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私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Johann Sebastian Bach: Choräle aus der Neumeister Sammlung
RICERCAR 246802 MU/750
演奏:Bernard Foccroulle (Orgel)

1790年代に、当時ドイツのヘッセンにあるフリートベルクという町の教会の副牧師兼第2オルガン奏者であったヨハン・ゴットフリート・ノイマイスター(Johann Gottfried Neumeister, 1756 - 1840)が筆写したオルガンのためのコラール集の手稿がある。この手稿は彼の生存中に、ダルムシュタットの宮廷オルガニスト、ヨハン・クリスティアン・ハインリヒ・リンク(Johann Christian Heinrich Rinck, 1770 - 1846)の手に渡り、リンクの死後、ヨーロッパに旅行で来ていたアメリカの音楽家で、賛美歌学者でもあったローウェル・メイスン(Lowell Mason, 1792 - 1872)が他の多くの楽譜とともに購入し、アメリカに持ち帰った。彼の膨大な蔵書は、1872年にイエール大学に寄贈され、その音楽図書館の所蔵となって今日に至っている。このローウェル・メイスンの収集した楽譜のいくつかは、新バッハ全集の原典として利用されたが、ノイマイスターの手稿は、特に注目されることはなかった。それが1982年から83年にかけて、「バッハ目録(Bach Compendium)」の原典調査の過程でその存在が分かり、詳細な研究が行われ、バッハ生誕300年に当たる1985年に広く紹介され*、同年にイエール大学の編纂で、初めての印刷譜が刊行された**。
 このノイマイスター手稿には、84曲のコラール作品が含まれており、そのうちヨハン・ゼバスティアン・バッハの作品が38曲、アイゼナハの聖ゲオルク教会のオルガニストであったヨハン・クリストフ・バッハ(Johann Christoph Bach, 1642 - 1703)の作品が2曲、ゲーレンのオルガニストで、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの最初の妻、マリア・バルバラの父、ヨハン・ミヒャエル・バッハ(Johann Michael Bach, 1648 - 1694)の作品が26曲のほか、ヨハン・パッヒェルベル(Johann Pachelbel, 1653 - 1706)、フリートリヒ・ヴィルヘルム・ツァハウ(Friedrich Wilhelm Zachow, 1663 - 1712)、ダニエル・エーリヒ(Daniel Erich, 1646 - 1712)、ゲオルク・アンドレアス・ゾルゲ(Georg Andreas Sorge, 1703 -1778)、それに作者不明の作品が4曲が含まれている。このうち、ノイマイスターの師であったゾルゲの作品4曲と、バッハの「オルゲルビュッヒライン」に含まれる2曲は、この手稿の最後にあるアルファベット順の索引には含まれておらず、あとから追加して記入されたものである。この2曲を除いた36曲のバッハの作品のうち5曲は、すでにバッハの作品として知られていた。これらの曲が、36曲のヨハン・ゼバスティアン・バッハと標記されている作品の中に散在していることにより、他の31曲もバッハの作品と見なして良いように思える。
 ところが、このノイマイスター手稿の信頼性については、強い異論がある。音楽作品が伝えられている原典の信頼性は、(1) 作者自筆の譜に作者名が明記されているもの、作者本人の編纂あるいは刊行に関与した出版譜、(2) 作者の近親者や弟子など、親密な関係にあるものの写譜で、作者名が明記されているもの、(3) オリジナルあるいは作者生存中に作成された手稿だが、作者名が明瞭に記されていないもの、作者の死後に作成された写譜で作者名が明記されているが、その元になった原典が明らかでないもの、その他、の順で低くなる。この基準で見れば、ノイマイスター手稿は第3の分類に含まれ、バッハの作品かどうか疑わしい、と言う見方が出来るのである。ノイマイスターは、1756年生まれで、当然バッハとの接点はない。また、彼の師であったゾルゲも、バッハと交友関係は無かった。したがって、バッハとノイマイスターを繋ぐ人的な関係はなかったと思われる。
 また、この手稿に含まれる一曲、「キリスト、汝は日であり光である(Christe der du bist Tag und Licht)」あるいは「主イエス・キリスト、我ら汝に感謝する(Wir danken dir Herr Jesu Christ)」(BWV 1096)は56小節あるが、その前半25小節までが、すでにヨハン・パッヒェルベルの作として知られている曲と全く同じであるため、この作品を、後半部も含めて、パッヒェルベルの作とし、これをノイマイスター手稿の信頼性を疑う決定的な理由としてあげる研究者もいる。
 確かにノイマイスターが写譜の手本をどの様にして見ることが出来たのか、全く手掛かりがない。師であったゾルゲは1778年、この写譜作成より十数年前に死亡しており、ゾルゲの所有していた手稿が手本であった可能性はほとんど無い。この手本の出所が不明なことも、ノイマイスター手稿の信頼性を疑わせる理由となっている。
