風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

物語、終り始まり

2018-06-29 05:36:18 | 日記





試合に負けても決勝トーナメントに出場できるとは、日本チームは運がいい。


なんでも「フェアプレー・ポイント」の差が明暗を分けたのだとか。



なんだか日本「らしい」ことですねえ。



面白いことです。












週刊少年チャンピオンに46年に亘って連載された漫画、『ドカベン』がついに完結しました。


作者の水島新司さんは御年79歳ということで、流石にお疲れになったのかも知れませんね。




私はスポーツ漫画というものをほとんど読まないのですが、水島新司さんの作品だけは別でした。キャラクターの面白さ、ストーリーの上手さ。非常に躍動感のある画風で、見ていてとても楽しかった。野球に興味があるかなしかなんてことに関係なく、物語としてとても面白く、見ごたえのあるものだったように思います。


『男ドアホウ甲子園』『野球狂の詩』『一球さん』『球道くん』。水島マンガのキャラクターが一同に会し、甲子園大会で相まみえる『大甲子園』なんてのもありました。懐かしいなあ。




これでまた、一つの時代が終わりました。


お疲れ様でした。










ちなみに好きだったキャラクターは、『ドカベン』なら犬飼小次郎。『野球狂の詩』なら「北の狼」こと火浦健。カッコよかったんだよねえ。















本日6月29日は、ビートルズ初来日記念日だそうな。



半被を着て羽田空港に降り立つ映像が残されていますが、あれが52年前、1966年の今日だったわけです。


ビートルズが日本の音楽業界に与えた影響は計り知れない。エンタメ好きとしては、お祝いしないわけには参りますまい。


というわけで



初来日記念日、おめでと~~~~っ!



ビートルズ伝説は、まだまだ続くのでしょうねえ。

「百姓は生かさぬよう殺さぬよう……」なんて言ってない!?

2018-06-28 09:23:40 | 歴史・民俗





江戸幕藩体制における農民政策を表現した言葉に、


【百姓は生かさぬよう殺さぬよう……】


というのがありますね。


死なない程度に徹底的に搾り取れ!という意味だとして、江戸時代がいかに農民や庶民に対して過酷であったか、江戸時代が暗黒時代であったことを証明する言葉であるとして、折あるごとに取り上げられてきた言葉です。




しかしこれは、本来の意味ではないらしい。








この言葉の元になっているのは、徳川家康の重臣であった本多正信が云ったとされる次の言葉



【百姓は財の余らぬように、不足になきように治むる事道也】


であるようです。



意味としては「贅沢はできないが、日々の暮らしに困らない程度の財は残せるような政策に務めることが、百姓を治めるには最良の道である」ということです。


決して「死なない程度に搾り取れ!」なんて言ってないわけです。




これは華美で贅沢な暮らしを戒め、質素倹約を奨励する、ある種道徳的な意味合いをもった政策で世を治めようというもので、これは農民、庶民に限らず、武士においても例外ではありません。質素倹約は武士においてこそ重要な生活信条として意識されていました。



幕府の重要ポスト、老中や若年寄などの役職を務められるのは、10万石以下の譜代大名に決められており、同じ譜代でも、10万石より多い石高の大身、つまり「金持ち」の大名はこうした役職に就くことは出来ず、外様大名はもちろん、御三家などの親藩大名も幕政に参画することはできませんでした。



幕政に参画できるのは基本、決して金持ちとは言えない10万石以下の譜代大名に限られていたわけです。


これは富と権力が一か所に集中するのを避けるという意味もあったようです。金の無い奴に政治権力を持たせ、金のある奴には政治権力を持たせないように調節していた。これで全体的にある程度のバランスがとれるように配慮をしていたらしいんです。


これを見るに、徳川幕府の政治信条は基本、「中庸」にあった、といえるかもしれませんね。



もちろん、この「中庸」がすべて上手く行っていたわけではありません。苛斂誅求とならざるを得ない状況も多々あったであろうし、田沼意次のように、富と権力が一個人に集中した例は少なからずあります。


もっとも田沼意次の場合、貨幣経済を発展させるなど政治的手腕には相当高い者が有り、必ずしも悪徳政治家とは言えない側面もあって、その評価そのものはまた別の話なのですが、


それは置いといて。



ともかくも、徳川幕府には、百姓に対する苛斂誅求をはじめから是とする意図などなかったわけですよ。むしろみんなで一丸となって、質素倹約、慎ましく囁かな生活に務めましょうという、道徳心の強い政策を行おうとしていたことが見えるわけです。



