私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 



Wolfgang Amadeus Mozart: Complete Clavier Works Vol. 1
Musikproduktion Dabringhaus und Grimm MDG 341 1301-2
演奏:Siegbert Rampe (Harpsichord, Clavichord, Fortepiano)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは1756年に生まれ1791年に死亡した18世紀後半の音楽家であることを忘れてはならない。この時代のヨーロッパでは、鍵盤楽器としてクラヴィコードとチェンバロが主流を占め、徐々にフォルテピアノが普及し始めた時代であった。1793年に死亡したフランスの鍵盤楽器製作者、パスカル・タスカンの遺産目録には、同数の製作途中のチェンバロとフォルテピアノが挙げられていることからも分かる通り、実際には19世紀に入っても、クラヴィコードやチェンバロは演奏され続けていた。ハイドンもモーツァルトもクラヴィコードを所有していたことが分かっている。ヴィーンに於いては、1780年にいわゆるヴィーン機構のフォルテピアノが製作を開始している一方で、1804年までチェンバロが製作されていた。
 今日こういう状況は忘れられ勝ちで、モーツァルトの鍵盤楽器のための作品は、全てピアノのための作品であると考えている人が多い。モーツァルトの場合、1785年に出版されたソナタハ短調(KV 457)とファンタージアハ短調(KV 475)の表題には、「フォルテピアノのため(Pour le Forte-Piano)」と記されており、これがモーツァルトの作品で始めて、フォルテピアノのみのためと記された出版譜であった*。それ以前の出版譜、例えば1784年に出版されたピアノソナタ(KV 300 - 332)の表題には、「チェンバロまたはフォルテピアノのため(pour le clavesin ou pianoforte)」と記されている**。モーツァルトが初めてフォルテピアノを所有するのは1782年、26歳の時であった。それ以前には家庭ではクラヴィコードもしくはチェンバロを演奏していたと思われる。
 ドイツのレーベル、ムジークプロドゥクツィオーン・ダブリングハウス・ウント・グリム(Musikproduktion Dabringhaus und Grimm=MDG)では、ジークベルト・ラムペの演奏によるモーツァルトの鍵盤楽器のための作品のCDシリーズを刊行している。現在のところ第8巻まで発売されており、まだ継続中と思われる。今回紹介するのはその内の第1巻である。
この第1巻には、1774年作曲のソナタ第5番ト長調(KV 283 [189h])***、1785年に出版されたファンタージアハ短調(KV 475)とソナタ第14番ハ短調(KV 457)、のほか、モーツァルトの姉、マリア・アンナ・(ナンネル)・モーツァルトのための音楽帳からメヌエットヘ長調(KV 2)、いわゆる「ロンドン・スケッチブック」から3曲(KV 15ii、KV. Anh. 109b 8、 KV. Anh. 109b 9)、1779年作曲の8つのメヌエット(KV 315a [315g])そして1788年に作曲された鍵盤楽器とヴァイオリンのためのソナチネホ長調の第3楽章を鍵盤楽器のために編曲した主題と5つの変奏曲(KV 54 [547a, 3])の9曲が収められている。
 これらの作品の内、家庭内での演奏や習作と考えられる、メヌエットなど6曲はクラヴィコードで、ソナタ第5番ト長調はチェンバロで、ファンタージアハ短調とソナタ第14番ハ短調はフォルテピアノで演奏されている。クラヴィコードは、1765年にチューリンゲン地方のゲーラの製作者クリスティアン・エルンスト・フリーデリチ(Christian Ernst Friederici, 1683 - 1753)作の、各鍵盤に8フィート弦2本を備えた楽器をオルデンブルクのディートリヒ・ハインが2002年に複製したもので、ピッチはa’ = 420 Hz。調律はキルンベルガー1779年と記されているが、これがいわゆるキルンベルガーIIIと同一であるかどうかは分からない。チェンバロは、ザクセン地方フライベルクのゴットフリート・ジルバーマン(Gottfried Silbermann, 1683 - 1753)の1749年作の楽器と、ストラースブールのヨハン・ハインリヒ・ジルバーマン(Johann Heinrich Silbermann, 1727 - 1799)の1776年作のチェンバロをもとに、1989年にハイデルベルク近郊ヒルシュホルンの製作者ニコラウス・ダムが製作した、一方が8フィートと4フィート、他方が8フィート弦2組の2段鍵盤の楽器、ピッチはa’ = 420 Hz、調律はゲオルク・マルクス・シュタイン1755年と記されている。
 フォルテピアノは、アウクスブルクのヨハン・アンドレアス・シュタイン(Johann Andreas Stein, 1728 - 1792)が1788年に製作した2組の8フィート弦を持つ楽器を、上述のチェンバロと同じダムが1990年に製作したもの、ピッチはa’ = 432 Hz、調律はゲオルク・マルクス・シュタイン1755年と記されている。このゲオルク・マルクス・シュタインは、おそらくモーツァルト家と親交のあったヨハン・アンドレアス・シュタインの子孫の一人と思われるが、その調律の詳細も含め、不明である。
 ジークベルト・ラムペ(Siegbert Rampe)は、1964年フォルツハイム生まれのオリジナル鍵盤楽器の奏者であると同時に、音楽学者でもある。演奏家としては、 中世からセザール・フランクやブラームスに至る広範囲の作曲家の作品の演奏に及んでおり、特にバッハ、モーツァルト、ベートーフェンの作品の演奏で高い評価を受け、録音も50枚近いCDが発売されている。その一方で、音楽学者として、以前に「バッハのフルートのための作品」の稿で触れた、ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツが設計したEsキー付きのフラウト・トラヴェルソとバッハのフルート・ソナタとの関係に関する、バッハ年刊1997年号掲載のドミニク・ザックマンとの共著****や、同じくザックマンとの共著「バッハのオーケストラ作品」など多数の論文、著書があり、さらにバッハ、エブナー、フローベルガーその他の作品全集の編纂も行っている。
 クラヴィコードは、幅は狭いが打弦によって音の強弱が付けられる。さらに鍵を押さえた指を揺らすことにより、ビブラートをかけることも可能である。このCDで使用されているクラヴィコードは、各鍵盤に2本の弦を持っていることもあってバロック音楽で使用されているものより音量があり、豊かな響きがする。ラムペの演奏は、時には打弦音がはっきり聞こえるほど強く弾いている。チェンバロもバロック時代のものとは調律の違いや和声重視の曲のためかも知れないが、 かなり響きが違って聞こえる。
 モーツァルトの鍵盤楽器のための作品が、決してピアノのためだけの作品でないことを、実際に音で聞く事が出来るこのCDのシリーズは、オリジナル楽器による演奏によって始めて実現出来るものであり、その存在は大きい。

