風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

努力は必ず……。

2016-04-30 11:47:00 | ももクロ




本当に謙虚な人というのは、


努力したことを、「言い訳」にはしないんだよね。


自己評価が低いとも言えますが、自己否定とは違う。


視点が常に低いところにあるというのか、こういう人たちは


実に明るく、あっけらかんと



努力し続けられるんだろうね。




…ったく、かなわんよ(笑)









ももクロ男祭り in 太宰府







そりゃ神様だって振り向くさ。

天本英世

2016-04-29 05:51:30 | 名バイプレーヤー









いわゆる「アナーキスト」だったことで有名な天本さん。

旧制7高(現・鹿児島大学)時代に学徒出陣で招集され、軍の上官に反発していつも殴られていたらしい。そのころから、軍や国家というものに対する反発心をもつようになったようです。

戦後、東京大学法学部に入学し、外交官を志すも、政府の外交姿勢に幻滅、大学を中退し俳優を志す。

「国家などいらない」など、過激なことを口にする方でしたが、一方では大変優しい一面をもっており、子供たちにサインをねだられると気さくに応じ、「死神博士」と書き添えていたとか。


国の世話にはならぬと、健康保険にも年金にも加入せず、また、生涯ただ一度の初恋を胸に、独身を貫き通した。


己の思いをどこまでも貫きとおす、真っ直ぐで強情なくらいに強い意志を持った方でした。



他人様の人生に正否をつけるつもりはないし、どうこう言うつもりもありませんが、ただもう少し、ラクに生きられなかったものか、とは思ってしまいますねえ。


ある意味、純粋すぎた方だったのかも知れません。





スペインを大変愛した方で、日頃より「日本にはいたくない、スペインに住みたい」と公言しておりました。戦後の高度経済成長期とともに変わっていく日本や日本人に、耐えられなかった面もあったのでしょう。



本当は日本が、故郷が、

大好きだったろうに……。




俳優としては、その類まれなる風貌から、インテリの殺し屋など、特殊な悪役の多い方でした。

若いころから老け役の多い方でもあり、しかもおじいさんだけではなく、お婆さんの役も演じました。それもお婆さんの殺し屋とか、妖怪婆さんとか、やはり特殊な老け役が多かった。

我々の世代ではやはり、仮面ライダーに登場したショッカー大幹部「死神博士」でしょう。あのインパクトは強烈でしたね。


その強烈なインパクトを残したまま、2003年、故郷福岡県にて逝去。享年77歳。







その孤高に生きた魂の、安らかであることを。

映画『キングコングの逆襲』 昭和42年(1967)

2016-04-28 06:40:06 | 特撮映画









特撮の神様、故・円谷英二監督は、アメリカの特撮映画『キングコング』の大ファンだったそうです。


1933年(昭和8年)公開のオリジナル版『キングコング』のフィルムを取り寄せ、一コマ一コマ確認しながら、どのような撮影方法で撮られたのかを検証したそうです。


ゴジラ制作の際には、初めはキングコングのように、人形アニメーションで撮ることを検討していたようですが、時間と経費が掛かりすぎるということで、やむなく着ぐるみとなった。しかしこれが、結果的に日本の着ぐるみ特撮の伝統として息づいていくわけですから、面白いものです。



昭和37年(1962)、キングコングの版権を持つアメリカのRKO社より、キングコングのキャラクターを
5年間使用する許可を得た東宝は、同年、映画『キングコング対ゴジラ』を制作、そして期限が切れる昭和42年に制作されたのが、こちらの作品というわけです。


円谷監督のキングコング「愛」に満ちた映画と言いましょうか、オリジナル版へのオマージュを織り込みながら、しっかりと「日本」の特撮映画に仕上がっています。




ストーリーは、国連の潜水艦エクスプロアー号に乗って、海底油田の調査に向かった、ネルソン(ローズ・リーズン)、野村(宝田明)、スーザン(リンダ・ミラー)ら一行が、南洋の島モンド島でキングコングに遭遇。

