折りたたみ自転車で日本一周 etc

Bromptonで休日を繋いで、日本一周を目指しています。 その他、趣味の魚釣りなどを綴っています。

魚釣り-「伝馬船でチヌ狙い」

2014年05月25日 | チヌ(黒鯛)


釣友のK君が、ここ何年かチヌを釣っていないので、連日チヌが上がっているという和歌山県の伝馬船にチヌを狙いに行きました。

伝馬船は3人乗りの小さな船を渡船でポイントまで引っ張って行ってもらって錨をおろし、魚釣りをするというものです。

僕たちは伝馬船が初めてだったので、近くの人に要領を教えてもらって、伝馬船に乗り込みました。
この日は天気も良く、波も穏やかだったので、絶好の状況です。

ポイントについてダンゴにエサをくるんで落とすと、イサキやカワハギが釣れました。
ボケを団子にくるんで落としたときは、ひったくる様なあたりがあって、38センチのグレも釣り上げました。
釣友のSさんやK君もお土産になる魚を何匹も釣っていましたが、なかなかチヌが釣れません。

深さが20メートル以上もあり、潮の流れが速くて、ダンゴが割れたのか割れていないのかわかりません。
ダンゴの握りが少ないと底に着く前にダンゴが割れてしまい、アイゴやイサキの餌食に。
固く握ると今度はダンゴがなかなか割れず、ダンゴごと潮に流されていきます。

毎日、仕事が忙しくて帰ってくるのが遅く、昨夜も一睡もすることができずに釣りに来たので、眠くなってきました。
ちょっと寝ようと船尾で横になった時に、釣友のSさんが大きく竿を曲げました。

ようやく海の底から上がってきたのは、50センチ以上のチヌです。
Sさんは初めて年なしを釣ったので、大喜びでした。

昼寝をやめて釣りを再開しょうかと迷ったのですが、疲れに勝てず、1時間ほど横になりました。

昼寝から起きて釣りを再開しましたが、そのあともイサキやアイゴは釣れますが、肝心のチヌは釣れずじまいで、結局釣れたチヌは釣友の年なし一匹でした。

ここ数年チヌを釣っていないK君は、残念ながら今回もチヌを釣ることはできませんでした。

それでもいっぱいお土産ができたので、楽しい釣りとなりました。
三人の釣果です。


日本一周44日目 2014年5月5日 長崎県 時津 ~長崎県 佐世保

2014年05月10日 | 日本一周


ホテルの窓を開けると、空がどんよりと曇っていました。

天気予報では、昼から晴れるそうです。
東京では、震度5弱の地震があったそうですね。

朝食を摂って出発の準備をすませ、ホテルから外に出ると、本の少し雨が降っていました。
念のためにCバッグにレインカバーを被せ、国道207号線を走り始めました。
 
国道207号線は、すぐに1車線の車の通りの少ない道になりました。
アップダウンもきつくなく、走りやすい道です。
国道207号線を抜けて国道35号線に入ると、前回に島原半島を回るとき降りた、夜行バスの諫早ICバス停が見えました。

大村市に入ったところで、「いなほ焼き」というのを見つけました。
女子学生がおいしそうに食べていたので試しに買ってみました。

齧ってびっくり、てっきり餡子の入った回転焼きのようなものと想像していたのですが、ソース味のする具が入っています。
回転焼きの形をしたたこ焼きのような感じです。
期待を裏切られましたが、とっても美味しかったです。


長崎空港の渡る橋のたもとには、天正遣欧少年使節団の像がありました。
中浦ジュリアンたちは、ここからヨーロッパに渡ったそうです。
 

そろそろお昼というところで、国産コーヒー発祥の地がありました。
コーヒーピラフがおすすめだそうです。
コーヒーで味付けしたピラフの上にコーヒーのソースがかかったチキンが乗っています。
チキンはスプーンで切れるぐらいやわらかくて、ほのかにコーヒーの苦みがして、美味しゅうございました。

隣接したコーヒー園物産館の温室には、赤いコーヒーの実がなっていました。
僕も昔、自分でコーヒーの木を育てて、自家製コーヒーを飲もうと苗木を買ったことがあるのですが、あっという間に枯らしてしまった覚えがあります。


道の駅「彼杵の壮」の近くには、「日本二十六聖人乗船場跡」の碑がありました。
長崎には、キリスト教にまつわるものがいっぱいあります。

川棚町に入ったところで、「特攻殉国の碑」がありました。

第二次世界大戦の末期、ベニヤ板で作った船に爆弾を積んで、敵船に突っ込んでいったそうです。


特攻殉国の碑」の少し先に、「無窮洞」というところがありました。

ボランティアのおじさんが中を案内してくれました。
「無窮洞」は
戦争中に、小学校5・6年生の子供たちが掘った防空壕です。
中に入らせてもらうと、思ったより大きな空間がありました。
いくつもの部屋に分かれていて、とても子供の手で掘られたものとは思えないです。
戦争中とはいえ、仲間と力を合わせてこれだけのものを作ったということは、貴重な経験だと思います。
今の子供も仲間と力を合わせる経験を積むことができたら、生きていくうえで貴重な糧になると思うのですが。