そうした意味合いを持った言葉が、いつの間にか意味合いを曲げられて伝えられてきた。


この、「生かさぬよう殺さぬよう……」云々は、歴史の教科書に載っていました。あたかも江戸時代が暗黒時代であるかのように曲げられた言葉が、教育現場で教えられ、江戸時代の曲げられたイメージというものが国民に植え付けられてきた。



まるで、誰かが「意図」したかのように。



徳川幕藩体制の時代が、暗黒時代であるとした方が都合の良い人たちとは誰でしょうね?そりゃあやっぱり、幕藩体制を潰した人たち


でしょうねえ。




富と権力が一か所に集中するのが当たり前のようにされたのは、明治以降のことです。なるほど、やはり


そういうこと、なんでしょうかねえ。




分かりませんけどね……(笑)

はてさて……。

2018-06-26 09:05:18 | 日記





コンビニのマンガコーナーに、あら懐かしや、さいとうたかおによる劇画版『日本沈没』のコミックスが置いてあるのを発見しました。



SF作家・小松左京原作による小説『日本沈没』を劇画化したもので、私が小学生の頃は、『日本沈没』は映画化され、テレビドラマ化され、またこのように劇画化もされ、大変なブームでした。



まあ、古いマンガなどが廉価版コミックスとして発売されていること自体は、珍しくもなんともないのですが、気になったのはその置き方です。



棚に置いてある『日本沈没』のコミックスがよく目立つように、綺麗にレイアウトされて置かれているんです。



これが意図的になされたものか、偶々そうなっただけなのかは分かりません。まあ、こちらが色々と知識を頭に詰め込んでしまっているので、気にしなくてもいいことを気にしているだけなのかも知れませんが。



まあ、どう捉えようが個人の感覚なのでね。なにかの予兆くらいに捉えて、気を付けていけばいいのだろう。



日常生活の端々に、メッセージは隠されているかも……。



なーんてね。












小惑星探査機「はやぶさ2」は27日に小惑星「リュウグウ」探査のための予定地点に到着。そのまま一年半ほど定位置にいてリュウグウを観測し、3度ほど着陸して土などの採取をおこない、予定通りに行けば2020年には戻ってくるそうな。


リュウグウの土には、水分を含む有機物が存在するとされており、生命誕生の謎を解くカギとなるかもしれないとか。





先代「はやぶさ」は様々なトラブルに見舞われ、戻ってくるまで大変な苦難の連続で、それ故に日本人のある種の「生命観」のようなものを感じさせる顛末となりました。



はてさて、今回はどうなることやら。



何事もないことを願いつつ、何事もないということは、ニュースにならない、世間の話題にならないということ


でもありますねえ。



便りのないのは良い便り、ということで、どうか世間の口の端に上らないことを静かに思いつつ。




がんばれ、はやぶさ2。

映画『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』 2016

2018-06-25 11:00:55 | 映画










アメリカの3Dストップ・モーション・アニメ制作会社ライカ制作による、日本を舞台にしたファンタジー・ストップ・モーション・アニメ映画。


ストップ・モーション・アニメといっても、その動きは非常に細かく、昔の映画『アルゴ探検隊の大冒険』みたいな、カクカクした動きに比べると、そのスムーズさに驚いてしまいます。本作はそこへさらにCGの効果を加えることで、より面白い映像に仕上げています。



舞台は封建時代の日本。日本文化をしっかりと勉強したようで、描かれている文化、風俗は非常にリアル、そこへさらにファンタジー的な要素を加え、日本であって日本ではない、もう一つ別のファンタジックな日本を描き出すことに成功しています。素晴らしい!









母親と二人きりで暮らしている片目の少年クボは、物語を語るのが得意な少年です。日々村の辻に立っては三味線を弾きながら古今の英雄譚を物語る。彼が三味線を弾き始めるとあら不思議!?無数の折り紙が英雄や怪物の姿へ変じ、クボの語りに合わせて物語を演じ始めるのです。


この不思議な少年クボの秘密。彼の父親は立派な侍でしたが、クボの祖父である魔物「月の帝」に殺され、クボの片目もその祖父に奪われていたのです。

赤ん坊のクボを連れ、クボの母=月の帝の娘は命からがら逃げてきたのでした。


しかしその親子の元へ、ついに月の帝の追手がやってきました。クボの母は最期の力を振り絞り、魔法の力でクボを北の地へと飛ばし、クボを逃がします。


少年クボは三味線を背に、逃げた先で知り合った「仲間」たちと共に、父母の仇、月の帝を倒すための必勝アイテム、「剣」と「鎧」と「兜」を探す旅へでます。


しかし追手の魔の手は容赦なく少年クボに襲い掛かります。クボ危うし!


