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いや、誰もがそこで何かを己に向かって語るだろう。たった一つの結論を導き出すだろう。長い長いマラソンを走り終えて、このマラソンの感想を述べることになるだろう。一言に集約して述べることになるだろう。
十郎の場合は、それは否定的な結論になるのだろうか。それとも肯定的な集約表現になるのだろうか。今現在でどちらに転ぶのか予想がつかない。
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死はその時己に何を求めてくるのだろう? 何も求めてくることはないのかも知れない。安らぎを与えて与えて来るだけかもしれない。死は全面的に仏陀の利他行、慈悲の行の内側にあることなのだから。
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