汰されているらしい。杏果のように生まれたときから芸能界にいて、ファンの有難さ大切さをしるものにとって、ファンへの気遣いはそれこそ「普通」のことだったということだろう。そりゃ、生まれた時から市井の片隅で育ち、全国にファンがいるなんて状況とは無縁の生活を送ってきたいわゆる「普通の女の子」とは、「普通」の定義が違って当然なのです。



いずれにしろ、今杏果に芸能活動再開の意思がないことは、そのツイッターをちゃんと見ていれば明確にわかることです。適当に斜め見するから、馬鹿馬鹿しい疑いを抱くようになる。

杏果のツイッターを見るなら、ちゃんと見ましょう。



今の杏果は、本当に先のことはなにも決まっていない状態なのでしょう。今後、杏果がどのような道を歩むかによって、ツイッターの意味は違ってくるかもしれない。



いずれにしろ、ツイッターは今現在の杏果にとって、大好きで大切なファンと繋がることができる唯一の場なのです。



そんなことも読み取れないモノノフが一部にはいるということ。とても情けないと思いますよ。




杏果は優しい子。気遣いの子。



そんな杏果にとってのツイッターの意味を、分かってあげて欲しい。





日々是……。

2018-03-30 08:47:21 | つぶやき





かつて芸能人だったころ(現在は一般人)に行ったライヴの円盤発売を、ファンと一緒に喜びあっているだけなのに、これをもって「芸能活動再開だ~」「普通の女の子になるって言ったじゃないか!?」「嘘つき!」と、およそ的ハズレなことを騒ぎ立てている人たちも、一部ではいるらしい。



あなた方の云う「芸能人」の定義とは?「芸能活動」の定義とはなんですか?なんとなく漠然と抱いていたイメージと違っていたというだけで、さして吟味もせずに、無責任に騒いでいるだけではないのですか?



ったく、くだらん!

あなた方は、杏果が卒業時に語った数々の言の葉をちゃんと聞いたのか?読んだのか?杏果はあの時語ったことを何一つとして違えてはいない。

10万回でも100万回でも、最初から読み直せばいい。。


あー疲れる。




杏果もももクロも、とっくに前を向いて進んでいるというのに


情けない。



まっ、こんな程度のことを気にしている私も、まだまだだね。



まっ、「人の噂も七十五日」ではないけれど、こういう連中はいずれ激減していく。気にするほどのことでは、本来はないのだ。



気にせず前を向いて進もう。ももクロのように


杏果のように。






2017.10.13 仙台サンプラザホール。


↑今この動画を公開したスタダ運営の狙いはなんだろう?まっ、素直にエールと取っておきますか。

スターダストプロモーションさん、ありがとう。













拙速が過ぎたかな。急ぎ過ぎたね。


まっ、焦ることはないさ、あなたはまだ若い。まだチャンスはある。


その志さえ忘れなければ、機会はまた巡ってくるさ。


これからだよ、貴親方。



これからだ。

DIO [King Of Rock & Roll] 1984

2018-03-29 04:47:37 | 今日のメタル











他の追随を許さない驚異のヴィブラート唱法により、メタル界最高峰ヴォーカリストの名を恣にした、故ロニー・ジェームズ・ディオ。


演歌のコブシにも似た独特のヴィブラート唱法から、誰が呼んだか「メタル界の北島三郎」の異名をとった男、ロニー。




こうして改めてライヴ映像を観てみると、そのパフォーマンスのしなやかさ、軽やかさにある種の「カリスマ性」を感じますね。堂々たるスターの風格で、観客を完全に虜にしている。素晴らしいです。



もう一方のカリスマ、オジー・オズボーンとは、お互いを褒め合いつつ貶し合いつつ、仲が良いような悪いような、不思議な関係だったようです。この両巨頭が並び立っていた80年代は、ヘヴィ・メタル黄金時代といって良いでしょうねえ。



