己の努力精進の修行によって仏陀の道、仏道を歩いて、仏陀に成るという自力成仏の方法がある。救われて行く方法がある。しかしこの方法を採択できるのはほんの一握りに限られる。指導者が選ぶ道だ。この道を歩めば益々己の力の高まりを感じることが出来る。
船に乗って目的地に着くという、もう一つの行き方がある。仏陀の願いの、願船に乗って。これは自力が問われない。仏の力、仏の衆生済度の願力、仏の功徳、仏の慈悲によって救われて行く方法だ。船に乗るという決断が要るが、乗った後はお任せでいい。信賴帰依をしていればいい。念仏の道がこれだ。
船を下りるとそこがもう仏の建国した安養の浄土である。ここに迎え取られて、ここで大安心が与えられる。
大安心を自らの修行で掴み取るか、それとも仏陀の慈悲、仏陀の功徳にあずかって大安心をもらい受けるか。
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さて、どっちを選ぼうか。どっちを選んだとしても、しかし、大安心が最終目的地ではないという点を考慮に入れておく必要がある。
大安心を得て成仏したら、仏の仕事に加担するのだ。もう一つの出発地点に立つのだ。仏の仕事は、すべての衆生を仏(完成者)にすることである。山川草木悉皆成仏を達成することだ。此処をよろこびの宇宙にすることだ。
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