私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Danses, danseryes, XIIIe, XIVe, XVe, XVIe, XVIIe siècles
Disques Pierre Verany PV-785022
演奏:Musica Antique, Christian Mendoze (direction)

いままでにも述べてきたように、古い時代の音楽、特に世俗曲の演奏には、単に楽譜だけではなく、文書や画像資料なども参考にして、実際の演奏を推定して行く作業が欠かせない。そのため、演奏者、演奏団体によって、同じ曲でもその構成、楽器編成やテンポは異なってくる。今回紹介するCDは、「ルネサンス・イタリアの舞曲を3つの出版譜、手稿からの演奏で聴く」で紹介した、”Schiarazula Marazula: Danzas italianas del Renacimiento”(Cantus C 9605)と同様、現在Musica Antiqua Provenceと言う名の楽団によるもので、この楽団は1981年にクリスティアン・メンドーセによって組織されている。今回紹介するCDの録音は、楽団結成から3年後の1984年10月20日から21日に、南フランスのシ・フォウ・レ・プラージュ(Six-Fours-les-Plages)の教会で行われた。
 このCDの構成は、ミヒャエル・プレトリウスの「テルプシコーレ舞曲集(Danses de Terpsichore)」(1612)、ジオルジオ・マイネリオの「舞曲集第I巻(Il primo libro di balli)」(1578)、ジャック・モデルヌの「舞曲集(Danseryes)」(16世紀)、クロード・ジェルヴェイスの「舞曲組曲(Suite de Danses)」(1557)、ティールマン・スサートの「舞曲集(Danseryes)」(1551)および13世紀から14世紀の中世の舞曲と器楽曲からなっている。つまり17世紀に出版されたプレトリウスの舞曲集から、時代をさかのぼって13世紀にいたる様々な舞曲を紹介しているのである。
 ミヒャエル・プレトリウス(Michael Praetorius, 本名はMichael Schultheiß, c. 1572 - 1621)は、チューリンゲン地方のアイゼナハ近郊のクロイツブルク・アン・デア・ヴェラで生まれ、トルガウとツェルプストで教育を受けた後、フランクフルト・アン・デア・オーデルの大学で神学と哲学を学び、14歳の頃から大学の教会のオルガニストになった。1594年からブラウンシュヴァイク・リューネブルク公爵ハインリヒ・ユリウスの宮廷オルガニスト、1604年からは宮廷楽長に就任した。プレトリウスは、この宮廷の任務に伴って多くの宗教的声楽曲を作曲した。1613年公爵が死亡した後も、名目的には従来の地位にとどまっていたが、すでに服喪の間にドレースデンのザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルクI世の任務に就き、その領域であるナウムブルク、ハレ、ブラウンシュヴァイク、ハルバーシュタット、カッセル、ダルムシュタットに於ける壮大な祝祭音楽の指導者として関与していた。1615年からはハインリヒ・シュッツとともにドレースデン宮廷で活動しており、生涯ドレースデン宮廷の終身楽長の地位にあった。プレトリウスの音楽は、シュッツやザームエル・シャイトとともに、当時のイタリア音楽の影響を強く受けていた。プレトリウスは、多くの音楽作品の出版を行うとともに、音楽の理論的著作の出版も行っており、特に1615年から1619年にかけて出版した3巻からなる「音楽大全(Syntagma musicum)」は、当時の演奏法や、楽器などに関する最も重要な資料として、現在もその価値を失っていない。1612年に出版した「テルプシコーレ舞曲集(Danses de Terpsichore)」は、プレトリウスの唯一の世俗音楽集であり、主にフランス起源の舞曲312曲の4声、5声、6声の楽譜を収めた曲集である。
 ジオルジオ・マイネリオ(Giorgio Mainerio, 1530/1540 - 1582)はパルマに生まれ、1560年から10年間はウディーネ、さらにその後はアクィレイアに移り、1578年にはアクィレイア聖堂の楽長に任命され、1582年に死亡するまでこの地に留まった。聖職者の資格も持っていて、宗教曲を多く作曲したようだが、その名前が今日まで残っているのは、1578年に出版した「舞曲集第1巻(Il primo libro de' balli...)」による。当時の多くの舞曲集同様、この曲集の中の作品も、自ら作曲したものではなく、当時広く知られていた曲を集めたものである。この曲集の特徴は、広くヨーロッパ各地の曲を集めていることで、その題名には、フランス、イギリス、ハンガリーあるいはミラノ、パルマなどの地名を見ることが出来る。
 ジャック・モデルヌ(Jacques Moderne, c. 1500 - 1560以降)は、フランスの音楽出版者として知られているが、音楽家であったかどうかは分からない。ミサ、モテット、シャンソンなどがその大半を占めるが、1578年に「バレ第1巻(Primo Libro di Balli)」を出版している。