ロニー・ジェームズ・ディオ。ロック・ヴォーカリストとしては今でも一番好きです。これはもう、揺るぎようがない。



やっぱり、スゲエや。

有安侍

2018-03-28 00:00:00 | 有安杏果











今年も例年通り、山さんさんによる杏果生誕祭記念アニメがアップされていました。




確かに杏果は、ももクロの中でもとりわけ異彩を放った存在だったし、自己表現の在り方も他の四人とは微妙に異なっていたかもしれない。
でもそれは、5人の絆にとってなんの支障ともなり得なかったことは、間違いのないこと。杏果の卒業の原因を、4人との関係性に求めることなど抑々無意味です。

それとこれとは、まったく次元の違う話。



他人の想いを100%理解することなど所詮不可能。大事なのは本人の意思だ。杏果はその強い意志で、自らの道を歩むことを決めた。


ならば、それを受け入れる以外に、何が出来よう。



今ももクロを辞めることによって生じる様々なリスクを、杏果はすべて承知していたはずだし、多くの批難がよせられるであろうことも覚悟していただろう。それらすべてを背負う覚悟で、杏果は自分の道を歩むことを決めた。


それはとても、勇気のいることだったに違いない。



むしろ自分を殺してでも、ももクロにいるほうが楽だったはず。でもそれは結果的に自分を裏切り、ももクロを裏切り、モノノフをも裏切ることにつながるのだよ、それがわからんのか!?



杏果はももクロもメンバーも大好きだった。でもそれでも、いやだからこそ、



杏果はももクロを卒業したのだ。




そこに私は、侍の如き雄々しさを見る。






本当にこのアニメの通りだったに違いない。一見孤立しているように見えて、ホントはしっかり4人と繋がっていた。そうして笑顔で、送り出してもらったのだ。


そこには怒りもなければ悲しみもない。ただ、この世の全ての事象はいずれ分かれ行くという、一抹の寂しさはあったろう。



このアニメは、そうしたことすべてを的確に表現しています。流石ですね。




私は「人間」ももクロが好きで、「人間」有安杏果が好きなのだ。



人間には一人一人「意思」がある、人間なるが故に、その意思は尊重されるべき。


アイドルは人形でもロボットでもない。「人間」だ。



私はこれからも、一人の「人間」有安杏果を応援し続ける。




頑張れ、杏果。







※Twitterの件については、オフィシャルブログが閉鎖された時点で事務所等との関係は完全に切れており、杏果は完全に私人となった。これ以上ももクロや事務所に義理立てする必要はなくなっているので、あとは杏果の自由意志にまかせられている。この段階でTwitterをはじめようがどうしようが、なんら問題はないのである。10周年まで待つべきとかどうとか、それは人それぞれの個人的見解に過ぎず、その人が杏果と同じ立場に立った時に、自説の通りにすればいいだけの話である。それを持って杏果を非難し攻撃し、ましてや中傷する権利など、誰にもありはしないのである。


杏果はなにも間違ったことはしていない。これが結論。

本当のこと

2018-03-27 20:25:00 | ここで一句





本当のことを言えという。


あの人は嘘をついているという。



でもあなたの云う本当って、何?



彼方の云う本当って、本当に本当のことなの。




それはあなたにとって都合のよい本当じゃないの?



そう言ってくれないと困ることなんじゃないの。




そういうのって、一言で云うと


「嘘」っていうんだよ。




「嘘」をついているのは


どっち!?






ここで一句




【嘘つきと責めるあなたの口に嘘】



あっ!季語がない!






中条きよし『うそ』

赤星昇一郎

2018-03-27 09:22:57 | 名バイプレーヤー










1983年から86年にかけて、テレ朝系列の深夜に放送されていたバラエティ番組、『ウソップランド』のことを憶えておられるでしょうか?