国道35号線を走っていると、大きくておしゃれな建物が見えてきました。
ハウステンボスです。
まだ子供が生まれる前なので、20年ぐらい前に嫁さんと遊びに来たことがあります。
夜通し車を走らせて、ハウステンボスの駐車場に着いたら、走行距離が777㎞でした。
この先で国道35号線はバイパスになっており、自転車が入れそうな感じがしません。
側道に入って行くと、あらぬ方向に道が伸びています。

いったんハウステンボス近くまで戻り、国道202号線を走ってみることにしました。
道路標示は佐世保が右と指しており、ナビは左を案内します。
悩んだ末にナビを信じて走り始めると、急な峠を越えて、国道35号線バイパスの側道に出ました。
バイパスは目の前の山を突き抜けていますが、そして側道は途切れています。
どうしたものかと悩んでいると、近くを女性が通りかかったので、佐世保駅までの道を教えてもらいました。
教えてもらったとおり急な坂道を上って目の前の山を越えると、ようやく佐世保駅に到着することができました。

佐世保ではバスの発車まで時間があったので、佐世保バーガーを食べました。
あいにくパンが売り切れていたので、食パンで挟んだものでしたが、やわらかくてジューシーなハンバーグが、とてもおいしかったです。

  

44日目   
走行距離 106.7km GPS計測)
   総走行距離 4,451.2km
宅急便 1,628 (長崎~大阪)
交通費 9,000
佐世保~大阪)
合計 10,628  

※経費には食事代やお土産代などは含んでいません。


日本一周43日目 2014年5月4日 長崎県 長崎市~長崎県 時津

2014年05月06日 | 日本一周


ついこの間、50歳の誕生日を迎えました。
生まれてから半世紀も経っているなんて、信じられない感じです。
ということで50歳になって、初めての日本一周の旅です。

夜行バスの到着時間から、宅配便のセンターの営業時間まで時間があるので、大橋でバスを降りて平和公園を見学しました。
平和記念像を見るのは、これで3回目でしょうか。大きくて威厳のある像です。


平和公園から少し歩いたところにある、大浦天主堂にも行ってみました。
朝早いのに、教会の中ではミサが開かれていました。


長崎原爆資料館は、開場時間になっていなかったのパスし、原爆落下中心地を見学して、

松山町駅から長崎電気軌道に乗って、西浜町でBROMPTONを受け取りました。


国道202号線は、大瀬戸までは1速でないと登れない峠が何度も現れます。
50㎞ほど走っただけで100㎞は走ったほど足が疲れました。
国道202号線がきついのか、50歳になって足腰が弱ったのか… 

西海市にはいって、中浦ジュリアン記念公園の看板を見つけました。
小さな資料館の上に、中浦ジュリアンの像が立っています。

天正遣欧少年使節の一員でローマ法王とあった人だそうで、資料館の中はステンドグラスの窓と中浦ジュリアンを紹介した壁画が描かれていました。


中浦ジュリアン記念公園から少し行ったところに七ツ釜鍾乳洞がありました。

狭いところや天井の低いところ、きつい傾斜の階段がいくつもある鍾乳洞で、BROMPTONのCバッグを担ぎ、いくつもの峠を越えてきた足で入るにはきついところでした。
でも、日本の鍾乳洞九選に選ばれているだけあって、見ごたえのある鍾乳洞でした。
 

西海市ではサイカイ丼というのを食べようと思っていたのですが、なかなか店を見つけることができず、七ツ釜鍾乳洞の横にある食堂でかつ丼を食べました。
食堂には懐かしい釣キチ三平の漫画が置いていました。
小学生のころに読んでいた漫画です。
40年近く昔の物語です・・・
歳を感じてしまいます。
 

お腹が膨れたところで、国道202号線を走り続けます。
斜度はましになったものの、アップダウンは続きます。
国道202号線と国道206号線の分岐点に差し掛かりました。

国道202号線は海を渡って佐世保に向かっています。
国道202号線を行けば、大村湾をショートカットできるのですが、ここはきっちり日本一周をしたいので、国道206号線にコースをとりました。
このあたりから車が渋滞しだし、渋滞する車を抜きつ抜かれつ、車の中から女の子に手を振られながら、時津に到着しました。

43日目

 
走行距離  123.3km GPS計測)
  総走行距離  4344.5km
宅急便 1,628 (大阪~長崎)
交通費 11,520 (大阪~西浜町)
宿泊費 6,510  
合計 19,658