 クロード・ジェルヴェイス(Claude Gervaise)についてはその誕生、死亡の年も含めほとんど分かっていない。ジェルヴェイスの名は、パリの出版者ピエール・アテニャンの編纂者として1540年に現れ、1551年か1552年にアテニャンが死亡した後も未亡人のマリー・レスカレピエ・アテニャン(Marie Lescallopier-Attaingnant)のもとで編纂を続けた。1558年にアテニャンの出版物でその名が現れた後については、なにも分かっていない。ジェルヴェイスが編纂したのは主にシャンソンで、そのほかフランスで初めてのリュートのタブラトゥアを作製したと考えられている。ジェルヴェイスによる器楽曲は、主に4声の舞踊のための曲で、パヴァーヌ、ガリアルド、ブランル、それにブランルの変形であるクーラント等がある。このクーラントには、クーラント・ゲイとクーラント・サンプレがある。舞曲に於ける旋律はほとんどホモフォニックである。
 ティールマン・スサート(Tielman Susato, 1500年頃 - 1562年頃)は、その名前(de Soest)から、現在ドイツのヴェストファーレン地方にあるゼースト(Soest)の出身と考えられているが、活躍の舞台であったアントワープに何時やって来たのかは分かっていない。聖堂の記録には、1377年以前から”Tielmano de susato Coloniensis”という人物が見られることから、彼自身はアントワープ生まれではないかと考えられている。1529年に聖堂の筆書人に就き、1531年からはトランペット奏者にも任じられた様である。1532年の記録によると、スサートは町の楽団員として名が挙がっており、1549年までその職にあったようである。しかし彼の名を今日まで有名にしているのは、1543年に始めた音楽出版業のためである。彼は生涯の内に25冊のシャンソン集、3冊のミサ集、19冊のモテット集、それに19巻の曲集(musyck boexken)を出版した。スサートは1551年に曲集の第3巻として舞曲集(Het derde musyck boexken ... alderhande danserye)を出版した。これは4声のパート譜からなっていて、それぞれに目次を持ち、13曲のバス・ダンス、9曲のロンド、サルタレッロ1曲、6曲のブランル、8曲のアルマンド、7曲のパヴァーヌそして15曲のガリアルドが含まれている。しかしこの舞曲も、スサートの作曲と言うことは出来ない。スサートは、当時流行していた様々な舞曲を収集し、4声の和音付けをした編曲者と見なすべきであろう。
 これら4人によって編纂された舞曲集に加え、13世紀から14世紀の舞曲は、様々な写本から採られた。CDに添付された小冊子で、出典が挙げられているは、「トリスタンの哀歌(Il Lamento di Tristano)」と「マンフレディーナ(La Manfredina)」で、「ロッタ」と言う、速いテンポの変奏とともに、ロンドンの大英博物館所蔵の手稿の同一頁に記譜されている*。これらの曲は、2つないし3つの短い楽句からなり、それらが交互に応答して奏され、その後より速いテンポ(ロッタ)で繰り返される。中世の舞曲の重要な形式としては、「エスタンピー(Estampie, istampitte, estampida, etc.)」がある。これは「プンクタ」と呼ばれる部分で構成され、これらが aa bb cc と言うように繰り返されるが、それぞれの1回目と2回目で異なった終結がある。「トリスタンの哀歌」も、このエスタンピーに属し、中世の舞曲として、もっとも良く演奏される曲である。エスタンピーと似た形式の舞曲としては、「サルタレッロ(Saltarello)」がある。16世紀頃になると、「ブランル(Branle, Bransle)」と言う輪舞の一種が登場し、さらに「パヴァーヌ(Pavane)」と、これと組になる速いテンポの「ガリヤルド(Galliarde, Gagliarda, Gaillarde, etc.)」が現れる。このCDに収録されている曲には、これらの様々な舞曲に、フランスやドイツの名を含んだ舞曲が加わっている。
 今回紹介するCDで演奏しているムジカ・アンティクァの編成は、各種のリコーダー、クルムホルン、プサルテリー、スピネットに打楽器を奏する8人からなっている。先に紹介したルネサンス・イタリアの舞曲のCDの編成とは、指揮者のクリスティアン・メンドーセとジャン=シャルル・ログルーだけが同じである。ログルーは、現在のムジカ・アンティクァ・プロヴァンスのメンバーでもある。演奏は、木管楽器を主体として、舞曲集の性格上、ほとんどの曲で、何らかの打楽器が加わっている。
 今回紹介するCDは、ディスク・ピエール・ヴェラニー(Disque Pierre Veray)レーベルである。ピエール・ヴェラニーは、フランスの録音技師、制作者で、イタリアおよびフランスのバロック音楽のレコードの録音、制作を行っていた。ウィキペディア英語版の”Pierre Verany“によると、1997年にその版権をアリオン・レコードに売却したそうだが、CDショップ・カデンツァ湧々堂東武トレーディング等のCDショップでは、依然このレーベルが存在するかのような紹介をしている。しかし、現実にはこのCDの入手は困難なようだ。

発売元:Disque Pierre Verany

British Museum Additional 29987

注)プレトリウスについては、「様々な楽器の演奏で聴くプレトリウスのテルプシコーレ舞曲集」、ジオルジオ・マイネリオについては、「ジオルジオ・マイネリオの舞曲集」、ティールマン・スサートについては、「フランドル最初の音楽出版人、ティールマン・スサートの舞曲集」、さらに「クルムホルンという楽器の全盛期から終焉までの曲を聴く」の各投稿、そしてウィキペディアのドイツ語版および英語版の各項目を参照。

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