折りたたみ自転車で日本一周 etc

Bromptonで休日を繋いで、日本一周を目指しています。 その他、趣味の魚釣りなどを綴っています。

日本一周44日目 2014年5月5日 長崎県 時津 ~長崎県 佐世保

2014年05月10日 | 日本一周


ホテルの窓を開けると、空がどんよりと曇っていました。

天気予報では、昼から晴れるそうです。
東京では、震度5弱の地震があったそうですね。

朝食を摂って出発の準備をすませ、ホテルから外に出ると、本の少し雨が降っていました。
念のためにCバッグにレインカバーを被せ、国道207号線を走り始めました。
 
国道207号線は、すぐに1車線の車の通りの少ない道になりました。
アップダウンもきつくなく、走りやすい道です。
国道207号線を抜けて国道35号線に入ると、前回に島原半島を回るとき降りた、夜行バスの諫早ICバス停が見えました。

大村市に入ったところで、「いなほ焼き」というのを見つけました。
女子学生がおいしそうに食べていたので試しに買ってみました。

齧ってびっくり、てっきり餡子の入った回転焼きのようなものと想像していたのですが、ソース味のする具が入っています。
回転焼きの形をしたたこ焼きのような感じです。
期待を裏切られましたが、とっても美味しかったです。


長崎空港の渡る橋のたもとには、天正遣欧少年使節団の像がありました。
中浦ジュリアンたちは、ここからヨーロッパに渡ったそうです。
 

そろそろお昼というところで、国産コーヒー発祥の地がありました。
コーヒーピラフがおすすめだそうです。
コーヒーで味付けしたピラフの上にコーヒーのソースがかかったチキンが乗っています。
チキンはスプーンで切れるぐらいやわらかくて、ほのかにコーヒーの苦みがして、美味しゅうございました。

隣接したコーヒー園物産館の温室には、赤いコーヒーの実がなっていました。
僕も昔、自分でコーヒーの木を育てて、自家製コーヒーを飲もうと苗木を買ったことがあるのですが、あっという間に枯らしてしまった覚えがあります。


道の駅「彼杵の壮」の近くには、「日本二十六聖人乗船場跡」の碑がありました。
長崎には、キリスト教にまつわるものがいっぱいあります。

川棚町に入ったところで、「特攻殉国の碑」がありました。

第二次世界大戦の末期、ベニヤ板で作った船に爆弾を積んで、敵船に突っ込んでいったそうです。


特攻殉国の碑」の少し先に、「無窮洞」というところがありました。

ボランティアのおじさんが中を案内してくれました。
「無窮洞」は
戦争中に、小学校5・6年生の子供たちが掘った防空壕です。
中に入らせてもらうと、思ったより大きな空間がありました。
いくつもの部屋に分かれていて、とても子供の手で掘られたものとは思えないです。
戦争中とはいえ、仲間と力を合わせてこれだけのものを作ったということは、貴重な経験だと思います。
今の子供も仲間と力を合わせる経験を積むことができたら、生きていくうえで貴重な糧になると思うのですが。


国道35号線を走っていると、大きくておしゃれな建物が見えてきました。
ハウステンボスです。
まだ子供が生まれる前なので、20年ぐらい前に嫁さんと遊びに来たことがあります。
夜通し車を走らせて、ハウステンボスの駐車場に着いたら、走行距離が777㎞でした。
この先で国道35号線はバイパスになっており、自転車が入れそうな感じがしません。
側道に入って行くと、あらぬ方向に道が伸びています。

いったんハウステンボス近くまで戻り、国道202号線を走ってみることにしました。
道路標示は佐世保が右と指しており、ナビは左を案内します。
悩んだ末にナビを信じて走り始めると、急な峠を越えて、国道35号線バイパスの側道に出ました。
バイパスは目の前の山を突き抜けていますが、そして側道は途切れています。
どうしたものかと悩んでいると、近くを女性が通りかかったので、佐世保駅までの道を教えてもらいました。
教えてもらったとおり急な坂道を上って目の前の山を越えると、ようやく佐世保駅に到着することができました。

佐世保ではバスの発車まで時間があったので、佐世保バーガーを食べました。
あいにくパンが売り切れていたので、食パンで挟んだものでしたが、やわらかくてジューシーなハンバーグが、とてもおいしかったです。

  

44日目   
走行距離 106.7km GPS計測)
   総走行距離 4,451.2km
宅急便 1,628 (長崎~大阪)
交通費 9,000
佐世保~大阪)
合計 10,628  

※経費には食事代やお土産代などは含んでいません。