私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Mozart Symphonies No. 32, No. 35 “Haffner”, No. 36 “Linzer”
Philips 422 419-2
演奏:English Baroque Soloists, John Eliot Gardiner (Direction)

モーツァルトは、1883年秋に結婚したばかりのコンスタンツェを伴ってザルツブルクを訪れ、父親やナンネル、友人達に紹介しようとした。しかしコンスタンツェは冷淡な扱いを受け、両人は悲しい気持でザルツブルクを離れた。その帰途二人はリンツを訪れ、古くからのモーツアルトの支持者、トゥーン伯爵ヨハン・ヨーゼフ・アントンに温かく迎えられた。その滞在中に、伯爵はモーツアルトにコンサートを開くことを提案、その際手持ちの曲がなかったモーツアルトは。短期間の内に交響曲を作曲し、11月4日にリンツの屋内球技場で初演された。その交響曲が第36番ハ長調「リンツ」(KV 425)である。この交響曲は、短時日の内に作曲されたにもかかわらず、4楽章からなる本格的な交響曲で、第1楽章の冒頭に緩やかな導入部を持った最初のモーツアルトの交響曲である。編成はオーボエ、ファゴット、ホルン、トランペット各2にティンパニ、それに弦楽5部で、序奏を伴うソナタ形式の第1楽章、アンダンテの第2楽章、トリオを伴うメヌエットの第3楽章、プレストの第4楽章からなる。第2楽章と第4楽章は、いずれもAABBで提示部と展開部、再現、終結部が繰り返される。
 モーツァルトは、父親からインバッハウゼンの貴族の称号を授与されたジークムント・ハフナーII世にセレナーデを作曲するようある人物から(おそらく父親のザルツブルク市長ジークムント・ハフナーI世)注文を受けた旨伝えられた。モーツァルトはすでに6年前に市長の娘の結婚祝いにセレナーデ、いわゆる「ハフナー・セレナーデ」ニ長調(KV 250/KV6 248b)を作曲していた。レオポルトはモーツァルトに、曲を自分に送るように求めた。しかしこの頃のモーツァルトは、「セレナーデ」ハ短調(KV 388)を作曲中で、さらにオペラ「後宮からの逃走」(KV 384)を構想中であり、さらに1784年8月4日のコンスタンツェとの結婚を控えていたため、急いで作曲し、楽章毎に分けて父親に送った。1782年7月27日に第1楽章を送った際添付した手紙には、「私の心は乱れ、頭は混乱しています」と書いている。それから数ヶ月経って、1782年12月21日の手紙でモーツァルトは、すでに送った曲を返送するように頼んでいる。しかし、翌年の2月15日になってその曲の受け取りを確認し、その間すっかり失念していたと述べている。この1783年2月の手紙で、モーツァルトはこの曲を「交響曲」と呼んでいる。その当時は、セレナーデと交響曲の区別は、まだはっきりとしていなかったようである。この時点のこの曲は、まだ4楽章以上あったようで、1783年3月23日のヴィーンのブルク劇場での初演に当たって、第1楽章と第4楽章にフルートとクラリネット加え、行進曲とメヌエット1曲を取り除いている。アルフレート・アインシュタインは、この曲を依然としてセレナーデの性格を帯びており、「実際には第2のハフナー・セレナーデに他ならない」と述べている。編成はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット各2とティンパニ、それに弦楽5部である。上述の通りフルートとクラリネットは第1楽章と第2楽章にのみ登場する。4楽章からなり、ソナタ形式の第1楽章、アンダンテの第2楽章、トリオを伴うメヌエットの第3楽章、プレストの第4楽章と交響曲と何ら変わりない構成である。
 交響曲第32番ト長調(KV 318)は、モーツァルト自身による1779年4月29日という日付があり、パリからザルツブルクに戻った直後に作曲された。形式的にはABAのイタリア序曲であり、構造的には3楽章構成に分けることは可能だが、各部分は切れ目無く演奏され、第3部は第1部の繰り返しである。編成はフルート、オーボエ、ファゴット各2、ホルン4、トランペット2に弦楽5部からなっている。なお、自筆譜にはないが、後にティンパニが加えられたようである。この「拡大編成」は、1782年か1783年にヴィーンでの演奏の際に行われたようである。ただ、この曲は未完のジングシュピール「ザイーデ(Zaide)」(KV 344, 336b)の序曲として作曲されたのではないかとも考えられている。
 今回紹介するCDは、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮、イングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏によるフィリップス盤である。ジョン・エリオット・ガーディナーは、1943年生まれのイギリスの指揮者で、家族や教会の聖歌隊で歌うことにより音楽に親しみ、独習で歌唱やヴァイオリンを学び、15歳で指揮を学び始めた。ブライアンストン・スクールに学び、ケンブリッジ大学のキングス・カレッジで歴史、アラブ語、中世スペイン語を学び、このケンブリッジ時代にケンブリッジやオクスフォードの学生からなる合唱団を指揮して中東に演奏旅行に出かけ、これをきっかけに「モンテヴェルディ合唱団」を設立した。最初の演奏会は、1966年にロンドンのウィグモア・ホールで行われた。ガーディナーは歴史の学位を取った後さらにロンドンのキングス・カレッジでサーストン・ダート、パリでナディア・ブーランジエに音楽を学び、1968年にモンテヴェルディ・オーケストラを設立、1977年にオリジナル楽器編成のイングリッシュ・バロック・ソロイスツに改組した。この頃よりレパ-トリーも後期バロックのバッハやヘンデルなどに拡大し、さらに初期古典派の交響曲なども演奏する様になった。さらに1990年にはオルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク(革命とロマン主義のオーケストラ)を設立し、ベートーフェンからロマン派の作品にまでそのレパートリーを拡大した。その録音は、主としてドイツ・グラモフォンとフィリップスに行われ、さらに2005年には、2000年に行った「バッハ・カンタータ巡礼」の際に行った50曲を越えるバッハのカンタータの録音をCD化したソリ・デオ・グローリア(Soli Deo Gloria)レーベルを設立し、その後2007年にはオルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークによる録音など、そのレパートリーを拡大している。ガーディナーは、これら自ら設立した合唱団やオーケストラと共に活動する一方、カナダのCBCヴァンクーヴァー・オーケストラ(1980年から1983年)、フランスのリヨン国立オペラ(1983年から1988年)、ドイツの北ドイツ放送交響楽団(1991年から1995年)などモダン・オーケストラやオペラの音楽監督や指揮者を務めている。
 今回紹介するCDは、1988年にグリニッジで録音された。添付の小冊子は、非常に簡略な内容で、オーケストラのメンバーなどの情報は一切掲載されていないので、編成、演奏のピッチ等の情報は得られなかった。ガーディナーは曲の反復記号も忠実に再現しており、そのため交響曲第36番の演奏時間は40分を越えている。
 なおこのCDは、すでに廃盤になっているようで、デッカのサイトで見つけることは出来ない。また、ユニヴァーサル・ミュージック・ジャパンで、異なった組み合わせで発売されていたCDを見ることが出来るが、実際には廃盤になっていて、入手は難しそうだ。

発売元:Philips

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