風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

【異界】について

2015-08-04 19:25:07 | 歴史・民俗





【異界】という言葉は文化人類学の世界で近年になってから使われるようになったようで、以前は【他界】と言っていたようです。

しかし【他界】というと、「あの世」「死後の世界」といったようなイメージで捉えられやすい。

そういう意味ではなく、人ならぬ者、人とは異なった者達の世界という意味で、【異界】と言われるようになったようです。


人間の住む【現界】と人ならぬものが棲む【異界】と。そしてその両方の世界を繋ぐ【境界】があって、両世界を行き来するものがいる。

【境界】はあちこちにその口を開いており、橋や坂道、交差点などは異界との境界であるという観念が伝えられていました。

また、その特殊能力を駆使し、自ら【境界】に立って、両世界に働きかける者達もいました。

安倍晴明を代表とする陰陽師などは、その最たる者達でしょう。

そういえば、安部姓の由来はアイヌの火の神「アペフチ」にあるとしたのは梅原猛先生でした。

アペフチは人間界と神界との橋渡しの役割をする神だそうで、人間界からの要請等を、神の世界に伝えるのだとか。

なにやら、陰陽師の仕事とも重なる感じがしますね。




ところで、一口に異界と言いますが、この異界に棲む者達とは、つまりは「何」なのでしょう?

神なのか?それとも、

妖怪、物の怪、魑魅魍魎の類か?



おそらくは

その、どちらともつかなかった

のではないでしょうか。





異界研究の第一人者、小松和彦氏の著書にあったもので、昔の人々は「制御できる」存在を神とし、「制御できない」存在を妖怪とした、という意味のことが書いてありました。

成る程、と思いましたね。

この場合の「神」とは、記紀神話の神々ではなく、地方で祀られていた得体の知れない土着神の一部を指してのことです。



怪異変事の大元の存在を祀り上げ、制御し、人間の願いをよく聞き、御利益を与えてくれる存在を「神」とし、制御できずに変わらず変事凶事を引き起こす存在を妖怪とした

そういうことだと思う。


例えば狐などは、稲荷神として祀られ、信者にはよき御利益を与えてくれる。ただ願いを叶えた代わりに、「なにか」を奪って行くそうですね。それに、一度祀ったら、常に祀り続けないと祟るとか。

一方では狐狸妖怪の類などとも云われ、人を化かすバケモノとして恐れられていました。



このように、神のようでもあり、妖怪のようにも思われる。そんな両義性を持った者達が棲む世界を、【異界】というのでしょう。



人の住む【現界】と【異界】とを繋ぐ【境界】は、人間の生活圏のすぐそばにあったと考えられていたわけですね。

しかし清浄なる【神界】とは遠く隔たりがあった、ということなのでしょうかね。



全き清浄なる【神界】の神々、例えばアマテラスオホミカミと、【異界】のいわゆる「神」とはまったくレベルが違うと考えられますが、その違いは、一般の貧しい庶民層には、よくわからなかったのではないでしょうか。

神といえば、御利益を与えてくれる存在、それしか頭になかった。



その観念はやがて、日本神道界全体を浸食していった…。

神とは願いを叶えてくれる、御利益を与えてくれる、パワーを分けてくれる

そういう存在だ、という観念が、強く定着してしまった。


成る程ねえ…。



大自然そのものへの信仰は、己の身の回りに起こるすべてのことに「神意」があるという感性を磨きます。

目に見えない存在、不可思議な現象を引き起こす存在はすべて、「神」だった。

しかし文明の発展とともに、人は自分にとって都合の良い「御利益」を下さる存在と、自分にとっての「災難」を引き起こす存在とに分けるようになります。

御利益は神、災難は妖怪、と。

でも本当はどちらも、【異界】の存在であるに過ぎない。

御利益も災難も、実は大差ない。

そんなものに一喜一憂するのは

馬鹿げてる




かもね。


ふむ、成る程。







                       
                         映画『バケモノの子』より、熊徹。


渋谷のとある狭い路地を通り抜けた先に広がる、バケモノの街、「渋天街」。

この路地が、【現界】と【異界】を繋ぐ【境界】ですね。



【異界】といい、【バケモノ】といっても、ここに出てくる「バケモノ」たちは、いたって真っ当な暮らしをしています。

主役格の熊徹にしても、乱暴者ではありますが、決して悪辣非道な振舞はしません。

バケモノという言葉のイメージから想起されるものとは、大分違う。

正確には、「精霊」と呼ぶべき存在でしょう。なにせ修行次第で「神」にもなれるのだから。



この精霊たるバケモノの世界の「気」に触れると


人間の心の中にある「闇」が、

大きくなって暴走する危険があるのだとか。



心の闇(自我の闇)が巨大化し、破壊と暴走と繰り返す姿は、まさに

「バケモノ」です。

成る程、『バケモノの子』というタイトルは、「そういう」意味も含んでいたんですねえ。




人間からバケモノ呼ばわりされる精霊たちと、人間そのものと、

一体どっちが

本当の



「バケモノ」



足り得るのでしょうねえ…。