風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

ぼっこ

2017-07-16 12:37:29 | つぶやき









青空の下おひさまの光を浴びてお昼寝……なんてことは出来ないほど、暑い日々が続いております。皆さまいかがお過ごしでしょうか(笑)



実際、日の光を浴びるのは肉体的にも良いことのようです。日の光を浴びて活性化するのはウルトラセブンだけではないらしい(笑)




ところで、日光浴の事を「日向ぼっこ」といいますが、この「ぼっこ」とはなんなのでしょう?


色々説があるようですが、日の光を浴びて呆けたようになる。ボケたようになる。この「ボケ」から「ぼっこ」になった、らしい。



確かに、日の光を浴びすぎると、ちょっとボウっとしてしまいますもんね。




「ぼっこ」といいますと、岩手辺りでは子供のことを「ぼっこ」という地域もあるようで、有名な岩手の妖怪・座敷童のことを「座敷ぼっこ」と呼ぶこともあるようです。



この「ぼっこ」は「おぼこい」が語源のようです。「おぼこい」とは元々西日本の方言「おぼこ」を形容詞化したもので、「おぼこ」とは子供っぽい、世間知らず、初々しい、などの意味があるようです。


子供というのは、どこかボーッとしているようなところがありますから、そういう意味では「ボケる」と通じるところがあるように思いますね。



子供は神に近い存在と考えられていましたから、子供のどこか呆けたような感じは、神を連想させたのかも知れません。神や精霊、あるいは妖怪なども、子供たちとどこか相通じるものがあると考えられていたのでしょう。酒呑童子、茨木童子など、鬼が童形をしているのは、世間というもの、世の常識から外れた存在ともいえる子供と、妖怪などの類いに同様のものを感じていたからだと思われ、あるいは一寸法師などの「法師」にも、同じような意味が付帯されているのかもしれませんね。



また、室町時代頃のいわゆる「被差別民」は前髪を切らない「童形」だったといいます。彼らも亦、世間一般から外れた存在でしたから、そういう意味では「ぼっこ」であり、神に近いのか鬼に近いのか、いずれにしろ畏れられた存在だったのでしょう。






日の光を浴びて肉体が活性化するとともに、頭がボーッとした感じになる。日向ぼっこには「神に近づく」あるいは「神の力を身に着ける」という意味があったのかもしれません。


もっとも、イマドキの陽射しは大変危険なものがありますので、あんまり陽射しを浴びすぎますと、「神に近づく」どころの話ではなくなりますので(笑)いや、マジな話、危険ですので、ご用心くださいますよう。



それにしても、西日本の方言が東北にも根付いているなんて、面白いですねえ。東北には元々京都のお公家さん辺りが使っていた言葉が、そのまま方言化して残っていますし、武家言葉なども庶民に流れて行って方言として土着した言葉など、結構そういうものがあるんです。


古くから東北には、西日本から移住してきて、文化を伝えた方々がたくさんいたということです。東北と西日本の間には、文化的相違点はあっても、文化的「断絶」はほとんどなかったといっていい。


「一にして多、多にして一」それが日本。










目も大切に。