縄文時代から食されている、日本民族のソウルフード、それは
「鍋」!🍲
グツグツ、ハフハフ、うっ、美味い!
ここで一句
【幾星霜時を跨いで鍋三昧】
ご先祖様に感謝。
縄文時代から食されている、日本民族のソウルフード、それは
「鍋」!🍲
グツグツ、ハフハフ、うっ、美味い!
ここで一句
【幾星霜時を跨いで鍋三昧】
ご先祖様に感謝。
私の住むあたりでは、ここのところ風の強い日が多い。
特に昨日の朝方から午前中にかけては、これに強い雨が加わり、ちょっとした台風並みの暴風雨でしたね。
窓ガラスに激しく打ち付ける雨風を見ながら、例え小さく古い家であっても、雨風を凌げる住処のあるということに、感謝せずには居れませんでした。
ありがたいことです。
ここで一句。
【暴風雨さつきの朝に窓を打ち】
天の気は荒れ気味のようです。これも人様の行いのせいでしょうか。
世の中色々、嫌なことも起こっておりますが、どちら様も
お気をつけて。
昨日は節分でした。
節分には豆まきがつきものですが、我が東北では、この豆まきに使う豆は、大概「落花生」なんです。
節分の豆まきといえば落花生がこちらの常識でしたから、全国的には炒った大豆を撒くのだと知った時には驚愕しましたね。
なぜ炒った大豆なのか?諸説あるでしょうが、出口王仁三郎さんが非常に面白い説を唱えております。
太古、日本神界を統率していたのはクニトコタチノオオカミでしたが、オオカミはまるで「鬼」の如くに厳しく神々を統率しておりましたので、これに辟易した悪神どもが謀って、オオカミを艮(うしとら、東北)の方角の地に幽閉してしまった。
以来、艮は鬼門として恐れられるようになったのだとか。
クニトコタチノオオカミを幽閉する際、悪神どもは呪いをかけました。それは
「炒った大豆に芽が出るまで出てくるな!」
炒った大豆から芽が出ることはあり得ませんから、これは永遠に出てくるな!という意味の呪いなのだそうです。
以来、節分には炒った大豆を撒きながら、鬼(クニトコタチノオオカミ)は外と唱えるようになったのだとか。
しかし、この説文の際の唱え言、寺社によって様々なようです。「福は内」だけを唱えるところもあれば、「福は内、鬼も内」と唱えるところもあるとか。
なんでしょう?やはり単純に鬼を「排除」すればいいという感覚に、違和感を覚える日本人は、案外多いということなのでしょうか。
「禍福は糾える縄の如し」「人間万事塞翁が馬」などとも申します。なにが「福」でなにが「鬼」かなど、人間の一方的な視点、狭い了見だけでわかるものではありませんな。そういう意味では、究極的には「福」も「鬼」もすべて「福」。
「鬼神」の如き厳しさも、「神」であることには違いない。
まあ、なかなかそんな風には、思えませんけどね(笑)
それにしても、クニトコタチノオオカミが幽閉されたと伝えられる艮・東北の地においては、炒った大豆ではなく落花生が蒔かれるという事実。
なんとも不可思議な因縁ではあります。
ここで一句
【節分けや福は内なら鬼も内】
しかし落花生はカロリーが高い!食べ過ぎに注意!