私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Jean-Baptiste Lully: L’orchestre du Roi soleil, Symphonies, Ouvertures & Airs à jouer
AliaVox AV 9807
演奏:Manfred Kraemer (premier violon), Le Concert des Nations, Jordi Savall (direction)

ジャン=バティスト・リュリ(Jean-Baptiste Lully, 1632 - 1687)は、イタリア、フィレンツェの生まれで、イタリア名はジオヴァンニ・バッティスタ・ルッリ(Giovanni Battista Lulli)という。祖先は農民であったが、両親はフィレンツェで粉屋を営んでいた妻の父親の家に住んでいた。幼少時代については詳しいことは分かっていないが、フランシスコ会の修道士に基礎的な音楽教育を受けたと思われる。マルタからの旅の途中、1646年2月にフィレンツェに立ち寄ったロジェ・ドゥ・ロレーヌ、ギースのシュヴァリエは、アンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアン(Anne Marie Louise d'Orléans, 1627 - 1693)(フランスの王族、モンパンシエ公爵夫人、ラ・グラン・マドモワゼル(La Grande Madomiselle)の呼び名で知られる)のためにイタリア語を話せる少年を捜しており、コメディアンの素質を持ったリュリが気に入り、両親の同意を得てフランスに連れて行った。リュリはアンヌ・マリー・ルイズ・ドルレアンのテュイリュリーの宮殿で夫人の小姓として仕え、その間に宮廷の音楽家達からヴァイオリンやクラヴサン、作曲の教育を受け、夫人の枢密書記官であったジャン・レニュウ・デ・セグレ(Jean Regnault de Segrais, 1624 - 1701)の世話で、バレの教育を受けた。1652年にアンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアンがフォンド、パリ市民の暴動を受けてプロヴァンスに逃れた際に、リュリは夫人に願い出て役を辞し、パリに残った。1653年2月にリュリは後のルイXIV世の目にとまり、「夜のロイヤル・バレ(Le Ballet Royal de la Nuit)」で一緒に踊ることとなった。これによって若い王子の知己を得たリュリは同年3月には宮廷の器楽音楽の作曲家に任命され。1661年にルイXIV世が王位に就くと、リュリは宮廷音楽の監督、王家の音楽教師に任命された。1662年に作曲家のミシェル・ランベール(Michel Lambert, 1610 - 1696)の娘と結婚したリュリは、ジャン=バティスト・リュリと改名した。
 ルイXIV世の庇護の許に、リュリは宮廷の音楽に主導的な役割を果たし、当初は王の個人的な楽団である”Petits Violons”の指揮を任されたが、やがて「王の24人のヴァイオリニスト」で知られるオーケストラの指揮も任されるようになる。ルイXIV世は、フランス独自の音楽を強く求めており、リュリはその形成に決定的な役割を果たした。劇作家モリエール(Molière = Jean-Baptiste Poquelin, 1622 - 1673)との親交のもとに産み出された「コメディー・バレ(Comédie-ballet)」は、イタリアのオペラが悲劇をもとに発展して来たのに対し、バレに演劇的要素を加えた独特の様式であった。リュリは1672年に、それまでロベール・カンベール(Robert Cambert, c. 1628 - 1677)が保持していたオペラ上演の特権を獲得し、王立音楽アカデミー(Académie Royale de musique)は完全にリュリの支配下に置かれることとなった。そして1673年にはリュリの最初のフランス・スタイルのオペラ((tragédie en musique)が上演され、翌1674年には「アルチェスト(Alceste)」がヴェルサイユで上演された。その後リュリは毎年新しいオペラを作曲し上演していたが、1683年に王妃マリア・テレジアが死亡した後、ルイXIV世はマントノン公爵夫人と結婚し、その新しい王妃の影響で、1685年になると、国王はリュリの音楽への興味を失っていった。それでもリュリは新しいオペラを作曲したがヴェルサイユで上演されることはなかった。1687年1月8日に、リュリはモテットをペル・フリオン教会で演奏した際、指揮のために床に打ち付けていた棒で自分の足を撃ち、それがもとで壊疽にかかり、3月22日に死亡した。
 リュリは、いわゆる「王の24人のヴァイオリン(Les Vingt-quatre Violons du Roi)」と呼ばれる世界最初の組織化されたオーケストラの統率に於いて、単にフランスだけでなくヨーロッパの17世紀末の音楽世界に大きな影響を与えた。「王の24人のヴァイオリン」は1626年にルイXIII世によって創設された、5声からなるヴァイオリン属の楽器からなるアンサンブルで、その楽器構成と調弦は、6つの「ソプラノ・ヴァイオリン(dessus de violon)」g d’ a’ e”、4つの「アルト・ヴァイオリン(hautes-contre de violon)」c g d’ a’、4つの「テノール・ヴァイオリン(tailles de violon)」c g d’ a’、 4つの「バリトン・ヴァイオリン(quintes de violon)」c g d’ a’、 6つの「バス・ヴァイオリン(basses de violon)」C F c g である。この宮廷楽団の24人のヴァイオリン奏者をはじめ、12人のオーボエ奏者、リュートやギター、チェンバロなどの通奏低音、フラウト・トラヴェルソなど様々な楽器、そして単に大編成のオーケストラの響きばかりではなく、オーボエとファゴットから成るトリオなどをまじえ、時には実際に舞台上で演奏するなどの多様な様式は、計り知れない影響を与えた。
