私がももクロのファンになるきっかけを作ったのは、小島和宏氏の著書『3・11とアイドル』(コア新書刊)でした。
被災地、宮城県女川町の人々とももクロとの交流の在り方に強く惹かれ、そこから色々と調べ始め、いつの間にか気が付いたらモノノフになっておりました(笑)。
まあですから、私をモノノフに引き込んだ犯人(?)が小島氏だというわけです(笑)。
その小島氏の最新著書『ももクロ見聞録』は、2013年の「夏のバカ騒ぎ 日産スタジアム大会」から2015年の舞台版「幕が上がる」までの間の取材を通して見聞きした、ももクロちゃん達の姿を描いたものです。
小島氏は現在、ももクロ以外の仕事は極力セーブして、ほぼ“ももクロ番記者”と化している方です。それほどに、ももクロに対する思い入れが強く、その著書の内容はとにかく「熱い」。
その熱さ、情熱には、読んでいるこちらも感化されるほどで、何度も読書の手を止め、湧き出る涙を拭わねばなりませんでした。
ももクロちゃん達が様々な壁にぶつかり、乗り越え、進み続ける姿に、小島氏はある種の「崇高さ」を感じているかのようです。
私は以前、ももクロちゃん達のライヴに「畏怖」を感じる、と書きました。
国立競技場ライヴ以降の彼女達のライヴ映像を観て感じた畏怖と、小島氏の著書に描かれた崇高さと。
これらのことから、一つ分かったことがあります。
ああ、これは「神事」なのだな、と。
べつにももクロちゃん達が特別神懸かっているとか、そんなことを言いたいのではありません。
ももクロちゃん達は、目の前の事を一つ一つ着実にこなしながらも、常に高いところに目標を置いて、そこへ向かって走り続ける。
先へ先へと、走り続ける。
走り続ける、その遥かな先にあるものは、決してたどりつけないゴール。
百田夏菜子は、「笑顔を届けることにゴールはない」と、いみじくも語っておりましたが、まさしく彼女たちの究極の目標は、このゴールのないゴールなのです。
永久に辿り着けないゴールへ向かって進み続ける、その姿の美しさ、
崇高さ。
崇高であるが故に感じる、畏怖。
ああこれだ、これこそが「神事」なのだ。
神事とは、必ずしも特別な儀式や祝詞を必要とするものではない。
人が高い高い目標へと向かって、永久にたどり着くことのないゴールへ向かって、ひたすらに進み続ける姿、これこそが、
「生きた」神事なのだ。
その時その時の出来る最善を尽くして努力し、前へと向かって進み続けるその姿勢、それこそが
それこそが神事
なのではないでしょうか。
ももクロちゃん達は常に、その時出来る最善を尽くして努力し、仕事をし続けます。そしてそこには、100%の満足はない。常に反省点がある。
だからこの次はもっと頑張ろうと思う。そうしてもっと努力する。
その積み重ねが、彼女達をより高みへと押し上げて行く。
その姿の、なんと素晴らしいことか、なんと美しいことか
なんと崇高なことか。
私はここに、真の生きた「神事」を観るのです。
真の神事とは、人の生き方そのものにあるのだな。ということを
気付かせていただきました。
ももいろクローバーZ 「GOUNN」
ももクリ2013のサプライズ発表の後、高城れにが号泣し続けた真の理由とは!?
舞台版『幕が上がる』において、有安杏果が泣く演技をすべきシーンで、突如泣けなくなった理由は!?
号泣必至。読み物としてもよく出来た本です。モノノフならずとも、お薦めの逸品。
人が必死に努力し、成長し続ける姿の美しさ、崇高さに是非、
畏怖を感じていただきたい。
人は誰でも、その生き方次第で、神事を行うことが出来る。
やっぱりももクロ、
好きだな。