果たしてクボは、必勝アイテムを手に入れ、月の帝に打ち勝つことができるのか!?










「愛」と「勇気」と「成長」という、ほぼやらゆるドラマ、物語のベースといっていいテーマを、真正面から描いているわけですが、この作品の最大の素晴らしさは、そうした物語を紡ぎ続けた、すべての「語り部」たちへのリスペクトに満ちていることです。


遥かなる太古の昔より、物語を語る「語り部」がいた。その語り部の語る物語は、世代を越えて伝えられ紡がれ、そこからさらに、数え切れぬほど多くの物語を派生させていった。


この作品は、そんなすべての「語り部」たち。それは小説家や脚本家、演出家。漫画家に映像作家。映画監督、俳優その他その他、技術スタッフや裏方さんたちに至るまで、およそエンタテインメントに関わったすべての人達への、惜しみないリスペクトに満ちているんです。



少年クボは自身が語り部です。そのクボが経験した「愛」と「勇気」と「成長」の物語を、クボ自身が語っていくことになるのでしょう。その物語はやがて世代を越えて伝えられ紡がれ、新たな物語を派生させていく……。

なんか、涙がでてきます。ホント、素晴らしいっす!




映画のクライマックスでは、日本文化の一つである「灯篭流し」が上手く使われています。


灯篭流しは、先祖の霊を灯篭に乗せてあの世へ送り返す儀式です。その灯篭ひとつひとつには、灯篭を流したそれぞれの家の先祖霊が乗っているわけです。


先祖とはひとつの「想い出」といってもよく、想い出は「物語」を作り、伝え、紡ぐ力ともなる。



クライマックス、その村人たちの先祖=想い出=物語と、クボが力を合わせ、月の帝と……おっと!ここから先は映画を観てのお楽しみということで(笑)




クボがつま弾く三味線の弦は、人々が伝え紡ぐ物語の「糸」でもあるのでしょう。太古より伝えられてきた神話や物語とは、我々の先祖が伝え、紡ぎ続けてきた「想い」の糸なのです。


それは民族の、ひとつの「アイデンティティ」でもある。



神話を、物語を忘れてはいけない。忘れた民族は滅びます。



絶対に忘れちゃいけないんです。



絶対に。







久しぶりに出会いましたよ、誰にでも勧められる映画というものに。



これは本当に素晴らしい映画です。是非にも、是非にも


是非是非是非にも、観て頂きたい。



絶対のおススメ!





岸部一徳

2018-06-24 06:19:57 | 名バイプレーヤー










1960年代半ばから70年代初頭にかけて、日本の歌謡界を席巻した1大ブームが沸き起こっていました。


グループ・サウンズ(G.S)です。


要するにバンド・ブームなわけですが、この当時はグループ・サウンズと呼ばれていました。勿論日本だけの名称で、海外で「グループ・サウンズ」などと云っても通じないでしょう。


誰が最初に名付けたか、週刊明星説や加山雄三説など諸説あるようですが、いまひとつハッキリしないようです。



それはともかく、そのG.Sブームの筆頭を走っていたのが、関西出身のバンド、ザ・タイガースでした。


ヴォーカルは沢田研二。ギターは加橋かつみと森本太郎。ドラムには瞳みのる。

そしてベースを担当していたのが、岸部修三、後の岸部一徳さんです。


ちなみに加橋かつみさんが脱退したあとに加入したのが、一徳さんの弟、岸部シローさんです。





1968年のザ・タイガース。ヴォーカル沢田研二。ギター加橋かつみ、森本太郎。ドラムス瞳みのる。ベース岸部修三。
さあ、岸部さんがどこにいるか、わかるかな~。





ザ・タイガース解散後、沢田研二や元ザ・テンプターズの萩原健一、元ザ・スパイダースの井上堯之、大野克夫らとPYG(ピッグ)を結成。ハード・ロックを主体とした本格的ロックバンドで、その音楽性の高さは現在でも評価されており、日本のロック史を語る上では欠かせないバンドの一つだそうです。