3人組のお笑いコント・グループ、「怪物ランド」のМCによる番組で、メンバーは郷田ほづみ、平光琢也、そして赤星昇一郎。


郷田氏と平光氏は比較的「普通」のルックスをしているのに対し、赤星氏はスキンヘッドに口ひげという「特異」なルックスで目立っておりました。

番組のハイライトの一つが、妖怪「こなきじじい」の扮装をした赤星氏による決めのフレーズで。


「こなきじじいじゃ!……夢見るぞ」



このフレーズ、私らの仲間内では一世を風靡したものですが、世間的にはどうだったのでしょうね?いずれにしろ、懐かしく思い出された方もおられるのではないでしょうか。




現在では「怪物ランド」としての活動は行われていないようで、これは解散したということなのかな?現在では3人3様の、地道な芸能活動を続けておられるようです。

ちなみにメンバーの一人、郷田ほづみ氏は声優としても有名な方で、1982年に放映された伝説的ロボットアニメ、『装甲騎兵ボトムズ』の主人公キリコの声はこの郷田氏が演じておられました。




さて、赤星氏ですが、その特異なルックスから、特撮モノとの縁が深く、スーパー戦隊シリーズや平成ウルトラマンシリーズなどによく出演されてます。

私的に印象に残っているのは1996年放映、『ウルトラマンティガ』第27話「オビコを見た!」の妖怪オビコ役です。オビコが暮らしていた森が開発のために破壊されてしまい、行き場を失ったオビコは人間の町の暗闇に潜み、夜な夜な悪さを繰り返す。ついにはGUTSの出動となり、ウルトラマンティガと戦うことになってしまう。

ティガはオビコに同情的でしたが、人間に対する悪さを赦すわけにはいかない。懲らしめとして的を外して光線を放つのですが、オビコはその光線をわざと真正面から受け、自ら命を絶つんです。


なんとも哀しい話で、とても印象に残っています。



ちなみに、同じくウルトラマンティガ第16話「よみがえる鬼神」には、郷田ほづみ氏と平光琢也氏が、神社の宝剣を盗もうとするコソ泥役で出演しており、図らずも怪物ランドのメンバー全員が、ウルトラマンティガに出演しているんですね。

面白い。




赤星氏は特撮モノの外にも現代劇時代劇を問わず、多くの作品でバイプレーヤーとして活躍されておられます。現代劇では大概ヤクザとか服役囚、時代劇なら破戒僧や悪山伏、僧兵など、どちらかといえば悪役が多いようです。


でも平和的な宇宙人の役も演じられたりもするんですよ。まあ、いずれにしても「普通」の人の役はあまり回ってこないようです。ルックスがルックスですからね、それもまた良しでしょう。



目立つ方ですから、皆さんもどこかでお見かけしたことがあるはず。この次見かけたら、「あっ、こなきじじいだ!」と思い出してあげてくださいね。



ついでに夢にまで見たりしてね……(笑)

氏姓あれこれ

2018-03-25 22:25:08 | 歴史・民俗





時代劇専門チャンネルにて、映画『超高速参勤交代リターンズ』が放送されておりまして、見ることもなく見ていたのですが、

まあコメディということで、あまり細かいことを指摘するのはどうかとも思ったのですが、どうにも拭えない強烈な違和感を感じたものですから、その点をちょっとばかり指摘してみたいと思います。









映画の中では、陣内孝則演じる幕府老中が極悪人として登場するのですが、この老中に酷い目に遭わされる小藩の家老、これを佐々木蔵之介さんが演じているわけですが、この家老が、陣内老中の「本名」を呼び捨てにするという、およそあり得ないシーンが何度も出てくるんです。

また、将軍吉宗公のおそらくは家臣にあたる人物が、やはり「徳川吉宗様」と、本名を呼ぶシーンが出てくるのですが、これもあり得ないことです。




身分の高い人物を、その本名で呼ぶことは大変な失礼にあたりました。ですからいかににっくき極悪人であろうとも、本名を呼び捨てにするなど武家のマナーに反することであり、恥ずべきことでありました。ですから当然将軍様の本名を呼ぶなどと云うことも