 今回紹介するCDは、リュリのコメディー・バレなどの作品の管弦楽曲を3つの組曲に構成して演奏した、ジョルディ・サヴァール指揮のル・コンセール・デ・ナシオンによるアリア・ヴォックス盤である。ル・コンセール・デ・ナシオンの編成は、ソプラノ・ヴァイオリン10、アルト・ヴァイオリン4、バス・ヴァイオリン3、ヴィオラ・ダ・ガムバ3、コントラバス2、トランペット3、フラウト・トラヴェルソ3、オーボエ7、ファゴット2、クラヴサン3、テオルベとギター2、打楽器2の44名からなっている。この他に、楽団のメンバーには含まれていない、ジョルディ・サヴァール(ヴィオール)、アンドリュウ・ローレンス=キング(ハープ)も一部の曲の演奏に加わっている。
 収録されている最初の組曲は、1670年10月14日にシャンボール城でルイXIV世の前で初演された、モリエールの台本による5幕のコメディー・バレ「ブルジョア紳士(Le Bourgeois gentilhomme)」にもとづくもので、8つの楽章からなっている。冒頭の「序曲」は、いわゆるフランス風序曲である。フランス風序曲は、リュリの創作ではなく、フランス人の作曲家達によって次第に形作られたもので、ゆっくりしたテンポの付点つきリズムによる序奏部と、速いテンポの主部、そして冒頭の序奏部が短く繰り返される形式である。この速いテンポの主部にフーガを導入したのは、リュリだと言われている。この組曲にはトランペットは登場せず、弦楽合奏を主体としている。第6曲目の「スペイン風の第2アリア:ジーグ」は、フラウト・トラヴェルソ、リュート、バス・ヴィオール、打楽器により奏される。2曲目の組曲は、1670年の「王宮のディヴェルティメント(Le Divertiseement Royal)」と題された作品があるが、それに加え1664年の「強制結婚(Le Mariage forcé)」と題するコメディーからのロンドーとアリアおよびブレー、さらに1669年の「シャンボールのディヴェルティメント」からのブレーも加えられ、合計11曲からなっている。5曲目の「強制結婚からのロンドー」は、ローレンス=キングとサヴァールによって演奏され、6曲目の同じく「強制結婚からの第2アリア」は、ローレンス=キングの独奏で演奏されている。この組曲にはトランペットも加わり、華やかな王宮の祝祭的雰囲気が表現されている。3曲目は、1674年のオペラ(tragédie en musique)「アルセスト(Alceste)」による組曲である。「アルセスト」は、フィリップ・キノー(Philippe Quinault, 1635 - 1688)の台本に基づく序幕と5幕からなるフランス語のオペラで、1674年1月19日にパレ・ロアイヤル劇場で上演された。この組曲にもトランペットと打楽器が加わり、劇的な表現が見られる。8曲目の「風(Les Vents)」では、ウィンドマシンの音に始まり、速い弦楽器の走句によって風が表現されている。これら3曲の組曲に加え、最後に1665年にモリエールの台本により作曲されたコメディー・バレ「恋の医者(L'Amour médecin)」からのシャコンヌが収録されている。トランペットや打楽器を除いたオーケストラによって演奏されている。
 この様に、リュリの作品によって、ルイXIV世治下のフランス宮廷に於ける華やかな音楽の一面を抽出して演奏したものを聴くと、当時のヨーロッパの音楽文化の中でも突出した豊かさを示していた宮廷音楽の様子をうかがうことが出来る。それは単に絢爛豪華なだけでなく、トリオなどの小編成による演奏もまじえて、多様な響きが展開していたことが分かる。
 この演奏の録音は、1999年2月にカタルーニアのカルドナ城で行われた。5声部22人の弦楽器奏者による響きをはじめ、リュリの作品がヴェルサイユ宮廷などで当時どのような響きであったかを知るためには非常によいCDといえる。しかし、もう少し演奏空間の広がりがあっても良いのではないかと言う気もする。なお、演奏に於けるピッチは、どこにも書かれていない。
 AliaVoxは、1998年にカタルーニアのソプラノ歌手、モンセラ・フィグラスとヴィオール奏者のジョルディ・サヴァールが、彼らの主唱するエスペリオンXXI、ラ・カペラ・レイアル・デ・カタルーニアおよびル・コンセール・デ・ナシオンの演奏によるCDを制作、販売するために創立されたレーベルで、その拠点はバルセロナにある。2011年の時点で80種のタイトルを有している。その最大の特徴は、主としてカタルーニアの伝統的音楽を紹介することにあり、それに加え、「バッハのヴィオラ・ダ・ガムバとチェンバロのためのソナタ」で紹介したサヴァールとトン・コープマンによる演奏などもレパートリーに含まれている。

 発売元:AliaVox

注)ジャン=バティスト・リュリおよびその作品については、ウィキペディアドイツ語版および英語版の各項目を参考にした。

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