 しかし、手稿の手本となった原典の出所が不明だから、バッハの真作とするべきではないと、機械的に片付けてしまって良いのだろうか?1曲か2曲のバッハの名前を記された曲が、他の作品に混ざっている手稿や、1曲だけの写譜とは違い、これだけ多くの曲がまとまって、また他のバッハ一族の音楽家二人の作品とともに収められている点を考えると、なぜこれだけの作品が、明瞭に作者の名前を記して集められているのか、と言う点にも注目する必要がある様に思われる。ノイマイスターが作者であると主張する学者もいたが、これは否定されている。一方、1710年頃には使われなくなった記譜法が見られることや、古いオルガン・タブラトゥアという文字譜を五線譜に変換したときに生じたと思われる誤りが見られること、バッハとゾルゲを除く作曲者が、17世紀中頃から18世紀初頭にかけて活動していたことを併せて考えると、ノイマイスターの手本あるいは作曲者のオリジナルの手稿が、1710年頃より以前に作成されたものであると考えることが出来る。バッハ一族の3人の作品が8割近くを占めるこの写本の元は、おそらくチューリンゲン地方のバッハ一族が活動していた地域で、18世紀の初めに作成された可能性が高い。
 キリスト教の教会には、教会歴というものがあって、一年間の日曜・祝日のそれぞれに、決まった主題、朗読される旧・新約聖書の箇所、歌われるコラール(賛美歌)が決まっていた。礼拝で奏楽をするためのコラール曲は、教会のオルガニストにとっていわば必需品で、それらの作品の写譜が多く存在していた。たとえば、エルンスト・ルートヴィヒ・ゲルバーが所有していたという、バッハ一族の200曲以上のコラール曲を含む膨大な手稿の存在が分かっている。ノイマイスター手稿もそのようなコラール集の一つが手本であったと考えられる。筆者は、これらの点を考えると、このノイマイスター手稿の中の曲は、間違いなくそこに記された作者の作品であると思う。
 この手稿にあるバッハの作品の多くは、コラールの始めの旋律を用いたフーガに始まる、「フーガ的、変奏的コラール」という、ヨハン・パッヒェルベルの作品に見られる形式をとっている。このことは、パッヒェルベルの弟子であった兄に鍵盤楽器を習ったヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲を始めた頃の作品として、極めて自然であるように思える。クリストフ・ヴォルフという学者は、これらのコラールが、バッハがオールドルフいた1695年から1700年の間に作曲されたのではないかと考えている。中には北ドイツのオルガン音楽の影響を受けたと思われる作品もあるが、これは2006年に発見された、バッハがオールドルフにいた1698年から1700年初めにかけて作成したと思われる、ディートリヒ・ブクステフーデの曲の筆写譜の存在によって説明できる。一方、バッハが初めてオルガニストとして勤務したアルンシュタット(1703年 - 1707年)では、仕事上オルガンのためのコラール曲が必要で、先人の作品を演奏する傍ら、積極的に作曲に従事したと思われるから、その時期の作品とも考えられる。バッハが若い時に作曲したことがはっきりと分かっているオルガン曲は極めてわずかで、作曲時期を判断する基準が無いに等しい。今後新たな発見がない限り、作曲時期を確定することは難しそうである。それ故現時点では、バッハの若い頃の作品、おそらくは1707年、アルンシュタットのオルガニストを辞任するまでの時期、と言う推定しかできないのである。
 今回紹介するCDには、この「ノイマイスター手稿」に含まれるバッハのコラール曲36曲の内32曲が収められている。BWV 714、BWV 742、BWV 1102およびBWV 737は、すでに同じくリチェルカールの「若いバッハのオルガン曲」(246772 MU/750)に収められているため、除外されている。
 このCDでオルガンを演奏しているベルナール・フォクルールは、フランスのオルガニストで、リチェルカーレ・レーベルにバッハのオルガン曲をほとんど全曲録音している。ここで演奏している楽器は、チューリンゲン地方の西南の端にある、現在の人口800人余りの小さな村、ベッテンハウゼンの聖十字架教会のオルガンである。現在の楽器は、ヨハン・エルンスト・デーリンクによって1747年に建造されたもので、1854年に改修され、1993年に修復されたものである。オリジナルのオルガンは、2段鍵盤とペダル、15のレギスターを持つ中規模よりやや小さな楽器で、建造当時、予算が乏しく、いくつかのレギスターのパイプは木で作られた。レギスターの構成は、基音が充実した典型的なチューリンゲン地方のオルガンで、適度な残響を伴う教会の空間にあって、声部の動きが明瞭に聞き取れる。ピッチはコーアトーンの a = 485 Hz、調律は非均等調律 Bach/Kellnerと解説書には記されている。この音律は、ヘルベルト・アントン・ケルナー(Herbert anton Kellner)が、1975年に申請した特許と「私は如何に自らチェンバロを調律するか?***」で発表した、バッハの「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」のための調律の提案によるもので、c - g、g - d、d - a、a - e および h - fis をそれぞれ1/5 ピュタゴラス・コンマ狭く、残りの7つの完全五度を純正に調律するものである。この音律は、 c - e の長三度が僅かに純正より広く、他の長三度も純正ではない、いわゆる「巧みな音律(wohltemperierte Stimmung)」の一種である。
このベッテンハウゼンのオルガンは、小規模であるにもかかわらず、3つの「ツィンベルシュテルン」と呼ばれる鈴を組み合わせた装置があり、そのうち二つはそれぞれハ長調とト長調に調律されている。このCDでは、1曲目と29曲目の集結部でト長調のツィンベルシュテルンが使われ、華やかな雰囲気を演出している。
 なお、リチェルカール・レーベルのフォクルールの演奏によるバッハのオルガン作品は、現在一部を除いて16枚組のボックス・セット(RIC 289)に集約されている。また、ノイマイスター・コラールの全曲を聴きたいと思う人には、ヒューペリオン・レーベルのクリストファー・ヘリックによる演奏のCD(Hyperíon CDA67215)を挙げておく。

