またまた李白に会いたくなった。今日の李白は独酌している。月が煌々と照っている。それを見て、月と月影が君子に見えてしまった。それで彼らをさっそく飲み相手に仕立て上げてしまった。彼ならではの芸当である。
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「月下独酌」 李白
花間一壼酒
獨酌無相親
舉杯邀明月
對影成三人
月既不解飮
影徒隨我身
暫伴月將影
行樂須及春
我歌月徘徊
我舞影零亂
醒時同交歡
醉後各分散
永結無情遊
相期遥雲漢
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花間(かかん) 一壷(いっこ)の酒、
独り酌(く)んで相(あい)親しむもの無し。
杯(さかずき)を挙げて名月を迎え、
影に対して三人と成る。
月既に飲(いん)を解(かい)せず、
影徒(いたづらに我が身に随う。
暫(しばら)く月と影とを伴い、
行楽(こうらく)須(すべか)らく春に及ぶべし。
我歌えば月徘徊(はいかい)し、
我舞えば影零乱(りょうらん)す。
醒(さ)むる時ともに交歓(こうかん)し、
酔うて後は各々(おのおの)分散(ぶんさん)す。
永く無情(むじょう)の遊(ゆう)を結び、
相期(あいき)す遥かなる雲漢(うんかん)に。
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(さぶろうの出鱈目な訳をしてみた)
徳利の酒を菊花の間に置く。酒のお相伴を申し出る者はいないか。
杯を挙げると名月がふらりとそこに浮かんで揺れる。月と儂と儂の影、よし、これで三人。
酒が飲めない月光はゆらりゆらりするばかり。月影は私の背後に回ってばかり。
まあともかく楽しめればそれでいい。秋も春のにぎわいとなる。しばらく月と影と儂らは三人。仲良しだ。
儂が歌うぞ。月は舞え。今度はよろよろの儂も舞おう。影もよろよろだ。
しらふに戻ってもまたこの交際を続けようではないか。儂が酔って眠る間はしばらくそれぞれになるけれど。
月と影は儂の情の行き着くところ。遥かな天の川までも長々とお付き合いをして行こうじゃないか。
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この詩の留めは「永く無情の遊を結び、相期すは遙かなる雲漢ぞ」となっている。含蓄が深いぞ。
仏典に「無情も説法す」とある。石も山も砂も波も海も、花も風も、月も星も仏陀の法を説いているという。せっかく無情界が説法をしているのなら、有情(うじょう)界の我等がこれを聞けばいい。無情界と有情界は相互に理解し合えるのだから。どこまでもどこまでも宇宙の果て(遙かなる雲漢)までもこころを寄せ合って行こうじゃないか。それが期待できるはず。月に月の語を聞き、雲漢に雲漢の語を聞くべし。
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