一方、某国の女スパイ、マダム・ピラニア(浜美枝)は、世界的犯罪者にして科学者のドクター・フー(天本英世)と手を組み、北極にて核兵器製造用物質≪エレメントX≫を採取しようと目論みます。

ドクター・フーはキングコングをモデルにしたロボット≪メカニコング≫を作成、エレメントX採掘を試みますが失敗。ならばと、本物のコングに催眠術をかけて採掘させようと、コングを拉致するのです……。


こうしてコングとエレメントXを廻る、善と悪との一大攻防戦が始まるわけです。





ストーリーの粗を探そうと思えば、いくらでも探せますが、そんなことは大したことじゃありません。もうね、ミニチュアセットの作りこみ方が素晴らしくて、ため息が出てしまいます。当時のミニチュア&着ぐるみ特撮の映像としては、最高峰の出来ではないかと思いますねえ。

合成も素晴らしいし、こんな素敵な映像見せられたら、それだけで私はもう、満足ですわ(笑)。




CGは否定しませんし、現代の映画はやはりCGを無視するわけにはいかないだろう、と思います。


しかし、かつてこのような「職人技」をもって、素晴らしい映像を作る方たちがいたのだ、ということを、私は忘れたくない。




クライマックスは東京が舞台で、キングコングとメカニコングが戦うわけですが、この2頭が東京タワーを登っていくんです。


この東京タワー。鉄骨を組んで、実際に人が登れるくらいの大きさのミニチュアを作っての撮影でした。


私、幼少のころにこの映画を、映画館で観てるんですよね。この東京タワーを登っていくシーンは強烈に印象に残っています。

特にラスト。メカニコングが東京タワーから真っ逆さまに落ちていく。あちこちぶつかって、バラバラになりながら落下していくシーンは、子供の頃は本当に怖かったのを憶えています。



そんな思い出も蘇りつつ、出演者の中ではやはり、天本英世さんが一歩抜きんでていますね。

よくわからない役なのですが、とにかく悪いやつであることは間違いないということで、徹底的に悪に特化した演技が実に良い。国籍不明の風貌も相まって、実に憎々しげに悪を怪演しています。素晴らしい!



映画の前半でコングと戦う怪獣、ゴロザウルスの着ぐるみの出来がこれまた素晴らしい!よく出来とる!もうね、当時最高峰のオンパレードですわ(笑)。もうたまらん!



かつての日本の特撮映画がいかに「美しかった」かを知るに、そう、「美しさ」です。その「美しさ」を知るには最良の映画だと思います。




私、この映画大好きです。





良いっすよ、これ。

















『キングコングの逆襲』
制作 田中友幸
脚本 馬渕薫
音楽 伊福部昭
テクニカル・アドバイザー アーサー・ランキン
特技監督 円谷英二
監督 本多猪四郎

出演

宝田明

ローズ・リーズン(声・田口計)
リンダ・ミラー(声・山東昭子)

田島義文
堺佐千夫

沢村いき雄
桐野洋雄

広瀬正一
鈴木和夫

伊吹徹
黒部進

浜美枝

中島春雄
関田裕


天本英世

昭和42年 東宝映画





BABYMETAL [KARATE] 2016

2016-04-27 06:25:37 | 今日のメタル










へヴィ・メタルのフォーマットを崩すことなく、そこに思いもつかなかったような新たな要素を加えたことで、世界中のメタル・ファンに新鮮な衝撃を齎している、BABYMETAL。

アメリカのヒット・チャートでは、あの坂本九以来の、40位以内に入るという快挙を成し遂げ、今年のイギリスツアーでは、「聖地」ウェンブリー・アリーナにて、日本人アーティスト初のライヴを行う。

何度でも言います。とんでもないことになってます(笑)。



SU-METAL(中元すず香)の少女らしい凛とした透明感のある歌声と、その周りを子犬のように跳ね、踊り、合いの手を加えるYUIMETAL(水野由結)とMOAMETAL(菊地最愛)。

この少女たちの「姿勢」が、なんとも気持ちがいい。

元々は、芸能プロダクションであるアミューズ(サザン・オール・スターズ、福山雅治など在籍)に所属するアイドル・ユニット「さくら学園」から選出されたメンバーであり、小学生の頃から芸能活動をしていた子たちです。だから年少にしてしっかりとしたプロ意識をもっている。


おそらくはへヴィ・メタルになどまったく興味がなかったであろう少女たちが、与えられた「お仕事」に、誠実に真っ直ぐに、真摯に取り組んでいく姿勢に、私などは一メタル・ファンとして、打たれるものがあるんですよねえ。



やっぱり、「親目線」なのかな……(笑)。




バック・バンドである「神バンド」のメンバーは超一流どころ。楽曲もレベルが高い。適当に企画もので終わらせず、ちゃんとした一流のものを作り上げたところに、成功に秘訣があるのでしょう。

やる以上は、ちゃんとやらなきゃね。




さて、どこまで、行けるやら。

地名に思うこと

2016-04-26 14:09:38 | 歴史・民俗





とりとめもないことを書き連ねます。



山際の細い道、車2台がギリギリすれ違えるかすれ違えないかくらいの狭い道を通っておりますと、この道はいつ頃から使われていたのか、主要街道であったのだろうか、なんてことを夢想してしまいます。


その夢想を手助けするのが、地名なんです。


上記の細道の傍らに、「神田」などいう地名があって、さてはどこかの神社の寄進田でもったのか、なんてことを想像する。

その神田よりさらに西に行ったところには、「宇南」という地名があって、この地名は、「ウナネ」が転訛したものだといわれています。



「ウナネ」とは、土を掘っただけの農業用水路を表すやまと言葉です。「宇南(うなん)」「宇南田(うなんだ)」「雲南(うんなん)」などという地名は実に多くあちこちに散見され、これらはほぼ、この「ウナネ」の転訛だろうと思われ、つまりは農地改革が行われて、田が拓かれていた地域だということです。



この辺に農業開拓民が入植してきたのがいつごろからなのか、正確なところはわかりませんが、諸々のことを鑑みるに、おそらくは奈良時代頃にはすでに入っていたしょう。

現在でこそ、すっかり住宅地と化してしまって、田んぼなど見る影もありませんが、かつては広大なる田園が広がっていたのかもしれない。


なんてことを考えるだけで、楽しいんですねえ(笑)




さて、この山際の細道を北へと下って行きますと、右手の山の中へと登っていく細道へと行き当たります。

この山中へと登って行った先には、白山神社が祀られているんです。


この白山神社近辺には「白崎」という地名があり、私の想像ではこの白山神社から伸びた山稜が突き出た先だから「白崎」というのでしょう。


白山神社はこのあたりの「目印」となっていたのではないか、などと想像します。



調べてみますと、この白山神社は天正の頃、白崎城城主であった千葉某なる者によって勧請されたとありますが、本当はもっと古くから、この山上に祀られていたのではないかと思っています。

それを、かの千葉某がこの地に砦を構える際、この土地に古くから暮らす者たちを掌握するために、砦の近くに移転させたのではないだろうか、なんてことを想像しています。


では、その古くから暮らす者たちとは何者か。農地を拓いた入植者たちか?



いや、おそらくはもっとずっと古くから、この山中にて暮らしを営んでいた、ざっくり言うところの「山の民」ではなかったか。



古くからこの山中にあって、あるいは鉄などの鉱物資源採集を生業とする人々がいて、白山神を奉じていたのかもしれない。




もとよりなんの根拠もない、ただの空想です。本当はただ空想するだけじゃなくて、ちゃんと調べるべきなんだろうけど、なかなかそこまではいかない。空想してるのが、一番楽しいですもんね(笑)。





道路と地名と、これだけのことで実に様々なことが想像できます。



こういうことって、わけもなく楽しいんですよね(笑)。かつて、この我が故郷に暮らしていた名もなき人々と、なんだか繋がれたような気がするんです。勝手に想像しているだけなのにね(笑)





歴史って、こういうところにこそ転がっているもの、なのかもしれませんね。エライ人達の事績を知ることも、もちろん大事なのだけれど、それとともに、身近なところに転がっているものの中にも

大切な歴史は、たくさん詰まっています。




見ようと思えば、見えますよ。




どうですか?一度お試しになってみては?


楽しいか、楽しくないか、は、




保障しませんけど(笑)

道々に思うこと

2016-04-25 07:39:58 | つぶやき





道は最初からあったわけじゃない。誰かが歩いたところに道ができる。


誰も歩かなくなれば、その道は消えてなくなる。



かつての主要街道も、通る人が少なくなれば、単なるわき道に格下げ。歴史上の人物たちが数多く通ったであろう道も、時代が変わればただの細道、田舎道。


そんな道はたくさんあります。


そうした道々が見てきたであろう、名もなき人々の歴史に思いを馳せるのが、実に楽しいのです。


そんなことを日がな一日考えていると、あっという間に日が暮れる(笑)。実に充実した(?)1日が送れるってもんです(笑)。



この道を通り抜けていった人々が積み上げてきた、繋いできた「流れ」の中に、今の我々の生がある。


歴史を知るとは、そうした「命」の流れに、敬意と感謝を持つことなんじゃないかと、そう思うんです。



私の「生」は、私だけで出来上がっているのではない。


大いなる「流れ」のなかに、私もまた「ある」のだ。



「私」は、一人ではない。


「あなた」も


独りじゃない。





「道」というものに思いを馳せるうち、そんなことが見えてきました。





とりとめもない、ただのつぶやき、


失礼いたしました。

OUTRAGE [Rise] 2009

2016-04-24 04:37:26 | 今日のメタル









音量注意!



80年代後半、日本のへヴィ・メタル発展期を、LOUDNESSやANTHEMらなどとともに担ったバンド、それがOUTRAGE。


いわゆる「スラッシュ・メタル」の系統に属し、そのサウンドはコアでへヴィネス。



今日はかなり「喧しい」です(笑)。心して聴いてください。

怪獣災害

2016-04-23 14:35:47 | ゴジラ









SF作家、山本弘氏の小説『MM9』では、怪獣を自然災害として捉え、気象庁の中に怪獣災害専門の部局があって、怪獣を「観測」するんです。

MMとは「モンスター・マグニチュード」の意で、怪獣の大きさを表します。数字が大きくなるほど、その怪獣の大きさも増していく。MM9クラスともなると、そりゃあもう、とんでもないデカさです(笑)。



作中では、この小説世界だけに通用する特殊な理論があって、怪獣という存在を一応科学的に証明しているわけですが、山本氏がいかに楽しんで、この「屁理屈」を作り上げたかがよくわかります(笑)。


自然災害という捉え方は、非常に的を得ていると私は思う。怪獣とはまさしく、自然災害の一つのかたちです。










怪獣とは本来、存在し得るはずのないものです。



身長50メートルだとか、体重何万トンだとか。ミサイル攻撃を受けてもびくともしない身体とか。

そんなデカい身体を、カルシウムで支え切れるわけがないので、怪獣の骨はカルシウムではなく、鉄筋かなにかでできていることになります。その時点でもう、いわゆる「生物」の概念を超えています。


ミサイル攻撃を受けてもびくともしない皮膚って、いったいどうなってるんだ?もうその時点で、理屈も常識も通用しないのです。



有態に言えば、怪獣とは「生物」ではないのです。


では、怪獣とは一体なんなのか?



一言でいえば、怪獣とは、「精霊」なのです。


地球の、大地の、宇宙の


精霊です。



大自然の精霊が、怒りの塊となってこの世に表出したもの、それが怪獣。


大自然の怒りの表出ですから、まさしく「自然災害」と捉えるのが、もっとも相応しいのです。






1989年の『ゴジラVSビオランテ』以降、ゴジラは人類の敵でもなければ味方でもない、ただその存在自体が脅威となっていきます。


そうしてゴジラは「死なない」存在として描かれ、人類はゴジラの前に、大自然の怒りを知るのです。



人類の叡智をもってしても、その脅威を退けることのできない、大自然の「怒り」。


まさしく、自然災害。



怪獣とは自然災害であり、ゴジラはその代表なのです。







考えてみれば、日本の特撮は、自然災害を特に描き続けてきたように思う。


大地震、津波、火山噴火、山崩れ、地面の陥没、大竜巻etc……。


その一連の流れの中に、怪獣もまた、位置づけられるというわけなんですね。



人類の叡智をもってしても、抑えきることができないのが自然災害ならば、人類の武器を一切受け付けないゴジラもまた、自然災害。



身長が100メートル以上あろうが、体重が何万トンあろうが、ミサイルでも平気な肉体を持とうが、


理屈が通用しなかろうが、


それが、「怪獣」なのです。

それが、「怪獣災害」なのです。








新作ゴジラ、『シン・ゴジラ』がそこのところを正確に捉えているのかどうか。

私は案外、その点が心配だな、と思っております。



SF的な屁理屈をこねくり回すのは一向にかまいませんが、自然災害という「軸」は、絶対にブラしてはならない。


大自然の精霊であるという軸を、ずらしてはならないのです。



脚本を書いたのは庵野さんですね、ならばその辺の責任は庵野さんにある。


頼むよ、庵野さん。



……といっても、もう出来ちゃってるけど(笑)。


まあ、心配ばかりしていても仕方がない。あとは公開を待つのみ。



早く来い、公開日!




『シン・ゴジラ』平成28年(2016)7月29日公開。



乞う、ご期待!





お天道様はすべてお見通しでえ!

2016-04-22 05:44:33 | 雑感




江戸時代、火事場泥棒は即刻市中引き回しの上、磔(はりつけ)となりました。


磔というのは、単に槍で突いて殺すわけではありません。腋の下の頸動脈を突いて、大量の出血を起こさせ、失血死させるんです。

つまり、出血が致死量に達するまでは死ねない、大いに苦しむわけです。その苦しむさまを見物人に見せて見せしめとしたわけです。

なんとも残酷な刑ではありますが、それだけ火事場泥棒は罪が重いとされた。



江戸の町は火事が多く、焼け跡から金目のものを盗もうとする輩は横行したことでしょう。幕府は江戸の治安を守るために、火付(放火)や盗みの罪を特に重くしました。

10両盗めば首が飛ぶ。火付は即刻、火あぶりの刑。火あぶりというのは、藁で囲んだ薪の上に被刑者を立たせ、藁に火をつける。被刑者は下から文字通り火であぶられて、苦しみ悶絶しながら死んでいく。それを公開していたわけですから、なんとも恐ろしい話です。

そして火事場泥棒は即刻、磔。



このような刑罰を復活させろ!などと言うつもりは毛頭ありません。いくらなんでもそれは無しでしょう。


ただ、日本人の倫理観念からいって、人の悲しみにつけこむような犯罪は非常に忌み嫌われ、重罪とされて極刑となったわけです。その感覚は今でも日本人の普通の感覚のはず。



一言、「恥を知れ!」と言いたい。

まあ、恥を知らないからこそ、行えるのでしょうけど……。




いずれにしろ、お天道様はぜ~んぶお見通し。


その罪は必ず償わなければならなくなる。



絶対、逃げられないよ、絶対。





覚悟しな。




日々平安

2016-04-20 21:07:02 | 日記





色々なことがてんこ盛りにあって、

喜んだり哀しんだり、怒ったり楽しんだり


嗚呼、くたびれた……。


でもそんな1日でも、無事終わってみれば、結局は平安な1日だった。



生死のことを思えば、なにがあろうとも、生きてさえいれば



日々是平安。



今日も1日、生かされたことに感謝しつつ。








眠れない夜を過ごす方々も

どうか、よい夢を。