
アニメ『サスケ』を知っている人は、やはり50代以上でしょうか。
サスケなんて言うと、最近はナルトの登場人物のサスケを連想する方が多いかもしれませんが、そっちじゃありませんからね。
忍者漫画の泰斗、白戸三平原作、猿飛の術を使う真田忍者の生き残り、大猿大助の一子サスケを主人公にした忍者アニメです。
白戸三平の忍者漫画には、忍術に関する「科学的」解説というものがついていて、子供なりに少々賢くなったような気にさせたものですが、いまから思うにこの「科学的」解説という奴、どうにも机上の空論的なものが多く、実際にはそううまくいかないだろう、というものばかりだったような気がしますね。まっ、それもまた一興ということで。
ところで、この『サスケ』で私がもっとも印象に残っているのが、オープニング・ナレーションです。
【光あるところに影がある
まこと栄光の影に数知れぬ忍者の姿があった
命をかけて歴史をつくった影の男たち
だが人よ 名を問うなかれ
闇に生まれ闇に消える
それが忍者のさだめなのだ】
「サスケ!お前を斬る!」
栄光の名を恣にしている歴史樹の英雄の裏側には、人知れず働き、戦い、命を散らしていった名もなき多くの人達がいる。
光当たる者たちには、必ず影ができるもの。むしろその影こそが肝要。影の働きあってこそ、光は輝く。
人の普段の生活は、誰とも知らぬ多くの人々の働きによって成り立っています。これを
「御蔭様」と云います。
陰陽は「陰」が先に来るんですね。「陰」がまずあって、そこから「陽」が生まれるらしい。
「影踏み」とか「影鬼」とかいう遊びがあったそうですね。影を踏まれた者は「鬼」になって、別の人の影を踏むため、人を追いかける。また、影を踏まれた者は命が縮むとか、2年以内に死ぬなんて俗説もあったようで、影は命とも関係があるらしい。
自分の影がなくなっているのを気付いた人は間もなく死ぬ。なんて都市伝説もあるようだし、吸血鬼の姿が鏡に映らないのは死んでいるからですが、鏡に映った姿を俗に「影」ともいいますよね?つまり吸血鬼は死んでいるから影がない。だから鏡に映らないんです。
どうやら「影」「陰」「蔭」というものは、「命」とか「生きる」とかいったことに、とても重要な意味を持つ、大切なもののようです。
この世の営みは名も知れず陰で働いている多くの人々の「御蔭」で動いており、その「御蔭」で我々は生かされている。
ホント、「御蔭様」なんですねえ。
まさしく
【なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる】
という西行の歌は、そのまま「御蔭様」にも当てはまる。
深いねえ~(笑)
「光あるところに影がある」光があたるところばかり見ていないで、その光から伸びた影をこそ大切に。光があるから影があるのではない、本当は
影があるから、光がある。
「御蔭様」に感謝しましょう。
ちなみにサスケの父、大猿大助の声を演じた外山高士さんは、時代劇の悪役俳優として活躍された名バイプレーヤーです。「時代劇専門チャンネル」などを見ておりますと、毎日のようにどこかの時代劇に出演しておられて、見ない日はないというくらいに大活躍しておられた。
実写だけではなく、アニメの時代劇でも活躍しておられた。いやあ
素晴らしいですねえ~。

外山高士
光があってその影、かと思っていましたが、まず影・陰が先にあるのですね‼︎
お陰様にて、今日もこうして生かされております。有り難いことです。m(_ _)m
外山高士さん、時代劇観て探してみよっと!
外山さん、色々な時代劇に出てますから、見つけやすいと思いますよ。