あけぼの

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アルメニアで出会いジョージアで別れイランで再会、大歓待の日々

2016-09-02 18:19:09 | 旅行記、多文化教育、国際

  ドカン、ズドンに怖れつつ 出発前世界の諸々で爆破があり、人混みは避けるとか日本語を使わない等、心の準備をして出かけた。旅行者もイスラムの戒律に従わねばならないが男性には制約少なく女性にはドレスコードが細かい。筆者もベールを被り袖は手首一杯、ズボンは足首まで隠す服装へとテヘラン到着前に着替えた。アミールが空港に来ていて驚いた。

純情青年一族の歓迎攻めと涙の別れ イランの青年、アミールとは5年前コーカサス地方、アルメニアの長距離バス乗り場で会い、ジョージアへの国境越えバス車中で親しくなり、到着した首都、トビリシで一緒に安ホテルを探し、ネストという民宿で2泊しただけの関係だ。我々が先に宿を発つことになり、彼が不在だったので彼に簡単な弁当と手紙を残した。その後フェイスブックの友達にはなったが大したやり取りも無かった。今回「イランに行くよ!」と連絡したらなんと彼の住むハマダンからテヘランへ350km運転して迎えに出てくれ、往復700キロ、7時間以上運転してハマダンへ。「My home is your home! 泊ってくれればとても幸せ!」と言い張った。着いた日から3日間、若い友人たちと一緒に文化の首都、ハマダン市内や郊外へ案内をし、世界遺産のあるケルマンシャーへの200キロ往復運転もしてくれた。アミールの両親1族や夫人マシードの両親1族の歓迎饗宴、暑い国ゆえ夕食は夜10時頃から、就寝は午前1時2時という日々で、問題と言えば寝る時間が無かったことぐらい。特筆すべきはマシードの妹、マヌーシュの大学の1講座でスピーチを頼まれたこと。自己紹介と多文化共生について1時間弱、教官も学生も真剣に聞いていた。

 過去多くの訪問国で親切には色々会ったがこんな親切漬けは初めてだ。なぜ?と問うたら1枚の紙を見せてくれた。「アルメニアで貴女が残した置き手紙覚えていますか?」「いいえ」「これです。なくすといけないのでコピーも取って眺めてきました」。私の筆跡だった。「会えて嬉しかった!どうぞいつでも東京へ来て私宅に泊まってください」という簡単なもの。彼曰く、「ご夫婦の温かさを感じ、日本人を大好きになりました」と。アミール夫婦の両親、親族は裁判所の判事や銀行員等、皆知識人で英語を話す。3日目の深夜、抱え切れぬほどのお土産を頂き、イスファハンに向かう長距離バス停で見送られた。マシードやマヌーシュは涙を拭って別れを惜しんでくれ、後ろ髪で眠れぬ夜行バスだった。(彩の渦輪)

    写真1.2.アミールの両親一家と 3.アミール夫妻

。4.若い人たちにガイドされ 5.6. マシードの両親一家のご馳走 7.マシード、マヌーシュ姉妹のダンス