あり得ません。



老中ほどの人物ともなれば、なんらかの官職を賜っているはず。たとえば伊豆守とか大和守、越前守などを賜っていたなら、それを呼ぶのが常識、間違っても本名など呼ぶはずはずがない。


「おのれ伊豆め!」ならわかります。「おのれ○○め!」と本名で云うなど、何度でもくりかえしますが、



あり得ません。




最近こうしたことが多いです。去年公開された映画『関ケ原』でも、岡田准一演じる石田三成のことを、「おのれ三成!」と本名で呼び捨てにするシーンが何度も出てくる。何度もいいますが、



あり得ません。



石田三成は「治部少輔」という官職を賜っております。したがって「治部少」あるいは「治部」と呼ばれるのが常識、「おのれ治部!」ならあり得ますが、「おのれ三成!」など、しつこいですが、



あり得ません。




また、役所広司演じる徳川家康を、加藤清正などの格下の武将が「家康様」と呼びかける。これもないな。


当時家康は内大臣の官職を賜っておりましたので、「内府様」と呼ばれるのが常識。間違っても本名で呼ばれるなど



あり得ません。



いかに加藤清正、福島正則などの武断派であったとしても、そこまで武家のマナーを知らぬ「うつけもの」であるはずがないです。



何度でも何度でも、な~んどでも云います。



あり得ません。





ひと昔、ふた昔前くらいの時代劇、大河ドラマなどでは、この辺はしっかりと描かれていたのですが、最近すっかりいい加減になってしまっていますね、これは良くない。




当時の日本人、当時の武家のマナーを知ることで、日本人の伝統的「美意識」を学ぶことができると思われ、こうした部分は大切に伝えていかなければならない。

それもまた、エンタテインメントの使命と考えます。







さて、それでは日本人の「名前」の成り立ちについて、ちょこっと考察してみましょう。







源朝臣徳川次郎三郎家康(みなもとのあそんとくがわじろうさぶろういえやす)



これ徳川家康の正式名称です。細かく検証してみましょう。



まずは「源(みなもと)」。これを「氏(うじ)」と云います。



氏は天皇から直接に賜ったもの。源や平(たいら)、藤原(ふじわら)、橘(たちばな)など、いわゆる源平藤橘(げんぺいとうきつ)が特に有名ですね。

つまり徳川将軍家は源氏であるということを示しているわけですね。




次の「朝臣(あそん)」。これを「姓(かばね)」と云います。


姓は家の家格を表すもの。天武天皇が制定された「八色の姓(やくさのかばね)」が特に有名ですね。皇室に近い家柄から順に、「真人(まひと)」「朝臣(あそん、あそみ)」「宿禰(すくね)」「忌寸(いみき)」「道師(みちのし)」「臣(おみ)」「連(むらじ)」「稲置(いなぎ)」という八つの家格に分けて、当時乱れつつあった身分秩序を整理仕直そうとなされた。

もっとも時代が下るにつれて、この「姓」は本来の意味をなさなくなっていくわけですが。




次の「徳川(とくがわ)」。これを「名字(みょうじ)」と云います。


平安時代、「墾田永年私財法」という法律が作られ、自ら開墾した土地は永遠にその人物およびその血縁の者達の私有財産であることを認められました。これにより武士たちはこぞって新田開発などに勤しみ、開墾した土地を子々孫々に伝えて行くため、その土地の名称を名乗るようになります。

当時、開墾された土地のことを名(みょう)と呼んでいたんですね。そこから「名字」というものが出来たわけです。

たとえば「足利」という土地を開墾した源氏は足利を名乗り、同様に新田、佐々木、徳川(得川)等々、多くの一族が源氏から派生していったわけです。




次の「次郎三郎(じろうさぶろう)」。これを「通称(つうしょう)」と云います。


通称は極親しい者たちだけが使うことを許された。もっとも家康ほどの高い身分ともなれば、気軽に通称で呼ばれることなど、めったになかったでしょうね。

たとえば鬼平こと長谷川平蔵。この方、本名は「信為(のぶため)」といい、平蔵は通称なんです。本名で呼ばれることなどついぞあり得ず、通称の平蔵でさえ、家族以外では、岸井左馬之助のような若いころから親しくしていた人物でなければ、「平蔵殿」などと気安く呼ぶことはできなかった。大概の人は「長谷川様」あるいは「長谷川殿」と呼び、火付盗賊改配下の者らは「おかしら」と呼んだ。

