昼間、草を抜きつつ、小葱の列に、何度か目の施肥をした。有機肥料牛糞の。愛情を掛けた分、今年の小葱は、成績がいい。これまでで最高の出来だ。例年の2倍くらい、草丈がある。肥えていて太い。いかにもおいしそうだ。
昼間、草を抜きつつ、小葱の列に、何度か目の施肥をした。有機肥料牛糞の。愛情を掛けた分、今年の小葱は、成績がいい。これまでで最高の出来だ。例年の2倍くらい、草丈がある。肥えていて太い。いかにもおいしそうだ。
外に出ていた。5時を過ぎるといきなり冷える。ほんとに、いきなりという感じだ。日が沈むと、こうなるのか。クシャミが立て続けに出る。竹箒で、庭の小径を掃いていた。箒の目がつくだけで、清潔感が味わえる。掃除作業を打ち切って、慌てて、家の中に入った。
4
パソコンを離れる。書くのを止める。午後1時。外に出て行く。と、いつのまにか猫はいない。痺れを切らしたのだろう。ベランダの椅子に座る。目を瞑る。冬の日が降り注いで来る。寒くも暑くもない。続けざまに霜が降って秋茄子はさすがにもう枯れてしまった。
3
猫が、すぐ傍まで来て、にゃあにゃあにゃあと鳴く。濡れ縁の上に乗って鳴く。家の中には入れない。僕は一度も餌を遣ったことはない。だが、こうしていつまでも鳴き続けるときには、顎の下を指先で撫でてあげる。猫は鳴き止む。気持ちよさそうにする。目を閉じる。
2
ところがいつまで経っても、書いたものを読み返すとどれもどれも駄文だ。これじゃ、詩が書けない。とろとろとろとまどろめるような詩は書けない。もう読み返す気力すら失せてしまう。書いていれば、いつのまにか詩に到達できるものでもないことを合点させられる。
1
書いて書いて書いていれば、いつかいい文章が書けるようになるかもしれない。いい詩が書けるようになるかもしれない。書いて書いて書く。いい詩が書けたら、その詩の桶の中に座ってまどろもう。結跏趺坐に脚を折って両の目を閉じて、とろとろとろとろまどろもう。
7
これはすべて仏法に教えられたことです。わたしが知り得たことではありません。すべてが受け売りです。間違って受け取っているかもしれません。
わたしは何一つ知らないでもいいのです。そしてその実、その通り、知っていません。仏法が知っているから、知らないで居てもいいのです。仏法が仏法を修しているから、誰一人知らないでもいいのです。
朝になると朝日が東の空にひとりでに昇ってきます。夜になると入り日が西の空に赤々と沈んで行きます。わたしの鼻が勝手に息を吸っています。わたしの口が気儘に息を吐いています。
6
大空を見て大空を聞いて大空を受けて大空を持っている。そういうわたしである。それを実現させているのが微妙法である。
「それができるわたし」にしているのが、サッダルマである。
5
微妙法(みみょうほう)とは、正法のことである。サッダルマのことである。宇宙を宇宙たらしめているエネルギー、ダンマのことである。わたしをわたしたらしめているパワー、ダンマのことである。仏陀の悟られたお悟りのことである。
4
では、問う。その微妙法(みみょうほう)をどうやって見るか。見ることができたか。その微妙法をどうやって聞くか。聞くことができたか。どうやって受持したか。しているか。
はい、その「どうやって」というところも拝領した拝領品でありますから、わたしの関知する外。お答えできませぬ。