やがて萩原健一は俳優に転向し、沢田研二はソロ活動が主体となってきます。PYGは井上堯之バンドとなって活動を続け、ショーケンが出演した『太陽にほえろ!』や『傷だらけの天使』の音楽を担当しています。




バンドはロックからジャズ・ヒュージョンへと音楽的方向性をシフトさせていき、あくまでロックにこだわっていた一徳さんはバンドを脱退、かねてから周囲の人たちに推薦されていた俳優へと転身します。

1975年、沢田研二主演のドラマ、『悪魔のようなあいつ』に出演、俳優への第一歩を踏み出したのでした。






『太陽にほえろ!』メインテーマ。この曲でベースを弾いているのが岸部一徳さんだということは、知る人ぞ知る有名な話。




この方のなんとも言えない茫洋とした感じが好きなんですよねえ。



真面目なんだかふざけているのか、良い人なのか悪い奴なのか。どちらともとれるし、どちらともとれない曖昧模糊とした雰囲気が面白い。


今まで本当に数えきれないほどのドラマや映画に出演しておられますが、私が特に印象に残っているのが、故・伊丹十三監督の監督デビュー作『お葬式』での役どころでした。


この映画には「お葬式あるある」なシーンが沢山出てくるのですが、親戚のおじさんなどで、やたらと葬式の段取りにこだわる人っていますよね。「ウチではこういうやり方はしない」とか言って文句ばっかり言ってる人。映画ではこういうおじさんを大滝秀治さんが演じていて、ホントに厭味ったらしくしつこく文句ばかり言ってる(笑)

この嫌われ者のおじさんの悪口をずっと言い続けてる親戚の人がいて、これを演じているのが尾藤イサオさん。通夜の席で尾藤さんは大滝さんの悪口をずーっと云い続けてる。

で、その場に居合わせた親戚の一人に、岸部一徳さんがいるわけです。一徳さんは尾藤さんが大滝さんの悪口を言う度に

「またまた、シゲがよ」

と言っては笑っているんです。


岸部さんのセリフはこれ一つだけ。このセリフを、尾藤さんが大滝さんの悪口を言う度に繰り返し、笑っている。同じセリフを何度も何度も繰り返しては笑ってる。

面白いセリフですよね。岸部さんは決して尾藤さんの味方というわけではなく、さりとて大滝さんの見方でもない。どちらにもつかず、また状況次第ではどちらにでもつけるという、曖昧模糊とした立場をこの短いセリフで見事に言い表しているんです。 



まさに岸部さんにピッタリ。伊丹監督の配役の勝利でした。素晴らしかった。



ドラマ『相棒』での役柄も好きでしたねえ。良い人のようで悪い人のようで。杉下右京(水谷豊)の敵のようで味方のよう。場面場面でどの立場にでも立てるしたたかさがあって、本当に岸部さんでなけりゃ嵌らない役でした。良い役でしたねえ……。



飄々として茫洋とした曖昧模糊な佇まいがなんとも魅力的な俳優。岸部一徳。


御年70歳。まだまだこれからです。



これからも末永く、楽しませていただきたい。



期待していますよ。







左から加橋かつみ、瞳みのる、沢田研二、森本太郎、岸部修三(岸部一徳)

半端ない!

2018-06-23 06:21:16 | 雑感








あっ、私、サッカー・ワールド・カップには、なんの興味もありません。念のため。





ウルトラセブンを「ウルトラマンセブン」などという輩がいる。


半端に覚えているから、そういう半端なことを口にするのだ!



抑々、ウルトラマンとウルトラセブンとは、本来まったく関係がない物語だったのである。みな不思議に思ったことはないだろうか。何故セブンだけが、ウルトラ兄弟のなかで著しくデザインが異なっているのか、ということを。


答えは簡単。上記のように、両者はまったく別々の物語で、関連性など全くなかったからである。


でもどっちも「ウルトラ」がついているじゃないかって?おいおい、一つ忘れちゃいませんか?っての。それをいうのなら。

「ウルトラQ」のことはどうなるんだよ?ええ、おい!「Q」には宇宙人ヒーローなんか出てこない。でも「ウルトラ」がついてるぜ!物語的にも「マン」と「Q」との間に関連性は一切ない。


でも、どっちにも「ウルトラ」が付いてる。



要するに、のちに「空想特撮シリーズ」と呼ばれる一連のシリーズの最初の作品に偶々「ウルトラ」がついていたから、次以降の作品にもウルトラを付けた。

ただそれだけのことなのである。



「マン」と「セブン」との間には、物語としての関連性は一切なかった。だからデザインが著しく違っているのは、ある意味当たり前なのである。

「マン」は宇宙警備隊隊員。「セブン」は恒点観測員。つまり「マン」は戦闘員だが、「セブン」は本来、非戦闘員なのである。


非戦闘員なのになんであんなに強いんだ?なんてことはさておき、このように基本設定からして全然違うのである。ウルトラ兄弟なんてのは、後の後々に後付けで無理矢理作られた設定であって、これを基にセブンを語るのは、無理が大ありだという事、よっく憶えとけよ、オラ!