間違っても、本名の信為で呼ばれることはあり得ませんでした。




そしてさいごの「家康(いえやす)」。これを「諱(いみな」と云います。

諱とはつまり、本名です。


本名とは本来、身分の高い者ほど秘される傾向にあったのではないでしょうか。本名を知られると呪いをかけられるかもしれない。昔の日本人はそれを恐れたのではないかと思われます。

アイヌの人々の古い習俗では、生まれたばかりの幼子に「汚い」名前をわざと与えることで、悪霊などが寄ってこないようにまじないをかけたそうです。それとそのまま同じかどうか分かりませんが、古くから本名を知られることを怖れる意識が、日本人の中にはあったのかも知れません。




いずれにしろ、日本人には相手の本名を気安く呼ぶことを控える傾向があって、それは現代までも続いていると思われますね。そうした日本人の伝統的な嗜みは、なるべく大事にしていきたいし、特に時代劇においては、そうした部分はしっかりと守って欲しいと思う、今日この頃であります。





日本人の名前については、もう少し触れてみたい点もありますが、それはいずれ、またの機会に。




今日はここまで。





大河ドラマ『真田丸』より、石田治部少輔三成(山本耕史)

出来れば「治部殿」とお呼びしましょう。なんつって(笑)、

映画 『復活の日』 昭和55年(1980)

2018-03-24 15:53:02 | 映画










細菌兵器によって人類はわずか半年にして滅びてしまった。



この細菌は寒冷地では活動できないため、南極にいた各国の観測隊員八百数十名だけが生き残ります。


しかし、核ミサイルの自動発射装置がオンになっており、ソ連のミサイルが南極にも向けられていることが判明。折しもワシントンを巨大地震が襲うことが
予知され、これを核攻撃による攻撃と判断したコンピューターが、共産圏に向けて核ミサイルを発射すれば、ソ連からもまた、核ミサイルが自動的に発射されることになる。


地震を予知した日本隊の吉住隊員(草刈正雄)は、アメリカ軍将校・カーター少佐(ボー・スベンソン)とともに、装置を解除するためワシントンに上陸するが……。








小松左京原作によるSF映画『復活の日』。一度滅びた人類は再び立ち上がることが出来るか!?という壮大なテーマの原作に感動した角川春樹氏は、この作品を映像化したいがために、映画産業に参入したと語っていたとか。



さて、この映画最大の要は、なんといっても、草刈正雄演じる吉住がひたすら南へ南へと歩き続けるシーン。ワシントンに上陸したものの装置解除には失敗、カーター少佐は死亡し、地震の影響でついに核ミサイルが発射されてしまった。

そのような状況下、生き残った吉住は南へ向かって歩き続けます。南には、もしもの場合を想定して南極から避難した一部の越冬隊員たち、女性や子供たちが残っているはず。


仲間がいるはず。


仲間の元へ帰るんだ!



その強い想いを抱いて、吉住は北米大陸を横断し南米大陸へ渡り、さらに南米大陸の南端へと向かってひたすら歩き続ける……。



ボロボロの衣を纏った吉住のシルエットが、夕陽を背にして浮かび上がる。この吉住の行動と結末が感動的に決まらないと、この映画は成功しないわけですが、



うーむ、成功しているとは



言い難いなあ。



最終的に吉住は、仲間たちのもとへたどり着くわけですが、このシーン、原作では凄く感動できるシーンに仕上がっているのですが、これがいざ映像化されてみると、


いやはや「読むと見るとは大違い」という奴ですな。



いざ映像化してみると、出会いのシーンがあまりに唐突すぎて「えっ?」となっちゃう。ナビがあるわけじゃないのに、どうして仲間の居場所に正確にたどり着けたの?なんか変、おかしい。