発売元:Musikproduktion Dabrinhaus und Grimm
 
* CDに添付されている冊子のジークベルト・ラムペの解説による。
** 出版譜の表題は、新モーツァルト全集の校訂報告書(NMA/IX/1-2: Klaviersonaten 1-2 Kritischer Bericht, Plat/Rehm, 1998)による。
*** 「 モーツァルトの協奏交響曲変ホ長調をオリジナル編成で聴く」の項の注で触れたように、ルートヴィヒ・ケッヒェル(Ludwig von Köchel)によって1862年に刊行されたモーツァルトの作品目録は、作曲年代順に番号が付されており、そのため改訂版が刊行されるに伴って、作曲年の変更、作品の追加により番号が変更される作品があり、作品番号の表示が複雑となっている。作品番号として最初に記されている番号は当初のもの、[ ]内に記されている番号は、1964年に刊行された第6版の番号である。
**** Dominik Sackmann und Siegbert Rampe "Bach, Berlin, Quantz und die Flötensonate Es-Dur BWV 1031", Bach-Jahrbuch 1997, p. 51 – 85

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ラムペのファンです♪ (REIKO)
2008-12-22 13:20:30
こんにちは。

ずっと以前からラムペのファンで、このモーツァルトシリーズもずっと買い続けています。
演奏も抜群ですが、いつも良い楽器を使って録音してくれるのが、有難いです。

つい先日、ラムペのオルガンのCD(ブクステフーデとバッハの作品)を買ったのですが、珍しく最近作った新しいオルガンで、しかもアメリカにあるものを使っていました。
「え!?大丈夫?」と思ったのですが、解説で本人が書いていたように、大変良い音のオルガンでした。

さすがラムペ君は違う!と思ったことでした。
 
 
 
ラムペのCD (ogawa_j)
2008-12-22 17:59:11
REIKOさん、コメントありがとうございました。
ラムペは、ブログに書きました通り、バッハに関する論文や本で触れる機会が多いのですが、スウェーリンクの「オルガンと鍵盤楽器作品集」(同じくMDG)なども持っていて、よく聴いています。
このモーツァルトの鍵盤楽器のための作品集は、好企画ですね。他の巻もおいおい聴いて行こうと考えています。
 
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