あけぼの

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シンシナティに20年住んで

2010-09-17 20:34:51 | アート・文化

3_003 バルコニーの近くに毎日やって来た鹿

 鹿をはじめとしてアライグマやポッサム、リスなどの小動物や各種の小鳥たちに囲まれた林の中の家に18年住み、その前のタウンハウスも入れて20年暮らした。冬から春にかけ裸の木々が萌黄色に変わり、緑の初夏には木々が生い茂って昼間も薄暗いほどだった。蛍が舞う。スカーレトやクリムズンに林が燃えたと思うと次々と木枯らしに葉っぱがもぎ取られカサカサ地面を走りやがて白い粉雪に見舞われる。外は寒々だが室内は暖炉も焚けるし空調で暖かい。時には雪見酒も楽しめる。バルコニーでもワインも楽しめる春夏秋冬。これ以上望むものはない異文化の暮らしだった。変化ある毎日は何ものにも替え難い刺激と感動の連続であった。多くの人との関わり繋がりで得られたものは数え切れない。年輩者として海外に住んだということの意義を十二分に体得し、貴重な歳月を過ごした。家では40人以上の大型パーティも毎年やって日本人の心意気を示した。旅もここを起点に中南米に17回、ヨーロッパに5回、USはハワイ、アラスカを含む44州にも及ぶ個人行動で脳の活性化に役立った。シンシナティに帰るときは空港からタクシーや自家用車で、たまにワイフの出迎えの車で我が家へ。オープナーで車庫を開け、やれやれ着いたとくつろげる家があったからだ。日本との往復は数えることが出来ないし、横浜に行くぐらいの距離感覚しかなかった。

 快適な暮らしもアメリカ20年を境に引き上げることにした。肉体的な老化が意識下にあった。時として腰痛や膝痛に悩まされ、掴んだ筈のものを落し、平衡感覚の減退、白内症など。直接の契機は鼻血が連続して4日間出たこと。救急病院、耳鼻科と行き鼻内血管を焼く手術で止まった。USで家屋を買うのは簡単だが売るのは難しい。丁度、リーマンショックの不景気にぶつかり約1年売れなかった。不動産エージェントを替え価額をドーンと下げたら1.5カ月で売れた。何事も決断と運とタイミングに支配される。もし売れなかったら更に値下げするよりもワイフが学び、教えたゼイヴィア大学に寄贈しようと思っていた。家財は全部癌の組織に寄贈し、中型トラックで10時から4時まで往復してくれた。マイカー2台は良い人に買ってもらった。

  思うに還暦から日本にいて何がやれたのだろうか。刺激や変化の少ない、平均的な老人の暮らしではなかったか。おカネは残ったであろうがまとめて使うことも出来ず平凡な日常ではなかったか。預金が45000万円増えたとて心情的収穫は今ほど無かっただろう。子孫に残すのはスポイルするだけ。夫婦で20年、異文化で暮らした意義の深さを改めて思った。人生は決断の総和だと思う。(自悠人)