苦しみはお迎えである/悲しみはお迎えである/迎えて正客にされるのだ/病と死はお迎えである/待ちに待ったお迎えである/迎えていよいよはっきりと正客にされるのだ/
*
待ちに待った、というわけにはいかないけれど、その実はそうである。避けて避けて逃げて逃げ回るのだが、苦しみ悲しみの極点に立たされる。そしてそこでとうとう仏陀に捕獲される。正客にして迎えられるためである。これを待ち望んで来たのである。それがここへ来て成就するのである。成就して初めて、逃げ惑ったこれまでの背反のすべてがここへ辿り着くためであったことが了解される。人は徐々に徐々に「終わりよし」に追い込まれるのだ。正客とはもちろん仏国土の賓客、その堂々の正客である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます