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 風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

小栗旬、俳優労組結成への布石か

2020-09-30 07:38:16 | 雑論

 

 

 

 

 

 

小栗旬「定時を守れ!」映画撮影で働き方改革、山田孝之らと“俳優労組”結成へ前進 | 週刊女性PRIME

12月に公開の大泉洋主演映画『新解釈・三國志』。ムロツヨシや佐藤二朗、橋本環奈ら豪華出演者が明らかになる中で、サプライズ出演となったのが小栗...

週刊女性PRIME

 

 

 

 

小栗旬氏が以前から、俳優労働組合の結成を本気で考えていたことは、一部ではよく知られていたことです。

 

噂では、ある方面から圧力がかかり、計画は頓挫したとも言われておりました、が

 

ご本人は諦めてはおられないようです。

 

 

撮影を定時で終わらせる。これは今迄の日本の芸能界では、あり得なかった事です。

良いものを作るのに、時間など構ってはいられない。この想いをスタッフもキャストも共有することで、現場に一体感と高揚感が生まれ、良い作品作りに繋がる。

このように思われていた時代が、長く続きました。

 

酒を飲んでは演劇論を戦わせ、時には喧嘩に発展する。先輩が後輩を殴るなど当たり前。このような傾向は、確かにある面では、良い作品作りに効果があったかもしれません。

 

しかし、時代は変わってきている。イマドキはもう

流行らない。

 

このようなことを続けていたのでは、俳優は肉体的にも精神的にもボロボロになってしまう。真面目な人ほど追い込まれていく。

そして…。

 

 

これはほんの端緒です。撮影を定時で終わらせることで、俳優の「働き方」が変わり、それとともにスタッフの働き方もまた変わり、

作品全体の制作姿勢も変わらざるを得なくなる。

 

姿勢が変われば、「意識」も変わる。こうして、芸能界全体が変わっていく…。

 

 

もちろん、そんなに上手くは行かない点も多々あるでしょう。なにより芸能界内部からの激しい抵抗が予想されます。

「既得権益」を守りたい奴らは、どこにでもいる。

 

それでも、変えていかなければならない。でなければ衰退していくだけ。

 

このままでは優秀な人材ほど、芸能界から離れていく。益々衰退は進んでいく。

 

あるいは、衰退していくことこそが、「時代」の要請なのだろうか…。

 

 

しかしこのまま衰退させていくのはもったいないし、つまらないし、寂しい。

 

このような「危機感」を持った方々は、芸能界にも多数おられることでしょう。その方々が、小栗旬氏の行動になにを思い、どうするのか。

 

一人のエンタメファンとして、静観していきたいと思います。


ショートカットするな!

2020-02-10 15:09:30 | 雑論

 

 

 

 

 

交差点を右折する際には、交差点の中央の「すぐ」内側を曲がる。これが道交法で定められたルール。

 

この「すぐ」という点が大事、交差点の「すぐ」ではない内側を一気に突き進んでいく行為を、「ショートカット」といい、明確なる道交法違反です。

 

ショートカットをするとまず歩行者の確認がしづらくなります。また信号のない交差点では、左折しようと交差点に進入してきた車と、衝突する危険性が増大します。

 

この危険な行為を、平気でする車が多すぎる!何度それで肝を冷やしたことか。

 

私はどんなに急いでいても、右折するときは必ず交差点中央のすぐ内側を走行するように注意しています。結局それが、確実に目的につける一番の方法なんです。

 

たとえ100万回大丈夫だったとしても、一回、たった一回の事故で人生が変わってしまう恐れがあるのですよ。

その事、ドライバーは全員、肝に銘じるべき!

 

安直な運転してんじゃねーよ!そういうドライバーが多すぎる!

 

ホント、腹立つわ~~~!

 

 

あと、交差点では直進車もしくは左折車優先です。「地方ルールでは右折車優先」なんてことをほざいている輩もいるようですが、そんなアホな話は通用しませんからね!道交法は全国共通。

 

地方ルールなんてもんは、存在してはならん!

 

ホント、腹立つわ~~~!

 

「てめえ!ショートカットしてくるんじゃねえ!ぶつかるじゃねえか!このバカヤローが!!」

「あっ、てめえコラ!こっちが左折しようとしてんのに、右折しようとするんじゃねえ!」

「てめえらどいつもこいつも死にてえんか!死ぬならてめえ一人で死にやがれ!こっちまで巻き込むな!」

「どいつもこいつも、クソバカ野郎ばっかりだ!」

 

……と、いつも心の中で毒を吐く、至らぬ私でございます。

 

 

それにしてもホント、

 

腹立つわ~~~!

 

 

 

 

 

こういう「ショートカット」は好き。ハイ、分かりやすいオチですいません。


芸能人は「商品」か「人間」か ②

2019-07-29 04:43:07 | 雑論

 

 

 

 

 

日本の現代の芸能を語る上で外せないのが、日本独自の「アイドル文化」です。この独自の文化は日本の芸能事務所のスタイルあってこそ生まれたものといっていい。

 

海のものとも山のものともわからない子供たち、少年少女たちをゼロからレッスンし、スターへと育てていく。前回の記事で紹介したようなすべての権能を一つの事務所が有しているからこそできたこと。日本的な芸能事務所の形態なしには、このような文化は生まれ得なかった。

日本的な芸能事務所のスタイルがなければ、ももクロは生まれ得なかったわけで、そういう意味では日本の事務所様様ではあるわけですが、

 

しかし一方では、所属タレントに対する支配力が巨大化し、ジャニーズ事務所や吉本興業のような問題を引き起こす元となっているのも事実。

 

 

いずれにしろ、今は変革の過渡期が来ていると思う。一つの参考として、ハリウッドスタイルを学んでみるのもいいかもしれませんね。

 

では、簡単に

 

 

 

【エージェント】

長期的な視点からタレントのキャリア設定を考慮しつつ、オーディションの情報を収集し、出演契約のギャラの交渉をタレントの代理人として行う。

 

【マネージャー】

プロデューサーやスタジオとの連絡係であり、タレントが仕事を続けていく上で必要なことを忠告するなど、タレントの個人的な支援者のような役割。ちなみにタレントの身の周りの世話などの雑用を行うのは、マネージャーではなくアシスタント。

 

【バブリシスト】

タレントの広報担当者。取材時のタレントの発言をコントロールし、タレントの注目度が高まるようメディアに求める仕事を行う。

 

アメリカでタレント活動をするにはまず、エージェントと契約しなければなりません。新人は小さい規模の仕事を扱うエージェントとまず契約し、仕事の幅が広がってくる、大きな仕事がくるようになるにつれて、大きな仕事を扱えるエージェントへと移っていきます。その過程で、気に入らないエージェント、思うような仕事を持ってこないエージェントとは息契約解除して、他のエージェントに移籍することは全くの自由です。

このエージェントは日本の芸能事務所とは全く異なっています。日本ではタレントは「所有物」ですが、アメリカのエージェントにとってタレントは、先述したように「お客様」。主体はあくまでタレントの側にある。

 

また、ハリウッドのあるカリフォルニアの州法には、タレントの権利を守るために特化した法律が存在します。

タレント・エージェンシー法と呼ばれるこの法律は、非倫理的なビジネスマンからタレントを擁護するために制定された法律で、例えばエージェントになるためのライセンス制度を設け、ライセンスを持たないものはエージェントの仕事ができない。しかもこのライセンスは毎年の更新が義務づけられている、かなり厳しいものになっています。

エージェントは「善い道徳人」であることが常に求められます。これはタレントとの間に不公正な契約を結ぶことを防ぐという目的があるようです。例えば新人タレントと契約する場合など、まだ若くて世間知らずで芸能界に憧れる若者など、誑かそうと思えば簡単に誑かせるわけです。そうして事務所に有利で不公正な契約を結ばせ、タレントをがんじがらめにする。日本の芸能事務所がよくやるパターンですね。

 

ハリウッドではこうしたことが起こらないように、法律という「第三者」の介入により、タレントの権利や活動が守られているんです。

 

日本とはエライ違いですね。

 

こうした法律がありますから、日本の吉本興業みたいに「ギャラの元手が明かされない」だとか「契約書がない」なんてことはあり得ないわけですね。

 

 

アメリカの場合、100年近くもかけて権利を勝ち取るための戦いを続けてきたという経緯があります。ここまで整備させるまでには実に長い年月がかかっています。だから日本に於いても、一朝一夕に変えるなんてことは不可能。時間はかかるでしょう。

 

それでも、時代は変革の時を迎えています。芸能界も変わらなければ、未来はないと思うべき。

 

個人事業主としての自覚をしっかりと持ち、自分たちは「モノ」じゃない、「人間」だ!と声をあげること。

 

 

まずはユニオン、組合を、それも芸能界全体をカヴァーできるような、大きな組合を立ち上げること、ですが、

 

さあて、出来ます事やら……。

 

 

 

 

参考文献

『芸能人はなぜ干されるのか 芸能界独占禁止法違反』

星野陽平著 鹿砦社


芸能人は「商品」か「人間」か

2019-07-28 19:38:55 | 雑論

 

 

 

 

 

芸能事務所の社長などが、タレントと結婚などをしますと、「商品に手を付けた」なんて言い方をする人がいますね。私は若いころから、この言葉に強い違和感を覚えてきました。

 

芸能人は「商品」?つまり「人間」ではないということか?

 

どの国でも、どの社会においても、芸能者というものはその立場が弱いものだったでしょう。良くも悪くも芸能者は「特別」な存在とされ、時に畏れられ、敬われ、また蔑視もされた。

 

日本に於いては特に、この「蔑視」という観念が意識されることなく、一般人の心の片隅にこびりついている。

 

日本の芸能界の諸問題の一端には、あくまで一端ですが、こうした意識されない「蔑視」というものがあるように、私には思える。

 

だから、声を上げるのは、芸能界の内側からしかないのです。今の日本の現状では、一般庶民はほとんど助けてくれはしませんよ。

 

残念ながらね。

 

 

さて、アメリカ・ハリウッドでは、こうした芸能者の権利を守る運動が1910年代頃から盛んになり、1930年代にはユニオン、組合が結成されます。このユニオンが、芸能者の権利を守る働きをするわけですね。

 

ハリウッドでは、このユニオンに加入していない俳優は仕事をすることができません。これは日本の俳優だろうと例外ではなく、日本の俳優がハリウッド映画に出る場合も、必ずユニオンに加入しています。渡辺謙さんはもちろん、千葉真一さんもその息子の真剣祐も、芦田愛菜ちゃんもみんなみんな、ユニオンに加入しています。これは例外が許されない。

 

 

そしてアメリカにも、いわゆる「芸能事務所」は存在しますが、日本とは大分かたちが違います。日本の事務所は一つの事務所に「エージェント」「マネージメント」「プロダクション」等々の権能がまとめられていることが多い。「ジャニーズ事務所」や「吉本興業」などはその典型的な例だといえましょう。

 

しかしハリウッドにはそのような事務所は存在しません。それぞれの事務所ごとに、その権能、職掌は細かく分離されているのです。エージェントはエージェントの仕事、マネージメントはマネージメント、プロダクションはプロダクションの仕事を専門に、それそれが独立した経営形態で運営されています。

 

 

芸能者、タレントはそうした複数の事務所と細かい契約を結ぶことで仕事を行っていくのです。

 

なんだかめんどくさそうですが、渡辺謙さんによればそうした契約はとてもフランクなもので、気に入れば仕事をするし、気にらなければハイさようなら、契約を解除してすぐ別の事務所と契約を結べるのだそうな。

 

もちろん、その芸能者、タレントにそれなりの需要があればの話ではあります。ハリウッドでは芸能者、タレントは「個人事業主」という意識が確立されていますから、自分の仕事の内容は自分で切り開いていくしかない。それを成立させるために様々な事務所と契約するわけで、思うような仕事が得られなければどんどん事務所を変えていく。事務所にしてしてればタレントはお客様なわけで、お客様が満足するような仕事をすることで契約を継続させようと努力する。

ハリウッドにおけるタレントと事務所の関係性とは大体このようなものだと思っておけばいいでしょう。日本では事務所があらゆる権能を有し、タレントに対し強い「支配」力を有するような形になってしまっている場合が多い。ちまたで話題の「吉本問題」などはその典型的な例だといっていい。

 

 

まあ、ハリウッド式がすべて良くて、日本式はすべて悪いと言うつもりはありません。日本には日本独自の文化、伝統というものあり、闇雲に否定すればいいというものではないでしょう。

 

吉本興業の社長さんが言った、「ファミリー」ということ、これなどは事務所と所属タレントとの日本的な関係性の典型であるといえます。事務所はタレントを全力で守りタレントはその恩義に答える。まあ、「ファミリー」といえば聞こえはいいですが、ちょっと見方を変えれば893の〇〇一家だとか、映画『ゴッドファーザー』などを連想させ、極めて前近代的な発想だとも言え、抑々巨大企業に膨れ上がった吉本興業に、今更「ファミリー」という概念が通用するとはとても思えない。

意識の古さを強く感じた会見でしたね。

 

 

さて、そんな感じで

 

続きます。

 

 

 

 

 

参考文献

『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』

星野陽平著 鹿砦社


「第一芸能界」と「第二芸能界」~文系芸人マキタスポーツの卓見~

2019-01-30 04:29:52 | 雑論

 

 

 

 

自称「文系芸人」のマキタスポーツ氏が、AERA2019年1月28日号に、興味深い文を寄せています。一部抜粋してしましょう。

 


 

 

 広告モデルで賄っているのがマスコミである。テレビが典型的な例だ。皆が思っている芸能界、あるいは私が売れるまで思っていた芸能界もそこである。そこでの売り物は「好感度」。しかし果たして芸能界は一つだけだろうか。直(じか)にお客さん(依頼主)にサービスを提供しお金をいただく原初的な芸能のビジネスモデルも同じ芸能界だろう。

 芸能界には地主(権利者)がいて、そこにテラ銭を払うことで商いさせてもらっている構造もある。そこに帰属しないで自分で行商をやるやり方だってあるし、現在もそれをしている人たちはいる。それを「干された人」というらしいが、一方的というものだろう。

 私はそういう世界を「第二芸能界」と呼ぶことにした。そして従来の芸能界を「第一芸能界」と言う。人気を量的に売るのに適しているのが「第一芸能界」で、人気を質的な部分で売るのが「第二芸能界」だと考えたい。この二つの間にネットという第三極を介在させて回転させるのが健全な形だと思っている。

 平成の次の時代は「第二芸能界」、もしくはそれ的なオルタナティブが重要な時代になる。私が実験台となってそれを実証していくつもりだ。

 


 

 

非常に面白いですね。ある意味「卓見」だと思います。

 

「量的人気」と「質的人気」。この量的な人気に偏り過ぎたがために、どんどん歪みを増していったのが現代の芸能界だと云えるでしょう。

 

 

しかしもはや芸能に対する見方、価値観は多様性を増しており、ジャンルや試聴の仕方に至るまで細かく細分化されてきており、かつてのような「量」を得ることが出来なくなっているのが、現状だと云えましょう。

 

 

時代は大きく変わろうとしています。今はその過渡期。芸能界もまた、変わろうとしている、というか、

変わらなければならない時が来ているのではないでしょうか。

 

 

 

例えば「干される」という言葉があります。

 

これはマキタ氏云うところの「第1芸能界」側の視点、価値観から云っているのであって、マキタ氏の言う通り、極めて「一方的」なものだと云って良い。

 

 

「干された」芸能人と云えば、のんなどはそうですね。

 

しかしのんちゃんの芸能活動の現状には、「干され芸能人」の悲惨さというものを、私はあまり感じないんです。

 

確かに一番の要といって良い女優の仕事が出来ていないという点では、ご本人にもある程度の不満であったり焦りであったりというものがあるのかもしれませんが、バンド等の音楽活動やファッション、アートなどの分野にわたって八面六臂の活動を繰り広げており、それなりに評価もされている。

「第1芸能界」的視点、価値観からすれば悲惨な現状なのかもしれないが、ちょっと視点を変えればなんのことはない。前の事務所に所属していた時よりも、寧ろやりたいことがやれているというのが、客観的にみた現状だといっていい。

 

のんちゃんは「あーてぃすと・のん」を標榜しており、女優以外のアーティストとしての活動はそれなりに充実しているのです。のんちゃんに女優の仕事だけを求めるのは、こちらの勝手な押し付けだとも云えるのですよ。

 

あとはのんちゃんご本人の「想い」だけだといっていい。

「第1芸能界」へ戻りたいのか、現状で行けるところまで突き進むかはご本人の気持ちの問題。我々他人様がごちゃごちゃ云うことではない。

 

 

時代は変わる。芸能界も亦変わっていくでしょう。何が良くて何が悪いかなんてことは簡単には言えないけれど、マキタ氏云うところの「第2芸能界」の需要、「質的人気」の重要性が高まってくるのだとしたら

 

こんな楽しく、面白いことはないと、個人的には強く思いますねえ。

 

 

大体我々一般人は、「第1芸能界」的価値観、「量的人気」ってものに毒されすぎてきたように思います。しかし時代は変わっていく、いい加減視点を変えていかないと時代遅れになっちゃうよ。と思っていた矢先の

 

マキタ氏のこの寄稿文です。

 

まさしく、「我が意を得たり」でしたねえ。

 

 

いやあ、面白い。

 

 

 

マキタスポーツ氏


横綱考

2017-12-30 10:26:17 | 雑論





垂仁天皇の御代、大和の当麻蹴速と出雲の野見宿禰が試合をしたのが、相撲の起源ともいわれておりますね。


その後聖武天皇の御代に毎年7月7日に宮中紫宸殿において、相撲節会(すまいせちえ)なる行事が行われるようになったとか。相撲節会は平安時代までで途切れてしまいますが、武士の世になると、武将お抱えの相撲人が各地に出始め、腕を競いあうようになったようです。

織田信長は大の相撲好きで、家臣たちによく相撲を取らせていたとかいいますね。江戸の頃には寺社の様々な資金集めのための「勧進興行」なるものが定着し、江戸で相撲を取ることが全国の相撲取りの憧れになったとか。


相撲は興行でありまた、寺社において吉凶や豊作不作を占う神事として行われることもあった。そういう興行としての面と、神事としての面を両方併せ持ちながら発展してきたのでしょうね。



野見宿禰は当麻蹴速を蹴り殺したといいますから、当時は何でもありだった。これが奈良時代の辺りから、現在に繋がるルールができ始めたらしい。元々が腕自慢の者たちですから、気性は荒い。江戸時代に、町火消しの「め」組と相撲取りの喧嘩騒動は「め組の喧嘩」として後世まで語り伝えられています。



横綱というのは、そんな江戸の頃に、名誉職のようなものとして出来上がったものらしい。気の荒い力士たちに「神」の如くに崇められるには、勿論強さも必須ですが、やはり人として尊敬できるカリスマ性を持った人でなければなれなかったのではないだろうか。江戸の頃は横綱になるための規定などは特に定められていなかったようで、横綱の称号を得た後に、関脇の位で相撲を取っていた力士もいたそうな。



明治の御代になると、政府による「裸禁止令」が発布され、相撲は存続の危機にさらされます。しかしこれに対し、相撲だけは残すよう尽力したのが、ほかならぬ明治天皇と伊藤博文でした。


伊藤博文は幕末の頃、長州奇兵隊の一隊である「力士隊」のリーダーでした。力士隊は長州藩お抱えの相撲取りによって結成された部隊で、だから伊藤は、力士に対する思い入れが強かった、と云うことはできるでしょう。

ところでこれには、面白いトンデモ話がくっついています。


かの「明治天皇になった男」大室寅之助が、この力士隊のメンバーだった、という説があるんです。


明治帝の頑健ぶりは抑々が力士だったから!?だから相撲を守ることに尽力した!?



ことの真偽はともかくとして、相撲は元々神事としての側面が強かったわけですから、明治天皇がこれを守ろうとしたのは、ある意味当然であったと思われ、力士であったろうがなかったろうが、あまり関係はないようにも思えます。


横綱になるための規定が定められ、相撲の最高位として明確に定められたのは明治以降になってからのことです。


横綱であるために求められる力量と「品格」。横綱は「神」であって「人」であるとも云えます。私はこの明治以降に明確化されたと云っていい横綱像には「モデル」がいるんじゃないかと、最近おもっているんです。



その御方とは、誰あろう明治天皇ではないかと。



横綱に求められる「力量」と「品格」。明治帝には天皇としての「力量」も「品格」も備わっておられたでしょうし、誰もがひれ伏す「神」の如きカリスマ性をもった「人」でもあられた。



明治以降に定められた横綱の理想像。そのモデルとなったのが、他ならぬ明治帝であった。案外ありそうな話ではないかと思ったりもしますが



いかがでしょう。








人というのは、簡単に「堕ちる」ものです。


登って行くのは大変ですが、堕ちるときは実に簡単に墜ちてしまう。若い頃はひたむきに頑張っていたのに、ある程度の地位を得た途端、保身に走り、自身の利益を優先し始め、決して褒められたことではないことも平気で行えるようになってしまう。

これは誰にでも起こり得ることです。誰にでもです。


たとえ、横綱であっても。


これは外人であろうと日本人であろうと関係ありません。だって「協会」の方々は日本人ではないですか。あの方々が甘い対応をしていたから、蒙古の方々の増長を進める結果になったわけでしょ。皆保身、皆「堕ちて」る。

とも、云えなくはないのでは?



まあ、なにはともあれ、人間、謙虚さと精進は大事だなと思う、今日この頃であります。






頑張れ、「貴」

禁じられた言葉

2017-06-27 12:30:45 | 雑論





昭和41年放送の『ウルトラマン』第33話『禁じられた言葉』。



メフィラス星人が、小学生の少年、サトル君に語り掛けます。君が一言言ってくれたなら、地球は私(メフィラス星人)のものになる、と。

その言葉とは、


「地球をあげます」



子供の頃はこの話がよくわかりませんでした。何故一人の少年が、地球を上げると云っただけで、地球がメフィラス星人のものになってしまうのか、よくわからなかった。



これは一つの寓話なのでしょうね。物理的侵略というよりも、精神的侵略という意味においての。






メフィラス星人




メフィラス星人は科学特捜隊のハヤタ隊員(黒部進)とフジ隊員(桜井浩子)、そしてフジ隊員の弟、サトル君を強引に拉致すると、フジ隊員を巨大化させ、ビルを破壊させます。

そんなことをしておいて、自分は平和主義者だと嘯くメフィラス星人。地球人と戦って強引に奪うことを良しとせず、その心を奪おうとするのです。


メフィラス星人がサトル君に語りかけます。


********************

メフィラス「私は暴力は嫌いでね。私の星でも紳士というのは礼儀正しいものだ。そこで地球人であるサトル君に了解をもらいたいと思うんだ。

サトル君は素晴らしい地球人だ。どうだね、この私にたった一言、『地球をあなたにあげましょう』と云ってくれないかね」



サトル「イヤだ!絶対嫌だ!」



メフィラス「だろうね、誰だって故郷は捨てたくないもんだ。でも、これをごらん

宇宙は無限に広くしかも素晴らしい。地球のように戦争もなく、交通事故もなく、何百年何千年と生きていける、天国のような星がいくつもある。

どうだねサトル君、地球なんかサラリと捨てて、そういう星の人間になりたくはないかね」



サトル「ヤだ!」



メフィラス「聞き分けの無い子だ。なぜ『地球をあなたにあげましょう』と言えないんだ?私は君が好きだ。私の星で永遠の命を与えようというんだぞ」



サトル「僕だけがどんなに長生きしたって、どんなに豊かな暮らしができたって、ちっとも嬉しくなんかないや!僕は地球の人間なんだぞ!」



メフィラス「ほざくな!」


********************


紳士だなんだと云いながら、サトル君の毅然とした態度にメフィラスは激高してしまいます。つまりはこれが、彼、メフィラスの本性というわけです。


これを見ていたハヤタ隊員が高らかに笑います。


********************


メフィラス「ウルトラマン、なにがおかしいのだ!?」



ハヤタ「メフィラス、とんだ見当違いだったな。地球を売り渡すような人間はいない。サトル君のような子供でも、地球を良くしていこうと思いこそすれ、地球を見捨てたりは絶対にしない!」



メフィラス「黙れウルトラマン!貴様は宇宙人なのか?人間なのか?」



ハヤタ「両方さ、貴様のような宇宙の掟を破る奴と戦うために生まれてきたのだ!」



メフィラス「ほざくな!この手で必ず、この美しい星を手に入れてみせるぞ!」




ハヤタ「メフィラス、そうはさせんぞ!」


********************


メフィラス星人の「メフィラス」とは、人間を甘言で誑かす悪魔、メフィストフェレスがそのネーミングの由来だそうです。メフィラス星人は人間の心に挑戦するためにやってきたんですね。



メフィラス星人は、自分は子供の心にすら負けたのだと認め、ウルトラマンとの戦いを避け、去って行きます。


去り際にこう語りながら。



「私は諦めたわけではない。いつか私に地球を売り渡す人間が必ずいるはずだ。必ず来るぞ!」







故郷を売り渡す人間などいない。本当にそうなら良いのですがね。



今の日本の現状を見た時、甘言に誑かされて、自らも甘言を叫んで回る者たちの、なんと多いことか。



現代であれば、メフィラス星人も地球全部は無理でも、「日本」くらいなら、簡単に手に入れられるかも、しれませんねえ。


なーんてね(笑)



