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YOSHKIの書く曲はいつも泣いている。という意味のことを以前書きました。
彼らのデビュー曲『紅 -KURENAI-』を初めて聴いたときの衝撃はいまでも忘れられません。曲の異常な速さ、激しさ、流麗なメロディ。しかし私が一番惹かれたのは、それらの根底に流れている、激しい悲しみでした。
まるで号泣しているとしか思えないほどの激しい悲しみ。強烈な痛み。
私はこの曲一発で、彼らのファンになっていた。
幼い頃に遭遇した父の自殺。生きるとは何か、自分とは何なのか。得られぬ答えを求めてさすらう日々。
なにもかもを壊してしまいたい破壊願望、この世から消えてしまいたい破滅願望。
そんな彼の支えになったのは、おそらく音楽だったのだろう。
幼ない頃からの盟友Toshiの変容によるX解散、さらにはその5か月後、もっとも信頼を寄せていたバンドメンバー、HIDEが亡くなってしまう。
自分と関わったものが皆壊れていく、皆死んでいく。怖くて外出すら控える日々が続く。
もう音楽すら辞めてしまおうかと思っていた矢先に飛び込んできた依頼、それは、
天皇陛下在位10周年記念式典で演奏される奉祝曲作曲の依頼でした。
国のため陛下のため、失敗は絶対にできない。
己を奮い立たせ、作曲に打ち込む日々。
そうしてYOSHKIは確信するのです。己の生きる道は
音楽しかない、と。
ある意味、音楽の方がYOSHKIを手放してくれなかったのかもしれません。
「心の傷は消えない。でも寄り添うことはできる。自分をさらけ出すことで、今にも死のうとしている命を救うことができるなら」YOSHKIはドキュメンタリー制作の理由をこのように語っておりました。
Xの曲は人の心を激しく揺さぶる。しかし一方で、人の心の傷に、優しく寄り添っている、とも云えるのでしょう。
なぜXが、YOSHKIが世界中で支持されるに至ったか。その理由の一端が
ここにあるのかもしれません。
X-Japan哀しいメロディだけどいい曲ですね!心の奥に届くような!
X- Japanを応援します!!(=´∀`)