こういうことを半端なく憶えていれば、「ウルトラマンセブン」などという半端なことは、口が裂けても云えなくなるはず。半端はいかん!半端は。


ボーっと生きてんじゃねえよ!!







必殺シリーズのことをまるごとひっくるめて「仕事人」と呼んじゃう人もいる。

これも半端だ!



必殺シリーズは第1作『必殺仕掛人』に始まり、『必殺仕置人』『助け人走る』『暗闇仕留人』『必殺必中仕事屋稼業』『必殺仕置屋稼業』『必殺仕業人』『必殺からくり人』『必殺からくり人 血風編』『新・必殺仕置人』『新・必殺からくり人』『江戸プロフェッショナル必殺商売人』『必殺からくり人 富嶽百景殺し旅』『翔べ!必殺うらごろし』


と来て


ようやく『必殺仕事人』となるのである。仕事人より前には、いや以降にだって、仕事人ではない『必殺』はたくさんたくさん、たっっっっくさんあるのである。


だからこれら全部をひっくるめて「仕事人」などと、半端なことを言ってはいけないのである。ちゃんと『必殺』と云いなさい!いや、言いやがれ!


ボーっと生きてんじゃねーよ!!






仮面ライダーと聴くと、まるで判で押したように、「バッタ!バッタ!」と叫ぶ馬鹿……あっ、失礼。とにかくやたらとバッタに関連付けたがる輩がいるのにも、困ったものである。


確かに初期のライダーはバッタを基本モチーフとしてデザインされているわけだが、すべてのライダーがバッタなわけではない。アマゾンライダーはモチーフがトカゲだし、ストロンガーはバッタではなくカブトムシである。


ましてや平成ライダーに至っては、バッタとは最早なんの関係もなくなっているのが現実なのである。にも拘わらず、相変わらず仮面ライダーと聴くと「バッタ!バッタ!」と囃し立て、「バッタじゃない」といっても、「バッタやろ!バッタやないかい!」と、違うと云っているのに聞こうとせず、バッタだと強弁し続ける明石家さんまにはホント、困ったものである。


半端なくせに、半端を認めようとしない輩、こういう輩は一番キライだ。

一度しばき倒したろか、コラ!






世の中半端ばっかしだ!あーイヤだイヤだイヤだ。


イ・ヤ・だァー!!!













…………と、若い頃はこんなつまんないことでカッカと怒っていたものです。


まあそうは云っても、興味の無い人にとっては、所詮どうでもいいことですからね、こんなことは。だからもう怒るのは辞めました。


半端されても、しょうがねえなあと、莞爾と受けとめ、笑って受け流しつつ


心の中でだけ「ワレしばいたろか!」と思う事にしてます……って、ウソウソ(笑)




まあ、上記のことはすべて、冗談と受取ってくださいな。





エンタメ関係なら半端でも許される部分もあるかもしれないが、世の中には、半端では困ることも沢山ありますね。


なにが困るって、やっぱりこれじゃないですか?



半端な「日本人」。



日本人なら、日本の文化、伝統、歴史、神話等、正しく半端なく身に付けていてくれないと、困りますね。べつに細かいことまで勉強せいとは云わないけれど、ていうか私だって、そんな細かく詳しくなんて勉強してないけれど、

せめてこれらの「概要」くらいは、正しく半端なく、身に着けて置きたいものだと、切に思いますねえ。



あなた、日本人として、半端してない?




ボーっと生きてんじゃねーよ!!




しばき倒したろか、コラ!