メフィラス星人(メフィストフェレス)はあちらこちらに出没しております。くれぐれも甘言に弄されることの無きよう。


本当に大事なこと、守るべきこととはなにか、よおっく考えて、


サトル君に対して恥ずかしくない行動をとりましょう。




それにしても、特撮モノというのは時に、「予言書」的な役割を果たしているものなのだなと、改めて瞠目します。


大したもんだ。





地球〈テラ〉へ… エピローグ

2017-03-14 03:40:07 | 雑論





この作品には、最後に短いエピローグが付加されています。


********************



S.D体制崩壊より遥かな年月が経ったころ。


宇宙空間を航行する一台の宇宙船。これが宇宙に出て以来20数年ぶりに、他の宇宙船と遭遇します。



両者は連絡を取り合いドッキング。両船の乗員は共に、地球人類と同じ姿をしていました。



両者共に目的地は、古い記録に残されていた美しく青い星、


地球〈テラ〉。


その古い記録を見た時に何故か感じた強い郷愁の念。


彼らはその念に導かれ、宇宙へと旅立ったのです。


両者の船内には、10歳前後の男の子と女の子がそれぞれ一人づつ乗りこんでおりました。男の子が好奇心から女の子の手を掴んだ途端、

二人の頭の中に浮かんだ、共通の記憶。



そこには、ジョミーが、キースが、

ソルジャー・ブルーが、フィシスが。


共通の記憶を持つ二人は、忽ち打ち解けていく。



彼らは、宇宙の彼方へと旅立っていったトオニィたちナスカ・チルドレンの、子孫でしょうか。



強い想いは世代を越えて、「命」の中に伝播していく……。




エピローグの最後は、10歳の少年の姿をしたジョミーが、太陽をサッカーボール代わりに蹴っ飛ばして遊んでいる姿で幕を閉じます。


ジョミーは宇宙に遍く充ち満ちるエネルギーの一部となって、

永遠に生き続けている……。


********************




多角的なテーマを幾重もの伏線の中に折り込み、一つの物語に収束させていくストーリー・テリングの見事さ。

そのテーマ性は時代を超越し、これが70年代後期に描かれた作品とは思えぬ程の新しさを常に保っているように私には思える。



日本のマンガ文化のレベルの高さは、昨日今日できたものではありません。この凡そ40年前に描かれた作品に息づく、日本のマンガ文化の底深さを、


是非にも味わっていただきたい。



素晴らしき哉、日本のマンガ文化。


素晴らしき哉、日本文化。


素晴らしき哉、


ニッポン!






これにて全編の終わり、で



ありやす。

地球〈テラ〉へ… 最終章 『地球〈テラ〉へ…』

2017-03-13 04:32:09 | 雑論









地割れに飲み込まれ、地底深く落ちていくキース。その落ちた先にいたものは。



「私はコンピューター テラ」

コンピューター テラは答えます。ヒトがマザー以上を求めた時に目覚めるためにいると。




S.D体制とミュウの秘密について、コンピューター テラは語り続けます。


それによれば、ミュウの誕生はS.D体制発足の10年前から始まっていたのです。


人類の未来を託すべきは旧人類かミュウか。コンピューター テラを作った化学者たちは二つの選択肢で悩みました。


コンピューター側はほぼミュウという答でしたが、政治家は全員それはノーとの結論だった。

そこで、旧人類の性質に合わせてS.D体制が構築された。


しかし、自然発生的に生まれるミュウの因子を、人類の遺伝子から完全に抹消してしまうのは、神への冒涜に等しい。そこで、ミュウのの因子を残しながらミュウを弾圧し続けるという矛盾したプログラムを、マザーは施されることになったわけです。


そうして旧人類とミュウとの「決着」が付き、マザー以上のコンピューターが必要となったとき、コンピューター テラが目覚める。



地球今新たな胎動を始めようとしている。マグマが活発に動きはじめ、大規模な地殻変動が起きようとしている。しかしコンピューター テラなら、それを制御することも出来る。


さあどうする?コンピューター テラはキースに訊ねます。選択肢は君にある。


キースは思います。ミュウは、彼らは、

誰の助けもなく


生きた……。


キースはコンピューターに手を掛け、起動スイッチをオフにします。完全に機能停止するコンピューター テラ。



ふと虚空を見上げ、キースが呟きます。


「そこにいるんだろう?ジョミー・マーキス・シン。さあ今度こそ俺を殺せ」


見えない手が伸びキースをサッと撫でる。ゆっくりと斃れるキース。








大地殻変動が起こり、ミュウと旧人類との区別なく災厄が襲います。建物はすべて倒壊し、大自然の中に投げ出される人々。朝日が昇る中、1人の女性の下に人々が集まってきます。その手を握ると、不思議と心が安らぐ、恐さがなくなる。

人々はこぞってその女性、フィシスの手をとり、「女神」と崇めました。






ジョミーの死を嘆き、うずくまりながら宇宙空間を漂うトオニィ。そんなトオニィをナスカ・チルドレンが連れて行きます。


遥か宇宙の彼方へ。







人々は大自然の中に投げ出され、もう一度「初め」からやり直す。


今度こそ「失敗」は許されない。


今度こそ。




********************



壮大な物語でした。


これは遥か未来の物語とされていますが、あるいは人類は遥かなる太古の昔より、「同じ事」を何度も繰り返してきたのかも知れません。


そして、今も。


今度こそ失敗は許されない。



今度こそ。





END

地球〈テラ〉へ… Part7グランド・マザー 

2017-03-09 11:45:25 | 雑論









ジョナ・マツカは何故命がけでキースを守ろうとしたのか?


