1960年代の終わりごろから70年代初めにかけて連載された、石ノ森章太郎(当時、石森章太郎)作品、『リュウの道』
宇宙探検から帰って来たロケットが降り立った地球。しかしその地球では核戦争のために、人類文明はすでに滅び去っており、放射能の影響で以上進化した生物たちが地上を跋扈。地球はまったくの異世界と化していました。
ロケットの乗組員で唯一生き残った青年リュウは、地上に僅かに生き残った人類たちと手を合わせ、生き残るための戦いに挑んでいきます。
冒頭のロケットのシーンは、当時大ヒットした映画『猿の惑星』(1968)の明らかなパクリです(笑)。そうした終末SFドラマの影響を受けながらも、石ノ森先生独自の物語世界を展開させた秀作となっています。
物語のラスト、リュウの前に「神」の代理である巨大な水晶体が現れ、次の地球を再び人類に託すか、それとも新たに犬より進化した「犬人類」に託すか、裁定を下すことを告げます。
犬人はこれまで人間が犯してきた様々な過ちを挙げ、人間に地球の運命を担う資格はないことを力説します。リュウは明らかに劣勢でした。
しかし、「愛」という概念のとらえ方が、犬人よりリュウの方が優れていた。
そのわずかな違いに掛けて、地球はもう一度だけ、人類に託されることになるのです。
リュウは恋人と愛し合い、子供を作り、地球の新たなアダムとイヴとなるのです……。
今一つ記憶が曖昧なので、細かいところは間違っているかも知れません。もしも誤りがありましたら、ごめんなさい。
石ノ森先生の作品としては、珍しく(笑)エンディングらしいエンディングがある作品で、石ノ森先生も相当思い入れが強かったらしく、同じリュウという名前の少年を主人公とし、原始時代を舞台とした、『原始少年リュウ』を執筆。
さらには現代を舞台とし、等々力リュウ少年を主人公とした、パラレルワールド理論を日本で最初に取り入れた漫画『番長惑星』を相次いで執筆。
これらの作品は「リュウ三部作」として、石ノ森作品の中でも特殊な位置を占めることになるのです。
ところで、この『リュウの道』には、そのベースとなった短編作品が存在します。
石ノ森先生がいつ頃書いた作品か、ちょっと記憶がないのですが、やはり核戦争後の地球で、生き残った人類が、異世界と化した地上で生き残るための戦いを続けるという話でした。
石ノ森先生はこの、ご自身が書かれた短編作品をベースとして、『リュウの道』の世界を構築していった。
その短編作品のタイトルこそ、
『終わりからはじまる物語』
だったのです。
物語というものは、何かが終わったところから、あるいは終わらせようとするところから始まるものです。
この世の事象にはすべて、始まりがあり終わりがあるもの。
そして終わりから新たな始まりがあるもの。
小さな終わりは常に、今この瞬間も生じていて、その小さな終わりから無数の小さな始まりが生まれ、その小さな始まりはまた幾千幾万の終わりを生み、その幾千幾万の終わりはまた無限大の始まりを生む。
その途切れなき無限大、無量大の繰り返しが宇宙に満ち溢れ、この宇宙と、そして私達一人一人を形作っている。
それが、この3次元宇宙の理。
終わりがなければ、始まりもまた、ないのです。
その『終わりからはじまる物語』の繰り返しが、この宇宙を成り立たせている。
ならば、その『終わり』のかたちが大きければ大きいほど、新たな始まりもまた、大きなかたちで現れる、ということになります。
それこそ、地球の生態系を変えてしまうほどの『終わり』が、まったく新たな大変革を地球に齎すことになるかもしれない……。
しかし、そんな巨大な「終わり」が訪れた時、
果たして人類は……。
どうせなら、「終わり」は小さい方がいい。
小さくするも大きくするも、人類次第ってことで……。
始まれば必ず終わる。これが宿命。
ならば、なるべく良い終わりを迎え、良い始まりを作りたいものです。
それは個人であろうと、地球そのものであろうと
あるいは、宇宙自体であろうと、
変わらぬこと。
良い「終わり」を迎え、良い「はじまり」を作るために
がんばりましょ。