ウソウソ(笑)






いつか冷たい雨が

2018-06-22 04:30:31 | 日記




夜の田舎のコンビニの駐車場に、クワガタムシを見ました。


私が小さい頃は、クワガタなんてその辺でいくらでも見かけたものですが、最近ではすっかり見なくなってしまった。野生のクワガタを見たのなんて、一体



何年ぶりだろう。



そいつはコンクリートの地面を一生懸命歩き、夜の闇へと消えていきました。


「頑張って生きろ、子孫を残せ」


我知らず、そう声をかけている自分がいました。













雪が降る駅の片隅で 誰にもいたずらされないように
うずくまっている 年老いた犬

パンをあげても見てるだけ 時が来れば汽車に乗る私
泣くことのほかなにもしてあげられない 私


広い道路の真ん中で 轢かれてしまった三毛猫
その上を 何台もの車が通り過ぎて行く

思わず目を閉じてしまった 私を許して下さい
みんなだって そう思っていると信じたいのです


「牛や鳥やお魚も、人間のためにあるのよ
さあ、残さずに食べなさい」
そんな風に言うお母さんには なりたくありません

でもわたしだって 食べて育ってきたのだし
虫だって殺したことも あります

だから、だから お願いです

もう役に立たなくなったら 捨ててしまったり
自分本位で 可愛がったり

小さな檻に閉じ込めて 馬鹿にしたり汚がったり
人間だけが偉いんだ! なんてことだけは 

思わないでください



人間以外の者達にも もっと優しくしてください
同じ時を 生きているのだから

朝が来れば夜も来るし 生まれてそして死んでいく

わたしが土になったら お花たちよそこから

咲いてください



『いつか冷たい雨が』
作詞、作曲、歌、イルカ






この曲を初めて聴いたのは、中学生になりたての頃だったろうか。もの凄い衝撃を受けたことを憶えています。


この曲を、「ベジタリアンへの誘い」と解釈する向きもあるようですが、それはあまりにも浅薄な解釈というもの。確かにイルカさん自身はベジタリアンですが、亡くなった旦那さんも、息子さんだってベジタリアンではありません。家族でさえそうなのに、他人様にベジタリアン化を強要するような、そんな野暮な方ではありません。


子の曲はもっと、根源的なこと、普遍的なことを歌っています。

それは、「命の循環」です。


およそこの世に生きとし生けるものはすべて、広大な宇宙の「命のサイクル」の中で生と死を繰り返している。


そうして個々の命は、他者から「頂いた」命をもって「生かされて」いる。つまり個々の命は、他者の命との集合体でもあるのだ。


すなわち、究極的には命は「一つ」だ。


永遠の命のサイクルの中で生と死を繰り返し、他者に命を与え、他者の命の一部となってまた生きる。



【わたしが土になったら お花たちよそこから咲いてください】


この詞の意味は、自分が死んで土に還り、その土から咲いた花には、自分の命が宿っている。つまり自分は花となって再び蘇るということを歌っている。そう解釈することも可能でしょう。



究極的には命は一つ。野に咲く花にも、地を這う虫にも鳥獣にも魚にも、宿る命は究極的には「一つ」。




我々は広大な宇宙の命のサイクルの中で、他者の命を頂いて、他者の命を己の命の一部と化すことで「生かされて」いる。自分の命は自分のものであって、自分のものではないのだ。



究極的に命は「一つ」



食事をする際の「いただきます」とは、つまりはそういうことです。



イルカさんはそうした宇宙における生命の実相を、身近なことを分かりやすい言葉で歌うことによって表現しているのです。少なくとも私にはそう思える。


優れたアーティストですよ。



食事の時、肉や魚を頂く時には、せめて感謝を忘れないようにしたいものです。






高城れに生誕祭2018

2018-06-21 00:00:00 | ももクロ











本日6月21日は、ももクロの「何にも折れない鋼の戦士」にして史上最強の微笑の持ち主。われらが慈母観音、高城れにさんの、25歳の誕生日です。


おめでと~~~~っ!!!!!!




ももクロ最年長もとうとう25歳。四捨五入すると……って、やめときましょう(笑)



10年前は中3ですか!それを考えると、時の流れ、歴史を強く感じますねえ。


初期のころはちょっと危うい感じがしていたのですが、今ではとてもユニークで自由な個性に昇華された感があります。



ももクロを通じてこの方は人間的に大きく成長しました。だからこの方はももクロも、ももクロのファンであるモノノフさんたちも大好きで、感謝しているんですね。



この方の自由さの根底には、感謝と慈愛がある。それはある意味、何事にも代えがたい、この方の「強さ」であるとも云えるでしょう。




今やももクロの精神的支柱であり、我らがモノノフの慈母観音高城れに。その無敵、無量の笑顔は、今後益々その輝きを増すことでしょう。




改めまして25歳、おめでと~~~~っ!!!!!!