ミュウは一度受けた恩を忘れないとは、物語の中で何度も言及されています。それにしてもマツカのキースに対する献身は尋常ではありません。


この点については、ボーイズ・ラブ的なことを連想する方もおられるかも知れません。まあ、そうであったとしても、プラトニックなものだったでしょうから、マツカは自分の命を捧げることで、愛を青樹したのだ、とも言えなくはない。


しかし私はそういうことよりも、人間の関係性の不思議さ、複雑さを感じます。ミュウと人造人間というまったく相反する二人が、「孤独」というキーワードを媒介として、お互い警戒し合いながらも、実はもっとも心を赦せる相手になっていた。この面白さなんですよね。


だからキースは、ミュウと人間との共存の可能性は有り得るということを、分かってはいたんだと思う。それでも、彼は自らの存在する意味として、それを否定せざるお得なかった。

コンピューター、グランド・マザーに「作られた」存在として。


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マツカが死んだ翌朝、ミュウの代表と地球〈テラ〉政府側の首脳陣による、形ばかりの会談が行われました。

ジョミーは言います。あなた方がどうしても我々を受け入れられないというのであれば、去りもしよう。しかしそれはコンピューターの指示によるものではなく、あなた方人類自身の意思で決めてくれと。

しかし、コンピューター、「マザー」に依存することに慣れ、ひ弱になってしまった人類に、今更マザーに頼ることなく重要事項を決定することなどできない。

それに、マザーにミュウを完全排除するようプログラミングされている以上、人類とミュウの共生はあり得ない。


何故だ?何故?マザーはそこまでミュウを排除しようとするのか?ジョミーはテレパシーはキースに問いかけます。

それはわからない。キースが答えます。何故ミュウが生まれてくるのかわからないように。



その時、ジョミーを連れてくるようにと、マザーよりの命令が下されます。ジョミーとキース二人きりで来るようにと。



これがなにを意味しているのか、分かったうえでジョミーは、キースとともにマザーの下へ向かいます。


基地の風防越しに、荒れ狂う地球の大自然の息吹を眺めながら、ジョミーが言います。「トオニィが早まったことをした、すまない」

「……なんのことだ?」平静を繕ったものの、その表情には明らかな動揺が現れていました。




グランド・マザーの前に立つジョミーとキース。マザーが有無を言わせぬ精神波攻撃を仕掛けてします。

キースの抗議も聞かずに攻撃を続けるマザーに、ジョミーも反撃します。「ぼくたちが戦ってきた相手は人間じゃない、このグランド・マザーだ!」

ジョミーは言います。「人間はマザーにあやされ育てられた意思のない子供、目も耳も口もふさがれながら、それを知らない不幸な子供だ」

「だが反逆児であるミュウたちにはそれが見える、敵の姿として」

だからここまで来た。


お前を壊すために



ジョミーはミュウたち全員に力を結集するよう呼びかけます。それによりグランドマザーの機能は明らかに壊れ始めます。


激しいエネルギーの波に翻弄されながら、キースもまた、心の中で戦っていました。

ミュウたちとともに。



機能停止寸前、一瞬の隙をついて、マザーがキースの脳波を捕らえ、これをコントロールします。マザーの操り人形と化したキースが

ジョミーに銃を撃ち込みます。


ハッと気が付いたキースの前に横たわる、ジョミーの遺体。「完璧デス、キース……」途切れ途切れの言葉で、尚も体制を維持しようとし続けるマザー。「ワタシタチノ子……」


キースの怒りが爆発します。「わめくのをやめろコンピューター!二度とおれの意志にさわるな!」

それは初めてと言っていい、キースの感情の迸りでした。


これに感応するかのように大爆発を起こすマザー。激しい地殻変動が地上を襲い、基地が倒壊していきます。


地割れに飲み込まれ、地下深くへと落ちて行くキース。







つづく