感動よりもそうしたことが先に立って、笑いすらこみ上げてきてしまいます。「んなわけねーだろ!」という嗤い。




惜しいですねえ。このシーンさえクリアされていれば、歴史的な映画となり得ていたかもしれないのに。もう少しなにか、工夫できなかったものか。



惜しい、実に惜しい。



制作に3年を要し、総製作費25億円。世界中でロケを敢行し、南極のシーンは実際に南極で撮影されたもので、木村大作カメラマンの撮った南極の映像は、雄大で素晴らしいものがあります。


チリ海軍から本物の潜水艦を借りて撮影したり、ハリウッドからグレン・フォードやロバート・ヴォーンといった往年の大スターを招聘したり、なにかと話題には事欠かない映画でしたが、いかんせんラストシーンの失敗は痛かった。特に見込んでいた海外マーケットがまったく振るわず、最終的には赤字となってしまいます。これに懲りたのか角川春樹氏は、以後路線を変更、比較的少ない予算で確実な売り上げが見込める「アイドル映画」路線に転換し、薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子らいわゆる「角川三人娘」を大々的に売り出していくことになるのです。




まあ、映画としては必ずしも成功しているとは言い難い作品でしたが、よくぞこれほどの期間をかけて、これほどの製作費をかけて、これほど壮大な映画を作り上げたなと思いますね。



私はここに、「チャレンジャー」の雄々しさを見る思いがします。




当時日本映画は長らく低迷しており、そこに彗星の如く現れた角川映画が、日本映画界に大いなる「喝!」を与えたであろうことは疑いようがなく。

角川映画がなければ、日本映画の低迷はもっと長く続いたかもしれない。


そういう点からも、角川映画というある種の「ムーブメント」は、改めて評価されてしかるべきなのだろうと、思いますね。



当時、映画通を気取る者たちはこぞって角川映画を批判したものです。それが「トレンド」だとばかりに、彼らは角川映画を批判し、自分は映画を「分かっている」とアピールした。


私なぞは「通」でもなんでもないので、素直に角川映画を面白がって観ておりましたがね。



いつの世も「魁」というのは、攻撃の対象になりやすい。



世の魁の皆さん、どうか負けないで。






頑張れ!











『復活の日』
制作 角川春樹
原作 小松左京
脚本 高田宏治、深作欣二、グレゴリー・ナップ
撮影 木村大作
音楽 羽田健太郎
主題歌 ジャニス・イアン「ユー・アー・ラブ」
監督 深作欣二

出演

草刈正雄

オリビア・ハッセー

渡瀬恒彦

多岐川裕美

ボー・スベンソン
チャック・コナーズ

夏八木勲

森田健作
永島敏行

丘みつ子
中原早苗

ヘンリー・シルヴァ
エドワード・ジェームズ・オルモス

ロバート・ヴォーン

グレン・フォード

緒形拳


ジョージ・ケネディ

昭和55年 角川春樹事務所
東宝配給

有安杏果「ハムスター」from「ココロノセンリツ ~feel a heartbeat~ Vol.1.5」

2018-03-23 05:23:02 | 有安杏果











この曲好きなんだよねえ。




ハムスターのように目まぐるしい日常を送っている内、自分というものを見失ってしまった。杏果は今、本当の自分というものを探す旅に出ようとしているのかもしれない。


本当の自分?そんなもの、あるのだろうか。

自分というものは「なる」ものであって、「見つける」ものではない。


自分などというものは、本当はいない。



まあいいじゃないか。この世にいる間は自分という「幻」になりきって、一生懸命楽しめばいい。



歌っているときの杏果は本当に楽しそうだ。だから、それでいい。



懸命に生きようとする杏果を、私は応援するよ。




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