発売元:RICERCAR

注)ノイマイスター手稿については、主に新バッハ全集第IV部門第9巻、ノイマイスターコラールの校訂報告書(2003年、クリストフ・ヴォルフ著)および、Christoph Wolff, “The Neumeister Collection of Chorale Preludes from the Bach Circle”, in “BACH - Essays on His Life and Music”, Harvard University Press, Cambridge, Massachusetts, London, England, 1993 を参考にした。

* Christoph Wolff, “Zur Problematik der Chronologie und der Stilentwicklung des Bachschen Frühwerkes insbesondere zur musikalischen Vorgeschichte des Orgelbüchleins”, in “Bericht über die Wissenschaftliche Konferenz zum V. Internationalen Bachfest der DDR in Verbindung mit dem 60. Bachfest der Neuen Bachgesellschaft, Leipzig, 25. bis 27. März 1985.” Im Auftrag der Nationalen Forschungs- und Gedenkstätten Johann Sebastian Bach der DDR, herausgegeben von Winfried Hoffmann und Armin Schneiderheinze, VEB Deutscher Verlag für Musik, Leipzig, 1988, p. 451 - 455:なお、このヴォルフによる紹介とは別に、オルガニストのヴィルヘルム・クルムバッハが、ドイツの音楽雑誌「ノイエ・ツァイトシュリフト・フュー・ムズィーク」の1985年3月号と5月号で、同じノイマイスターの手稿を紹介している。この報告では、このほかに同じローウェル・メイスン蔵書に属する「ヨハン・クリスティアン・ハインリヒ・リンク手稿」と、これらとは出所が異なる「ライプツィヒ手稿」の紹介もしており、同時にこれら3つの手稿に掲載されているバッハの名の表記がある全曲の録音も行った:Wilhelm Krumbach, “Sechzig unbekannte Orgelwerke von Johann Sebastian Bach? Ein vorläufiger Fundbericht”. Erster Teil, Neue Zeitschrift für Musik, 146. Jahrgang Heft 3, März 1985, p. 4 - 12; Zweiter Teil, Heft 5, Mai 1985, p. 6 - 18;

** Johann Sebastian Bach: Orgelwerke - Orgelchräle der Neumeister-Sammlung (Yale University Manuscript LM 4708), Erstausgabe. Herausgegeben von Christoph Wolff, Urtext der Neuen Bach-Ausbage, Bärenreiter Kassel • London • New York • Prag BA 5181, © 1985 Yale University

*** Herbert Anton Kellner, “Wie stimme ich selbst mein Cembalo ?”, Verlag Das Musikinstrument Frankfurt am Main, 2. überarbeitete Auflage,  1979

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